潜入開始
クリスのかけ声を合図に潜入計画が始まった。
ケンが欠けるという想定外の出来事が起こってしまったが、ついにこのロイタースの、この恐ろしい学園の真実に迫るときがきたのだ。
四人は、クリスを先頭に、中腰の体勢で学習棟に向かった。
月のない夜は、想像以上に暗かった。
闇の中を進んでいると、マリーはいままさに自分が真実に向かって突き進んでいるのだと思った。
やがて四人は学習棟の入り口にたどり着いた。
そこで、クリスが、「トミー」と呼びかけた。
呼ばれたトミーは前に歩み出て、クリスに目配せし、ポケットから何かを取り出した。
トミーの手には鍵が握られている。
クリスが言っていた「鍵の用意」とは、このことだったらしい。
トミーが鍵穴に差し込み手首を捻ると、扉の鍵はあっけなく開いた。
「その鍵はどこで手に入れたの?」
思わずマリーは訊いてしまう。
「ぼ、僕が作った。ぼ、僕は、鍵穴の形から鍵を複製できるんだ」
トミーはさらりと答えた。
「すごいわ」とマリーは感嘆の声をあげる。
「こ、これが僕の特技なんだ」
普段控えめなトミーにしては珍しく、誇らしげにそう言って、自作の鍵をマリーに見せた。
プラスチック製の鍵だ。
「ネームカードを使ったのね」
「う、うん」
とトミーが頷いたところで、横からクリスが「その話はまた今度だ」とたしなめた。
「そ、そうだね」
トミーが一歩退き、代わりにクリスが一歩進み出る。
クリスはドアノブに手をかけ、そっと扉を開けた。わずかな隙間から顔だけ入れ、左右を確認する。危険はないと判断したようで、顔を戻すと、後ろの三人に向かって「大丈夫そうだ」と囁いた。
それから、身体が通れるぶんだけ扉を開け、最初に学習棟に入った。
ジョー、トミー、マリーの順でクリスに続いた。
学習棟の中も生活棟と同じようにひっそりしている。そして、足元も見えないほどに暗い。
四人は、職員室のさらに奥、学習棟の深部にある実験室を目指して進んだ。
暗く長い廊下を身をかがめて歩いていると、マリーは妙な感覚に囚われた。
この暗い廊下はどこまでも続いている。
この先に実験室もなければ、出口もない。
行き止まりでもない。
細く暗い通路が永遠に続いている……
そんな錯覚に自分を見失いそうになったとき、前方にぼんやりとした光が見えてきた。
実験室のドアのガラスから漏れる光だ。
ついに学園の核心の到達した。ここに学園のすべてが隠されているのだ。
実験室の前に立つと、再びトミーが進み出た。
「じ、実験室の鍵も作った。き、君がクリスと鉢合わせした、あの日、クリスが型を取ってきてくれた」
トミーはポケットから鍵を取り出し、そう説明した。
「さあ、トミー、早く」
クリスに急かされ、トミーは鍵穴に鍵を差し込む。
実験室の鍵も問題なく開いた。
トミーの特技にマリーは目を見張った。どこか頼りないところのあるトミーにこんな特技があるとは思いもしなかった。彼がいなければ、研究室への侵入は不可能だったし、真実にたどり着くこともできなかった。
マリーはあらためてこの吃音症の少年に尊敬の念を抱いた。
「それじゃ、トミー。ここで見張りを頼む。本来ケンが受け持つはずだった学習棟の入り口のほうも忘れずにね」
クリスがそう指示すると、トミーは緊張に顔をこわばらせながら、「うん」と頷いた。
「じゃ、ジョー、マリー、僕たちは中に入ろう」
次に、マリーとジョーに向かって言い、クリスが最初に実験室に入った。
ジョーは無言のままクリスに続いた。
「マ、マリー」
実験室に入ろうとしたところで、トミーが呼び止めた。
「どうしたの?」
マリーは振り返った。
「き、きみにお願いがあるんだ」
「お願い?」
「ああ。こ、このふたつの鍵を君に預かっておいてほしいんだ」
トミーは突然そう言って、鍵を差し出した。
「なぜ、わたしに? それはあなたが作った、大切な鍵でしょう」
「き、君に持っておいてほしいん」
「だけど……」
「ぼ、僕にもよくわからないんだけど、この鍵は君が持っているべきだ。そ、そんな気がするんだ」
トミーが言った。
なぜトミーが鍵を自分に預けようとしているのか、そして、こんな重要な道具を自分が持っていてもいいのか、その答えが見つからずマリーが逡巡していると、「マリー、早く」と実験室の中からクリスが呼んだ。
