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学園初日

 熱い。

 喉が焼けるようだ。

 人々が逃げまどっている。

 あちこちで閃光が走り、その直後にどおんという轟音が遅れて鳴り響く。

 そこかしこに火柱が立ち上っている。

 お母さんがマリーの手を引く。

 強い力でひっぱるものだから、腕がひきちぎれそうだ。

「痛い、痛いよ……」

 そう訴えるのだが、お母さんは手を離してくれない。

                   


「母さん!」

 叫び声とともに、マリーは目を覚ました。

 またあの夢だ。

 何度も見ている夢、辛いことが起こったとき、悲しいことがあったときにだけ見る夢、その夢をまた見た。

 マリーは身体を起こし、あたりを見回す。

 白い壁、木製の机、小さな本棚、何もない殺風景な部屋。

 知らない場所だ。

 まだ夢の中にいるのだろうか、と窓のほうを見ると、磨りガラスの向こうにぼやけた樫の木の緑が目に入り、思い出した。

 昨日、パパとママに連れられ、ロイタースという学園に来た。そして、この部屋は、これから生活するマリーの個室だ。

 そのことを思い出すと、怖い夢から目覚めて早々、マリーは気が滅入った。

 今日からひとりぼっちの生活が始まる。どんな生活が待ち受けているのか想像もつかない。だが、昨日の出来事を振り返る限り、とても愉快なものになるとは思えない。女性職員を容赦なくぶつ園長先生、園長先生を怖い顔で睨み返す女性職員、それを見て見ぬ振りをする猫目の職員、窓の外からどんぐりを投げつける女の子……。怖いことばかりだった。これから毎日あんなことが続くのだろうか、そう考えると、マリーはママがそばにいてくれるあの怖い夢の世界にいるほうがまだマシかもしれない思った。

 深いため息を吐き出したとき、大きなチャイムの音が鳴り響いた。

 マリーは肩をびくりと震わせた。

 起床時間を報せるチャイムだ。

 昨日、園長先生に朝食は八時からだと教えられた。そして、遅刻は許さないと厳命されている。

 冷酷な笑みを浮かべる園長先生の顔がよみがえり、マリーは慌ててベッドを抜けだし、朝の支度を始めた。

 これまでずっとママがやってくれていたことを、これからは自分でやらなければならない。マリーは、ママの手つきを思い出しながら、髪を梳き、服を着替える。初日から笑われることのないよう、ちゃんと身なりを整えられるかどうか心配だったけれど、案外、うまくいった。手が覚えいていたという感じだった。ただ、思ったよりも時間がかかってしまった。

 もし遅刻でもしようものなら、あの園長先生にどんなお叱りを受けるかわかったものではない。支度を終えたマリーは急いで部屋を出た。

 廊下に出ると、昨日はどこにいたのだろうと不思議に思うほど、たくさんの生徒たちがいた。みんなマリーと同じ年頃だ。男の子もいる。女の子もいる。太った子も、痩せた子も、背の高い子も、低い子もいるのだけれど、みな一様に下を向き、黙々と歩いている。餌を求める蟻のようなその行列を目にすると、本当にここでやっていけるのだろうかと、マリーはいよいよ不安になった。

 マリーは遠慮がちに列に加わり、他の生徒たちから隠れるように廊下の端っこを歩く。

 流れに任せ、階段を下って、一階の廊下をさらに進むと、食堂と思われる場所が見えてきた。

 入り口に園長先生が立っていた。

 食堂に入る生徒ひとりひとりに、「おはよう、おはよう」と声をかけているのだが、その作り物めいた笑顔からは、朝の挨拶をしているというより、生徒たちのことをいちいち点検しているようだった。

 園長先生の背後には、あの猫目の職員もいた。猫目の職員は園長先生よりもいっそう不気味だった。前を通り過ぎる生徒に声の一つもかけず、だんまりで凝視している。その顔つきは食べ頃を吟味する肉屋の主人のようだった。

