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ペイジのささやき

 瓦礫だらけの街をブロンドヘアの男の子と歩いていると、突然、子鬼が数人現れ、ふたりの行く手を遮った。

 白い子鬼。

 黒い子鬼。

 茶色い子鬼。

 色々な種類がいたけれど、みな一様に意地の悪い笑みを浮かべている。

 子鬼の一人がマリーを突き飛ばした。

 マリーはよろけて、地面に倒れた。

 子鬼たちがマリーを取り囲む。

「You bitch!」

「Stinky dog!」

 子鬼たちは何事か口走りながら、マリーを蹴り、殴り始めた。

 怖い。痛い。助けて。

 マリーは男の子に救いの眼差しを送るが、男の子は怯えた表情で立ち尽くすくしている。

「Hey,Chris,come on! Beat this bitch!」

「Have you forgotten,what these stinkies did?」

「Hahahaha」

 子鬼が叫び声を上げ、マリーを暴行し続ける。

 マリーはカタツムリのように身体を丸めて、じっと子鬼たちの暴力に耐える。

 助けて。

 助けて。

 助けて、クリス!


                   


 マリーはゆっくりと瞼を開けた。

 ぼやけた赤い光が見えた。

 じっと見つめていると、だんだん形はっきりしてきて、それが電気ストーブの石英管の光だとわかった。

 マリーはゆっくり上体を起こした。身体のあちこちが痛んだ。が、身体を点検してみると、多少かすり傷があるだけで、目立った外傷はない。いつの間にか服も新しいものに替わっている。髪も濡れていない。

 静かだ。

 雨の音も、風の音も、風に揺れる木々の撓り音も、人の声も、何も聞こえてこない。

 ここは、どこだ?

 マリーはあたりを見回した。

 木の箱。古い頭陀袋。ガラクタの山。何度も見た光景。そこは、物置小屋の中だった。クリスたちと「探偵ごっこ」をしていた頃、何度も集会に使っていたあの物置小屋だ。

 どうしてここにいるのか? あの後、何が起こったのか? その疑問よりも先に、再び、学園の中に自分がいる、という事実にマリーは打ちのめされた。

 脱走は失敗に終わったのだ。

 マリーは項垂れた。何もかも無駄だった。自分たちがしてきたことは何の意味もなかったのだ。

 そのままうつむいていると、扉の向こうに人の気配がした。

 はっと驚き、マリーは顔を上げた。

 ガタガタと音を立て、木製の扉が開いた。

 マリーは座ったまま、後ずさった。

 開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは、ペイジだった。

「ペイジ」

 マリーは安堵して呼びかけた。声はひどく掠れていた。

 ペイジは大きな笑みを湛え、のそりのそりと中に入って来た。右手はプラスチックのトレイを、左手にはランプを持っている。

「目が覚めましたか?」

 ペイジがそう訊きながら、マリーの前のトレイを置いた。

 トレイの上には、サンドイッチとミルク、それにバナナが載っていた。

「さあ、召し上がりなさい。お腹が空いているでしょう」

 ペイジにそう言われると、マリーは唐突に空腹を感じた。ずいぶん長い間、何も口にしていない。食欲なんてある筈もないのに、身体のほうは栄養を欲しているようで、手が勝手にサンドイッチに伸びた。

 一口かじる。ハムとチーズと卵の挟まったサンドイッチがとても美味しい。一口食べると止まらなくなり、マリーは二口、三口と続けて食べる。あまりに勢いよく頬ばったものだから、喉が詰まり、慌ててマグカップを手に取り、ミルクで喉に詰まったサンドイッチを胃に流し込んだ。

 サンドイッチを三切れ食べ終わり、バナナも平らげると、少しだけ気力が戻った。

 マリーが夢中で食べているあいだ、ペイジは優しい笑みを浮かべてじっと見守っていた。

「あなたが助けてくれたの、ペイジ?」

 少しは気持ちに余裕も生まれ、マリーは訊ねた。

 ペイジがこくりと頷いた。

 川の前で気を失う直前、マリーに近づいてきた人影、あれはペイジだったわけだ。

「あなたがここまで運んで来てくれたのね?」

「ええ。嵐の中、ただならぬ様子で外に行く園長先生たちを見かけ、悪い予感がして、後を追いました。すると、予感したとおり、あなたが危ない目に遭っていました。それで助けました」

 ペイジが事情を説明した。

「どうしてあなたがそんなことしてくれるの?」

「言ったでしょう。あたしはあなたの味方です」

 味方。ペイジの言葉を信用していいのかどうか、わからない。だが、そんなことは、もうどうでもよかった。ともかく彼女のお陰で園長先生に捕らえられるという最悪の事態は免れたわけだが、それも、もはやどうでもよかった。

