(69)放浪
川は幾つもの支流が合わさり、勢いを増していた。
上流から見て右側の川辺を下っていくが、歩きにくい岩場が多く、また高低差も激しくなってきた。
歩みは遅々として進まず迎えた九日目の朝。何者かに起こされる夢を見て、びくっと体を震わせて目覚めると、すぐ近くまで猛禽の爪が迫っていた。
咄嗟に抱えていたカバンを盾にするが、鋭い猛禽の爪にカバンを引き裂かれてしまう。
「ああ、もったいない!」
命の危機より落ちる干し肉に、つい目が行ってしまうのは、ある意味仕方のないことだが、今はそれどころではない。
再び襲い掛かってくるフクロウには見覚えがあった。
「使い魔! バルゲーノさ、」
さん、を飲み込みながら寝床にしていた樹から飛び降りる。
樹を背に引き裂かれたカバンを左手に持ち、右手にナイフを構え、全身に魔力を行き渡らせ、頭にも五感にも魔力を伝わせる。
三度襲い掛かるフクロウ。アリーシャが両手を広げるよりも大きく羽を広げて襲い掛かる猛禽。
タイミングを合わせて襲い掛かるフクロウの頭に被せるように破れたカバンでひっぱたき、その勢いのまま身をかがめて前に転がり爪を避ける。
カバンで一瞬視界を塞がれたフクロウはそのまま樹に衝突する。
くるりと起き上がったアリーシャは、樹の根元で態勢を立て直そうとするフクロウの脳天にナイフを突き刺した。
フクロウは、ぶるり、と震えたかと思うと光となって消えていった。
「居場所がばれた?」
焦燥と共に、バルゲーノが生きていたことにそっと息を吐くアリーシャであった。
カバンが使い物にならなくなってしまったので、整理し直し、荷物をリュックに詰めていく。
無論優先すべきは食料なのだが、好奇心を取り戻したアリーシャに本を捨てるという発想はなく、インク壺は小人さんを思わせる一種の精神安定剤だ。やはり置いていくつもりもない。
入りきらなかった干し肉はカバンから紐を抜き取り縛って肩に担ぐことにした。
以上の支度をすぐに済ませ、アリーシャは思案する。
川沿いに下っていることが知られたのなら、このまま進むのは危険か。森に入るか?
同じ襲撃があった際に、次も撃退できる自信がない。
しかし森の中で水が補給できる見込みがない。
しばし迷った後、川で可能な限り喉の渇きを癒してから、アリーシャは経路を森の中に変えた。
* * *
薄っすらとした灰色の霧に覆われた森の中を北を目指して進むアリーシャ。
霧は服を濡らすことがなく、普通の霧でないことは間違いなさそうだった。
ここ数日安定していたが、薄い霧越しに見える空には雲がかかり、天候の悪化を予感させた。
「雨か雪になったら、凍死待ったなし」
口では軽口を叩くが、独り言が増えていることに気が付いていなかった。
森の木々はやはり同じテクスチャの使いまわしが続き、やせ細った獣の死骸を何度も見つけた。
「この事態は最近起きたのかな?」
ずっと前からならとっくに獣は絶滅しているだろう。何かきっかっけがあったのだろうか?
