秘密の部屋
マリーが向かった先は職員室だった。
授業や食事、入浴といった特定の場面以外で、職員たちと接することはほとんどない。談笑したり、一緒に遊んだりすることは皆無といってよかった。監視する側とされる側、対立しているわけではないのだが、両者のあいだには見えない壁のようなものがあって、お互い積極的に関わろうとはしないのだ。
マリーもまた、彼らとの接触は最小限にとどめていた。
普段ならば、関わりたくない相手だ。
が、そうも言ってられない。
彼らは大人だ。大人ならば仮に生徒のあいだに幼稚な遊びが流行っていたのだとしても、そんな遊びに加わったりはしないだろう。何かとんでもない事態が起こっているのだとしたら、それに気づき対処できるのは、子供の自分ではなく、彼らのはずだ。
職員室は学習棟一階の奥、人目につきにくい場所にある。そこは、生徒たちには立ち入り禁止区域のようになっていて、誰も行きたがらない。もちろん、マリーもこんな場所に来たくはないし、職員室に入るなど、なおさらだった。
覚悟を決めて職員室に向かったものの、表札が見えてくると、マリーは次第に恐ろしくなってきた。
先生はみんな冷たいし、職員は高圧的だ。生徒を家畜のように扱い、違反があれば容赦なく罰を与える。そんな相手にリンダのことを尋ね、何が起こっているのかを確かめ、場合によっては助けを借りなければならない。
彼らがマリーの話を簡単に信じてくれると思えない。一笑に付されるかもしれないし、騒ぎを起こすなと逆に叱責されるかもしれない。
そう考えると、一歩近づくごとに、引き返したい気持ちのほうが大きくなる。
それでも気がつけば、マリーは職員室の前まで来ていた。
そこで足が止まってしまった。
中に入る勇気が湧いてこない。
扉の前で立ち尽くす。
何もできずじっとしていると、薄暗い廊下の奥に、仄かな光が浮かんでいるのが見えた。
暗闇に目をこらす。
淡い光は、規則的に強くなったり弱くなったりしている。
マリーは、職員室よりもその光のほうが気になった。
「マリー、マリー……」
ふいにどこからか名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
マリーは耳をすます。
「マリー……」
幻聴ではない。そう思ってもおかしくないほど弱々しいが、確かにマリーを呼ぶ声がする。
マリーは職員室の扉をとおり過ぎ、声のするその光のほうへ、まるで街灯に群がる蛾のように引き寄せられていった。
行ってはだめ。
もう一人の自分が引き止める。
それでも、マリーの足は止まらない。自分の意志と関係なく前に出る、そんな感じだった。
廊下の奥に、もう一つ部屋があった。
入り口は金属製の重たい扉で塞がれている。何かを隠しているとしか思えないその重々しさに、ここが立ち入ってはならない場所だとすぐにわかった。
だが、マリーは止まれなかった。
ドアノブの手を伸ばし、下に向かって力を込める。
ドアノブが動いた。
もたれかかるように全身で押すと、重い扉がゆっくり開いた。
わずかにできた隙間にマリーは身体を滑り込ませた。
そこは異様な部屋だった。
見たこともない機械や電子機器、モニターが壁一面に並び、規則的な電子音を鳴らしている。部屋の真ん中にベッドが据えられているのだが、それはベッドというより手術台といったほうがしっくりくる。ベッドの周囲にも器具類が配置されていて、何本ものコードで繋がっている。まるで何百匹という蛇がベッドを覗き込んでいるようだ。中でも一本、太いパイプが天井から垂れ下がり、大蛇がうねるように一定のリズムで蠕動している。
マリーは息を呑んだ。
どちらかといえば古風な建物の中に、こんな近未来的な部屋がある。それも校舎の奥に、まるで人目から隠すようにひっそりと。この部屋こそが学園の中心で、周囲の建物はこれを隠すための飾りにすぎないのではないか、とさえ思える。
マリーは足音を殺して部屋の中央へと移動する。
心臓が高鳴り、いまにも喉から飛び出しそうだった。逃げ出したい衝動を押し殺し、前に進む。彼女を突き動かしているものは、断じて好奇心などではなく、ここまで来たら最後まで見届けなければならないという義務感のようなものだった。
ベッドの上がわずかに盛り上がっている。
誰かが寝ている。
マリーはベッドの傍らに立ち、横たわる人を見下ろす。
「ひっ」
悲鳴が出そうになったが、咄嗟に両手で口を塞ぎ、どうにか堪えた。
リンダが横たわっていた。
リンダは目を見開き、ぼんやりと天井を見上げている。その瞳にはまるで生気がない。全身をコードでつながれ、ひときわ太いパイプが口元を覆っている。生きているのか死んでいるのかもわからない。胡乱な表情で一点を見つめるその姿は、まるでキララが大切にしている人形ミチルのようだった。
「リンダ」
思わず名前を呼び、マリーはリンダを揺すった。
反応はない。
「リンダ、いったいどうしちゃったの?」
声を潜めて呼びかける。
が、やはり無反応だ。
リンダは死んでいる。
その考えがゆっくり浮かんでくる。
それでも、マリーはリンダを揺すり続けた。
生徒が忽然と姿を消す。そして、学園の奥にあるこんな場所で息絶える。
そんな現実を受け入れたくなかったのだ。
マリーが躍起になってリンダの身体を揺り動かしていると、分厚い扉の向こうから足音が聞こえてきた。
マリーは出入り口のほうを振り返った。
足音はこちらに向かっている。
マリーはドアに顔をむけたまま動けなくなってしまった。全身の筋肉が固まり、足が言うことをきかない。
見つかったら、どうなるのだろう?
ここは行方不明になった生徒が運び込まれ、殺される場所だ。
そんな場所に忍び込み、その事実を知った生徒を学園が許すはずがない。
どんな罰を受けるか想像もできない。
罰どころか、リンダとおなじ目に遭わされるかもしれない。
あるいは、その場で殺されるかもしれない。
思考は悪い方、悪い方へと転がり、涙となって溢れてきた。
「マリー」
パニックのあまり気を失いそうになるその直前、自分の名を呼ぶ囁き声が聞こえてきた。




