キララが聞いた話
マリーはキララの部屋で考え込んでいた。
キララを助け出さなければならない。けれど、力になってくれる人はいない。クリスもジョーもペイジも、仲間だと思っていた人たちは、全員頼ることができない。自分ひとりでキララを助けなければならない。
それを理解したマリーは、具体的な方法も思い浮かばないまま、とりあえずキララの部屋に来て、そこで途方に暮れていた。
あるいは自分ひとりならば、あの塀を乗り越えることも ――可能性は限りなくゼロに近いが ――できるかもしれない。だが、幼いキララには不可能だ。もっと安全で確実なルートを探さなければならない。
だが、そんな脱出経路が存在するのか?
そもそも、どうやってキララを誘い出せばよいのだ?
ずっと考えているのだが答えは見つからない。
マリーはふとキララに目を向けた。
キララは、床に座り込んで、青い目の人形ミチルと、おままごとをしている。
「さあ、ご飯よ、ミチル。今夜はあなたの好きなポテトのスープよ。ずっと食べたいって言っていたでしょ。ママが朝早くに起きて丹精込めて拵えたのよ。さあ、お食べなさい。ほら、もっとゆっくり食べなきゃ駄目でしょう。こぼれちゃったじゃない。そうそう、そうやって、スプーンをお口に運んで、ゆっくり飲むの。そうよ。上手に食べられましたね。どう、おいしい? よかったわ。張り切って拵えたかいがあったわ。え? ママも食べなさいって? いいのよ、ママは。ママは、ミチルの喜ぶ顔が見られればそれで十分。ママに遠慮しないで、好きなだけお召し上がりなさい。あなたはもっともっと大きくならなければならないのよ。あなたはきっとママに似て、素敵なレディになるわ。可愛いミチル、素敵なミチル」
マリーはキララのことが不憫でならなかった。
何も知らないまま、実験に使われ、殺されてしまう。
その最後のときはもうすぐそこまで迫っている。
机の上のぬいぐるみが視界に入ってきた。
キララが次の被験体であることを知らせる天使のぬいぐるみ。
自分のことを嘲笑うかのようなそのぬいぐるみがマリーは憎たらしくて仕方がなかった。
「ねえ、キララ」
マリーはぬいぐるみを睨みつけたまま、声をかけた。
「なあに?」
キララはおままごとを中断して振り返った。
「あなた、この学園を出たいと思ったことはない?」
ぬいぐるみから目を離し、まずは探りを入れてみる。
キララは少し考え、「ないわ」ときっぱり答えた。
その答えをマリーは意外に感じた。常に監視され、規則で雁字搦めにされる学園生活が苦ではないのか?
「そうなの?」
「ええ、出たくないわ。キララはここでいいの。ここがいいの」
「そんなにいいところかしら?」
「ええ、ここはいいところよ。だって、美味しくはないけれど、きちんとご飯も食べられるし、暖かいお布団で眠れるし、お風呂にも入れるわ」
「それはそうかもしれないけど……」
「それに」と付け加え、キララは口ごもった。
マリーはその続きを待つ。
だが、キララは何も言わない。
「それに?」
マリーが促すと、「何でもないわ」とキララがあからさまに誤魔化した。
「どうしたの? キララ」
「ううん、何でもないの」
「言って、キララ。この学園にいれば、ご飯も食べられる、お布団で眠れる、お風呂に入れる、それに……それに、何?」
マリーは追及する。
キララは顔を伏せた。それから、上目づかいになって、
「誰にも言わない?」
と、そっと確認する。
「もちろんよ」
マリーが答えると、キララは言った。
「この学園にいれば死なずにすむわ」
その言葉に、マリーはどきりとした。
「キララ、いま、何て言ったの?」
すかさず訊き返す。
「やっぱり、何でもないわ。いま言ったことは忘れてちょうだい」
キララは慌てて取り繕った。
だが、マリーは聞き流せなかった。
「いいえ、キララ。あなたはいま、こう言ったわ。この学園にいれば死なずにすむって。それはいったいどういう意味なの?」
マリーは迫る。
「それは……」とキララは顔をゆがめ、いまにも泣き出しそうになる。
「ああ、キララ、ごめんなさい。泣かないで。あなたを怖がらせる気はなかったの」
マリーはすぐに声を和らげた。
キララはじんわりと瞳を湿らせたままマリーを見つめ続ける。
「ほんとよ、キララ。ただ、あなた言ったことが気になっただけよ」
「本当?」
「ええ、本当よ。だから、わたしに教えて。死ななくても済むってどういう意味なの?」
マリーはキララの肩に手を置き、優しく訊ねた。
「キララ、聞いちゃったの」
キララは俯いたまま言った。
「聞いたって何を?」
「お外は危険が一杯だって」
「危険?」
「ええ。爆弾が落ちてきたり、家が燃えたり、たくさん人が死んだり……。とてもわたしたちが生きて行けるようなところじゃないって」
キララの話にマリーは耳を疑った。
爆弾。
燃える街。
人が死ぬ。
何度も見ている夢と同じではないか。
「キララ、いったい誰がそんなことを言ったの?」
マリーが問い詰めると、また、キララの瞳が小刻みに揺れる。
「ねえ、キララ、お願い。教えて。いったい誰に聞いたの?」
「言えないわ」
「心配しなくても大丈夫よ。わたしは絶対に誰にも喋らないから」
マリーが促すと、キララは囁くように答えた。
「ペイジよ」
「ペイジ?」
マリーは思わず鸚鵡返しにした。
「あなた、ペイジと話すことができるの?」
マリーが訊ねると、キララは目をパチパチさせ、「ええ、話せるわ」と戸惑い気味に答えた。
キララがペイジと話せる。ペイジは特定の生徒としか言葉を通わせることができない。と言うことは、キララにもその能力があるということか。
いや、いまはそんなことはどうでもいい。
ペイジがキララに聞かせた話。
爆弾が落ちてくる。
街が燃えている。
人がたくさん死ぬ。
ペイジはいったい何を言っているのだ。
キララに何を吹き込んだのだ。
「ペイジがあなたにそんなことを言ったの?」
「ええ。あたしが中庭でモーリスが飛んでいるのを見てるとき、ペイジが教えてくれたの。あの塀の向こうには何があるのかしらってペイジに訊いたら、ペイジがそう言ったわ」
「ペイジが……」
マリーは呟く。
物置小屋で巨人と不潔な行為をしていたペイジ。
キララにおかしなことを吹き込むペイジ。
マリーはペイジのことがわからなくなる。自分たちと同じように学園に虐げられ、自分たちに力を貸してくれる、強くて優しい外国人女性ではなかったのか。
「ねえ、マリー」
マリーが思案していると、キララの声がした。
「どうしたの?」
「この話をキララから聞いたって、ペイジには言わないでね」
「どうして?」
「だって、キララはペイジとお約束したの。ペイジから、誰にも言わないでってお願いされて、キララは、誰にも言わないって約束したの。ふたりの秘密を喋ったことを知ったら、ペイジが悲しむわ」
キララは必死な様子で訴えた。
ペイジを問い詰めたい気持ちはあったけれど、秘密を打ち明けてくれたキララを裏切ったりはできない。
「大丈夫よ、約束するわ」とマリーは請け合った。
その言葉にキララは安心したようで、胸を押さえて、大きく息を吐いた。
窓の向こうでは強い風が吹いている。窓ガラスがカタカタ音を立て、揺れていた。まだ、昼間なのに、外は薄暗い。
嵐が近づいている。
誰かがそう言っていたのを、マリーは思い出した。




