699 開始
開始の合図は、オーソドックスにコインを弾いて、そのコインが地面に落ちた時。
武器や魔法はもちろん、戦略も自由。特に難しいルールなどなく、勝敗はどちらかが戦意喪失になるか、両手を挙げたりして、降参の意思表示をすればそこで終了。
"どちらか"だなんて説明してはいるけど、フェリクス王が負ける訳がないので、ジンとレイが降参するまでとなりそうだ。
ちなみに、急所を狙う様な危険行為に言及がないのは、しないのが当たり前という前提があるので、いちいち言わないのだろう。
ただ、たとえジンとレイが急所を狙って来たとしても、フェリクス王なら軽くあしらいそうだけど。
「では」
開始の合図となるコイン弾きは、残されたレイがやるらしい。
フェリクス王とジンのどちらかともなく間合いを取り始めれば、遠巻きで見ていたモルテグル兵達が静かに寄って来た。
武王や剣豪と名高いヴァルタール皇国の国王と、自国で名を馳せる剣士。普段対峙する事がない2人が、今、目の前で手合わせをする。
ウクスナ公国の兵からしたら、まさにドリームマッチに違いない。
現に、モルテグル兵達はずっとソワソワしている。
フェリクス王が名の通り強いのかも気になるし、自国の剣士が彼相手にどこまで食らい付けるのか、どんな攻撃や技を繰り出すのか、気になって仕方がない様子だ。
むしろ、この機会を逃したら次があるかも分からないのだから、兵達は持ち場でジッとしていられる訳がない。もはや、蜜に誘われる蝶かの様に1人また1人と、こちらに足を運んでいた。
ーーピン!
静まり返ったこの場に、コインを弾く小気味良い音が響く。
フェリクス王とジンの間に立つレイが、コインを弾いたのだ。その瞬間、皆の緊張感が一気に上がる。始まるその瞬間を逃すまいと、皆は一点に集中していた。
空に向かって上がったコインは、朝日を浴びてキラリと光ると、クルクルとゆっくり回転しながら下へ下へと落ちて来る。
そのコインを見つめながらジンは、剣を持つ手がジトリと汗ばむのを感じた。こんな感覚は、凶暴な魔物と対峙した時でさえ感じた事はない。
それほどまで、異様な緊張感を覚えていたのだ。
そんなジンとは対照的に、フェリクス王は両目を閉じていた。
視覚を遮断する事で、感覚を研ぎ澄ましているのだろう。
コインが落ちて来る時間は、ほんの数秒。
そのたった数秒だというのに、この場には異様な静けさが漂っている。
ーーコン。
コインが地に落ちる鈍い音がしたと同時に、ジンは左足を踏み出した。
ーーがその瞬間。
フェリクス王は、すでにジンの目の前にいたのだ。
それは、皆が瞬きするより速く、空気の流れさえなかった。
ローレン補佐官はもっと見たいとばかりに一歩前に出て、莉奈は思わず席から立ち上がる。
ご機嫌で観戦席を用意したが、そんな暢気に見る間など与えてくれなかった。むしろ、その速さと技を目に焼き付けたくて、莉奈も前のめり気味である。
「「「なっ!」」」
どちらが先に来るかと固唾を飲んでいた兵達は、フェリクス王のあまりの速さに目を見開く。
コインばかりに気を取られていて、フェリクス王が動き出す動作がまったく見えなかったのだ。
それは、コインを投げたレイも同じである。
自分の投げたコインはもちろん、視界には両者も入れていたのに、フェリクス王の動きだけは速過ぎて、目で追えなかったのだ。
あまりの速さに、まるで瞬間移動でもしたかの様だった。
離れていたレイでさえそう感じていたのだから、対戦中のジンの驚きはもっとだった事だろう。
ジンは先手必勝とばかりに、コインが地に落ちた瞬間に、動き出すつもりだった。いや、すでに動き出していたのだ。
だが、フェリクス王の方が数倍速く、意表を突かれた形となってしまったのである。
ジンに出来た事といえば、右から迫って来るフェリクス王の剣を、慌てて躱す事だけ。内心ではきっと、咄嗟によく躱わせたと思っている事だろう。
「くっ!」
しかし、ジンはこれで、一気に畳み掛ける予定が崩された。
しかも、最悪な事に踏み込んでいたのが災いし、躱す時にバランスを崩してしまっている。それでも、次に来たフェリクス王の剣を上手く躱したのは、意地と経験か。
