大会本番
紺碧の空の下、競技会が開催された。
数日前から帝都には地方在住の貴族や富豪たちが集まってきている。
市民達も専ら競技会の話題で持ちきりだ。
大規模な賭けも行われているそうだ。
もっとも、大部分の人は闘技場の中に入れない。
圧倒的に席数が足りないのだ。
帝都の円形闘技場は長径200Mの楕円形で、4階建てになっている。
20年前に技術の粋を凝らして建設された帝国最大の闘技場らしい。
大会当日、俺達はルキウスさんが用意してくれていた席に着いた。
2階の最前列、三人には十分すぎる広々としたスペースだ。
頭上には日除けとして白い布が張られていた。
観客には無料でワイン、冷えた果実水、湯気が立ち上る焼肉、蜜の掛かった揚げ菓子が提供されている。
中央の砂地の上には真紅の絹が引かれ、その上に色とりどりの花が撒かれていた。
しばらくすると、貴賓席の中央に初老の男性があらわれた。
あれがオウガスタ帝国の皇帝らしい。
ルキウスさんは皇帝の隣に控えている。
皇帝はそのまま最前列まで歩いてくると、高らかに開会を宣言する。
開会宣言が終わると、闘技場から一斉に白い鳩が飛び立ち、真紅の絹が片づけられていく。
皇帝を称える大歓声が沸き起こった。
今回は8人でのワンデイ・トーナメント戦だ。
試合は滞りなく行われ、やがてウィリキウスさんの出番となる。
初戦の相手は北方出身の赤ら顔の男のようだ。
相手の身長はウィリキウスさんより少し低いが、体に厚みがある。
体重は相手のほうが重いだろう。
相手に続いてウィリキウスさんが入場すると、会場から一斉に黄色い声が上がった。
生粋のオウガスタ人であるウィリキウスさんは、地元のヒーローだ。
「ウィリキウス! オウガスタの勇者!」
「ウィリキウス様~!」
「はぁ~素敵なお体ね~」
「ほんと。逞しいわ♡」
黄色い声を上げる、美女、美女、美少女、美少……年?、美女、美少年、おっさん達……。
幸いにして距離があるので、両者共に全裸でもそれほど奇妙に感じない。
試合が始まったのだろう。
二人が構えると同時に、闘技場内が怒号に包まれた。
ウィリキウスさんは軽く両腕を上げ、少しだけ腰を落とした。
対して、相手は殴りやすいよう両手を下げて、腰を落とす。
顔面ががら空きだ。
相手の構えは、単なる殴り合いなら有効だったろう。
腕が下がっているので、パンチを振り回しやすい。
乱打戦になれば手数を稼げる。掴み合いもやりやすいだろう。
体の厚みからして、取っ組み合いに強そうだ。
だが、ボクシング技術を持った相手に、あの構えは致命的だ。
ジリジリと接近しようとした相手の顔面に、ウィリキウスさんのジャブが炸裂した。
相手は、一瞬面食らったものの、思いのほか軽いパンチを侮り、再びジリジリと接近してくる。
そこにウィリキウスさんが軽く踏み込んでジャブを放ち、すぐに体を戻す。
今度は相手もパンチを振るものの、既にウィリキウスさんは射程外に退避していた。
元々、ウィリキウスさんのほうが身長が高くリーチが長いうえ、打つ時に軽く踏み込んでいる。
早速、相手の唇が切れて血が流れ始める。
「勝ったな……」
「ああ……」
カリンとエヴァごっこを楽しんでいる間に、相手の顔面はみるみる血に染まっていった。
ジャブは地上最速の打撃技だ。
1892年、当時豪腕と恐れられた王者ジョン・L・サリバンを、若き挑戦者ジェームス・J・コーベットがジャブとフットワークを駆使して打ち破る。
その日、ボクシングに革命がおこった。
ジャブの誕生によって、ボクシングが殴り合いから近代ボクシングに進化する。
それ以来、ボクシングの技術はジャブを前提として発展してきたと言っていい。
ましてや、パンクラチオンはボクシングと違い、拳に革を巻き付けただけだ。
そんな拳で殴られれば当然顔も切れるし、場合によっては深刻な怪我を負う。
すでに距離感を無くしたのだろう。
相手は好き放題に殴られている。
ジャブを嫌って、殴られながら強引に前に出たところで、ウィリキウスさんが綺麗なワンツーで右ストレートを決めた。更に返しの左フックも入って、もう一度右が入る。
そのまま相手が顔を抑えて倒れこむと、震えながら指を上に掲げた。
