新月の夜、開戦の鐘ぞ鳴る
いやはや、リアルが忙しくて何ヶ月ぶりの投稿になりますかね?
土日に予定を入れて限界突破してしまっていたので、途中まで書いてた本話に手をつけたのも1ヶ月ほど経ってしまって、一から練り直し……
これからも不定期になりますが、ぜひぜひご愛好の程よろしくお願いします
皇帝歴1899年4月15日。ワットラン侯爵領、西方境界線。
「侯爵命令である! ここに集う全員を即刻拘束する! 抵抗する者は容赦なく切り捨てよ!」
最前線の指揮官が大声を張り上げる。だが、その声と瞳には隠しきれない疑念と困惑が揺れていた。自分たちが今行っている『弾圧』への正当性を、当の兵士自身が見出せずにいるのだ。
「ふざけるな! おらたち下人から吸い上げるだけ吸い上げて、お役所様は知らん顔か! 俺たちがどれほどの枷を嵌められて働かされてると思ってんだァ!」
泥にまみれた一人の農民が、迷いのない激越な瞳で怒号を返す。
その時、後方から伝令兵が息を切らせて駆け込んできた。
「た、隊長! 軍部中央より緊急命令です! 『現状の農民運動は正当な抗議行動であり、鎮圧の必要性なし。即刻撤退せよ。また、現地兵員で運動への参加を望む者はこれを許可する』……とのことです!」
「なっ……!? 軍部と侯爵命令が真っ向から対立しているだと!? 一体どちらに従えばいいのだ!」
あまりに異常な事態に、現場指揮官は頭を抱えた。
兵士たちの士気は完全に崩壊している。目の前で叫ぶ農民の中には、兵士たちの親や兄弟、友人が混ざっているのだ。身内に刃を向けろという侯爵令と、それを免除する軍部令。どちらに従うべきか、答えるまでもない。
「……すまん。煙草をくれ」
指揮官は一度頭を冷やすため、震える手で紫煙をくゆらせた。
ジリジリと間合いを詰めてくる農民たちの群衆。兵士たちの手から力が抜けていくのを、指揮官は静かに見つめていた。
(……ふぅ)
深く煙を吐き出し、覚悟を決めた指揮官は前線へと歩み出た。
「農民たちよ! 少し耳を傾けよ!」
その声から、もはや迷いは消え失せていた。
「この中に、家族や子供を軍に出している者はどれほどいる!」
問いに答え、多くの農民が恐る恐る手を挙げる。指揮官はそれを見届けると、強く唇を噛みしめ、背後の兵士たちへと向き直った。
「良く聞け! ただいま軍部より新しき命令が下りた! 諸君らの抗議は『正当なる権利』と認められた! これより封鎖を解除し、前進を許可する! ……そして兵士諸君! 侯爵へ物申したい者は、この群衆と共に進むことを許可する! これより我らは、民とともに歩む!」
「「「うおおおおおっ!!!」」」
農民と兵士たちの双方から、大地を揺るがすほどの歓声が上がった。
己の独断。これで自分の首は跳ね飛ぶかもしれない。だが、指揮官の心にあったのは妙な清々しさだった。
「……実に、正しい選択をされましたね」
突然、耳元で響いた粘りつくような声。
指揮官が慌てて振り返ると、本部のパイプ椅子に、一人の将校が不敵な笑みを浮かべて深く腰掛けていた。先ほどまで自分が煙草をふかしていた席だ。眼鏡のレンズの奥で、怪しい光が揺らている。
「ザンドン少佐……! 今の言葉の意図を説明しろ。上官命令だ」
「私ですか? まあ……いわゆる『スパイ』というやつですよ。所属はお答えできませんが……『良き隣人』とでもお呼びください」
ザンドン少佐は口元に手を当て、楽しげに肩を揺らした。
「私、私はどうなるのだ……!?」
