月桂冠
競技会最終日には帝都の神殿で女神アイリスへの祈りが捧げられ、その後は皇帝主催の大宴会が三日ほど続いた。
ウィリキウスさんは4頭立て戦車競走でも優勝し、見事、パンクラチオンと戦車競技の2冠を達成した。
それを記念して、二重月桂冠を皇帝から授与されたようだ。
これは、ここ20年ほど授与されたことのない品らしく、帝都においてウィリキウスさんの人気は凄まじいものとなっている。
俺もパンクラチオンと戦車競技でウィリキウスさんに金貨1枚ずつ賭けていたので、多少儲けさせてもらっている。
もっとも、どちらもウィリキウスさんが一番人気だったので、金貨2枚が3枚になっただけだが。
なんにせよ、これで手持ちは金貨88枚だ。
なんか金貨の枚数を数えてばかりな気がするな。
「いやはや、アキトさん達には返しきれない恩を受けました。まさか二重月桂冠を拝受できるなんて」
皇帝主催の宴会が終わって、今日は内々の祝宴だ。
流石ルキウスさん達は貴族である。
連日祝宴続きでも平気な顔だ。
まあ、ルキウスさんは毎日が祝宴のような生活をしているのだが。
「全くだ。これでウィリキウスも元老院選挙
の心配はいらないな。来年には執政官になって、すぐに属州総督につくがいい」
軍人から政治家へ、そして執政官をすぐにやめて属州総督へ、というのが帝国貴族のエリートコースだ。
属州総督の権力は絶大だ。
広大な属州の統治を一手に引き受けることになり、莫大な財産を得ることができる。
ウィリキウスさんも近々軍をやめて、ルキウスさんと同じエリートコースを歩むことになるそうだ。
もちろん、その途中でユリアさんを娶ることになる。
「しかし、格闘の第一線から遠ざかってしまうのは残念です。更にアキトさんから寝技を習いたいですし、カリンからも蹴り技を教えてもらっていません」
「なに、内々で練習すればよいではないか。大会にも出られなくなる訳ではないしな」
もっとも、ルキウスさん達の計画を実行するには、ユリアさんを説得する必要がありそうだ。
「それにしても、連日、あの技は誰から教わったのかと聞かれましたよ。アキトさんの名前は出さずに旅の探索者に教えてもらったと答えていますが、これで良かったんですよね?」
「ええ、助かりますよ。やはり、本業は探索者ですからね」
さすがに寝技を教えて生計を立てるのは勘弁してもらいたい。
道着着用ならともかく、何が悲しくて全裸レスリングを毎日せねばならぬのか。
「そうすると、アキトはこれからどうするのだ?交易か?」
「そうですね……。とりあえずパーティメンバーを集めたら、普通の迷宮でレベル上げでしょうね。もちろん双角王の迷宮を使っての交易が目標ですよ」
「そういえばアキトさん、剣闘士をお贈りする約束でしたね。どうぞ、何人でも選んでください。なんなら、剣闘士団全員でも構いませんよ」
「いやいや、さすがに全員は無理ですよ。探索者としてスカウトするわけですしね」
ウィリキウスさんは元老院選挙の人気取りの為に剣闘士団を抱えていたらしい。
自前で剣闘を開催し、市民を招待して票を獲得するわけだ。
二重月桂冠のお蔭で選挙対策はバッチリなので、剣闘士団を抱える必要はなくなったということだ。
地球風に言うなら、スーパースターになったから選挙で金をばらまく必要がなくなった、というところか。
俺としても腕利きの剣闘士なら何人でも欲しいが、食わせていけるラインが分からない。
基本的に探索者稼業と交易をやってもらう予定だから、剣闘士はやめてもらうことになるだろう。
「ところで、今日も例の乳香を焚いていますね。まだ残っているんですか?」
今日も乳香とバラの香りで食堂はつつまれている。
ルキウスさんのお気に入りだ。
「残り一袋というところかな。なんせ、皇帝や他の奴らにもやってしまったからな。物の価値を知らん奴らに乳香を渡すのは業腹だが、まぁ、仕方あるまいよ」
「ルキウスは趣味の良さで有名ですからね。ルキウスの乳香はちょっとした話題になっていましたよ。私が同じ物を贈っても、あそこまで珍重はされないでしょう」
「もっとも、一番品質の良い物は残してあるがな」
フハハハ、とルキウスさんが高笑いする。
鑑定スキルを使ってもそこまで差は無かった気がするが、見る人が見れば違いがあるのかもしれない。
「そろそろアレキサンドリアから船が着くでしょう。交易をするには季節も考える必要がありそうですね」
