第10話 目が覚めたら昨日でした
「……んん」
窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
柔らかな朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を明るく照らしている。
私はベッドの中で大きく伸びをした。
「んーっ! よく寝たぁ!」
今日は待ちに待った王都観光の日!
昨日の商談も無事に終わったし、オスカーさんから自由に過ごしていいと言われている。
王城に大聖堂、それから魔道具のお店。
行きたいところはたくさんある。
「……よし!」
私は勢いよくベッドから起き上がった。
さっそく顔を洗い、外出用の服に着替える。
昨日の夜に書いた予定表を確認して、財布をバッグに入れた。
「忘れ物なし!」
準備を終えて一階へ下りると、食堂にはすでに何人かのお客さんがいた。
「おはようございます!」
受付にいた宿の女性が、明るく挨拶してくれる。
「おはようございます! 今日もいい天気ですね!」
「ええ。お出かけにはぴったりですよ」
……ふふっ。
なんだか、いい一日になりそう!
朝食を済ませた私は、さっそく街へ繰り出した。
◇
「……すごい!」
王城を間近で見た私は、思わず感嘆の声を上げた。
高い石壁の向こうにそびえ立つ白く美しい城。
尖った塔の先には王国の旗が掲げられ、入口には立派な鎧を着た騎士たちが並んでいる。
「本当にお城だぁ……!」
いや、もちろんお城なんだけど。
前世では、こんな本格的な王城を見る機会なんてなかった。
観光客らしい人たちも何人かいて、みんな城を見上げたり、周囲を歩いたりしている。
私は邪魔にならない場所に立ち、しばらくその景色を眺めていた。
「……あっ!」
そういえば、スマホ!
私はバッグに手を伸ばしかけて、途中で止めた。
……そうだった。
写真を撮ったところで誰かに送れるわけじゃない。
それに、充電だってできないし。
「……残念」
でも、こうして自分の目で見られるだけでも十分だよね。
私は王城をもう一度見上げ、満足して次の目的地へ向かった。
◇
次に訪れたのは、王都の大聖堂だった。
リーベルクの教会も立派だったけれど、こちらはさらに大きい。
高い天井には美しい絵が描かれ、色とりどりのガラス窓から光が差し込んでいる。
「わあ……綺麗」
私は思わず足を止めた。
静かな空間に、柔らかな光が満ちている。
なんだか、心が落ち着く場所だった。
……そういえば。
この世界にも、女神様を信仰している人たちがいるんだよね。
私はそっと両手を合わせた。
「アモリア様。おかげさまで、楽しく暮らしています」
心の中で小さくお礼を伝える。
異世界に来てから半年。
最初は無一文だった私も、今では仕事があって、友達もできて、毎日が充実している。
本当に、ありがたいことだ。
……ただ。
「……そろそろ恋愛のほうもお願いします」
思わず小声で付け加えてしまった。
すると、近くにいた年配の女性がこちらを見た。
「まあ、恋のお祈り?」
「えっ!?」
「ふふっ。素敵な方と出会えるといいわね」
「は、はい! ありがとうございます!」
……聞かれてた!
わぁーー恥ずかしい恥ずかしい!
私は顔を赤くしながら大聖堂をあとにした。
◇
そのあとは商業区へ戻り、気になっていた魔道具のお店を訪れた。
店内には、見たこともない道具がたくさん並んでいる。
光を灯す小さなランプ。
水を温める容器。
それから、一定の温度を保てる箱まで。
「……すごい!」
前世の電化製品みたいなものもあるんだ!
