(71)取引
町は入市税が必要になるから、まずは村を目指すことにした。
グリフォンの上から見て大まかな村の位置と、霧の分布は頭に入れてある。
霧の薄い場所を選んで【適正化】されていないことを確認しながら村を目指した。
マフラーをまき直し、首輪が見えないようにして、村に入る。
よそ者に奇異の目が向けられるが、なるべく気にせずに村の商店を探す。中心付近に看板を掲げた見慣れたデザインの店があった。マテス村にあったのと同じ【建築魔法】で作られたのだろうその店の扉をくぐる。
年嵩の男が無言で一瞥してきた。
「すみませーん、これの換金をしたいのですが可能ですか?」
川の近くの洞で手に入れた宝石を一つ、カウンターに置く。
「……四千だ」
想像以上に安い。これでは旅費には到底ならない。
「そうですか、お騒がせしました。別の店に行きます」
そう言って店を後にしようとすると、待て六千だ、と値を上げてきた。
「いえ、結構です」
一見の客相手なら仕方がないと思うが、いきなり1.5倍に値を上げるなんて、最初にどんだけぼろうとしたのか。
そう思うと、この店は信用できないし、何より愛想が悪いので、この店で売る気が完全に無くなっていた。
--この宝石だけじゃ、旅費は無理か。仕事探さないといけないかも
そんな風にぼんやりと考えながら店を出ようとすると、乱暴に肩を掴まれ引き倒された。
「待てと言ってるだろ。八千だ。どうだ」
人を転ばせといてこの言い草である。むっとして、
「客に暴力を振るうような店には、十万積まれたって売りません」
と立ち上がって言い放つ。
しかし店主の視線は、アリーシャの怒りの表情ではなく、その首元に注がれていた。マフラーが緩み、首輪を見られてしまった。
「こ、の、薄汚い魔法を使えないもの風情が」
男の握りこぶしがアリーシャの顔を殴り飛ばす。突然のことに反応できず倒れ、鼻を生暖かいものが伝い落ちる。血だ。
そしてアリーシャの手から転がり落ちた宝石をすかさず拾うと、扉を開けてアリーシャを蹴りだす。
雪の上に転がったアリーシャが店主を睨みながら、ドロボー、と抗議するが、男はそれよりも大きな声で、
「みんな~、サイレントが紛れ込んでるぞ」
その声を聴いた血の気の多い若者が武器召喚魔法を唱えながらやってくる。
「ドロボー、宝石を返せ!」
「ドロボーはてめえだろ。嘘つきサイレントが」
「サイレントの言うことに耳を貸すなよ」
「あったりめいだい」
手加減なしで振り下ろされた武器魔法をアリーシャは慌てて避け、塀を踏み台に近くの家の屋根に駆けあがる。
吊るせ~、殺せ~、という声を聴きながら、村の外を目指して屋根の上を走るアリーシャ。【魔法の矢】などの攻撃魔法まで飛んでくる。
バシン、という音と衝撃を背中に受けて、屋根から転がり落ちるアリーシャ。【魔法の矢】を背中に受けてしまった。
幸い衝撃だけで済んだが、落下の際に右手を変な風についてしまい、動かすと激痛が走る。
物陰に潜み、建物の影から影へ、足音を忍ばせて村人たちをやり過ごし、何とか村の外まで逃げ出すことができた。
使い魔まで飛ばしていることから、村人たちの本気度が判る。使い魔がこちらを探知できていないのが幸いだった。
そして村から距離を取り、薄い霧の広がる山間部の森に身を潜めて、ようやく一息ついた。
右手首がズキズキと痛み、熱を持っていた。骨が折れているかもしれない。
鼻血は既に止まっていたが、鼻頭の奥がまだ痛い。
痛みと共にどうしても先ほどのことを思い出してしまう。
殴られ、宝石を盗まれ、更には村人をけしかけた男。
思い出すと怒りではらわたが煮えくり返るが、かといって仕返しする術もない。
右手の平についた黒いインクの痕を見つめ、左手にはインク壺を握りしめ、ムティアやカシムや小人さんのことを思いながら、少しでも気持ちを落ち着け、痛みを忘れようと努めながら、アリーシャは眠りについた。
* * *
「へへへ、儲けたぜ」
逃亡奴隷のサイレントが持っていた宝石を男はニヤニヤと見つめた。
色のついていない無色透明の小さな卵のような石。一見水晶に見えるが、中を覗くと色取り取りの光が見える。
「きっと値打ちものだ。魔法の品かもしれないな」
大きな街に売りに行って、多くの財を入手する皮算用をしていると、自分の服の裾についた汚れに気が付いた。