「さ、さあ」
トミーがさらに勧めた。
彼の意図は不明だが、ともかく彼の意思を尊重し、マリーは「わかったわ」と鍵を受け取った。
「き、気をつけるんだよ、マリー」
鍵を手渡したあと、トミーが優しい声で言った。
「ありがとう、トミー。あなたも気をつけてね」
マリーが返すと、トミーはぎこちない笑みを浮かべた。初めて見る彼の笑顔だ。ずっと自分に対してどこか壁を作っていたトミーが、ようやく心を開いてくれた。ここにきて、やっと彼とわかり合えた。そんな気がして、マリーは危険な状況にもかかわらず、とびきりの笑顔を返した。
そして、ふたりは、絶対に成功させる、という思いを込めて頷き合い、それぞれの役目に戻った。
マリーのほうは実験室に足を踏み入れた。
中の様子は、以前迷い込んだときと、さほど変わっていない。部屋の中央に無機質なベッドが据えられ、それを取り囲むように奇怪な装置が並んでいる。深夜でも電源は入ったままのようで、幾つかのモニターやランプが怪しく点滅している。規則的な電子音も絶え間なく鳴り続けている。
三人は、まず中央のベッドとも呼べない寝台に向かう。
中庭でクリスが言ったように、行方不明になったばかりのケンがいるかもしれないと考えたからだ。
その可能性に賭けて強引に計画を遂行したわけだが、期待に反し、寝台の上には誰もいなかった。
リンダの姿もない。
三人は顔を見合わせ、音をたてずにため息を吐いた。
「仕方がない。トミーにはあとで伝えよう」
クリスが言った。
「何て言うんつもりだよ」
ジョーが突っかかる。
「ありのままを伝えるしかない」
「ここにケンがいるって、お前が言ったから、強行したんだろう」
「かもしれない、と言っただけで、いる、と断言したわけではない」
「誤魔化すなよ」
「誤魔化してないていないよ」
クリスが言い返すと、ふたりの間に緊張が走り、マリーははらはらする。
「ふたりとも落ち着いて」
「俺は落ち着いている」
「僕だってそうだ」
ふたりはマリーにそう返すと、再び向き合った。
「とにかく、ケンのことはいったん置いておいて、調査を始めよう。時間がないんだ」
クリスが取りなすように言うと、ジョーはふんと鼻を鳴らした。
「わかってるよ。ここまで来たのなら調査くらいはちゃんとやり遂げなきゃな。そうしないと、ケンが浮かばれない」
ジョーはぶっきら棒に言い返した。
「調査っていったい何をすればいいの?」
ふたりの間に緊張が走り、それを紛らわせるためにも、マリーは訊ねた。
「この学園で何が行われているか、その手がかりになるようなものを見つけてほしい」
クリスの漠然とした答えに、マリーは途惑う。
「どういうことかしら?」
「君が変だと思ったもの、おかしいと感じたもの、それをよく調べて欲しい。大丈夫。僕は君の直感に期待しているんだ」
クリスは言い加えたが、やはりマリーにはよくわからない。が、これ以上、クリスを煩わせて時間を無駄にするわけにもいかないので、マリーはとりあえず「わかったわ」と答えた。
「じゃ、僕はこっちのほうを調べる」
「俺はこっちを見てみる」
クリスとジョーは二手にわかれ、それぞれ実験室内の機械やロッカーを調べ始めた。
残されたマリーも、ともかく自分なりに調査を始めることにした。
まずは近くのテーブルの上にある薬品の詰まった瓶を手に取る。
ラベルには『Donepezil』と記されている。
「ドネ……ペ……」
頭の中で読もうとしたが、正確な読み方もわからない。
途中で諦め、マリーは薬瓶をテーブルに戻した。
次に、その隣に置いてある小さな器具に手を伸ばす。小さなパネルに数字が浮かんでいる。もちろん、これが何に使う器具なのか、わかるはずもない。側面にスイッチがあり、何気なく触れると、急に機械音が鳴り出した。
マリーは慌ててスイッチを切った。
クリスとジョーが驚いた様子で振り返る。マリーは首を振って、何でもないと合図した。
ふたりは吃驚させないでくれ、と言わんばかりに肩を落とし、作業に戻った。
マリーは胸に手を当て気持ちを静めてから、もう一度室内を見回す。
おかしな部屋だと思う。
何を目的としている場所なのか、見当もつかない。
本当にここは実験室なのだろうか?