私は興味津々で商品を眺めた。
ただし、お値段はなかなかのものだった。
「……た、高い」
値札を見て、そっと商品を棚に戻す。
今の私なら買えないことはないけれど、気軽に買えるような金額ではない。
……うん。
魔道具は、もう少しお金持ちになってからにしよう。
結局、何も買わずに店を出た。
そのあと、通りの菓子店でミアさんへのお土産を選ぶことにした。
「いらっしゃいませ!」
店員さんが明るく声をかけてくれる。
棚には、焼き菓子や砂糖をまぶした果物のお菓子が並んでいた。
「どれにしようかなぁ……」
迷った末、私は小さな箱に詰められた焼き菓子を選んだ。
「こちらを一つお願いします!」
「ありがとうございます! 贈り物ですか?」
「はい! 友達へのお土産なんです!」
「それなら、こちらの赤いリボンをお付けしましょうか?」
「わあ! お願いします!」
綺麗に包まれた箱を受け取り、私は嬉しくなった。
ミアさん喜んでくれるかな……?
きっと、喜んでくれるよね!
◇
夕方。
観光を終えた私は、宿へ戻ってきた。
「……はぁ、楽しかったぁ!」
部屋に入り、ベッドに腰を下ろす。
王城。
大聖堂。
魔道具のお店。
それから、美味しいお菓子。
今日は本当に充実した一日だった。
「……あれ?」
そのとき、ふと胸の奥がざわついた。
昨日の夜にも感じた、あの不思議な感覚。
何かが気になる。
でも、何が気になるのかはわからない。
「……何だろう」
私は胸元に手を当てた。
心臓が少しだけ速く打っている気がする。
けれど、痛みがあるわけではないし、気分が悪いわけでもない。
「……歩き疲れたのかな?」
今日はずいぶん歩いたからそのせいかもしれない。
私は深く考えず、荷物を整理することにした。
ミアさんへのお土産は、バッグの横に置いておこう。
明日はオスカーさんと商談の続きがあるかもしれない。
そのためにも、今日は早めに休んだほうがいい。
「……よし!」
私は着替えを済ませ、ベッドに横になった。
窓の外から遠く鐘の音が聞こえてくる。
昨日も聞いたような、静かな音色だった。
「……おやすみなさい」
私は小さくつぶやき、目を閉じた。
◇
「……んん」
鳥の鳴き声が聞こえる。
柔らかな朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を明るく照らしていた。
私はベッドの中で大きく伸びをした。
「んーっ! よく寝たぁ!」
……あれ?
なんだろう。
昨日、同じことを言ったような気がする。
「……まあ、いいか」
私はベッドから起き上がり、着替えようとして手を止めた。
「……ん?」
机の上に、一枚の紙が置かれている。
昨日の夜、観光を終えてから片付けたはずの予定表だった。
王城を外から見学。
大聖堂。
商業区のお店巡り。
……どうして?
私は首を傾げた。
確か、昨日の朝に持って出て、帰ってからバッグの中にしまったはず……
なのに今机の上にある。
「……あれ?」
私は慌ててバッグを開けた。
ミアさんへのお土産。
昨日、赤いリボンを付けてもらった焼き菓子の箱。
……ない。
「……えっ?」
私はバッグの中を何度も確認した。
財布。
筆記具。
仕事用の書類。
それから、ハンカチ。
でも、お土産の箱だけが見当たらない。
「……うそ」
どこかに置き忘れた?
いや、そんなはずはない。
確かに昨日、宿まで持って帰ってきた。
ベッドの横に置いたのも覚えている。
私は部屋中を探した。
机の下。
ベッドの脇。
荷物の中。
……ない。
「……何で?」
胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。
私は急いで一階へ下りた。
「おはようございます!」
受付にいた女性が、明るく挨拶してくれる。
「お、おはようございます! 今日もいい天気ですね…」
「ええ。お出かけにはぴったりですよ」
「…………」
私は足を止めた。
……今の会話。
どこかで聞いた。
いや。
昨日、まったく同じことを話した。
「……あの!」
「はい?」
「昨日、私がこの宿に帰ってきたの覚えてますか?」
女性は不思議そうに首を傾げた。
「昨日ですか?」
「はい! 昨日の夕方です!」
「もちろんですよ。昨日は商談からお戻りになったあと、お部屋で休まれていましたよね?」
「…………」
……え?
昨日は、商談?