さっきのサイレントを殴った時についた血だ。見ると足にもついていた。
「そういえば鼻血出してやがったからな。きったねぇな」
【清潔】の魔法をかけようと、触媒を取りに立とうとするが、突然右手に激痛を感じてうずくまる。
「なんだ!」
沢山の針を刺されたような痛みに驚いて袖をめくると、その腕に異様なものがあった。
赤い文様だ。
もし男に知識があったなら、それは【痛み】の呪術紋であることが分かっただろう。
黄金色の魔力光を発する赤い文様が右手首付近に描かれ、その部分に激痛が走る。しかもその文様はまるで生きているように蠢き、次々と文様を増やしながら、右腕全体に広がっていき、それに伴い痛みの範囲も広がっていった。
「な、なんだよこれ」
その文様の赤さは、赤というより赤黒く、見覚えのある色であった。
「こ、これ、血か? まさか、あのサイレントの血か?」
いつのまにか服についていた筈の血の痕がない。
「サイレントの血の呪いか?」
ぽたっ、と床に血が垂れ、それが見る見る動き文字となっていった。
--呪いじゃなくて自業自得
「ひぃぃぃぃぃっ」
この現象を引き起こしたものが、今もこの部屋にいる。俺の話を聞いている。
その恐怖に耐え切れず、男は絶叫を上げた。
……突然の絶叫に様子を見に来た村人は、失神した男を発見したが、袖とズボンが血で汚れている以外、何の異常もなかった。
* * *
アリーシャの右腕の痛みは翌朝にはかなり軽減されていた。腫れはまだ引かないが、折れてはいない様でほっと胸をなでおろす。
右腕に負担をかけないよう準備運動と奇妙な踊りで体をほぐしていく。
「今日は豪勢にいこう!」
朝から干し肉を噛みながら、アリーシャは村から離れる方向に、そして町があるはずの方向に歩き出した。
一時間もせずに町に到着した。
市門には入市のための列が並んでいたが、そちらには行かず、市門の外でキャンプしている商隊に近づく。
商人の多くは自分のインベントリにアイテムを収納して運ぶが、【適正化】されていないアイテムの需要もある。特に【魔の領域】で見つかる一品物などは、物によっては高値が付く。
そうした物を専門に扱う商隊らしく、飛行騎獣の背に荷物を背負わせていた。
「北に行く商隊はありませんか? 便乗させてもらいたいのですが」
昨日殴られた顔の痣はまだ残っていたが、お姉さんに【清潔】をかけてもらっているので、コートのデザインはともかく身綺麗で礼儀正しいアリーシャの言葉に商隊の者も応じてくれた。
「嬢ちゃん、一人旅かい? 親御さんは?」
「……死にました。ですから母方の祖父が暮らす西方王国に行きたいのです。でもステータス魔法の習得もまだなので、このままじゃわたし、サイレントとして生きていくしか……」
と考えておいた設定で説得にかかる。
「あーってことは途中の世話込みか。うちじゃあちょっと」
熊の毛皮をまとった少女の頼みを、熊みたいな髭の商人が断る。
自分の始末を自分でできる魔法を使えるものならともかく、ステータス魔法が使えない子供は、魔法が使えないものだ。忌避はされなくても面倒を見るものが必要だ。
「読み書きと計算ができます。商隊のお仕事のお手伝いをします。それとお礼に両親の形見の品を差し上げます」
昨日の反省を生かして、いきなり宝石を出すことは控えながら、更に手札を切る。というかこれ以上の手札はない。
「お嬢さん、国境までで良ければ乗せてくよ」
別の商隊から小柄なおじさんが声をかけてくれた。
横でふくよかな女の人が、ちょっと、と困惑気味に言っているが、いいじゃないか、と取り合わない。夫婦なのだろう。
「どうかな?」
「国境まで、ですか?」
「ああ。いまこの地方と西方王国の境は封鎖されているんだ。また戦争になるんじゃないかって噂でね」
そんなことになっていたのか。だがそれなら西方王国の軍に接触できれば保護してもらえるかもしれない。
「……わかりました。それでお願いいたします。失礼ですが契約書を取り交わしたいのですが、よろしいでしょうか?」
アリーシャの言葉に、怪訝そうな顔を見せるおじさん。
「気を悪くしたのなら謝罪いたします」
片足をすっと下げたお辞儀で謝罪すると、おお、と感嘆の声が周囲で上がる。なおアリーシャの頭の上には熊の上顎が乗っているので、レディとは程遠い。
「実は昨日、同じような申し出をしたところ、形見の一部を奪われてしまったのです。この顔の痣とこの、」
