奇妙なこと
「なるほど」
クリスが感心した。だが、マリーの期待していたような反応ではなかった。
と言うことは……
「あなたたちもう気づいていたの?」
マリーが三人に問いかけると、三人は気まずそうな笑みを浮かべた。
「君を試すようなことをして悪かったね」
クリスが言った。
「いや、まあ、俺が気づいたわけじゃないけどな」とケンもばつが悪そうに言った。
「そうだったの」
マリーは肩を落とした。
「だけど、鏡のことにこんな短時間で気づいたのは君が初めてだよ。やはり僕の目に狂いはなかった」
クリスが、落胆するマリーを慰めるように言った。
「そうだよ、マリー。俺なんて、クリスに言われるまで全然、気づかなかったからな」
ケンも続く。
「う、うん。た、確かにクリスの言うとおり、彼女は役に立つかもしれない」
マリーに対して否定的だったトミーまで、彼女を認めるような発言をした。
三人の言葉に、マリーは少しだけ自信を取り戻す。
「ありがとう。そう言って貰えると、頑張った甲斐があったわ」
笑みを作って答えた。
最初の発見者でなかったことにはがっかりしたが、考えてみれば、彼らは自分よりずっと以から学園のことを調査しているのだ。鏡のことに気づいていたとしても、おかしくはない。
それよりも、クリスに感心され、ケンとトミーに褒められたことが嬉しかった。彼らと情報を共有できたことが嬉しかった。これで、ようやく自分も仲間として迎え入れられたような気がしたのだ。
「だけど、なぜ、鏡やガラス、生徒の姿が映るものをかくしているのかしら」
マリーは誰となしに訊ねた。
「それがわからないんだ。僕たちもずっと考えているんだが、まだ答えは見つかっていない」
クリスが答えた。
「それにおかしいわ。だって、わたし、手鏡を持っているもの」
マリーはここに入園したとき、小さな手鏡を持ち込んだ。そして、その手鏡はいまもマリーの部屋にある。職員に取り上げられたり、持っていることを咎められたりもしていない。
「た、単純に物を映すものを排除している、というわけではないということか」
トミーが言った。
「大きさに関係しているのかしら?」
「確かに大きさによって、映る範囲も変わる」
「全身が映るものを禁じているってことかしら?」
「さあな、もしかしたら、鏡なんて学園の秘密とは何の関係もないのかもな」
ケンは頭の後ろで手を組み、投げやりに言った。
「いや、そんなことはないと思う」
クリスがすぐに否定した。
マリーも同感だった。
「鏡がないなんてやはり異常だと思うわ」
「マリーの言うとおりだ。それに、鏡というものを侮ってはいけない。鏡には大きな力が秘められているんだ」
「大きな力?」
マリーは訊く。
「そうだ。鏡は古来より神秘的な力を持つと考えられてきたし、近年でも、鏡を使った恐ろしい実験が行われたという記録が残っている。君たちはゲシュタルト崩壊って言葉を知っているかい?」
クリスが訊ねる。
「いいえ」とマリーは首を振る。
「それじゃ、僕に少しだけ時間をくれるかい」
クリスは了解を求め、咳払いをひとつしてから話し出した。
「ゲシュタルトというのは構造という意味なんだ。だから、ゲシュタルト崩壊とは、言葉通りに解釈すれば、構造の崩壊ということになる。たとえば、君たちもこんな経験があるはずだ。ずっとおなじ単語を書き続けていると、だんだんその単語の意味がわからなくなる。これがゲシュタルト崩壊だ。まあ、この程度なら大した問題にはならない。けれど、人格をゲシュタルト崩壊させると、とんでもないことになる。かつて、強制的に、人にゲシュタルト崩壊を起こさせようとした科学者がいた。彼は、被験者を鏡に向かわせ、延々と『お前は誰だ?』と問わせ続けたんだ。何時間も、何日も、何ヶ月もね。そして、被験者にゲシュタルト崩壊が起きた。人格が崩壊してしまったんだ。被験者は自分が誰で、自分が何者か、わからなくなってしまった。この実験は、人を洗脳しコントロールするために行われたものだと言われている。人格を破壊された人間に新たな人格を植えつけ、コントロールしようとしたんだ。
もちろん、これは鏡を使った実験だから、この学園に鏡がない、という異常事態とは関係ないかもしれない。だが、鏡というものは僕たちが考えている以上に危険な道具なんだ。力を持った道具なんだよ。それが、この学園にない、というのはやはりおかしい。きっと何か理由があるんだ。この学園の秘密に繋がる、何か、がね」
話し終わると、クリスは三人の顔を見渡す。
「そうよ。鏡がない。自分が映る物がない。やはり、それはどう考えても不自然よ。不自然なところには意味がある。必ず何か意味が隠されているのよ」