「そう」と一言返し、マリーは両手で足を抱え込み、膝の間に顔を乗せ、ぼんやりとストーブの光を眺める。

 ストーブのそばに、マリーの着ていた服が干されている。おおかた乾いてはいるようだった。

「どれくらい時間が経ったのかしら?」

 マリーは何となしに訊ねた。

「あなたを助けたのは昨日の夜です。今日はもう日が落ちました」

 ペイジが答えた。と言うことは、丸一日近くも眠っていたことになる。

「そう」とまたマリーは気のない返事をして、電気ストーブに顔を向けた。

 顔の表面だけが熱せられ、痛いように感じた。

「ずっと寝ていました」

 ペイジが付け加えた。

「そうみたいね」

 そう答えると、マリーは思い出したように身体を起こし、電気ストーブのそばに干されているスカートのポケットに手を突っ込んだ。

「ありがとう、ペイジ」と礼を言って、ポケットから取り出したものを掌にのせてペイジに向けた。

 以前、裏道で拾った青石だ。ずっとポケットに入れておいたのを思い出した。助けられたことへの感謝の気持ちは薄かったが、ペイジの手を煩わせた労に対するお返しだけはしておきたかった。

「これは?」

 ペイジは小石をつまんで訊いた。

「これは青石。水に濡らすと青くなる不思議な石よ」

「綺麗な石ですね」 

 ペイジは興味深そうに青石を眺めながら言った。

「助けてくれたお礼よ。受け取って頂戴」

 マリーが言うと、ペイジは「ありがとうございます」と言って青石をポケットにしまった。

「ジョーはどうなったのかしら?」

 青石を目にして、その持ち主のことを思い出したマリーは訊ねた。ジョーは、クリスともみ合いになったあと、どうなってしまったのだろう。

「あの人は捕まってしまいました。懲罰房にいます。たぶん、今頃はもう……」

 そこまで答えて、ペイジは言葉を濁した。

 その先をマリーは推測する。

 懲罰房に入れられ、今頃はもう死んでいる。

 そう言おうとしたのだろう。

 最後まで自分を守ろうとしたジョー。最後の最後まで彼だけは味方だった。そんな彼が死んだかもしれないと聞かされても、マリーは自分でも驚くほど冷静だった。あまりに多くの悲劇が一度に起こり、気持ちをうまく整理することができないのだ。

「そう」と三度目の生返事をしたとき、涙がすうと頬を流れた。心は悲しんでいるのだろうが、それに感情が追いつかず、身体がひとりで反応してこぼれた涙だった。

「クリスは?」

 マリーは涙を拭って訊いた。

「あの人は大丈夫です」

 ペイジが答えた。

 大丈夫とはどういうことだ……マリーは少し考え、答えはすぐに見つかった。

 きっと彼には何も起こっていないのとおなじなのだ。学園と手を組み、独善的なゲームに考え出し、何度もそれを実行し、そのうちのひとつの物語が終わった。彼にとっては、それだけのことだ。今頃はベッドに入って、新たなメンバーを選定したり、次の趣向に思いを巡らせたりしているのだろう。

