軍旗よ進む
さてさて、連日更新出来ました!明日はできません。
皇帝歴1899年4月15日、夜。ワットラン侯爵領、中央都市。
城下町は、渦巻く土埃と叫び声に包まれていた。
重税に苦しんできた領民と、侯爵を見限った兵士たちが混ざり合い、大集団となってワットラン侯爵邸を目指して進軍していく。富は一向に増えず、ただ不満だけがワットランの肥え太った腹のように膨らみ続けた結果が、この光景だ。
隊列の後方、馬に跨る西方軍総司令サラべ中将は息を呑み、隣で薄笑いを浮かべるザンドンに声をかけた。
「……ザンドン。この反乱は、表面上は私が扇動していることになっている。貴殿らセイラントの者は、早く避難した方が良いのではないか?」
庇うようなその言葉に、ザンランドは眼鏡の奥で目を丸くした。
「これはこれは、サラべ指揮官殿に心配されるとは……クフフ。ご心配には及びませんよ。ワットランは自領民への暴力的服従を選びました。この判断は皇帝法第21条『国益への叛逆』とみなされ、即刻処罰の対象となりますから」
不気味に微笑む男の言葉にすべてを悟ったサラべは、意を決して隊列の最前線へと馬を進めた。
同刻。ワットラン侯爵領、北部街道。
「アクル様。まもなく中央都市へ到着いたします」
馬上で告げるラントに、私は小さく頷いた。
(……そういえば、この国のスケール感は皆さんに伝わりにくいかもしれないな。概ねフランスほどの国土だと思ってほしい。今私たちが移動しているのは、日本で言えば東京から愛知へ向かうようなものだ。馬を飛ばせば半日、到着は夜になる)
小さな身体で馬に乗り続けるのは骨が折れるが、軍事行動の真っ只中となると、前世の政治家としての血が嫌でも騒ぐ。私が同行するのは実績作りのためだ。
数時間後、夜の闇が降り立つ頃、中央都市の入り口である橋の前で、緊迫した様子の兵士たちが封鎖作業を行っていた。
「貴殿らの所属と部隊名を明かせ!」
焦りを隠せない兵士に対し、我が軍の伝令が声を張り上げる。
「我らは皇帝陛下より討伐の『王令』を賜った、セイラント領アクル直属部隊である!」
その名を聞いた瞬間、兵士たちの動きがピタリと止まった。彼らは無言で封鎖を解き、道をあけた。
「……貴殿らの幸運を祈る!」
敬礼で見送る北方方面軍の兵士たち。彼らもまた、無能な領主に振り回された被害者なのだ。
同刻。ワットラン侯爵邸、前庭。
屋敷の周りは、押し寄せた農民と兵士たちでごった返していた。門を死守する侯爵直属の親衛隊に対し、軍部作戦司令室は拘束されたガイランドの後任を出さず、完全な沈黙を貫いている。
屋上からその光景を見下ろしていたメイド長は、紫煙をふぅと吐き出した。
敷地内は禁煙だが、もはや関係ない。主であるワットランは、この国にとって不要な「逆賊」となったのだから。
中央街道の向こうから、一筋の明かりとともに整然と行軍してくる部隊が見えた。掲げられているのは、王家より与えられた赤き帝国旗。
(あれが、アクル様の部隊ね。……私たちがすべきことは、真の主をお迎えすることだけだわ)
機密文書の詰まった鞄を手に、彼女は門へと向かった。
侯爵夫妻がどこへ逃げ逃亡したかなど、どうでもいいことだった。
同刻。ワットラン軍部、作戦司令室。
「きさまらぁぁぁ! 何をしている! 鎮圧せよと命令したはずだぞ!!」
激しい足音とともに部屋に雪崩れ込んできたのは、ワットラン侯爵だった。
視野の狭い豚は、解任したはずの副官ガイランドが、襟に階級章を付け直して部屋にいることすら気づいていない。
ガイランドは無言で短刀を抜くと、静かに歩み寄った。
シュッ、と鋭い刃音が響く。
「ぐわぁぁぁ!? き、きさまぁ……なにを……ぐはっ!?」
両足の屈伸腱を迷いなく一刀両断され、ワットランは床に転がり回って悶絶した。激痛のあまり間もなく白目を剥き、意識を失う。
「……司令官。これで良かったのですね?」
ガイランドが問うと、窓の外を見つめていた司令官はゆっくりと振り返り、震える手で煙草に火をつけた。その背中は、以前よりも遥かに大きく見えた。
「私が全責任を負う。ワットラン夫妻を即座に拘束せよ。王都にいるご子息の処分は追って検討する」
初めて下された、真の指揮官としての冷徹な命令。
なお、同刻に自室で拘束されたアルセー夫人は、お気に入りの紅茶を楽しんでいたところだった。
「なにごとですの!? なぜ私がこんな真似を」
金切り声を上げた彼女だったが、窓の外を埋め尽くす「セイラントの赤き帝国旗」を目撃した瞬間、顔面を引き攣らせてそのまま泡を吹いて気絶した。
数分前。ワットラン侯爵邸、正門前。
ギギギ……と甲高い音を立てて、固く閉ざされていた鉄門が開かれた。
「お待ちしておりました、アクル様。どうぞお通りください」
出迎えたメイド長に頷き、私が敷地へ足を踏み入れようとしたその時、門外から息を切らした男が叫んだ。
「私も通してくれ! 私は西方軍総司令サラべである!」
泥と返り血にまみれた鎧。彼がここへ至るまでに潜り抜けた修羅場が窺えた。私は馬上から彼を見下ろす。
「……貴殿がサラべ中将か。私は皇帝陛下より討伐の命を拝命した、セイラント・アクルである」
すると、サラべの背後の影から、一人の男が滑り出すように現れ、ラントへ気安く手を振った。
「やあやあラント様! お久しぶりですなぁ!」
「……っ、ザンランド!? 貴方、なぜここに……!?」
あの冷徹なラントが、露骨に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべている。ラントは表情を殺し、私に向き直った。
「アクル様。……こちらが、我が母上が遣わした『陰の首領』にございます」
「ほほう……彼が、かの神童アクル様ですか。なるほど、実に興味深い……」
不気味な薄笑いを浮かべ、凝視してくる男。
(なるほど。母上が言っていた『右腕』の一人か……)
「お初にお目にかかります、アクル様。セイラント家直属・暗部諜報隊の頭を仰せつかっております、ザンランドと申します。……アクル様、このサラべ殿の同行もお許しいただけますかな? 彼もまた、この領地を正しき道へ導くためのキーパーソンですので」
常に口角を吊り上げた恐ろしい男だが、その瞳には絶対的な忠誠と計算が宿っていた。母の右腕と、敵軍の寝返り組総司令。奇妙な組み合わせだが、もはや盤上の駒は揃った。
「両名の同行を許可する。参ろうか」
「「ははっ!」」
さあ、ワットラン侯爵領の幕引きと行こう。




