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奔走

 マリーは打ちひしがれていた。

 キララが実験に使われる。

 それを知らせる天使のぬいぐるみをキララは受け取ってしまった。

 あのキララがいなくなってしまう。もう二度と会えなくなってしまう。この得体の知れない学園で、彼女だけが光だった。彼女だけが心の支えだった。無邪気で、可憐で、小鳥のようなキララ。そのキララが、ケンやリンダのように学園の手によって殺されようとしている。

 そんなこと受け入れられるはずがなかった。キララのいない世界など、星のない夜空に等しかった。

 マリーは中庭のベンチに腰かけ、このどうにならない状況をどうにかできないかと必死に考えていた。

 学園の秘密など、もはやどうでもよかった。ただ、キララを助ける方法はないか、それだけを考えた。

 クリスに相談したが、無駄だった。

 次の被験体がキララだと判明するや、マリーは急いでクリスのもとに走り、事情を説明し、彼女を助ける方法はないかと相談した。

 クリスの答えは冷酷なものだった。

 選ばれた生徒を助けるすべはない。と言うことは、キララを生かすためには、学園から逃げ出すしかない。しかし、自分たちは、まだ学園の謎を解いていない。仮に、このまま逃げ出したところで、外の人間に通報され、学園に連れ戻されるのがおちだ。それに、何も分からないまま逃げるにしたって、学園から脱出する方法も見つけていない。あの高い塀を乗り越えようとしたところで、ジョーでさえ失敗したのだ。キララにできるはずがない。

 それがクリスの言い分だった。つまりクリスはキララのことは諦めるしかないと考えているのだ。

 クリスの意見など到底受け入れられるものではなかった。

 キララを見捨てるなんてできるわけがない。

 と言って、クリスを説き伏せるだけの合理的な理由も見つからない。クリスが感情で動く人間ではないということは、これまでの付き合いから明らかだった。

 クリスがあてにならない以上、他の手を考えるしかない。

 外に出る方法。

 外部と連絡を取る方法。

 外の人に助けを求める方法。

 ずっと考えているのだが、その方法は見あたらない。

 こういうときマリーは自分は無力だと思い知らされる。幼く、弱く、ちっぽけな存在だと痛感させられる。

 マリーは自分を責めた。責めて楽になろうとしていることに気づき、さらに自分を軽蔑した。

 考えるも嫌になり、まるで糸の切れた操り人形のように力なく俯いた。

 何もない地面をぼんやり眺める。

 ずいぶん長い時間そうしていた。

 どこからともなくパタパタと羽音が聞こえてきた。

 羽音はマリーの隣で止まった。

 マリーはちらりとそちらを見た。

 丸くて小さな生き物がいた。

「モーリス」

 マリーは呟いた。

 青い鳥のモーリスは、マリーのことをじっと見つめ、ときどき小首を傾げたりしている。

「どうしたの、モーリス? お腹が空いたの? キララに会いに来たの? それともわたしを慰めに来てくれたの?」

 マリーは問いかけた。

 もちろん言葉が通じるはずもなく、モーリスは小動物特有のきびきびとした動きで、左右に首を向けたり、ちょんちょん飛び跳ねたりしている。

 その姿がキララと重なった。可愛く、純真で、みんなから愛される素敵な子。その子が、いま殺されそうになっている。ロイタースの犠牲になろうとしている。

 その事実を改めてつきつけられ、マリーの心は再びざわつきだした。

 それでいいのか?

 そんなことを許していいのか?

 そんなことがまかり通っていいのか?

 そう自分に問いかけると、全身の血がふつふつと沸き立ってくるのをマリーは感じた。

 許されるはずがない。

 まかり通るはずがない。

 いや、許してはいけない。まかり通してはいけないのだ。

 もうひとりの自分がそう答え、マリーの瞳に光が戻る。

 マリーは顔をあげた。

『REUTERUS』の銘板が目に入る。

 その文字を睨み付けながら、マリーは胸裏で呟く。

 わたしがやらなければ、他に誰がやるんだ。キララを守れるのはわたしだけなんだ。ここで項垂れていても何も変わらない。くよくよしていても何も始まらない。キララを助けるため、できることをやらなければ、この先、死ぬまで後悔することになる。

 呟き終わると、マリーは弾みをつけて立ち上がった。

 それと同時に、モーリスは、自分の役割は終わったと言わんばかりに飛び去ってしまった。

 マリーは、錆びついてしまったかのように重かった身体を、まっすぐに伸ばした。

 キララを殺させない。

 キララを守る。

 何があっても絶対にわたしが守る。

 そう誓い、マリーは大股で校舎に向かった。

 学習棟に入ると、廊下を早足で歩きながら考える。

 もう一回、クリスに話し彼の力を借りようか。いや、ダメだ。クリスは一度こうと決めたら、誰に何と言われようと、その考えを変えたりはしない。

 では、ジョーならどうか。ジョーはトミーを助けるため、グループを抜けた。彼の行動は、どちらかと言えば、いまのマリーに近い感情に突き動かされたものだ。

 彼の意見に反対し、クリスに与してしまった。その舌の根も乾かないうちに、助けを願い出るのは気が引けるが、そんなことを言っている場合ではない。キララの命がかかっているのだ。

 マリーはジョーの姿を探し、学園内を歩き回る。

 ジョーを見つけたのは、校舎内のどこを探しても見つからず、もう一度中庭に戻ったときだった。

 ジョーは、以前クリスと通った「裏道」から出てきた。

 ジョーはどこにいたのだ? 

