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脱出

 マリーは周囲に視線を走らせた。

「マリー、こっちだ」

 聞き憶えのある声に、マリーは少しだけ冷静さを取り戻す。

「どこ?」

 マリーは問い返す。

「こっちだ」

 声は部屋の隅に置かれた机の下からから聞こえる。マリーは身をかがめてそちらをのぞき込む。

 クリスだった。クリスが机の下に身を隠していた。

「クリス」

 思わず声が出た。

「しっ」とクリスが人差し指を立てて制止し、「こっちに来るんだ」と手招きする。

 扉向こうの足音はどんどん大きくなる。

 クリスがなぜここにいるのか、その疑問は後回しにして、とにかくマリーは彼のもとに駆け寄った。

「奥へ」

 クリスが命じ、マリーは机の奥に潜り込んだ。クリスがマリーを隠すように覆い被さった。

 部屋のドアが開き、足音が部屋の中に入ってきた。ずるりずるりと尾を引くその足音は、まるで命を刈り取る死に神が彷徨っているようだった。

 足音は室内を巡り、やがて、マリーたちが隠れている机の前まで来た。

 マリーはクリスの肩越しにそっと覗いた。

 太くて大きな足が見える。その大きさから、生徒たちがもっとも恐れている巨人のような職員だとわかった。

 巨人の足が、机の前で止まった。

 見つかったか? 一瞬そう思ったが、違った。

 巨人の足もとに何か落ちていた。

 どんぐりの実だ。

 お守り代わりにポケットに入れていたどんぐりを、かがんだ拍子に落としてしまったらしかった。

 なぜ、もっと気をつけなかったのだ、とマリーは激しい後悔に襲われたが、いまさらどうしようもない。ただ、見つかりませんようにと祈りながら成り行きを見守るしかなかった。

 巨人の手が伸びてきた。

 マリーの鼓動が一段と早くなる。クリスもおなじだった。ふたりの鼓動が重なり合い、どちらがどちらの鼓動かわからなくなる。

 巨人の手が迫る。もうあと数センチ床に近づけば、ふたりは巨人の視界に入ってしまう。

 その直前、

『ピー』と大きな電子音が鳴り響いた。

 マリーはぴくりと身体を震わせた。が、声を出すのは何とか堪えた。

 巨人はすっと立ち上がり、どんぐりの実はそのままに、音のする機械のほうへのそりのそりと歩いて行った。

 巨人の足が視界から消えて間もなく、つんざくような機械音が途切れた。

 また一定のリズムを刻む電子音だけになった。

 部屋の中が元の状態に戻ると、巨人の足音はこちらには戻ってこず、そのまま出入り口のほうに向かっていった。

 やがて、ドアを開閉する音がして、巨人の足音も消えた。

 巨人の気配がなくなると、マリーは大きく息を吐いた。知らぬ間にびっしょり汗をかいていた。

「もう大丈夫だ」

 クリスが告げ、先に机から抜け出した。

「出ておいで、マリー」

 動けずにいるマリーに、クリスが声をかけた。

 が、まだ身体に力が入らない。

「さあ」とクリスが手を差し伸べ、マリーはその手を取った。クリスに引っぱってもらい、ようやく机の下から這い出ることができた。

「こんなところで何をしていたんだい、マリー?」

 クリスが訊ねた。

「あなたのほうこそ……」

 と言いかけたところで、クリスが、「いや、話はあとで聞こう」と遮った。「とにかく、ここを出よう」

 クリスに訊きたいことは山ほどあった。だが、彼の言うとおり、まずはここから出るべきだ。

 マリーは「そうね」と彼の言葉に同意した。

 クリスを追って出入り口に向かう。その一歩足を前に出したとき、足元でカリッと乾いた音がした。床を見ると、どんぐりの実がぺしゃんこになっていた。

 そうだ、リンダ。

「クリス、リンダはどうするの?」

 前を歩くクリスにマリーは問いかけた。

 クリスは振り返り、マリーを一瞥してから視線を足元に向けた。

「リンダは、もうどうしようもない」

 やがて、静かに言った。

 どうしようもない、とはどういう意味だ?

 リンダは助からないということか?

 リンダはもう死んでいるということか?

 呆然とするマリーに、「さあ、早く行くよ、マリー」とクリスが促す。

「で、でも……」

 とマリーは立ち尽くす。

 しかし、クリスはマリーを置いてさっさとドアのほうに向かって歩いて行く。

 マリーはベッドに横たわるリンダのほうを見る。

「行かないで……」

 そんな声が聞こえた気がして、マリーは背筋が冷たくなった。

「行かないで、マリー」

 今度こそはっきり聞こえた。

 急に恐怖がこみ上げ、マリーは逃げるようにクリスを追って出入り口に向かった。


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