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異政界転生  作者: はくさん
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蛇と虎の睨み合い

皇帝暦1899年4月13日、深夜。国都の城下町。

華やかな生誕祭の喧騒が引き、夜の静寂が街を包み込む頃、裏路地の濃い闇の中で不穏な影が蠢いていた。


「チッ、ワットラン侯爵からの報酬はまだかよ」


「使いの野郎、遅ぇな。俺たちを騙したんじゃねえだろうな?」


町人の格好をした男たちが、苛立った声を漏らす。彼らは単なる不逞の輩ではない。国を揺るがし、王家に牙を剥き得る「闇の組織」の末端だ。軍事力を誇るワットラン侯爵は、どうやらこの連中と手を組み、不穏な画策をしているらしい。


コツコツと、静かな路地にわざとらしい足音が響く。


「ワットラン様からの報酬だ。貴様らのような愚民に与えられるだけ感謝するがいい」


仕立ての良いスーツに身を包んだ侯爵の使いが、蔑むような視線で革袋を投げ出した。


「おいおい、手酷い言い草じゃねえか。何様だぁ?」


「これ以上の接触は無用だ。今後、用がある時はこちらから出向く」


淡々と役目を終えた使いは、踵を返して王城へと歩き出す。残された影たちは、せせら笑いながら闇へと溶けていった。彼らにとって、利益こそが唯一の行動理念なのだ。


だが、王城へ帰る途中の使いの前に、一人の女性がふらふらと立ちはだかった。


「ああらぁ……いい男ねぇ、お兄さん」


街灯もない暗がりに、千鳥足の女。生誕祭の酒に溺れた哀れな迷子…使いの目には、そう映ったのだろう。


「大丈夫ですか? 送り届けましょう」


紳士的に微笑む使い。迫り来る女に対する警戒心など微塵もない。あまりに油断が過ぎた。


「ありがとぉ。……でも、心配いらないわ。私も、貴方と『同じところ』から来たの」


意味ありげな笑みを浮かべた瞬間、女の姿が掻き消えた。

男が瞬きをするよりも早く、女はすでにその眼前に迫っていた。酔客のそれではない、すべてを凍りつかせる暗殺者の眼光。


「ごめんなさいね。皇帝陛下と、アクル様のためなの」


ドン、と重苦しい衝撃音が路地に響く。

華奢な身体からは想像もつかない、正確無比なみぞおちへの一撃。使いの男は声も出せずに白目を剥き、その場に崩れ落ちた。女 ラントは、男の懐から重要書類と証拠を完璧に掠め取ると、再び夜の闇へと消えていった。


同日、深夜。王城、ワットラン侯爵の私室。


「……どうなっている。遅すぎる」


ワットラン侯爵は、寝室で妻のアルセーが寝息を立てる中、不安げに右往左往していた。闇との連絡役であり、最大の共犯者でもある使いが戻らない。もしや、露見して消されたか?


焦燥が限界に達したその時、窓がトントンと微かにノックされた。


「ワットラン様。無事、完了いたしました」


間違いなく、あの使いの声だ。最も欲しかった報告を聞き、侯爵は心底安堵して、泥のような眠りへとついた。


……それが、ラントによる完璧な『声帯模写』による偽報だとは、夢にも思わずに。


同日、朝。王城、セイラント侯爵室。


昨晩、様々な思考が渦巻いて深い眠りにつけなかった私は、深夜に微かな気配を感じて目を覚ましていた。その時、私の傍らにいるべき影、ラントの姿はなかった。


(昨晩、ラントは一体どこへ行っていた……?)


朝陽が差し込む中、いつも通り完璧な佇まいで私の横に控えているラントに、私は鏡越しに視線を送った。


「ラント、おはよう。昨晩は楽しかったかい?」


含みを持たせた私の問いに、彼女はぴくりとも表情を変えずに淡々と応じる。


「はい。大変楽しいひと時でございました。他領のお付きの方々とも、深く『交流』を持てましたので」


「そうか。いつも通りのようで何よりだ」


だが、ラントは私の視線を真っ向から受け止め、静かに聞き返してきた。


「アクル様。何か、わたくしにご不満な点でも?」


こちらの意図を探るような、声音。いつも通り恭順な態度を崩さないが、何かを念入りに隠している。


「いや。昨晩はあまりにもラントがはしゃいで、夜遅くまで出歩いていたようだったからね。少し気になっただけだよ」


どちらとも取れる言い回しで揺さぶりをかける。知らぬ存ぜぬを通すつもりか。直接問い詰めるべきかと思案した、その時。


「アクル様。わたくしが深夜に何をしていたか、探っておいでですね」


核心を突く一言。ラントの側から、ついに踏み込んできた。


「ああ、気づかれたか。……私に話せる内容かい?」


「はい。昨晩は、皇帝陛下の『勅命』によって動いておりました。申し訳ございませんが、アクル様であっても詳細をお話しすることはできません」


予想外の、しかし腑に落ちる答えだった。我が家に彼女が来てから約十年。身元は徹底的に洗ったはずだった。セイラント領西方の生まれで、幼少期は教会に通っていたという確たる言質も得ていたというのに、それすらも王家による偽装だったというわけか。


「なるほど。私の召使いを裏で使うとはね。皇帝陛下も、これが私に対してどれほど大きな『借り』になるか、理解しておられるのだろうな?」


探りを入れ、冷徹な政治家としての圧をラントに込める。するとラントは、困ったように小さく微笑んだ。


「皇帝陛下からは……『もしアクルに活動を勘繰られ、危うくなった場合は勅命を明かし、許可を貰え』との言伝を預かっております」


すべてを見透かされている。あの老獪な皇帝も、やはり一筋縄ではいかない怪物だ。


「そうか。では、陛下に私からも言伝を頼むよ。『これで、先ほどの貸し借りはチャラですな』とね」


サンとの婚約という、王家からの一方的な政治的負債。それを、この「召使いの無断使用」というカードで帳消しにする。悪くない取引だ。

「畏まりました。必ずや、そのようにお伝えいたします」

深々と頭を下げるラント。


(……一体、彼女は本当に誰の味方なのだろうな)

胸に一抹の不穏な煙を抱きながらも、私は次なる盤上の戦い、昼の政務に向けて、衣服の襟を正すのだった。

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