ふいにそんな疑問がよぎる。
自分たちは当然のようにここを実験室だと思い込んでいるが、その認識は正しいのだろうか? もしかすると、機械類やベッド、それに薬品類をそれらしく並べ、実験室のように見せかけているだけなのではないか? 本当は何か別の目的があるのではないか? 自分たちは何か大きな勘違いをしているのではないか?
そんな考えに囚われていると、「うわっ」とジョーの短い声が聞こえてきて、マリーははっとした。
「どうした?」
先にクリスがジョーに歩み寄った。
マリーもふたりの元に移動する。
ジョーは、天井まで届きそうな高い棚を見上げている。
棚には、上から下まで、どの段にも白い粉の詰まった瓶がずらりと並んでいる。
「何なんだこれは」
ジョーが驚愕の声で言った。
「薬……?」
マリーは呟く。
「わからない。だが、この量は尋常じゃない」
ジョーは瓶をひとつ手に取った。
ラベルには、『Dulzin』とある。
「これが何だかわかるか、クリス?」
ジョーがラベルをクリスに見せた。
「さあね」
クリスは首を振った。
「お前でもわからないことがあるんだな」
ジョーが皮肉っぽく言うと、「もちろん」とクリスが肩をすくめた。
クリスにいなされ、ジョーは面白くなさそうに片眉を持ち上げ、瓶の蓋を開けた。それから、瓶に鼻を近づけ、においを嗅ぐ。
「どう?」
マリーはクリスの顔をのぞき込んで訊ねた。
「においはしないな」
ジョーはそう答えると、今度は瓶の中に指を突っ込んだ。
「何をする気なの?」
そう訊くマリーの言葉に耳を貸さず、ジョーは指先についた薬品をぺろりと舐めた。
「ジョー」
マリーは思わず声を上げた。
しかし、ジョーは平気な様子で、薬品を味わうように口をもごもごさせている。
「大丈夫?」
マリーが恐る恐る訊くと、ジョーは「甘い。すごく甘い」とけろりと言ってのけた。
「毒物の類いではなさそうだな」
クリスは冷静に言う。冷静過ぎて怖いくらいだ。
「ああ。重要な手がかりだと思ったんだけどな」
ジョーが残念がった。
「だけど、この量は普通じゃない。もしかしたら、実験に使う薬品なのかもしれない。でも、僕らは科学者ではない。薬のことまではわからない。その薬品は元に戻して、他を当たろう」
クリスが指図すると、ジョーは不満げに「ああ、そうだな」と答えて、薬を棚に戻した。
「で、お前のほうは何か見つけたのか?」
ジョーがどこか挑むように調子で訊く。
「うん。ちょっと気になるものがあった」クリスはそう答えると、小脇に挟んでいたファイルを差し出した。「あっちの棚で見つけたんだ」
「これは?」
マリーが訊ねる。
「どうやら生徒たちの個人データらしいんだが、ちょっと変なんだ」
「変って?」
「個人データにしては情報が多すぎる。これを見てごらん」
クリスがファイルの適当なページを開いてふたりに見せた。
「名前、出身地、年齢、入所日、血液型、まあ、このあたりまでならまだわかるんだけど、目の色、髪の色、病歴、両親の誕生日、僕たちを産んだときの年齢……他にもよくわからない数値がたくさん記載されている。HDS―R、MMSE、それにCANDy……キャンディと読むのだろうか、これはいったいなんのことだろう」
クリスは独り言のようにつぶやく。
「これはもしかすると、俺たちの特異体質にかかわるものか?」
ジョーが訊く。
「あるいは、ね」
「ということは、その記号の意味がわかれば、俺たちの体質のこともわかるかもしれないないってわけだ」
「うん。そこから実験の内容も見えてくるかもしれない」
「なら、そっちのほうはお前に任せるよ。俺は、記号だの暗号だのは苦手だ」
「わかった」
クリスが答えて、再びファイルを小脇に挟んだ。
「じゃあ、俺はもう一回、あっちのほうを見てくる」
ジョーがそう言って歩き出す。
