狐と狸の化かし合い
皇帝暦1895年5月16日。セイラント城内。
「陛下、こちらが我が領民が丹精込めて作った庭園にございます。セイラントの地勢を精巧に再現しており、現在は単なる観賞用ではなく、領内の開発計画を練るための『屋外会議場』として機能させております」
私は一歩先を歩みながら、淡々と説明を続ける。元々は父上の趣味の庭園だったが、私の助言で実用的な政治の場へと生まれ変わらせたものだ。
「陛下、こちらは領内すべての者の戸籍を登録・保管している中央保管庫です。防音、耐熱、そして厳重な警備を常に行い、皇帝陛下の大切な民の情報を万全の体制でお守りしております」
「ほう……。これほど徹底した情報管理を行っている領地は他にな網。やはりセイラントは優秀だな」
ワイント5世は感心したように我が一族を褒め称えた。だが、その瞳の奥にある鋭い光は一切衰えていない。
「サン皇女殿下、お菓子の用意が調ったようです。私の執務室へご案内いたします。どうかお寛ぎください」
私が頭を下げると、皇女サンは小さく上品に頷いた。室内に通し、席を勧める。
「そういえば、ソチの名をまだ直に聞いておらなんだな」
「失礼いたしました。私はセイラント・アクルと言います」
「アクルか……なるほど、先代の偉大なる侯爵から取った名だな」
「はい、父上からはそのように聞いております」
皇帝はすべてを見透かすような目で私を凝視している。
(この男、極めて聡明だ。一歩でも踏み込み方を誤れば、4歳の子供だろうと容赦なく喰い殺される……!)
私は前世で鍛え上げたポーカーフェイスを維持し、全身の神経を研ぎ澄ませて応対した。時折、「父上とお出かけできて楽しいです!」と無邪気に笑うサン皇女との睦まじい親子の会話が挟まるが、それすらもこちらの油断を誘う計算ではないかと疑ってしまう。
「ときにアクルよ。ソチから見て、父ドットはどう映る?」
突如、皇帝から鋭いナイフのような質問が飛んできた。
「私はな、ドットは優秀だが……正直者が過ぎると思うのだ。政治家としては致命的なほどにな」
「……仰る通りにございます、陛下。父は領主として、また侯爵としては大変優秀で慈悲深い男です。しかし、皇帝陛下の仰る通り、他者と化かし合う舞台においては、いささか実直が過ぎるかと存じます」
私はあえて否定せず、皇帝の意見に同意した。下手に取り繕う方が怪しまれる。
「……ふむ。ソチが父親を冷徹に分析していることは分かった。だがアクルよ、私にはソチの言葉のすべてが、酷く虚飾に満ちたものに感じられてならんのだ。……なあ、アクルよ。貴殿は、本当は何者だ?」
室内の空気が一瞬で凍りついた。「お前は本当に4歳の子供なのか」という、核心に迫る問い。
ここで怯めば終わりだ。私は皇帝の眼光を真っ向から受け止め、跪いた。
「私はセイラント・ドットの息子にして、次期侯爵たるセイラント・アクルにございます。陛下が疑念を抱くような不忠の者は、ここにはおりません。我が言葉、我が知略、そのすべてを皇帝陛下への忠誠のために捧げると、今ここに誓いましょう」
沈黙が流れる。やがて、皇帝はふっと満足そうに息を吐いた。
「……よかろう、アクル。今この瞬間に、これ以上ない最適解の忠誠を誓ってみせたその手腕、実に見事だ。あまりにも年齢と精神が乖離しているな」
恐ろしいほどの洞察力。この男が玉座にいる限り、帝国が内側から崩壊することはないだろう。
「だが、アクルよ。ソチのその突出した才は、すでに他領――特に他の二大諸侯から警戒され始めていることを忘れるな。私はソチに大いに期待しているのだからな」
「ははっ! 勿ったなきお言葉、身に余る光栄です」
「ソチなら分かっているだろうが……私が今宵、サンをわざわざ連れてきた本当の理由は――」
そのとき、絶妙というべきか、最悪というべきか、扉がノックされた。
「失礼いたします。陛下、皇女様。宴の準備が整いました。会場へご案内いたします」
ラントの声だった。私は皇帝陛下に深々と頭を下げ、視線で「意図は理解しております」と伝えた。皇帝もまた、何かを察したように不敵に微笑んだ。
こうして始まった晩餐会は、華やかで、かつ私にとって大きな収穫の場となった。
宴の最中、皇女サンが満足げに私へ近づいてきた。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます。アクル様のような素敵な殿方に案内していただけて、とても楽しかったですわ。王城へいらした際は、ぜひ私の元へ遊びに来てくださいね」
幼さの中にも、どこか将来の「女帝」としての知性を感じさせる言葉。私は深々と頭を下げた。
「喜んで、皇女殿下」
その様子を、父上と皇帝陛下が満足そうに眺めている。すると、皇帝が私に近づき、耳元で低く囁いた。
「アクルよ。ソチがさらに活躍し、その名声を国都の私の元まで届かせた暁には……分かるな? 我が娘を、貴様にくれてやろう」
政略結婚の内定。王家との強固なパイプ。これ以上ない最強のカードだ。
「必ずや、その期待に応えてみせましょう」
私は内心でガッツポーズを決め、誇らしい気持ちで父上の方を振り返った。
「うちのアクルはなぁ! 本当に凄い天才なんだぞぉぉ!」
……そこには、高級な酒に完全に呑まれ、皇帝の前で大虎と化している父ドットの姿があった。
私と皇帝陛下が、同時に深いため息をついて固く握手を交わしたことは、言うまでもない。