毎年、夏にアレキサンドリアから大船団が帝都南の港に着く。
つまり、現在、アレキサンドリアからの品は市場に溢れている訳だ。
今から焦ってアレキサンドリアに行っても、儲けは薄くなるだろう。
「なるほど、交易も難しいものですわね……。でもアキト様、お兄様は趣味のこととなると限度を知りませんから……」
「そう私を責めてくれるな、ユリアよ。しかし、アキト、珍しい物を見つけたら是非私のところに持ってきてくれ」
「もちろんですよ。僕もルキウスさんに見せるなら安心です」
実際、得難い知己を得たものだ。
ルキウスさんは堕落の権化と言ってもいいし、その倫理観には必ずしも賛成できないのだが、一本筋の通ったところがある。
自分の美意識に反するようなことはしない男だ。
「ああ! それにしてもアキトさん達が羨ましい! 双角王の迷宮がヌミディアやルシタニアにも繋がったそうじゃありませんか。どれほど珍しい品が見つかるか想像もできませんよ!」
「ええ、他国にも繋がっていますしね。この分だと本当に世界中に繋がっている可能性がありますよ」
双角王の迷宮は、あれからどんどん広がっている。
いや、正確に言うならば、広大な迷宮の探索が進み、世界各地で入り口が発見されている。
これでまだ1階層だというのだから恐ろしい。
なんにせよ、交易の幅が広がることは喜ばしいことだ。
ルシタニアから鉄製の武器を直接仕入れることができる。
問題は、帝都からの輸出品だ。
帝都は大消費地ではあるものの、輸出できるものが一部の工芸品くらいしかない。
物価も高いしな。
その分、地方の物品を高値で売れるのは良いのだが。
拠点の場所も考えたほうがよさそうだ。
祝宴の帰り際、俺とウィリキウスさんだけルキウスさんの執務室に呼ばれた。
「さっきの話だがな……。“世界中と繋がる”というのも良い面ばかりではなさそうだ」
「どうかしましたか、ルキウス」
「まだ何とも言えんがな、どうもトラキア連合王国との間にキナ臭いものが漂い始めたよ」
「戦争ですか?」
ウィリキウスさんが勢い込んで聞いてくる。
「まぁ始まるとしてもまだまだ先のことだろう。だが、皇帝の取り巻きの中には、双角王の迷宮内部で決着がつかないなら入り口のほうを抑えてしまえ、などと言う奴らがいるからな」
「それは無茶な話のように思いますね。大体、迷宮への入り口があるのは連合王国だけじゃないでしょうに」
「アキトの言うとおりだ。しかし、軍と商人がこの話に飛びつきそうだからな。軍は勝てば土地を貰えるし、商人は奴隷と海路の安全が手に入るからな」
なるほど、俺達だけが呼ばれた理由が分かった。
シルヴァーナは戦争奴隷だ。
あまり聞かせたい話ではない。
ルキウスさんって意外と気遣いできるんだよな。
「そういう訳でウィリキウス、お前もこの先、どうなるか分からんぞ」
「何を言っているんです、ルキウス。戦なら戦で覚悟はしていますよ。アキトさんはどうされるんです?」
「傭兵ですか? まあ、不参加でしょうね」
即答だ。
帝国は別に嫌いじゃないが、所詮俺は異世界人だ。
参戦するほど帝国に愛国心を持っちゃいない。
……、いや、ちょっと嘘をついたな。
俺の場合、例え帝国生まれだったとしても参戦しなかっただろう。
今のところ探索者稼業で飯を食っていけるし、シルヴァーナとカリンに囲まれて結構いい暮らしをしている。
それにもかかわらず、どこぞの軍人と商人の為に戦争する奴はいないだろう。
生まれた国が危急存亡の秋っていうなら、話は別かもしれないけれど。
「そうですか……。連合王国相手なら、まず勝てるでしょう。危険も少ないでしょうし、稼げると思いますよ」
これは強烈な誘い文句だ。
なるほど、“ちょっとお隣から略奪してくんべ”ってことか。
勘違いしてちょっと真面目に考えすぎてしまったようだ。
「……我ながら情けなくなりますね。そう言われるとちょっと心が動きます。まぁ、シルヴァーナもいますし不参加だと思いますが……」
そう言うと、二人が笑った。
「いや、アキトさん、我が軍も似たようなものですよ」
「今は志願制だからな。装備も帝国が支給するから、貧困層の出身者が多い。市民権も得られるしな」
なんだ、結構サバサバしているな。
「勿論、帝国への愛国心は皆持っていますよ。愛国心と個人の欲望は両立するでしょう?」
そうウィリキウスさんが付け加える。
ルキウスさんがフフンと鼻で笑った。