と右手の腫れを見せ、
「この傷もその時のものです。失礼は承知の上です」
なんてひでぇヤツだ、こんな小さな子に可哀想に、と周囲からの後押しもあり、アリーシャは心の中でガッツポーズをとる。
「わかった、わかった。だがその前に形見の品ってのを見せてくれ。話はそれからだ」
小柄なおじさんとふくよかなおばさんに宝石を一つ取り出して見せる。
「こいつは……」
小さな卵型の宝石を見た商人は目の色を変えた。
「……奪われたっていう形見もこれと同じもんかい?」
「……はい」
目の色を変えた商人に警戒しながら、アリーシャが答える。
「あと幾つ持っている?」
「これだけです。お父さんの分とお母さんの分」
なるほど、と考え込むおじさん。
「おう、ピーオ。乗り気じゃないんなら止めといたらどうだ? 嬢ちゃん、俺たちが送ってやるぜ。何なら国境破りして西方王国まで送り届けてもいい」
先ほど断った熊髭の商人が口を挟むと、おじさんが慌てて、
「いやいや、こっちが先だ。そうだろ、お嬢さん」
「はい、もちろんです。ありがたい申し出ですが、ごめんなさい」
口を挟んできた商隊にぺこりと頭を下げる。
「それで、その、お代は足りますか?」
「ああ、いいだろう。キチンと契約をしよう」
言って、商人はインベントリではなく、荷物入れから羊皮紙を取り出した。
「これは呪術紋という魔法の契約書さ。契約を破ると呪いがかかる強制力を持ったヤツだ。これで契約しよう」
「アンタ!」
奥さんが声を張り上げるのも無理はない。呪術紋を描けるものは少なく、決して安いものではない。
それをこんなヘンテコな小娘との契約に使おうというのだ。常識を疑うどころが正気を疑うレベルだ。周囲からも驚きの声が上がる。
「……あなたの誠意に感謝を」
アリーシャは小柄な商人に礼をする。
その後、アリーシャは彼の商隊の荷物がまとめられた一角に移動した。
「父さん、その子なに?」
荷物番をしていた少年が、ひょいっと顔を出す。
「商談中です」
小柄なおじさんが静かに言うと、あっ、とバツの悪そうな顔をして小さく、ごめんなさい、と言いながら少年は引っ込んだ。
「息子さんですか?」
「ええ、君同様、まだステータス魔法を習得できる歳ではなくてね。だから君の世話もついでと考えたわけさ」
ステータス魔法は通常七歳で習得する。因みにアリーシャは七歳九ヶ月で、約一年サバを読んでいる。
商人とアリーシャは他の商人たちから距離を取ってから契約書に向き合った。
「ステータス魔法が使えないので、真名ではないですが、大丈夫ですか?」
「それで問題ないよ。大丈夫」
ステータス魔法が使えないうちは、通名が真名の代わりになると教えてくれた。
「その手で書けるかい}
「大丈夫です」
魔力を十分に右手に集め、痛みを緩和、筋力を補助してペンを握る。
「これ、黒檀のインクですね」
「判るのかい?」
「ええ、懐かしい……」
と、もっともらしいことを言うアリーシャだったが、呪術紋に使うからそう思っただけで目利きができるわけではない。
何しろ自分の髪を染め、今も持っているインク壺が黒檀のインクだということにすら気が付いていないのだから。
たんなる知ったかぶりの、ええかっこしいであるが交渉が順調にいって舞い上がっているが故だった。
--これで最低限の食事と安全な移動を確保できる。サイレントとバレなければ、いくらでもやりようがあるんだから……
と、そこまで考えたところでペンを持ったアリーシャの手が止まる。そして、
「あーーーーーーーっ!」
「どうかしましたか?」
アリーシャは慌てて契約書から、ぴょんと離れてそのまんま地面に正座し、深々と頭を下げた。ジャンピング土下座である。
「ごめんなさい。わたし、騙してました。言ってないことがある」
その言葉に夫婦が視線を交わす。
「わたし、嘘言ってます。それで契約するのはアンフェアです。ごめんなさい、無かったことにしてください」
「おう、どうした。トラブルかい?」
さっき口を挟んできた熊髭が近寄ってくる。
「まだ商談中です。すまんが遠慮してくれ」
小柄な男が空かさず熊髭を止め、その間に奥さんがアリーシャを立たせる。
「死んだ親御さんのことを聞いてたら、お嬢さんがちょっとパニックになってね。お嬢さん、すまなかったね」
と適当なことを言って熊髭を追い払うと、息子さんを呼んだ。
