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スピード

  

 家に帰ると、オウルが風呂を用意しておいてくれた。

 現在7人で住んでいるので、1人は留守番することになる。

 家事は家に残ったオウルの役目だ。

 どこから調達したのか、三角巾を被ってエプロンをつけている。


「ホッホー、今日は魚の南蛮漬けじゃぞ。今から魚を揚げるから順番に風呂へ入れ」


 さすがに6人となると、風呂に入るにも時間が掛かる。

 女性陣を風呂に入らせ、俺は久しぶりに公衆浴場へ。

 公衆浴場にはサウナもプールもあるので、つい長居をしてしまう。

 折角家に風呂があるのに主人が公衆浴場に行くのは何か違うような気もするが、迷宮帰りに軽く泳ぐとリラックスできていいんだよな。


 帰り掛けにパンを買ってくる。

 家に帰ると丁度南蛮漬けも冷えて食べ頃になっていた。

 豆のスープもついている。

 プール帰りに南蛮漬けとワインで一杯。

 

 たまらん。

 

 お酢が効いていて暑い時期にぴったりだ。


「それでは、頂きます」

「頂きます」


 程よい酸っぱさに野菜の食感、揚げた魚の香ばしさ。


「オウル、さすがだな」


 そう言って褒めると、ホッホーと一声鳴いてオウルも食べ始めた。


 ただ、な……。


 旨いことは文句なしに旨いのだが、魚を食べるとどうしても日本の醤油が恋しくなってしまう。

 ガルムもいいのだが、魚醤なので醤油とは違う風味がある。


 主食がパンというのも、ちょっと味気ない。

 パン食には慣れたと思っていたんだがなあ。


 まぁ、無い物ねだりしてもしょうがないか。

 米はそもそも手に入らないし、醤油の作り方なんて知らないしな。

 そもそも、醤油の作り方を知っていたところで、自力で作れるとは思えないが。


 色々と食べたい物もあるが、いかんせん作る技術が無い。

 例えば、暑いから冷奴なんかも欲しいのだが、豆腐の作り方が……。

 大豆はあるから作ることは可能と言えば可能だろう。


 でも、どうやるんだ? 煮るのか?

 煮て……搾るのかな?

 ニガリを入れるというのは知っている。

 だけど、ニガリってなんだ?

 海水から作れるということは知っているが、具体的に何なのか分からん。


 今までの常識が通じない異世界に来てつくづく思い知った。

 イズマイールでは、地球での学問の小才より、馬に乗れるとか、豆腐を作れるといった技術のほうが重宝するのかもしれない。


 しかしな……、魔法や魔石なんて滅茶苦茶な物があるんだ。

 仮に俺が科学的な知識を持っていたとしても、それがそのまま通用するのだろうか。

 本当に地球と同じ方法で豆腐が作れるのか?


 ……いや、今までの料理も、俺自身の知識で作って、予想の範囲内の結果に収まった。


 大丈夫だ。

 通じるはずだ。


 ……いや、まてよ。


 日常生活を送るぶんには違いが分からなくとも、理論の段階ではどうなるんだ?


 今日買ってきたパンは発酵させてある。


 このパンの発酵の原理は地球と同じなのか?

 同じように微生物が働いているのか?

 原子や分子の働きはどうなんだ?


 結果が同じでも過程が違えば、そこにある法則は地球とは別物になるんじゃないか?


 魔法が存在します。しかし、自然の法則や理論は地球と同じです。

 そんな都合のいい話があるのだろうか?

 この星が丸いかどうかすら疑わしいんだぞ。


 魔法という巨大な例外を認めた上で、地球と同じ理論が成り立つものなんだろうか?

 それとも、魔法の領域も含めた何らかの理論が成立するんだろうか?


 俺のような門外漢には及びもつかない話である。


 地道に実験して、経験から学ぶしかないだろう。

 地球の科学的視点から見て、同じ条件なら同じ結果になるのか疑わしいのが問題ではあるが。


 いや、魔法が存在するんだぞ。

 下手をしたら、思いや祈りといった計量不能なものが、具体的な力を持っている可能性もある。

 検証不可能だ。


 思えば、才能というのも極めて不明確で曖昧なものなのだろう。

 イズマイールではビル・ゲイツが貧乏人になるかもしれない。

 ウサイン・ボルトはただの足の速い人だ。

 この世界にはインターネットもパソコンも、100M走という競技も存在しないのだから。


 あらゆる意味においてルールが違うのだ、地球とは。

 サッカーのプロが野球も上手いとは限らないだろう?