ギブアップの合図だ。
その瞬間、観客が割れんばかりの歓声を上げ、万雷の拍手が鳴り轟いた。
ウィリキウスさんが高々と両手を掲げる。
薔薇の花びらが宙を舞い、闘技場の空間が赤く染まった。
お菓子やらお金やら花束やら、しまいには帽子や装飾品まで闘技場に投げ込まれていく。
投げ込まれた物は全て奴隷たちが回収していく。
あとで勝者の財産となるらしい。
元々ウィリキウスさんは大金持ちだけどね。
その間に対戦相手は運び出され、ウィリキウスさんも歓声に答えた後、治療の為に控室に下がった。
あれだけ殴ったんだ。拳に相当なダメージがあるはずだ。
魔法で回復できるからこそ、一日で何戦もこなせるんだろう。
1回戦を見ていたのだろう。
準決勝の相手は、最初から打撃戦を捨てて、顔の前で腕をクロスさせて接近し、頭を下げて飛び込んでくる。
想定内だ。対策はしてある。
しっかり足を引き、上から覆い被さるようにしてタックルを受けると同時に、右腕を相手の首に巻き付ける。
フロントチョークだ。
そのまま自ら後ろに倒れてグラウンドに引き込むと同時に、両脚で相手の胴をがっちりと挟み込む。
相手は暴れるが、完全にロックされている。
すぐに相手の体が伸びて動かなくなった。
無傷での勝利に、観客はまたも熱狂している。
休憩を挟んで次は決勝だ。
「対策はばっちりだな」
「はい! みんな打撃対策が出来ていません!」
「合宿の成果がありましたね」
元々、ウィリキウスさんはかなり体格に恵まれている。
そうそう力負けはしないはずだ。
それに小さいころからパンクラチオンの練習を積んでいる。
しっかりしたトレーナーについて練習すれば、地球でも相当な総合格闘家になれたかもしれない。
歓声の中、決勝を戦う二人が闘技場に入ってくる。
試合が始まると、シルヴァーナが耳をピクピクとさせ、声を上げた。
「ご主人様! 対戦相手の様子がおかしいです!」
その言葉と同時に対戦相手が飛び込んでいった。
ウィリキウスさんが冷静にパンチで迎撃するが、顔面を殴られながら組みついていく。
顔面を何度も殴られているのに、そのまま腰のあたりに手を回すと、振り回すようにしてウィリキウスさんを地面に押し倒した。
相手の顔を見ると、パンチを食らって前歯が唇を突き破っている。鼻も完全に折れ曲がっていた。
明らかにおかしい。
痛みに対する反応も、ウィリキウスさんを押し倒したパワーも異常だ。
下になったウィリキウスさんの胴体に相手の血がボタボタと落ちて真っ赤になる。
相手は上になると、ガードポジションにも拘らず腕をめちゃくちゃに振り回してきた。
闘技場が悲鳴と怒号に包まれる。
しかし、そんな中でもウィリキウスさんは冷静だった。
ルキウスさんとの練習で、下になることは慣れているのかもしれない。
大振りになった相手の右腕を抑えると、体を相手の下で回転させ、右腕を取ったままうつ伏せになって相手を前のめりにする。
完璧な裏十字だ。
「えっ!?」
会場内にどよめきが走る。
相手が降参しないのである。
それどころか、無理やり立ち上がろうとして、右腕がおかしな方向に曲がった。
確実に骨折、脱臼している。
後遺症が残りかねない重症だ。
相手はそのまま右腕を振るってルキウスさんを仰向けにすると、更にのしかかっていく。
あまりの異常さに、闘技場が静まり返る。
相手は、一度下から関節を取られているのにも関わらず、またもや両腕をめちゃくちゃに叩きつけてくる。
技も何もあったもんじゃない。
期せずして闘技場内に俺達とルキウスさんの声が響き渡った。
「「「三角締めだ!!」」」
その声に反応したように、ウィリキウスさんが相手の左腕を取り、首に足を絡ませる。
相手は折れた右腕を力なくベチンベチンと叩きつけるが、ウィリキウスさんは意に介さず、相手の後頭部を抱えて更に締め上げた。
ペチンペチン……。
静まり返った闘技場に、力ない音が響く。
相手の右腕が次第に力を失っていく。
それと同時に体も弛緩していった。
相手が完全に動かなくなると、ウィリキウスさんは技を解いて、立ち上がり、両手を掲げる。
その瞬間、闘技場はこの日一番の歓声に包まれた。




