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マリーの決断

 マリーは赤熱する石英管を見つめていた。

 足もとには、数本のマッチ棒転がっている。火が点いて燃え尽きたものもあるし、火が点かずに途中で折れたものもある。

 残りは一本。

 マリーは決めた。

 これからセントラル給湯室まで行って、マッチを擦る。

 ただし、擦るのはこの一本だけ。

 この一本に火が点けば、学園に火を放つ。

 点かなければ、そのまま何もせず引き返す。

 つまり、マリーは運命を天に委ねたのだ。

 運命を決めるのは天であり、自分はただ行動する者でしかない。最終的に学園に火が放たれるかどうかは、自分でない誰が決める。学園が燃えようが、燃えまいが、マリーの知ったことではない。自分はただ与えられた役割をこなすだけで、学園の命運は天にある。マリーは、そういう曖昧な立場に身を置くことにより自らの行動を正当化しようとしたのだ。

 一本だけ残ったマッチ箱をポケットにしまい、立ち上がった。まるで他の誰かの意志によってそうされたかのように、身体が勝手に動いた。

 マリーは物置小屋を出た。

 嵐が雲を根こそぎ持ち去ったようで、夜空には満天の星が燦めいていた。

 どこからか、涼しげな虫の鳴き声が聞こえている。

 静謐な闇の中、マリーは一歩、また一歩と、足を前に運んだ。

 ペイジが言ったとおり、中庭にも校舎の周辺にも職員の姿は見あたらない。彼女がどのような方法で職員たちをおびき寄せたのか知るよしもないが、彼女は約束を守った。次は自分の番だ。ただし、実際に学園が燃えるかどうかは、自分には関係がない。

 生活棟が見えてくる。

 就寝時間も過ぎ、一階の一室を除いて、他の部屋はすべて明かりが消えている。

 マリーはその明かりついている部屋の前を通った。そこを通らなければ、裏道に行けないからだ。

「なあ……」

「たか……」

「たし……」

「そんな……」

 中から会話がもれ聞こえてくる。

 ペイジと職員たちがその部屋にいるらしい。ペイジは何らかの方法で職員をその部屋に集めたようだった。

 マリーは身をかがめ、より慎重にその窓の下を通り過ぎる。

「エン……」

「みより……」

 不明瞭な会話が続いている。会話の内容までは聞き取れない。けれど、楽しそうな気配は伝わってくる。こんなときになにをしているのだ、と非難の気持ちが湧いてこないでもないが、これもペイジの作戦なのだろう。

 生活棟を過ぎ、裏道に入る。

 巨大なゴミ箱が見えてきた。

 地面はまだ泥濘んでいる。足を滑らせないよう気をつけて歩き、ゴミ箱の前までたどり着いた。

 マリーは全身を使ってゴミ箱を押す。可動式のゴミ箱はマリーの力でも移動させることができた。

 地面に丸い鉄蓋が現れた。

 蓋に手をかける前に、マリーはポケットの中を確認した。

 すべてを終わらせるための道具が、きっちりそこに収まっていた。

 マリーは蓋を開けた。

 同時に、腐卵臭が立ち上ってくる。昨夜、この場所に来たときよりずっとにおいが濃くなっている。

 マリーはマッチ箱を取り出した。中箱をずらし、最後の一本を取りだした。

 目を閉じ大きく息を吸い込む。

 点くか、点かないか、学園が燃えるのか、燃えないのか、終わるのか、終わらないのか、その審判の下るときがきたのだ。

「マリー……」

 マリーが側薬にマッチの先端を当てたとき、闇の中から声が聞こえてきた。マリーは驚きのあまり、飛び上がりそうになった。

「誰? 誰かいるの?」

 マリーは叫び、あたりに目を遣る。

 闇に中にうすぼんやりとした白い光が浮かんでいる。

「マリー……」

 声は光のほうから聞こえてくる。女の子の声のようだった。

「あなたは誰?」

 マリーは不安定に揺れ動く発光体に向かって訊ねた。

 光はマリーのほうへと近づき、やがて人の形へと変わった。

「リンダ……」

 その名を、マリーは口にした。

 死んだはずのリンダが闇の中にたたずんでいた。だが、そこにいるリンダは、マリーの記憶にあるリンダとは違い、毒気の抜けた穏やかな顔をしている。口もとに優しい笑みを湛え、懐かしげに目を細めていた。