 ある種の才能の社会的有用性は、社会の構造に規定されているっていうのは本当だったのか。


 いや、今までの思考は少しニヒリスティックすぎるかもしれない。


 少なくとも、今までの生活においては不都合はなかったのだ。

 何らかの共通点はあるのだろう。

 不思議なことも沢山あったけれど。


 恐らく、経験や合理といったものはこの世界でも通用する。


 ……通用すると信じたい。

 ハハハッ、矛盾だ。


 しかし、この問題を考えるには、理性や先天性について考える必要がある。


 でも、どうやって考えるんだ。

 こんなの、イズマイールの誰にも相談できん。

 誰かに相談したところで無駄だ。

 皮肉な事に、異世界を経験したのは俺一人、観察できるのも俺一人なのだから。


 ……これが孤独か。


 いや、やはり少しニヒリズムが……しかし、……。





「このお魚、美味しいです! ……あれ? アキト様?」

「メリア、気にしないで大丈夫です。アキト様は時々、ああやって止まるんですよ」

「そうですよ! きっと何か凄い事をお考えになっているんです!」

「まぁ……。でも、じっとパンを見つめるなんて。ご病気ではありませんか?」

「……放置」

「ホッホー、それにしても今日の南蛮漬けは上手くいったのう」

「さすが先生です! パンも美味しいです!」







 次の日も朝から迷宮に出かける。

 軽くゴブリンエリートの相手をして肩慣らしを終え、ボス部屋の前まで到達した。


「5階層のボスはゴブリンソードマン、ゴブリンランサー、ゴブリンアックスマン、ゴブリンアーチャー、ゴブリンシスター、ゴブリンマジシャンだったな」

「はい、敵もパーティを組んできましたね。しかし、今の私たちの敵ではありません」


 シルヴァーナが淡々と答える。


 確かに分不相応な装備だしな。


 ゴブリンシスターが回復役だが、今の俺達なら回復させる間もなく一体一体潰していけるだろう。


「そうだな、シルヴァーナの言うとおりだが、力押しも面白くない……。普通に相手の前衛から潰していくと、アーチャーやマジシャンに攻撃されるよな?」

「それはそうですわね。私達が前衛に攻撃している間は敵の後衛は自由になりますから」

「そこでだ。今回は、シルヴァーナとカリンとアリア、それにセルマで敵の後衛から潰してもらいたい」

「敵の前衛はどうしますか!?」

「ああ、俺が最初に魔法を一発撃って引きつける。今回の目標は敵の後衛に何も仕事をさせないことだ。丁度いい練習台になってもらおう」

 

 そう言って、皆と打ち合わせを済ませておく。





「いくぞ、3,2,1、GO!」


 掛け声と共に扉を開けると同時に、一斉に散開して走り出す。


 セルマは敵の後衛を狙撃するために横に回り込むように。


 メリアはセルマのすぐ後ろに隠れて回復魔法の準備を。


 前衛三人組は左右に分かれて敵の後方に回り込む。


 シルヴァーナとアリアの銀の髪が閃光のようにたなびく。


 ここからはスピード勝負だ。


 俺も全力で散開する。


 足を止めてすぐに魔法だ。


「炎よ 踊れ! ファイアストーム!」


 ゴブリン達が微妙に広がって出現している。


 ファイアストームでは範囲に捉えきれない。


 火の粉がキラキラと集まり、渦となって燃え上がった。


 ゴブリンランサーが炎に撒きこまれて火だるまになる。


 ゴブリンソードマンも背中を焼かれ、ゴブリンアックスマンは右肩から先が黒こげになった。


 ……敵の後衛は無傷だ。


 炎が吹き散る。


 ソードマンとアックスマンが武器を取り直す。


 俺の方に突進してきた。


 右手の剣を構える。


 ゴブリンシスターとゴブリンマジシャンが杖を掲げて奇妙な動作を取り始めた。


 ゴブリン達が魔法を使う準備動作だ。


 ゴブリンアーチャーも俺に向かって弓矢を構え――


「……ゲット」


 ――力無く崩れ落ちる。


 セルマだ。


 カウンターでヘッドショットが入った。


「ゼイヤッ!」


 マジシャンがシルヴァーナの巨大戦鎚に吹き飛ばされる。


 首を跳ね飛ばされたシスターも光に還っていった。


 前衛に食いつかれた後衛ほど無力なものはない。


 そして、後衛のいない前衛ほど脆いものはない。


 カリンがアックスマンの背中に向けて崩拳を放った。


 後ろからの強襲を受け、アックスマンが逆くの字になって俺の横を吹き飛んでいく。


 空中で一刷毛の金粉のように粒子となって散っていった


 残されたソードマンだけだ。


 もうどうにもならない。


 奇妙な叫び声を上げながら俺に切り掛かってくるが、しっかりと受け止め、腹を前蹴りで押してやる。


 ソードマンが仰向けに地面に倒れこんだ。


 起き上がろうとしたところを、セルマが地面に縫いとめる。


「……パーフェクトだ、みんな」


 ソードマンが起き上がろうともがくが


「残念♪」


 アリアが後ろから歩み寄り、ソードマンの首を跳ね飛ばした。





 ボス戦だが、30秒も掛かっていないんじゃないか?


 戦闘が終わった時には、俺達が敵の出現地点をほぼ囲むような配置になっていた。


「……狙いやすい」


 時計でいうと、12時方向に前衛陣、3時方向にセルマとメリア、6時方向に俺だ。

 セルマからはさぞ狙いやすかったろう。

 万が一、セルマ達に敵が向かっても、前衛たちが間に割って入れる。


 いい感じだ。


 だんだん形が見えてきたぞ。


 スピードで勝れば、やりたいように戦況を作れる。


「し、仕事がないです」


 いいんだよ、メリア。

 君に仕事が無いということは、誰もダメージを受けてないということだから。


「上手くいきましたね。瞬殺です」

「ええ。やはり、後衛は前衛より柔らかいような気がしますわ」


 シルヴァーナとアリアが矢を拾って戻ってくる。


「どうでしょう? 私、前衛の敵を殴りましたけど、あまり変わらないような。あ、作戦と違って前衛に攻撃しちゃいましたけど良かったのでしょうか?」


 カリンが不安そうに聞いてくる。


「ああ、勿論だ。臨機応変で素晴らしい判断だったぞ」


 当然、褒めるべき判断だ。

 自分で考えて作戦から逸脱したという点も良い。


「みんなも、事前の作戦を頭に入れた上で柔軟に判断してくれ。できるだけファーストアタックに火力を集中させたいからな。一匹一匹を確実に潰すのと同時に、できるだけ余剰な人員を出さないようにしていこう」


 このボスは対人の練習にもなるのかな?


「どうしましょう? もう一度戦ってみますか?」


 シルヴァーナも同じことを考えたようだ。


「……いや、いいだろう。ほぼ一撃で倒せるなら練習にはならなそうだ。軽く6階層を見に行こう」










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