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さらにその先の部屋

 マリーは壁に向かって歩き出した。

 クリスとジョーもついてくる。

 壁の前まで来ると、マリーは壁に目を凝らした。

「ここに扉があるわ」

 四角い光の筋が、マリーには扉の輪郭に見えた。

「扉? 壁にしか見えないぞ」

 ジョーが言う。

「いいえ、確かよ」

「どこだ?」

 ジョーが壁に手を触れた。

「ここよ」 

「ここ?」

 ジョーは、マリーの示した場所に手を這わせると、「あ、ここに取っ手がある」と声を上げた。

「本当か?」

 クリスが訊く。

「ああ」と答え、ジョーは壁を押した。

 すると、壁の一部が開き、地下に続く階段が現れた。

「こんなところに階段がある」ジョーはマリーのほうを振り返り、「よくわかったな、マリー」と感心するというよりは、驚きの声で言った。

「ぼんやりと光が見えたの」

 マリーは答えた。リンダの声のことは黙っておいた。

「下りてみよう」

 手品でも見せられたかのように呆気にとられているマリーとジョーをよそに、クリスが落ち着いた声で言った。

「三人で行くのはまずくないか? トミーから緊急の連絡があったときどうするんだ?」

 ジョーが進言する。

「確かにそうだな」

 クリスは束の間考え、やがて「それじゃ、ジョー、君はこの部屋で待っておいてくれ。地下には僕とマリーで行く」と言った。

 ジョーが何か言いたそうに顔を顰める。

「マリーひとりをこっちに残していくわけにはいかないだろう」

 クリスが続けて言うと、ジョーは鼻からゆっくり息を出た。

「わかったよ。じゃ、お前たちふたりで見てきてくれ。俺はここに残る」

「頼む」

 クリスはジョーにそう言い、マリーのほうを見た。

「来てくれるね、マリー」

 地下へと続く階段。怪しすぎる。この先に、学園の秘密が眠っているに違いない。それをこの目で確かめたい。

 それだけじゃない。また、聞こえてきたリンダの声。今度こそ、その声から逃げてはならない。

「わかったわ」

 マリーは答えた。

「それじゃ、見張りを頼む」

 ジョーにそう言って、クリスが階段を降りた。

「行ってくるわね、ジョー」

 マリーもジョーに声をかけ、クリスに続いた。

 不気味な階段ではあるが、どういうわけか明かりが灯っていて、降りるのに苦労はなかった。

 数段で地下の通路に出た。細長い通路が数メートル続いていて、その先にぼんやりとした明かりが見える。

 湿った空気がまとわり付いてくる。実験室の空気とは異なり、外の夜気が混じっているようだ。

 クリスは臆する様子もなくぐんぐんと先に進む。

 マリーのほうは、一歩足を前に出すたびに、神経が張り詰めていった。

 ついにこの学園の秘密が露わになるときが来た。

 何人もの生徒の命を奪ったこの学園の真の姿に迫ろうとしているのだ。

 否が応でも緊張する。

 心臓が激しく鼓動し、胸が痛いほどだ。

 マリーはポケットに手を入れ、お守り代わりに持ってきたモーリスの羽を取り出すと、そっと握りしめた。

 細い廊下の先に、狭い部屋があった。

 コンクリートの壁に四方を囲まれ、数台のベッドが並んでいる。そのうちのふたつのベッドの傍らには蝋燭が灯されている。この部屋からもれる光がぼんやりしていたのは、それが蝋燭の火だったからのようだ。

 そして、蝋燭の灯るベッドには人が寝ていた。

 マリーとクリスは、示し合わせたかのふたつのベッドに向かう。

 マリーは手前のベッドを覗き込む。

 リンダだった。 

 ミイラのように痩せ細ったリンダがそこに横たわっていた。

 マリーは膝から力が抜けて、倒れそうなった。咄嗟にベッドのパイプを掴み、転倒はまぬがれたが、その拍子に、握っていたモーリスの羽を手放してしまった。羽は、ふわふわと舞うように床に落ちた。かと思うと、まるで生きているかのように再び舞い上がり、ベッドを越え、通路のほうに飛んでいった。その異様な動きにマリーは一瞬気を取られたが、すぐに目の前のリンダに意識を戻した。

 皮膚にはまるで水気はなく、しわだらけになっている。まるでミイラのようだ。恐らく実験に使われこんな姿になってしまったのだろう。もしクリスの計画がうまく行かなかったら、もしあの天使の人形が部屋に置かれたら、いずれ、自分もこうなるのだ。

 痛ましいリンダの姿と、未来の自分の姿が重なり、マリーは背筋が冷たくなった。

「マリー」

 クリスの声が聞こえてきて、マリーはそちらに顔を向けた。

 クリスは、蝋燭の灯るもうひとつのベッドの側にいた。

 クリスのもとに向かい、彼と並んで、ベッドを見下ろす。

 ケンだ。

 ケンの方はリンダと違い、見た目には、最後に会ったときとさほど変わっていない。

 が、リンダ同様、息はしていない。

「ふたりは何をされたの、クリス?」

 マリーはクリスの腕を取って訊ねた。

「わからない」

 そう答えるクリスの声もさすがに緊張している。

 リンダとケンが死んでいる。生活を共にした学園の仲間が、遺体になっている。実験に使われ、命を奪われ、変わり果てた姿で目の前に横たわっている。その恐ろしい現実を目の当たりにし、マリーもクリスも、言葉を発することができなかった。

