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キララ

 自分の椅子に腰を下ろすと、周囲の生徒がマリーのことをジロジロと見ている。だがそれは純粋な好奇心からそうしているふうで、不快ではなかった。

「素敵なご挨拶だったわね」

 隣から聞こえてきた。

 そちらに顔を向けると、ひとりの女の子がにっこり笑っていた。

 その子は、目はくりくりとしていて、頬はふっくらとしている。頬には少しだけそばかすがあり、あどけなさを残している。人懐っこい笑みを浮かべ、まるで小動物のように可愛らしい。年齢はわからないけれど、マリーよりもずっと幼く見えた。

「ありがとう」

 少し照れくささを覚えながらマリーがお礼を言うと、女の子は大きな目を細めた。

「お姉さん、お名前は何て言うの?」

 女の子はそう訊いたあと、「お姉さんのご挨拶は素敵だったけれど、わたしにはよくわからなかったの」と申し訳なさそうに付け加えた。

「そうだったのね。わたしはマリー。マリーよ」

 マリーは答えた。

「マリー……」女の子は呟き、「ねえ、お姉さん。お姉さんのことマリーって、呼んでもいい?」と目を輝かせた。

「もちろんよ」

 マリーは笑顔で応じた。

「ありがとう、マリー」

 女の子は胸の前で両手を重ね、嬉しそうに言った。

「あなたのお名前も教えてくれる?」

 今度はマリーが訊き返した。

「わたしはキララよ。キララっていうの」

 キララと名乗った女の子が明るく澄んだ声で答えた。

「キララ。素敵なお名前ね」

「みんなそう言ってくれるわ」

「わたしもキララって呼んでいいかしら?」

「ええ。そう呼んでもらえたら、キララもうれしいわ」

 キララは満面の笑みで頷いた。

 なんて可愛い子なんだろう。ビー玉みたいに瞳を輝かせ、鈴の音のような透き通った声で話す。この学園に来てからというもの、園長先生だとか、猫目の職員だとか、どんぐりを投げつける女の子だとか、巨人みたいな大男だとか、出くわすのは怖い人や嫌な人ばかりだった。けれど、ここに来てようやく、素敵な子と出会うことができた。やっとお友達になれそうな子とお話することができた。たったひとりそんな子に出会えただけで、マリーの心は驚くほど軽くなった。この子がいれば、この学園での生活も楽しくなるかもしれない。そんな希望を持つことさえできた。

「そのお人形さんも素敵ね」

 キララの隣には、キララとおなじくらい可愛いらしいお人形さんが座っていた。もっと話を続けたくて、マリーは目に留まったその人形のことを訊ねた。

 キララは大事そうに人形を抱きかかえ、「この子はミチルっていうの。キララの大切な大切なお友だちなのよ」とマリーに紹介した。

「おめめが青いのね」

 その人形の青い瞳を見つめながら、マリーは言った。

「ええ、そうよ。ミチルはおめめが青いの」

 キララがちょっと自慢そうに言った。

 どこかでこのお人形を見たことがある。

 一瞬そんな気がした

 が、すぐに気のせいだと思い直した。こんな素敵なお人形を見たことがあるなら、そのことを忘れたりするはずがない。

「どうかしたの、マリー?」

 ちょっと考え込むマリーにキララが声をかけてきた。

「ううん、何でもないわ」

「そう」とキララはさほど気にする様子もなく答え、「これから、よろしくね、マリー」とミチルを抱きしめた。

「こちらこそ、よろしく、キララ」

 マリーが微笑んで返した。

 やがて、朝食が運ばれてきた。

 献立は生徒ごとに少しずつ違うらしく、それぞれの席に異なる料理が並べられていく。

 マリーの朝食は、パンにベーコンエッグ、野菜サラダにスープ、それに白い棒状のお菓子が添えられている。このお菓子だけはどの生徒にも分け隔てなく配られているようだった。

 マリーが見たこともないお菓子を見つめていると、「それは棒砂糖よ」とキララが教えてくれた。

「棒砂糖?」

「あら、マリーは知らないの?」

「ええ、初めて見るわ」

「それはもったいないわ。ここのお食事はあまり美味しくはないけれど、その棒砂糖だけは別格なのよ」

 キララはそう言って片目をつむった。

 その仕草も可愛らしく、マリーはくすりと笑って、「いただくのが楽しみだわ」と答えた。

 全員に朝食が行き渡ると、「さあ、みなさん、お召し上がりなさい」という園長先生の掛け声とともに、食事が始まった。

 キララの言葉どおり、とても美味しいとは言えない食事だった。パンは水気がなくてパサパサだし、サラダはしなびている。目玉焼きの黄身は硬くて、ベーコンは冷えて油が白く固まっている。ママの美味しい料理とは大違いだ。半分ほど食べたところで、マリーはそれ以上食べるのが嫌になってしまった。

