説得
マリーは焦っていた。
もう時間は残されていない。
あれこれ考えている暇などない。
一刻も早くキララを説得しなければ、マリーもキララも殺されてしまう。
マリーは、猫目から逃げたその足で、キララの部屋に駆け込んだ。
「どうしたの、マリー?」
突然訪ねてきたマリーに、キララは驚いた様子で言った。
マリーは何も答えず、とにもかくにも部屋の中に入った。
「マリー?」
キララがさらに呼びかけるが、それにも答えず、マリーはベッドに座った。
キララは困惑の表情で「いったいどうしたの」と呟き、マリーの隣に座った。
マリーはもう一度深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「ねえ、キララ、あなた、お外に行きたくない?」
説得の言葉が思いつかず、マリーは真っ直ぐ訊ねた。
「行きたくないわ。だって、お外は曇っているもの。いまに雨が降り出すわ」
「そうじゃないのよ、キララ。この学園を出て、お外の世界に行きたくはない?」
マリーが訊ねると、キララは暗い表情を浮かべた。
「その話は前にしたじゃない。キララはお外になんて行きたくない。ずっとここにいたいわ」
キララは頑なに言い張った。
その様子にマリーは違和感を覚えた。
頑なすぎる。
頑なすぎて、不自然だ。
マリーはその不自然さに賭けた。
「キララ、本当の気持ちを教えて」
優しく訊ねた。
「行きたくないわ……」
「それがあなたの本当の気持ちなの?」
「もちろんよ……」
キララの声がどんどん小さくなる。
「本当は出て行きたいのね」
マリーが断言すると、キララは辛そうに顔を歪めた。
「いいのよ、キララ。あなたの本当の気持ちを言ってちょうだい。わたしは、誰にも言いつけたりしないから」
マリーが諭すように言うと、キララは言葉を刻んでゆっくり話し出した。
「本当は……出て行きたいわ。ここを出て……パパやママに会いたいわ」
マリーの聞きたかった言葉を、キララは口にした。
「それが本心なのね?」
マリーが真意を確かめると、キララは小さく頷いた。
「できるわ、キララ。学園を出て、パパやママに会うことができるのよ」
「ううん、ダメなの。キララたちは外の世界では生きてゆけないの」
「街が燃えているって話?」
マリーが訊ねると、キララはもう一度小さく頷いた。
「そんなのは嘘に決まっているわ。ペイジがあなたを怖がらせるためにそんな嘘をついたのよ」
「違うの、マリー。キララも見たの」
「見た?」
「ええ、そうよ。街が燃えて、人がたくさん死んでいたわ」
キララは答えた。
街が燃える。
人が死ぬ。
いつも見る夢とおなじだ。
「いいえ、キララ。それは夢、ただの夢。あなたは夢を見ていただけ」
マリーは言った。
そんなことが本当に起こっているはずはないのだ。
しかし、キララはマリーの言葉を聞くと、悲しそうに目を床に落とした。
「どうして、そんなことを言うの、マリー。マリーはキララの言うことを信じてくれないの?」
「違うのよ、キララ」
「マリーもキララのことをバカにするのね。キララが一組で、お勉強もできなくて、おっちょこちょいだから、キララの言うことを信じてくれないのね」
「あなたは命を狙われているの」
話が違う方向へ逸れてゆき、マリーは思わず口走ってしまった。
言ってしまってから、しまったと後悔した。が、もう遅かった。
キララは呆気にとられている。話の内容にではなく、そんなことを突然口にするマリーに戸惑っている様子だ。
「何を言い出すの、マリー?」
数秒置いて、キララが訊き返す。
こうなってはもう隠し立てできない。全部話してしまうしかない。
マリーは続けた。
「本当なのよ、キララ。この学園は人体実験をする施設なの。わたしたちは、実験体として連れてこられた。そして、その実験体にあなたが選ばれた。わたしは、いえ、わたしやクリスたちは、ずっと学園のことを探っていて、そのことを突き止めたの」
マリーは自分の知っていることを全てキララに伝えた。
「信じられるわけがないわ、そんな話」
話し終えると、キララは切り捨てるように言った。
「信じて、キララ。あなたは命を狙われているの。このままだとあなたは殺されるの。だから、わたしと一緒に、今すぐこの学園から逃げましょう」
マリーは懇願の調子で言った。
「いやよ。キララ、お外になんて行かないわ」
キララがそっぽを向いた。
「キララ、お願い、わたしの話を信じて」
「それじゃ、マリー、教えてちょうだい。実験っていったい何なの? キララたちは、何の実験に使われようとしているの?」
痛いところをつかれ、マリーは、「それは……」と言いよどむ。
「ねえ、教えて、マリー。あなたの言う実験って何なの?」
「それは、いま調べているところよ」
マリーは苦し紛れに答えた。
が、そんな曖昧な答えでキララが納得するはずもなかった。
「やっぱり嘘なのね、マリー」
「違うわ、本当なのよ」
「マリーはそんな嘘をついて何がしたいの? マリーはキララのことを怖がらせたいの? キララを不安にさせたいの? あなたがそんな人だとは思わなかったわ」
キララはミチルを手に取り、ぎゅっと抱きしめた。
「違うのよ、キララ」
マリーは食い下がったが、キララは完全に心を閉ざしている。
「マリー、キララ、もう眠たくなっちゃった」
しばらく間を開け、キララは呟いた。暗に出て行け、と言っている。
「キララ……」
呼びかけたが、キララはミチルを抱いたまま顔を上げようとしない。
マリーは立ち上がった。
「キララ、あなたを怖がらせるようなことを言って、ごめんね。そんなつもりじゃなかったのよ」
マリーは謝罪の言葉を残して、ドアに向かう。
しかし、キララは無言を通す。
部屋を出る前にもう一度振り返ると、キララは依然としてミチルを抱きしめ、マリーのことを全身で拒絶していた。
その姿がマリーの胸をえぐった。
マリーは部屋を出た。
キララの説得に失敗してしまった。それだけではない、キララに嫌われてしまった。
ショックだった。
辛かった。
けれど、こんなことで諦める気はない。
まだ、手は残されている。できれば使いたくなかった最後の手段だ。
やりたくはない。
だが、やらなければならない。
やらなければ、キララを助けることはできないのだ。
キララを助けるためには、鬼にだって悪魔にだってなる。
マリーは口を引き結び、決意の表情で廊下を歩き、自室に戻った。
部屋に入ると窓を開けた。
水気を含んだ風が室内に入ってくる。灰色の雲がいっそう早く流れている。嵐はすぐ近くまで来ている。
マリーは窓のサッシ部分にモーリスをおびき寄せるためのパンくずを撒いた。一歩室内に退き、モーリスが来るのを待つ。そのまま一時間近く待っていると、ようやく青い鳥のモーリスが現れた。
モーリスは、マリーのことをちらりと見て、すぐにパンくずを啄みはじめた。
モーリスが食事に夢中になっていることを確かめると、マリーは、予め用意しておいた、石けん水をモーリスにかけた。