だが、それもかなり際どい防御だ。
ジン的には早く態勢を立て直し、フェリクス王に反撃を開始したいところ。しかし、そんな猶予をフェリクス王が与えてはくれなかった。
剣を躱し必死に剣を構えたところで、フェリクス王に右へ左へと弾かれ、上手く攻撃に転じられない。
それどころか、次々と仕掛けて来るフェリクス王に、ジンは踏ん張る事しか出来なかった。
「「「速い!」」」
結界のすぐ側で、モルテグル兵達が目を見開いている。
初手の間合いの事を言っているのか、それとも今の攻撃に対して言っているのか……いや、両方だろう。
ジンが反撃する間など与えないつもりなのか、フェリクス王は次々と剣をジンに向けていた。
その流れる様な剣技は、まったく無駄がない。
むしろ、無駄がなさ過ぎて、剣技ではなく剣舞みたいに綺麗だ。
「あのジンさんが……」
「まったく攻撃に転じられない」
「いや、アレを躱すのもスゴいだろ!」
「だよな!?」
「今は相手のペースだけど、タイミングが合えばワンチャン」
「ジンさん!」
モルテグル兵達は愕然としながらも、必死に健闘しているジンを讃え、声こそ出さないが応援していた。
やはり、自国の剣士が一番であって欲しいのは、どの国も一緒の様だ。
だが、フェリクス王に勝てる訳などない。
「躱せる様にしてくれているんですけどね」
「そうそう、じゃなきゃ開始と同時に終わってたしな」
まるで分かっていないモルテグル兵達に、ローレン補佐官とエギエディルス皇子が、少し不満顔をしていた。
瞬で終わったら面白くないし、実力差があり過ぎると、相手がヤル気を失くす。さらに、ジンがどれ程の実力があるのか試しているらしく、フェリクス王はかなり手加減している様に見えた。
そのせいで、"あの武王に対しジンが健闘している"という形に見えなくもない。それがどうにも、エギエディルス皇子とローレン補佐官には納得がいかなかった。
フェリクス王が本気を出していたのならば、コインが地面に落ちた瞬間、終わっていたのだ。ジンがバランスを崩しながも避けられたのは、フェリクス王が手加減してくれたからである。
力を抜き過ぎれば、バカにされている様に感じるし、入れ過ぎても相手との差があり過ぎてすぐに戦意を失う。相手が実力者なだけに、その加減は相当に難しいハズ。
だが、フェリクス王のその凄さも、見ている者達が理解してくれないと、微塵も伝わらない。
このままでは、"噂程じゃない"とか"拍子抜け"だとか、フェリクス王が過小評価なまま終わってしまう。フェリクス王の本来の実力を知る2人には、それは許せなかったのだ。
だが、フェリクス王はそんな事は気にしないだろう。
真に実力がある者は、他人に自分がどう評価され様が、どうでもイイからである。
むしろ、気にするのは、フェリクス王の実力を知っている者達だ。
現に見ているエギエディルス皇子の方が、兄王の圧倒的な強さを見せて欲しくて、ヤキモキしている。「俺の兄は、本気じゃねぇからな!」とでも言いたそうだ。
ローレン補佐官は、エギエディルス皇子と同じ不満を抱えつつ、そこに参加したくてウズウズしていた。
自国にいたとしても、フェリクス王に相手をして貰えるのは稀なのに、先程会ったばかりのジンとレイが、手合わせしてもらえるだなんて羨まし過ぎる。色んな不満が混じっている様だった。
莉奈はフェリクス王の剣技に見惚れつつ、自分だったらどう躱すか、頭の中で想像していた。
ああ来たら、こう躱わせるか? とかで頭はいっぱいだ。
そして、剣を持つ相手と戦った事がないと気付き、次第にどうやったら剣を奪えるのかと、莉奈は斜め上の発想を頭に浮かべていた。
ここで、"逃げる"という選択肢が浮かばないところが、莉奈である。
これでは、エギエディルス皇子に"最強にか弱い"と揶揄されても仕方がない。
ーーそれぞれが、色々な思いを持って観戦している中。
シュゼル皇子だけは、莉奈の用意してくれた観戦席に1人優雅に座り、ほのほのと紅茶を嗜んでいた。
「楽しそうですね」
思うところは皆それぞれであるが、戦いを見る表情は、誰もが楽しそうだとのんびりと眺めていたのである。