 けれど、これもキララの言葉どおり、棒砂糖というお菓子だけはとても美味しかった。口の入れると、パラパラ崩れすぐに溶けてしまい、後には爽やかな甘味だけが残った。

「このお菓子、美味しいわ」

 マリーは思わず口にする。

「ね、言ったとおりでしょう」

「ええ、本当に美味しいわ」

 マリーが棒砂糖の余韻を楽しんでいると、

「ねえ、マリー」

 と、キララが甘えるような声で呼びかけてきた。

「なに?」

 マリーは答えた。

「そのパン、もう食べないの?」

「ええ、もうお腹いっぱいになっちゃった」

「それじゃ、キララにいただけないかしら。キララのメニューにはパンがついていないの」

 キララのトレイに目をやると、なるほど、パンの代わりに、穀物のスープのようなものが載っている。

「パンが食べたいの?」

「ううん、そうじゃないの」

「なら、どうして?」

「あとで教えるわ」

 キララはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 食べ残しを他の生徒にあげることが禁止されているのかどうか知らないし、キララがどうしてパンを欲しがるのかもわからなかったが、マリーは単純にこの可愛い女の子のお願いを叶えてあげたいと思った。それで、「わかったわ」と、キララのほうにトレイを寄せた。

「ありがとう、マリー」

 そう言ってキララは食べ残しのパンを手に取り、ポケットにしまった。

 秘密を共有したふたりは、ふふふと笑い合った。

 朝食の時間は三十分ほどで終了した。

 配膳は職員たちがやってくれるのだけれど、食器類の返却は生徒たちがやらなければならないようだった。

 マリーとキララも、食べ終わった食器の載ったトレイを持ち返却の列に並んだ。

 マリーたちの席は、調理室から離れた場所だったので、後ろのほうに回された。生徒は百人近くいるのに返却口はふたつしかないため、列はなかなか進まない。

 キララもトレイを手にじっと我慢するような顔で並んでいる。

 こんなに小さい子まで長い行列に並ばせなくてもいいのに。

 マリーがそう思った直後、いきなり誰かがマリーにぶつかってきた。

 全く予期していなかったので、マリーは勢いよく転倒し、プラスチック製の食器類が派手な音を立てて床に散らばった。

 マリーは冷たい床に突っ伏した。

 周囲にどよめきが起こった。

 何が起きたのかわからないままマリーは顔を上げた。

 目の前に、昨日、窓の外からどんぐりを投げつけてきた女の子が立っていた。昨日と同じように怒りを滲ませマリーを睨み付けている。

 彼女の行動が全く理解できず、マリーはぽかんと口を開け、ただ唖然とした。

「何をやってるんだ!」

 怒声が聞こえてきて、巨体の職員が駆け寄ってきた。

 その声にすくみ、マリーは慌てて身体を起こした。でも、足腰に力が入らず、立ち上がることはできない。

「何だ、これは!」

 巨人がマリーに向かって大声で言った。

 マリーは床にお尻をつけたまま後じさった。

 何も悪くないのに、巨人の大声に完全に萎縮してしまい、目の前の女の子に突き飛ばされただけだと、訴えることもできない。

 マリーが固まっていると、「マリーじゃないわ。あの子がマリーを突き飛ばしたのよ」と横からキララが女の子を指差した。

 巨人はちらりとキララを見た後、女の子に視線を移した。

 女の子は巨人の威圧をものともせず、巨人を睨み返す。

「また、お前か!」

 今度は、女の子を怒鳴りつける。

 それにも動じず、女の子は巨人に向かってあっかんべーをした。

「おい、きさま!」という巨人の声を無視して、女の子はくるりと背を向け走り去ってしまった。

 巨人は大きく舌打ちすると、怒りがおさまらぬ様子でマリーに向かって、「早く拾え」と命じた。マリーに非がないことはわかったようだが、気遣う気配はない。

 マリーは床にへたり込んだまま何も言えない。

「まったく」と巨人はぶつくさと文句を言いながら、持ち場に戻っていった。

 巨人がいなくなっても、マリーはまだ立ち上がることができなかった。

 そこへ、「大丈夫かい?」と誰かが声をかけてきた。

 マリーは声のするほうを見た。

 男の子が立っていた。

 その男の子の姿を目にした瞬間、マリーはどきりとした。

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