 ずっと自分たちを騙してきたクリス。

 ゲームの駒に利用したクリス。

 ジョーを殺し、キララを利用したクリス。

 そんなクリスに対し、憎しみにひとつでも湧いてきそうなものなのだけれど、やはり心は波立たない。

「キララは?」

 マリーは最後に訊ねた。

 キララのことを訊ねると、ペイジの表情が陰った。

「キララはどうなったの?」

 さすがにキララのことは気になり、マリーは重ねて訊いた。

「あの人はもう駄目です」

 ペイジがぽつりと答えた。

「駄目っていうのはどういう意味なの?」

 ペイジは答えない。

「それじゃ、キララも、もう……」

「いいえ、生きてはいます。生きてはいますが、彼女はもう何もわかりません。何も憶えていません。きっとあなたのことも」

 ペイジは一言一言、慎重に言葉を選んで教えてくれた。

 マリーはその意味を理解した。

 この学園で行われている恐ろしい実験のせいで、キララは何もわからない小さな子供にまで戻ってしまったのだ。

 結局、キララを助けることはできなかった。

 キララを無理に連れだそうとした。

 キララの信頼を得ることができなかった。

 それが、失敗のすべての原因だ。

 自分が悪いのだ。

 キララを強引に連れ出そうとしたから、計画は失敗し、ジョーは死に、キララはキララでなくなってしまった。

 すべて自分のせいだ。

 このときになってようやくマリーは胸を引き裂かれるような痛みを感じた。

 両膝を抱え込み小さく丸まると、滂沱の涙がこぼれた。

「あなたはこれからどうしますか?」

 マリーの涙がおさまるのを待ち、ペイジが遠慮気味に訊ねた。

「わからないわ」

 マリーは鼻を啜りながら答えた。マリーに残されている選択はふたつ。ひとつは、もう一度学園から逃げること、もうひとつは学園に戻ること。どちらも辛い選択だ。再び逃亡を試みたところで、成功の可能性は低い。かといって、学園に戻っても厳しい罰が待っているだけだ。それなら、いっそどちらも選ばないで、ここでじっとしておきたい。何もしないで、事態の成り行きに身を任せてしまいたい。それが正直な気持ちだった。

「あなたには、まだやるべきことが残っています」

 無気力に陥っているマリーに向かって、ペイジがいきなり言った。

 マリーは顔を持ち上げペイジを見た。

「何を言っているの、ペイジ?」

「あなたにはまだやるべきことが残っているのですよ、マリーさん」

 ペイジはマリーを奮い立たせるように言った。

「わたしにできることなんてもうないわ」

「いいえ、あなたにしかできないことがあります。あなたがやらないければならないことがあるんです」

 ペイジの断定的な物言いに、マリーは反感を覚えた。

「そんなものあるはずがないわ」

「いいえ、あるんです」

「それじゃ、教えてちょうだい。わたしにしかできないことって何なの?」

 マリーはいささかむきになって訊いた。

「すべてを終わらせるのです」

 ペイジが答えた。

「何ですって?」

「ここを終わらせてしまうんです」

「何を言い出すの、ペイジ」

「外に逃げたところで、連れ戻されるに決まっています。だから、終わらせるんです。あなたが終わらせるんです、マリーさん」

「そんなことわたしにできるはずがないわ」

 マリーは顔を横に向けた。機転も利かない、知恵もない、友だちを助けることもできない、みんなに裏切られてばかりの愚かな自分に、そんな大それたことができるわけがないのだ。

「いいえ、あなたならできます」

「できないわ」

「あなたならこの園の悪事を暴くことができます」

 できるできないのやり取りが続き、あまりのしつこさに、いい加減うんざりしたマリーは訊ねた。

「それじゃ、いったいどうやって終わらせるっていうの? このバカで無力なわたしにどうやってこの学園の悪事を暴くことができるっていうの?」

 ペイジの瞳が不気味にきらめいた。そして、こう答えた。

「燃やすのです」

「な、何ですって」

 ペイジのあまりに突拍子のない台詞に、マリーは目をしばたかせた。

「ここを燃やすのです。ここが火事になれば、外から大勢の人がやって来ます。その人たちは知ることになるでしょう。ここで何が行われていたか。どれだけ酷いことが行われているか。ここでどれほどの人間が殺されたか。それを知ることになるでしょう。それを知った人たちが、あなたや、他の人たちを救い出してくれるはずです。ここにいるみんなが、それで助かるのです。それで、ここは終わるのです」

「嫌よ。どうしてわたしがそんなことをしなければならないの? 学園を燃やしたいのなら、あなたが勝手にやればいいわ。わたしは嫌よ」

「いいえ、あなたがやることに意味があるのです」

「どういうこと?」

「入居者の一人であるあなたがやるからこそ、告発に真実味が生まれるのです。あたしは、ただの外国人労働者です。あたしが、そんなことをしたところで誰もあたしの話なんて信じません。外国人労働者の逆恨みだと思われるのが関の山です」

「そうかもしれないけど、わたしは嫌よ。絶対に嫌」

 マリーは何度も顔を左右に振った。

 だが、その挙動とは裏腹に、マリーの頭の中では全く別の光景が立ち現れていた。漆黒の闇の中で、炎上する学園。炎に吞み込まれ、やがて崩れ落ちていく学園。その光景が、頭の中のスクリーンにリアルに映し出されていた。

「ここがあなたたちにやったことを思い出してください。あなたたちを連行し、あなたたちをとじ込め、あなたたちを利用しようとした。その結果、あなたのお友だちは殺され、あなたは今も命を狙われている。このままでいいんですか? なされるがままでいいんですか? 目をそむけ、背中を向け、おめおめ逃げ出して、それでいいんですか?」