「あら、マリーさん、おはよう」

 マリーに気づいた園長先生が声をかける。

 マリーは黒目をきょろきょろ泳がせて「お、おはようございます」としどろもどろに答えた。

「昨日はよく眠れまして?」

 マリーにだけ問いかけるが、他の生徒よりも念入りにチェックされているようで、マリーは身体をこわばらせた。

「……え、ええ、はい。よく眠れました」

「それはよかったわ」

「お気遣いありがとうございます」

「そうだ、マリーさん」

 園長先生がふと思い出したように言った。

 マリーは顔を上げた。

「お食事の前に、みなさんに紹介して差し上げます。マリーさんにもご挨拶してもらいますから、その心づもりでいらしてね」

 園長先生が告げた。

 言葉遣いこそ丁寧なのだけれど、どこか高圧的で、ただ挨拶しろと言われただけなのにお叱りを受けたような気がして、マリーは「はい、わかりました……」と声を震わせた。

「では、早く中にお入りなさい」

 園長先生は、伝えるとことを伝えてしまうと、マリーにばかり構っていられぬとばかりに冷たく命じ、「おはよう、おはよう」と声かけを再開した。

 猫目の職員は一言も声を発しなかった。

 マリーは気が進まないまま食堂に足を踏み入れた。

 食堂は、ずっと昔、パパとママと三人で行った海の見えるレストランとおなじくらいの広さだった。けれど、あのときのレストランと違って、食堂の窓は不自然なほど高いところにあり、海どころか外の景色も見えない。おまけに全体的に薄暗く、空気はじめっとしていた。おなじなのは広さくらいで、それ以外は、思い出のレストランとは似ても似つかない重苦しい食堂だった。

 食堂内には、長いテーブルがいくつも並び、白いクロスがかけられていた。テーブルは六人がけで、背もたれの高い椅子が六脚ずつ配置されていた。

 座席は決まっているようなのだが、新入生のマリーにはどこか自分の席なのかわからなかった。

 所在なさげにあたりを見回していると、「こっちだ」と声が聞こえてきた。

 顔を向けると、巨人のように身体の大きな男性職員が手招きしている。マリーの席を教えてくれているようなのだが、仕事だからやっているだけ、という感じで不機嫌そうな顔をしている。

 とぼとぼと巨人のもとに行く。

 巨人はマリーとは目も合わさず無言で目の前の椅子を指差した。

 そこがマリーの席のようだった。

「ありがとう」

 座る前に、一応お礼を言ったのだが、巨人は何も答えなかった。

 席に着いたマリーは食堂内を見渡す。他の生徒たちは、まるで命のない人形のように黙り込み、ぼんやりテーブルの上を見つめている。昨日来たばかりのマリーに誰も関心を示さない。目立つことが苦手なマリーではあったが、ここまで無関心だと逆に気味が悪くなる。

 やがて、パンパンパンと手を叩く音が食堂内に響き渡った。

 食堂の前方で園長先生が手を打ち鳴らし、生徒たちは一斉に園長先生のほうに顔を向けた。

「今朝は、朝食の前に新しいお友達を紹介します」

 園長先生が言った。

 それが自分ことだとわかると、マリーはにわかに緊張し始めた。

「こっちにいらっしゃい、マリーさん」

 予想どおり園長先生がマリーを呼んだ。

 逃げも隠れもできないので、マリーは椅子を引いて立ち上がった。静まりかえった食堂内に、椅子の脚が床を擦る嫌な音だけが響いた。

 ぎこちない足取りで園長先生のところに行くと、園長先生がマリーの肩に手を置いた。

「この方がみなさんの新しいお友達です」

 園長先生が生徒たちに告げた。

 全員の顔が同時にマリーのほうに向く。どの顔もお面をつけているみたいに表情がなく、何か知らない生き物に見つめられているようで、マリーはぞくっとした。

「さあ、マリーさん、みなさんにご挨拶なさい」

 園長先生がマリーにだけ聞こえる声で命令した。

 マリーは園長先生のほうをちらりと見てから、顔を正面に向ける。

 生徒たちの視線はマリーひとりに注がれている。

 生気のない無数の瞳で見つめられると、マリーは頭が真っ白になってしまい、何も言葉が浮かんでこない。

「マリーさん、早くなさい」

 沈黙するマリーに園長先生が焦れったそうに言った。

 マリーはますます怖じ気づき、唇をぴくぴく動かすことしかできない。

 食堂内は静まり返り、不穏な空気に包まれる。

 怖い。

 マリーはただただ怖かった。

 いますぐこの場所から逃げ出したかった。

「さあ、マリーさん」

 園長先生はなおも急き立てた。その声には明らかに苛立ちが混じっている。

 マリーはいよいよ追い詰められた。

「Hi,guys.I am Mary.I came from……」

 パニックのあまりに卒倒しそうになったその直前、いきなり言葉が溢れだした。

 マリー自身、何が起こっているのかわからなかった。次から次へと頭の中に単語が浮かび、それを読み上げるように、マリーはそのまま口から吐き出した。

「……Hopefully,I want to make friendships with all of you」

 言い終わると、食堂内が再びしんとなった。

 やがてパラパラと小さな拍手が起こり、だんだん大きくなり、やがて喝采となった。

「大変よくできました」

 園長先生もにっこり笑って、褒めてくれた。

 なぜいきなり淀みなく言葉が出てきたのか自分でもわからなかった。が、とにかく、無事に自己紹介をできたことにマリーはそっと胸をなで下ろした。

「さあ、席にお戻りなさい」

 園長先生が命じ、マリーは「はい」と答えテーブルに戻った。


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