「そうですねぇ……。私たちの『味方』は、軍部上層、農民、そして貴方となりますかねぇ。隣人はいつでも手を差し伸べていますよ? 西方軍令部総司令、サラべ中将閣下?」
名指しされたサラべ中将は息をのんだ。軍部命令に従い、侯爵に反旗を翻した以上、もう後戻りはできない。
「……覚悟は決まった。今すぐ全軍司令部へ戻り、指揮を執る!」
サラべ中将が立ち去った作戦室で、ザンドン少佐は一人、高らかに失笑を漏らした。
「ふふ……ふはははは! 軍部に潜入して早三年。遂に、ついに芽吹くのですね……!」
同日。ワットラン侯爵邸、執務室。
「何故だ! 何故収まらん! 豚どもを片端から殺せと言ったはずだぁ!」
ワットラン侯爵は血走った目で暴れ、執務室の調度品を破壊していた。
「侯爵様! 西方軍より伝令です!」
「入れろ! 朗報でなければ首を撥ねるぞ!」
駆け込んできた執事が、顔を青くして報告を口にする。
「西、西方軍は……『農民運動に全面賛同する。我らは農民と共に中央へ行軍を開始した』……とのことです!」
「き、貴様らぁぁぁぁぁっ!!!」
ワットランは顔の血管が弾け飛ぶほどに顔を真っ赤にし、怒号を響かせた。
「全軍へ告げよ! 今すぐ軍部へ乗り込む! 裏切り者どもを一人残らず処刑してやる!!」
正気を失った豚は、自ら破滅の罠が待つ陣地へと足を進めていった。
同日。ワットラン侯爵領、北部・地下潜伏拠点。
「どうなっているんだ……一体何が起きている!?」
若い農民、他国の潜入工作員は、激しい頭痛と苦悩に苛まれていた。巨額の資金と歳月を投じ、ワットラン領を内部から崩壊させるはずだった計画が、自分たちの意図しない「謎の巨大な力」によって一瞬で上書きされてしまったのだ。
「全員撤退だ! 商人、文官、潜入しているすべての者に即刻撤退を通達しろ!」
焦燥に駆られる彼らの背後で、クスクスと鈴を鳴らすような女の笑い声が響いた。
振り返ると、同僚だと思っていた見慣れぬ一人の女性工作員が、真っ直ぐこちらを冷ややかに見下ろしていた。
「貴方方の工作、実に素晴らしかったですわ。……ですが『この国で画策するには、少々相手が悪すぎましたね』アクル様より、感謝の言葉です」
「な……!? お前、誰だ! 誰のスパイだ!?」
工作員の叫びを無視し、女は優雅に翻したスカートの裾を残して地下室を去っていった。
(セイラント……セイラントのアクルか!? 最初から、俺たちすら彼の掌の上で踊らされていたというのか……!?)
背筋に極限の寒気が走り、男は狂ったように資料をまとめ、命からがら撤退の準備を始めるのだった。
同日。セイラント領南部、ワットラン侯爵領との国境線。
「アクル様。いつでも出撃可能です。あとは国王陛下からの伝令(王令)を待つのみとなっております」
国境守備隊長が報告する。国境の向こう側、ワットランの警備兵は完全に蒸発していた。西方の混乱に全兵力が割かれ、こちらを警戒する余裕など微塵もないのだ。
「アクル様! 王令を持ち帰りました!」
遠くから馬を飛ばしてきたラントが、一通の羊皮紙を高く掲げて馬から飛び降りた。そこには、皇帝陛下より賜った『ワットラン侯爵の逆賊認定、および討伐の全権委任』が記されていた。
完璧な大義名分。完璧な内応。完璧な盤面。
舞踏会の幕は、すでに上がっている。
私は馬上で不敵な笑みを浮かべ、掲げられた王令を見つめた。
「さあ……父上、母上。セイラントが真の陽光を浴びる時が来ました。不吉な月は沈み、今宵はすべてを塗り替える『新月』となりましょう」
風が吹き抜け、セイラントの軍旗が一斉に翻った。