 その疑問が湧いてきたが、いまはそれを考えている場合ではない。

「ジョー」

 マリーは声をかけた。

 ジョーが立ち止まった。しかし、マリーを一瞥すると、まるで視界に入っていないかのように、ぷいと顔を背けて歩き出した。

 ジョーがマリーを拒絶していることは明らかだった。

 それでもめげずに、マリーは彼のあとを追った。

「ジョー、お願い、力を貸してほしいの」

 マリーはジョーの腕を取る。

 ジョーはその手を邪険に振り払った。

「君と俺は、もう仲間じゃない。俺には、君に力を貸す余裕なんてない」

 冷たい口調でそう言い放つと、ジョーは再びすたすたと歩き出した。

「ジョー……」

 マリーは力なく呼びかけた。

 しかし、ジョーはマリーの声に一切耳を貸さず、校舎に向かって行く。

 こうなることも想定していたが、それにしても、ここまで袖にされるとさすがに悲しくなる。

 ジョーの力を借りることもできそうにない。彼がクリスとおなじくらい頑固なのは、百も承知だ。

 マリーは再び考えを巡らせる。

 クリスもだめ、ジョーもだめ、他に力を貸してくれる人間はいないか?

 しばし考え、マリーは顔を上げた。

 もう一人、力を貸してくれそうな人がいる。

 ペイジだ。

 彼女ならきっと自分に力を貸してくれる。彼女はこの学園の職員だ。学園のことをよくわかっているはずだ。もしかすると、学園から出る方法も知っているかもしれない。外部との連絡方法も知っているかもしれない。なぜ、そのことに思い至らなかったのだ。最初からペイジを頼ればよかったのだ。

 そう思い立つや、マリーは再び中庭に向かった。

 冷たい風が頬を切る。風が木々を揺らし、木の葉を舞いあげていた。

 マリーははやる気持ちを抑え、ペイジを探す。

 ペイジ、ペイジ、どこにいるの? と小さく呟きながら探していると、中庭の向こうに彼女の姿を見つけた

 だが、ペイジは一人ではなかった。

 隣に、巨体の職員がいる。ふたりは肩を並べて歩いている。彼らの向かう先は、自分たちが集会に使っている物置小屋のようだった。

 何か、嫌な感じがした。

 ペイジが自分たちの味方だと言っても、それは裏の顔であり、表向きは学園側の人間だ。職員と連れ立って歩いても、何もおかしくはない。

 だが、なぜ、そんなに親しげに身を寄せ合っているのだ。

 なぜ、人目を避けるように、こそこそ歩いているのだ。

 なぜ、人の来ない物置小屋に向かうのだ。

 マリーは咄嗟に植え込みの陰に身を隠した。咎められるようなことは何もしていない。隠れる必要なんてどこにもない。だが、ふたりに見つかってはいけないという直感のようなものが働いたのだ。

 予想通り、ふたりは物置小屋に入っていった。

 少し時間を置いてから、マリーはこっそり物置小屋に近づいた。何をするつもりなのか、マリー自身よくわかっていなかった。身体が勝手に動いたという感じだった。

 物置小屋は古い建物だ。長い年月の間に木製の扉は収縮し、つなぎ目から中を覗き見ることができる。

 マリーは扉の隙間に顔を近づけ、中の様子を窺う。

 正面に男性職員が直立していた。目を瞑って、天を仰ぎ見ている。ズボンが踝のあたりまで下ろされている。つまり、巨人は下半身に何も纏っていない状態だった。

 ペイジはかがみ込んで、巨人の下腹部辺りに顔を据え、激しく前後に動かしている。

 時折、巨人がうめき声を上げる。

 何をしているの、ペイジ?

 マリーは無言で問いかける。

 マリーにはペイジと巨人が何をしているか見当もつかなかった。ただ、ふたりの大人が、人目につかない場所で、醜悪な行為をしていることだけはわかった。マリーには、その行為が何かおぞましい儀式のように映った。

 やがて巨人は、「うおっ」と太いうめき声を発し、大きな身体を痙攣させた。

 それに驚いたマリーは「ひっ」と悲鳴を上げて、尻餅をついてしまった。

 扉の向こうが静かになった。

 気づかれた。

 そう思ったマリーは急いで立ち上がり、駆け足で物置小屋を離れた。

 途中で振り返ると、小屋の前で立つペイジの姿が目に入った。手の甲で口もとを拭うその姿は、マリーの知っているペイジではなかった。生徒を家畜のように扱い、力で支配する職員たちとおなじ、冷酷で残忍な「大人」の姿だった。

 この学園に味方はいない。

 誰も信じてはいけない。

 信じられるのは自分だけだ。

 マリーは走った。

 背後から、褐色の大きな人影が迫ってくるように感じ、無我夢中で逃げた。

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