「クリフ、周囲を見張ってさない。誰か近づいてきたらすぐに知らせるのですよ」
「はい、父さん」
すぐ近くの荷物から、ひょいっと顔を出した男の子が荷物の上に据わり、足をぶらぶらさせながら周囲に警戒の目を向ける。
「さて、お嬢さん。あなたの言う嘘というのは何ですか?」
「それは……」
「すでに商談は始まっています。口の上とはいえ双方合意もした。それを一方的に無かったことにしてください、は通じないよ。せめて説明してもらわないと」
諭すような口調だが、アリーシャを子供ではなく、取引相手としての道理を語るおじさんに、アリーシャは再度頭を下げた。
「さっき言った身の上話は嘘です。どうしても西方王国に帰りたくて嘘を言いました。ほんとのことを言ったら……まともに相手にしてくれないから」
自分でも馬鹿だと思う。
魔法も使えない、食事もままならない、風雨を避ける場所もない、取引すらまともにしてもらえない。
このままでは凍死するか、餓死するか、殺されるかだ。
自分の身を守るために少々の嘘をついたっていいじゃないか。帰れた後でこの商隊に保証する手だってある。でも、
「わたしが同行することで、あなた達の身に危険が及ぶかもしれない。だから……」
アリーシャの言葉に、おじさんが溜息を吐く。
「そんなことを聞いているんじゃありません。私は理由を説明しなさいと言ったのですよ」
アリーシャは、マフラーをほどき首元を見せる。
「逃亡奴隷……サイレント」
奥さんが苦虫を噛み潰したような顔でつぶやくが、おじさんが視線で黙らせる。
「ふむ。一つ聞かせてくれ。君はさっき西方王国に帰るため、と言ったね。王国に帰る場所はあるんだね?」
「はい。かかさまやねーさまたちがいます」
「君は売られたのかね?」
「……さらわれました」
その言葉に奥さんが息を呑むが、おじさんは、そうか、としか言わない。
「追手がかかる可能性は?」
「一度使い魔に襲われましたが撃退しました。相手の領からは出たのですが、追ってくるかも……」
問われるがままに話すアリーシャ。彼女自身、自分の境遇を誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「……相手は?」
「多分、クラウチノ家のバルゲーノ」
豪族か、と考え込むおじさん。
「あんた。これは厄種だよ。手ぇ出すとあたしやクリフまで危なくなるよ」
「判ってる」
「あい。ですからこの話しは無かったことにしてください。ごめんなさい」
言って離れようとするアリーシャのコートを奥さんが掴む。
「話はまだ終わってないよ、せっかちな子だねぇ。で、どーすんだい、あんた」
「ああ。契約は止めにしよう。君に追手が掛かっていた場合、私は家族を優先する」
「あい、お手間を取らせました」
と離れるアリーシャのコートの背中を、またまた奥さんに引っ張られ、転びそうになる。
「だ・か・ら、せっかちな子だねぇ。まだ話は終わってないよ」
「へっ?」
おじさんが穏やかに笑っている。
「宝石と引き換えに国境まで乗せていく。ただし契約は結ばないし君の安全に私たちは責任を負わない。君の都合で危険があったら私たちは君を見捨てる。呪術紋の契約を結ばなければ、そうなっても呪いはかからないからね。その条件でどうかな?」
アリーシャは肩を震わせ、こぼれそうな涙を我慢する。
「……条件を、追加してください」
「なにかな?」
「できる範囲でお手伝いさせてください。わたしは宝石とお手伝い」
「私たちは西方王国国境近くまでの輸送と子供に対する最低限の世話」
おじさんが右手を出し、アリーシャはその手を握り返した。
* * *
「では改めて。私はピーオ。こっちは妻のコンスタンス」
小柄なおじさんの言葉に、両手を腰に当てていた太めの奥さんが手を上げて挨拶してくる。
「それと、クリフ!」
「はい、父さん」
荷物の上から男の子が顔を出す。
「息子のクリフだ。もうすぐ七歳になるな」
「よろしくお願いします。わたしは……リーです」
警戒した様子のその言葉にピーオとコンスタンスが視線を交わすが、結局何も言わなかった。
翌朝、荷物を満載した二頭のピンクの象の召喚荷役獣を引き連れた遍歴商人ピーオの一行はアリーシャを加えて北を目指して出発した。
アリーシャがバルバスの屋敷を逃げ出して十五日目の朝であった。
明日も投稿予定