「ええ」と答え、マリーも元の場所に戻ろうと一歩踏み出したところで、気になるものが目に入った。
「これは」
マリーは呟いた。
「どうした?」
クリスが振り返る。
ジョーも戻ってきた。
マリーの足元に転がっていたのは、ぬいぐるみだ。背中に羽が生え、頭には黄色い輪が載っている。天使のぬいぐるみだ。
床のぬいぐるみに気づいたジョーが拾い上げた。
「何でこんなところにぬいぐるみがあるんだ」
「わたし、このぬいぐるみを見たことがあるわ」
マリーは、ジョーの手の中のぬいぐるみを見つめたまま言った。
「見たって、同じぬいぐるみをかい?」
クリスが訊く。
「ええ」
「どこで見たんだい?」
「リンダの部屋よ。わたしが彼女の部屋に忍び込んだとき、これと同じものがリンダの部屋にあった」
「じゃあ、リンダの部屋にあったぬいぐるみが、ここに持ち込まれたってことかい?」
「いいえ、そうではないわ。リンダの部屋にあったぬいぐるみは、羽の部分が取れていたの。だから、かたちは同じだけど同一のものではないわ」
「これと同じ型のぬいぐるみが、リンダの部屋にもあったってことか……」
「ええ」
「ちょっと待ってくれ」
ジョーが割って入る。
マリーとクリスは同時にジョーを見る。
「思い出したよ。俺もこれと同じものを見たことがある」
「あなたも?」
「ああ。しかもつい最近だ」
「あなたはいったいどこで見たの?」
「ケンの部屋だ」
「ケンの部屋?」
「見まちがいじゃないのかい、ジョー」
クリスが訊く。
「いやそんなことはない。『お前、ぬいぐるみなんて持ってるのか』ってケンの奴をからかったんだ」
ジョーは表情を硬くしたまま話を続けた。
「そうしたら、ケンがむきになって、こう言い返した。『俺のじゃない。知らないあいだに誰かが置いたんだ』って」
マリーは思い出す。リンダの部屋でこのぬいぐるみを見たときの違和感。この可愛らしい天使のぬいぐるみだけが、リンダの部屋で異質だった。場違いだった。
「リンダとケンの部屋にこのぬいぐるみが置かれていた」クリスがまとめるように話し出した。「そして、リンダとケンは行方不明になった。ケンは知らない間に置かれていたと言った。さらに、それとおなじぬいぐるみがこの部屋にもあった……ここから導き出される結論は?」
「しるし、ね」
マリーが言った。
「うん。これはしるしなんだ。次に選ばれた生徒の部屋にこのぬいぐるみが置かれる。職員たちの間で情報を共有するためか、あるいは、特定の誰かに知らせるためか……」
「わざわざ天使のぬいぐるみなんて使いやがって、気分が悪いぜ」
ジョー悪態をつき、ぬいぐるみを力一杯握り締める。天使の笑顔が醜くゆがむ。
「全くだ」とクリスが同意する。
「早くこのくそったれな学園の悪事を暴いてやろうぜ」
「ああ、そうしよう」
「じゃあ、さっさと再開しようぜ。絶対に何か見つけてやる」
ジョーが息巻き、調査に戻る。
「よし、僕も、もういちどそこの棚を調べよう」とクリスも続いた。
ふたりが持ち場に戻ろうと歩き出したそのときだった。
「……こ……ち……よ」
クリスとジョー、そのどちらでもないか細い声がマリーの耳に入った。
マリーはじっと耳に意識を集中する。
「こっちよ……マリー……」
聞き覚えのある声。
以前、マリーをここに呼び込んだ、あの声。
リンダの声だ。
「どうした、マリー?」
佇むマリーに気づいたジョーが声をかける。クリスも立ち止まって振り返った。
ふたりにかまわず、マリーは声のするほうに視線を向ける。
前方の壁に、かすかに四角い光の筋が浮かんでいた。
「クリス、ジョー、あそこ」
マリーは光のほうを指差す。
クリスとジョーがマリーの指差すほうを見る。
「あそこ?」とジョーが訊く。どうやら、ジョーには光が見えていないらしい。
「あそこに何かあるわ」