違う。
商談は一昨日だ。
昨日は王都を観光していた。
「……あの、今日は何日ですか?」
女性は壁に掛けられた暦を確認した。
そして、何の迷いもなく答えた。
「今日は、十六日ですよ」
「…………」
十六日。
それは、昨日の日付だった。
昨日も、確かに十六日だった。
私は震える手で、バッグの中の手帳を取り出した。
予定表の横に書いた日付。
十六日。
……うそ、そんな。
「……ありがとうございました」
私はそれだけ言うと、宿の外へ飛び出した。
◇
通りには、昨日と同じように人々が行き交っていた。
野菜を売る商人。
荷車を引く男性。
店先を掃除する女性。
そして。
「きゃっ!」
前を歩いていた少女が、小さな布袋を落とした。
袋から、赤い果物が一つ転がり出る。
……あっ。
昨日も見た。
確か同じ場所で、同じ少女が、同じように果物を落とした。
昨日の私は、拾ってあげたんだ。
「……あの、大丈夫ですか?」
少女の母親らしい女性が、私の顔を覗き込んだ。
「えっ?」
「顔色が悪いですよ」
「……い、いえ。大丈夫です」
私は慌てて首を振った。
でも、頭の中は混乱していた。
何が起きているの?
どうして昨日と同じことが起きているの?
……いや、偶然かもしれない。
ただの偶然。
そう思おうとした。
けれど。
目の前の少女が、赤い果物を拾い上げながら言った。
「もう! ちゃんと持ってたのに!」
その言葉まで昨日とまったく同じだった。
「…………」
背筋が、ぞくりと冷たくなった。
……まさか。
私は慌てて、昨日訪れた菓子店へ向かった。
店の扉を開けると、甘い香りが漂ってくる。
「いらっしゃいませ!」
昨日と同じ店員さん。
昨日と同じ笑顔。
私は棚を見渡した。
そして、昨日購入した焼き菓子の箱を指差した。
「あの……これ、昨日買ったんですけど……」
「昨日?」
店員さんが首を傾げた。
「申し訳ありません。昨日はお見かけしていないと思いますが……」
「……えっ」
「こちらの商品でしたら、本日もございますよ」
私は言葉を失った。
昨日、確かにこの人から買った。
赤いリボンを付けてもらって。
ミアさんへのお土産だと話して。
ちゃんとお金も払った。
それなのに。
……何も、なかったことになっている?
「……すみません」
私は小さく頭を下げ、店を出た。
◇
宿へ戻る途中、私は何度も昨日の出来事を思い返していた。
王城を見た。
大聖堂へ行った。
魔道具のお店を見て回った。
ミアさんへのお土産を買った。
それから宿に戻って、眠った。
ちゃんと覚えている。
夢なんかじゃない。
なのに、今日の日付は昨日と同じ。
お土産も消えている。
周りの人たちは昨日のことを覚えていない。
……どういうこと?
私は道端で立ち止まった。
通りを行き交う人々の声が、どこか遠くに聞こえる。
……まさか。
「……時間が、戻った?」
自分で口にして、ぞっとした。
そんなことあるわけがない。
でもここは、魔法とスキルが存在する異世界だ。
前世の常識では考えられないことが、実際に起きているのかもしれない。
「……嘘でしょ」
私は震える声でつぶやいた。
どうして?
何が原因なの?
どうすれば元に戻れるの?
考えても、答えは出なかった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
私の記憶だけが、昨日から続いている。
周りの人も、街の様子も、日付さえも。
全部、昨日に戻ってしまっている。
「…………」
私はゆっくりと空を見上げた。
雲一つない青空。
昨日と同じ穏やかな朝。
けれど、私にはもうその空が同じものには見えなかった。
楽しいはずだった王都出張。
その旅先で、私は信じられない出来事に巻き込まれてしまった。
「……お願い」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
「……明日は、ちゃんと明日になってよ」
私の願いとは裏腹に、王都の街は何事もなかったかのように動き続けていた。