マリーはクリスの話を受けて、そう強く言った。
「そうだな」
「う、うん。な、何か意味があるんだと思う」
他のふたりも頷いた。
そのとき、小屋の扉がコンコンとノックされた。
「まずい」
クリスが立ち上がった。
「どうしたの?」
「もうすぐ見回りが来る」
それを表に立つペイジが教えてくれたらしかった。その言葉に、マリーたちも素早く立ち上がった。
「よし、今日の集会はここまでだ。明日からも調査を続けてくれ。次の集会の日はまた本で知らせる」
クリスの言葉に、
「わかったわ」
「じゃあ、また次回」
「こ、今度こそ何かを見つけるよ」
とマリー、ケン、トミーが応じ、四人は小屋を出た。
小屋を出ると、学園の人間に妙な勘ぐりをされないよう、ばらばらに校舎に戻る手はずになっていた。
小屋を離れる前、マリーは後ろを振り返った。
ペイジが、まるで公園で遊ぶ子供を見守る母親のように、じっとこちらを見ている。
マリーとペイジの視線が交わる。
『ペイジ』
マリーが心の中で呼びかける、ペイジがゆっくり右手を上げ、左右に振った。
通じた。
これがクリスの言っていた、心の言葉なのだろうか。
わからない。
わからないけれど、たしかにペイジは応えてくれた。
マリーは嬉しくなり、小さく手を振り返して、物置小屋をあとにした。
仲間と別れると、マリーは中庭を歩きながら、初めての集会のことを振り返った。
それぞれが見つけた情報を持ち寄り、皆で議論し、新たな手がかりへとつなげていく。今日は大きな進展はなかったけれど、少しずつ前に進んでいる、そんな実感があった。こうして情報を出し合い、それらをつなぎ合わせ、知恵を絞って考え続けていれば、いずれ学園の秘密に到達するはずだ。
そう思うと、マリーは本当に難事件を追う探偵にでもなったような気分で、愉快だった。思わず、微笑みそうになったが、マリーは自制した。これはあそびではない。命に関わる任務なのだ。楽しんでいる余裕などない。
そう言い聞かせるのだが、その思いとは裏腹に、こみ上げる笑みをおさえるのは難しかった。
「マリー」
校舎に戻り、とりあえずレクリエーションルームに行こうと廊下を歩いていたら、背後から声をかけられた。
振り返ると、キララが駆け寄ってくる。
「探していたのよ、マリー」
「探していたって、どうして?」
マリーは訊ねた。
「ひどいわ、マリー。ふたりでモーリスに会いに行くって約束していたじゃない」
キララは悲しそうな声で言った。
マリーはその約束のことはすっかり忘れいていた。いや、忘れていたというより、そんな約束をした覚えはなかった。
「そうだったかしら……」
マリーは戸惑いながら訊き返す。
「したわよ。マリーは、わたしとの約束なんてどうでもいいのね」
キララが責めるように言って、ぷいと横を向いた。
キララとの約束を破った覚えはない。けれど、これ以上、キララの機嫌を損ねるようなことはしたくはない。
「そんなことないわ、キララ。あなたとの約束がどうでもいいなんて、そんなことあるはずないわ」とマリーは必死に弁解した。
「嘘ばっかり。マリーったら、このごろ全然キララに構ってくれないじゃない」
「そんなことないわよ」
「あなた、キララに隠れて何かしているの?」
キララが急に疑うような目つきになってそう言い、マリーは背中がぞくりとした。キララが別人になってしまったかのように見えたのだ。
「な、何を言っているの、キララ? わたしがキララに隠しごとなんてするわけがないじゃない」
マリーは咄嗟の嘘をついた。が、うまくごまかせたかどうかわからない。
キララは「ほんとうに?」と目を細くして、訝しげに見つめる。
「もちろんよ」
「マリー、キララに嘘をついちゃだめよ。キララはどんな嘘だって、すぐに見抜けるんだから」
キララが脅すように言い、マリーはたじろぐ。こんなキララを見るのは初めてで、どう返せばいいのかわからない。
「本当よ、嘘なんて言っていないわ……」
マリーは叱られた子供のように、しどろもどろに答えた。
キララがじっとマリーの顔を見つめている。まるでマリーの心の奥底を探るように。
「信じて、キララ」
マリーは無理やり口の端を持ち上げた。
「わかったわ、マリー。今日のところはあなたの言葉を信じてあげる」
やがてキララがそう言うと、なぜかマリーはほっとした。
「それじゃ、マリー、モーリスにご飯をあげに行きましょう」
そう誘うキララは、いつもどおりの茶目っ気たっぷりの女の子に戻っている。
いまのキララは何だったのだろう?
まだ鎮まらない鼓動を感じながら、マリーは「え、ええ、そうね」と答え、キララを追った。