「クリス、マリー」

 ふたりが呆然と立ち尽くしていると、そう呼ぶ声が聞こえて来た。その声に、ふたり揃って振り返った。

 部屋の入り口に血相を変えたジョーが立っていた。

「巡回が来た」

 ジョーが告げた。

「何だって? 次の巡回まではまだ時間はあるはずだ」

 クリスが珍しく慌てふためいた声で言った。

「そんなことは知らない。とにかく、巡回が近くまで来てるんだ。今すぐ逃げるんだ。早く来い」

 ジョーは切羽詰まった声でそう告げ、マリーとクリスも危機が迫っていることを察した。

 ジョーが先に実験室へ戻り、ふたりも急いで通路に向かった。

 部屋を出る前、マリーはリンダの横たわるベッドのそばに落ちていたモーリスの羽を拾い上げた。こんなところに物証を残していくわけにはいかないという咄嗟の判断もあったが、それ以上に、この羽に何か重大な意味があるように思えたのだ。

 地下室を出て、階段をのぼり、実験室に戻る。

 ジョーの言ったとおり、扉の窓の向こうに懐中電灯の光が揺らめいている。

 クリスの話と違う。猶予は二時間あるはずだ。十二時の巡回が終わってから、まだ一時間も経っていない。もしかすると、何か予定が狂ったのかもしれない。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。見つかったら殺される。この学園は本当に生徒を殺す。そのことはいま地下の部屋で確かめてきたばかりだ。

 トミーはどうしたのだろう。巡回が来たら報らせる手はずになっていた。怖くなって逃げたのか。それとも、すでに職員に捕らえられたか。いや、それもいま考えても仕方のないことだ。

 巡回の足音は、ゆっくり、しかし確実にこの部屋に近づいてくる。

「隠れろ」

 そう合図して、クリスは前回とおなじように机の下に潜り込んだ。ジョーもそれにならい、そばの机の下に入った。

 マリーも身を隠せそうな机を探す。近くにちょうどよさそうな机があったので、そこへ急ぐ。

 その途中、マリーは気づいた。

 地下に続く扉が開いたままになっている。あの扉を開けっ放しにしておいては、いくら自分たちが上手く隠れようとも、巡回の職員はすぐに侵入者の存在に気づくだろう。

 考えるより先に、身体が動いた。

 急いで階段に向かった。マリーは焦っていた。その焦りが、普段のマリーなら決して犯さない失態を招いた。床に転がっていた瓶を踏み、足を取られて尻餅をついてしまった。

 誰もいないはずの実験室に、騒々しい物音が響き渡った。

「誰かいるのか!」

 巡回の職員の怒鳴り声が聞こえてきた。

 あの巨体の職員だ。

 足音が、駆け足に変わって近づいてくる。

「マリー、早く来るんだ」

「マリー」

 クリスとジョーが口だけ動かし、激しく手招きする。が、マリーは起き上がることができない。まだ、地下に続く扉も閉めていない。なのに、身体が動かない。

 巨人が実験室のドアノブに手をかけたのだろう。ガチャガチャとノブを回す金属音が聞こえてくる。

 もうダメだ。

 マリーがそう思って強く目を閉じたとき、「うわあああああああ」と廊下から別の声が聞こえてきた。

 トミーだ。

 トミーが大声を出して巨人の注意を引こうとしているらしい。トミーは大声を上げ実験室から離れていった。

「待て!」

 巨人が怒鳴り、足音がトミーを追って遠ざかっていく。

「今のうちだ」

 クリスが机の下から飛び出し、マリーの手を取り立ち上がらせた。

「早く行くぞ」

 クリスより先に机から出ていたジョーが扉の前でふたりを急き立てる。

 クリスに手を引かれ、マリーも出入り口に向かう。

 三人は実験室を出た。

 廊下の向こうではまだトミーの叫び声が聞こえる。トミーは巨人を引きつけて、二階まで逃げて行ったようだった。

「早く、逃げよう」

 クリスが言う。

「でも、トミーは?」

「彼は囮になってくれんたんだ。彼の犠牲を無駄にするな」

 クリスがきつい口調で言った。

 ジョーは既に学習棟の通用口に向かって駆け出している。

 クリスもジョーに続く。

 ふいにトミーの笑顔がよみがえる。はにかむようなトミーの笑顔。最後の最後に見せてくれた笑顔。

 ごめんね、トミー。

 マリーは、心の中でトミーに謝り、ふたりを追った。

 三人は廊下を駆け抜ける。

 通用口まで来ると、ジョーを先頭に学習棟を出た。

 そのまま、誰もいない中庭を突っ切り、三人は闇に紛れた。

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