 ペイジがマリーの肩を揺さぶった。

 マリーはペイジの瞳を覗き込む。ペイジの瞳はすでに炎が放たれてしまったかのようにぎらぎらと燃え上がっていた。

「仇を討ちましょう。あなたのお友だちとあなた自身の」

 ペイジが顔を近づけ、囁いた。

「嫌よ」

 マリーはペイジを押しのけた。

 ペイジは、鼻から息を吐き出し「わかりました」と答えた。諦めたかと思ったがそうではなかった。ペイジは続けて言った。

「いまからその方法だけ教えます。やるかどうかはあなたが決めてください」

「聞きたくないわ」

 マリーは拒絶したが、ペイジは勝手に話し出した。

「あなたは、地下の給湯室をご存じですね」

 地下の給湯室。ジョーが発見したセントラル給湯室のことだ。あの場所の存在をペイジも知っていたわけだ。

「あの場所には、長年、少しずつ漏れ出したガスが溜まっています」

 初めてあの場所に行ったとき鼻先にまとわり付いてきた腐敗した卵のような臭い。やはりあれはガスの臭いだったのか。可燃性のガスです、とペイジが言い足した。

「あの給湯室にこれを投げ込んでください」

 ペイジはそう言って、手を出した。その手の上にはマッチ箱が乗っている。派手な絵柄がプリントされたマッチ箱だ。

 マリーがペイジの顔を見ると、ペイジは、マリーの手を取り、強引にマッチ箱を握らせた。

「これを一本擦って、投げ込めばそれで終わりです。それだけのことで、こここは崩壊してしまいます」

「で、でも……」と言うマリーの気持ちは少しずつ揺れ始めている。「でも、他の生徒たちは? 校舎に取り残される他の子たちはどうなってしまうの? もし、学園に火をつけたりしたら、みんな死んじゃうわ」

「それは大丈夫です」とペイジが簡単に請け合った。

「どうして?」

「あたしが助け出します。火の手があがると同時に、他のみなさんを避難させます。火事に紛れて、あたしがみなさんを助けます」

「だけど」とマリーはまだ抵抗しつつ、訊ねた。「セントラル給湯室に行くことはできないわ。だって、わたしは学園に追われる身なのよ。しかも、脱走騒動があったばかりで警備も厳しくなっているはず。この状況で、セントラル給湯室までたどり着くことなんて不可能だわ」

「それも大丈夫です」ペイジはまたこともなげに応じた。「今夜、あたしが職員全員を引きつけておきます。一カ所に集めて、誰もあなたに近づけないようにします」

「そんなことできるはずないわ……」

「いいえ、できます。あたしが職員の注意を引きつけておきますから、あなたは安心してあの場所まで行ってください。そして、火を放ってください」

 ペイジはそう言って、マッチ箱を持つマリーの手に自分の手を重ねた。その手はとても熱かった。

「あなたがやるのです」

 最後に念を押すようにそう言って、ペイジが立ち上がった。

 マリーはマッチ箱に視線を落としたままだった。

 ペイジの足音が扉のほうに向かい、その音に引っぱられてマリーは顔を上げた。

 ペイジは大きなお尻を揺らしながら、扉の前まで移動し、扉を開けた。物置小屋を出る前に、横顔だけこちらに向け白い歯を見せた。不敵な笑みだった。

 ペイジがいなくなると、小屋の中は、再び電気ストーブのたてる虫の羽音のような振動音だけになった。

 

 マリーの気持ちは揺れ動いていた。

 学園に一矢報いたい。

 自分を苦しめ、悲しませ、辛い目に遭わせた学園に復讐したい。

 その気持ちは本当だ。そして、ペイジの手引きにより、それは可能になった。

 しかし、その一方で、こんなやり方でいいのか、という思いもある。

 全てを灰燼に帰してしまう、そんな捨て身のようなやり方でいいのか。 

 そんなふうに幕を引くことは、これまで一緒に戦い、そして死んでいったトミーやケン、それにジョーに対する冒涜のように思える。

 こんな安直な方法で終わらせてしまっては、リンダを含め、この学園に殺された名も知らぬ多くの生徒たちも浮かばれないような気がするのだ

 マリーは手のひらに載っているマッチ箱を見る。ずいぶんと古いもののようだ。絵柄は色褪せ、角は潰れて丸くなっている。外国語で何かプリントされているが、マリーには読めない。恐らくペイジの国で作られたものだろう。

 側薬に指を這わせる。

 つるつるとしていて、本来あるべき抵抗がない。

 ここまで側薬が剥げてしまって、火が点くのだろうか。

 マリーは箱から一本取りだし、試しに火を点けてみた。

 側薬に擦りつけると、難なく火がついた。

 マリーはしばしその火を眺める。

 燃やせ。

 何もかも燃やしてしまえ。

 小さな炎がそう語りかけているように、マリーには思えた。

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