「リンダ、やっぱりリンダなのね」

 マリーは呼びかけた。

「あなたとお話しするのも、これで何度目かしら、マリー」

 リンダは柔らかい声で言った。

「あなたは殺されてしまったんじゃないの? 学園の実験に使われて、死んでしまったんじゃないの、リンダ?」

「わたしはあなたたちのことを見ていたのよ。死んでしまってからも、ずっとね」

「死んだあとも……?」

「ええ、そうよ。わたしは、あなたたちが何をしていたかも知っているわ。それに、あなたが今から何をやろうとしているのかもね」

 マリーは指先のマッチ棒を見つめる。

「それがあなたの出した答えなのね?」

 リンダが問う。

 マリーは答えられない。

「あなたはそれでいいのね?」

 続けて問う。

 マリーはリンダに視線を戻した。

「そうよ。これがわたしの出した答えよ。わたしは今からこの学園に火を放つ。全部、燃やしてしまうのよ」

 マリーはっきりと答えた。

 リンダに問われ、さっきまでのどっちつかずの気持ちは消えていた。自分の意志で、この学園に火を放つ。運命を天に任せたりはしない。自分の手で、この学園を終わらせる。マリーはここにきてようやくその決断を下した。

 いや、本当ははじめからそのつもりだった。ペイジに、この話を持ちかけられたときから、マリーの心は決まっていた。ただ、本心から目を逸らしていただけだ。自分の中に潜む黒い一面を認められなかっただけだ。

 リンダに真意を問われ、マリーは受け入れた。これがマリーの本心だ。

「それでいいの? マリー」

 マリーは考える。せいぜい一、二秒だ。これでいいのか? これでいい。迷いはない。

「ええ。かまわないわ」

 マリーはリンダの顔を見据えて言った。

「そう」とリンダが悲しそうな顔をする。

「どうして、あなたがそんな顔をするの? あなたはこの学園に捕らえられ、実験に使われて死んでしまった。あなたはこの学園に殺されたのよ。そのあなたがなぜ悲しそうな顔をするの?」

「そうね、あなたの言うとおりよ。わたしはこの学園に殺された」そこでリンダは遠い目をした。「だけどね、この学園には、たくさんの思い出もあるわ」

「思い出ですって?」

「ええ、そうよ。みんなと遊んだり、一緒にお勉強したり、お食事をしたり。結末は悲しいものだったけれど、それまでには、楽しい思い出、幸せな思い出、愉快な思い出があったわ。どれも忘れられない思い出よ。あなたはその思い出まで奪うのね」

 リンダに言われ、マリーの気持ちは再び揺れ始めた。

 確かに、リンダの言うことも間違いではない。楽しいこともあった。クリスとお喋りしたり、キララと遊んだり、ジョーと笑い合ったり。悲しいこと、辛いことばかりの学園生活にあって、いや、だからこそ、そうした思い出はまるで宝石のようにきらきら輝いて、マリーの中に残っている。

 でも。

 傾きそうになる気持ちを別の声が引き止める。

「でも……」マリーは口にした。「あなたの言う楽しい思い出、それは、学園が作り出したまがい物よ。あなたや、わたしたちが望んだものではない。学園が一方的に押しつけてきた、偽りの思い出なのよ」

 マリーが言い放つと、リンダは「何ですって」と怖い声で言った。口元を歪め、目尻をつり上げ、記憶にあるリンダの顔つきに戻った。初めて出会った日、マリーにどんぐりの実を投げつけてきたあの意地悪リンダの顔だ。

「わたしは、そんな偽物の思い出なんていらない。そんなものなくなってしまってかまわないわ」

 マリーが強弁すると、リンダは、ふんと鼻であしらった。

「やっぱりあなたはそうなのね」

「なんのこと?」

「あなたはいつだって、自分のことばかり。出会ったときからそうだった。自分、自分って自分のことしか考えない。あなたはそれでよくても他の生徒たちはどうなるの? あなたのその我が儘にみんなを巻き込むつもりなの? 学園を燃やして、みんな一緒に殺してしまって、それで平気なの?」

「それは問題ないわ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「ペイジが助けてくれるもの」

「ペイジ?」リンダが小馬鹿にする調子で言って、笑い出した。「あなたはあの外国人の言うことを真に受けているの。本当にお人好しね」

「どういう意味?」

「ふふふ。まあ、いいわ。いずれわかることだから」

 リンダは含みのある言い方をした。

「そうね。いずれわかるわ。あなたが正しいのか、ペイジが正しいのか」

 マリーも負けじと言い返した。

「わかったわ、マリー」

 リンダは語調を緩め、それから「それじゃ、あなたの好きになさい。わたしはもうこれ以上は何も言わない」と冷ややかに言った。

「あなたに言われなくてもそうするわ」

 マリーは再びマッチ棒を持った。

「これでお別れね、マリー」

「ええ、今度こそ本当にお別れよ、リンダ」

 マリーはリンダに背を向けた。

「さようなら、マリー」

 背後から聞こえてきたが、マリーはもう見返らなかった。

 マリーはマッチ棒の先をマッチ箱の側面に添える。

 指に力を込めると、シュッと摩擦の音がした。

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