ふっと思いつき、落ちていた太い枝で土を削ると、問題なく掘り返すことができた。
「土は【適正化】されてないんだ」
力を入れすぎて折れた枝が光となって消えていった。
「やっぱり失敗だった……」
森の中で水場は見つからず、一度喉の渇きを覚え始めると、気になって仕方がない。空腹も覚えたが干し肉を食べたら更に喉の渇きがひどくなるのは目に見えている。
思い切りよく間違った選択をした過去の自分を罵倒しながら、今更戻るのも口惜しくそのまま歩を進めるアリーシャ。
草の茎でもしゃぶろうかと、草を抜いても光となって消えてしまう。仕方がなく草の葉にたまった露をすするが、足しにもならない。
「みず~、みず~」
としゃべると余計口の中が渇くので、口を閉じ、黙々と歩いていくアリーシャ。
喉の渇きから、食事もとらずに迎えた十日目。
体力の残っているうちに、と高そうな木に登り、方角を確認する。周囲を見渡すほどには登れなかったが、太陽の方角から進む方向を定める。
川は北北西に流れており、そこから北に進路をとるように森に入った。
そこで進路を少し西寄りに変えて進むことにした。運が良ければ川に戻れるかもしれない。
アリーシャは黙々と歩を進めた。
そして日が傾き始めたころ、森が急に途切れ、崖になっていた。
崖から周囲を見回すと、遠くに集落らしきものが見えた。ならば水が手に入るかもしれない。
しかし、これから暗くなってくるのに、体力に余裕のない状態で崖を降る自信が持てなかった。
はやる気持ちを抑えて、コートに包まり朝を待つ。
そして十一日目。崖を何とか降りたアリーシャは、昼過ぎに集落に到着した。
* * *
大きく太い枝ぶりの樹を中心にしたその集落は、貧民街のバラックのような、粗末なつくりであった。
とても【建築】魔法で作られたようには見えない。
「もしかして魔法を使えないものの集落?」
そしてその集落に人の気配はない。廃村のようだ。
ナイフを抜いて、警戒しながら中心らしき大きな樹に近づくと、何かが燃える煙が見えた。
身をかがめ、マリア先生に習った足音をさせない歩法で近づくと、樹の根元にテントが張ってあり、焚火の前に座る人影があった。
人影は女性らしいが、フードを被っているので年齢はよくわからない。
アリーシャはナイフを仕舞い、物陰から出て近づいて行った。相手もこちらに気が付いたようだ。
10mぐらいのところで、
「こんにちは。火にあたらせてもらっていいですか?」
と声をかけた。上手く声が出せず、声もかすれている。
フードの中からこちらを見ているのが判るが、表情が見えない。女は小さく頷き、視線を焚火に戻した。
了承と受け取り、アリーシャは近づき、焚火の対面に、失礼します、と腰かけた。
「はじめまして、アリーシャと言います。すみませんが水場があったら教えてください」
フードの下から女が顔を上げる。三十歳ぐらいと思われる(ジョーと同年代)女は、どんよりとした生気のない瞳でアリーシャを一瞥した後、ゆるゆると右手を上げてある一方を指さした。
「ありがとうございます」
アリーシャはそちらに駆けていくと、そこには緩やかな流れの小川が流れていた。用水路かもしれない。
アリーシャは汚れるのも構わず手をついて顔を小川に沈めてゴクゴクと水を飲んだ。
「ごぉっほ、ごほごほ」
むせた。
荷物から塩と砂糖を取り出し、それを適当に口に含んで、再度水を飲んで一息ついた。
焚火に戻り、女に礼を言う。
「ありがとうございました。一息つけました」
フードの女は三度顔を上げ、アリーシャを見た。いや、視線が少し高い。
「あっ」
頭に乗っている熊の上顎に目線が行っていることに気が付いたアリーシャは、フードを下げて、(染めた)黒い髪と、茶色の瞳を見せて、失礼しました、とはにかんだように笑った。
すると女の視線が下がり、アリーシャの首元に、魔封じの首輪に注がれる。
失敗したかな? とアリーシャが緊張に身を固くするが、女は暫しじっと見た後、逃げてきたのね、とアリーシャの顔を見つめる。
「かわいいこ、大事にされていたのね」
どんよりと濁った瞳の彼女の言葉に固いものが混じる。
「奴隷のくせに、汚いサイレントのくせに、わたしなんかあんな目にあったのに、」
「お姉さん?」
サイレントへの嫌悪を隠さずに興奮し始めた女に、アリーシャは警戒しながら声をかける。すると彼女の瞳はみるみる熱を失い、視線を落とす。
「大丈夫。ときどき思い出しちゃって……」
「そうですか……」
暫し無言の二人。
「ねえ」
「あい」
「お腹空いてる?」
「すごく空いてます!」
その即答に彼女は、くすっ、と笑い食材を取り出して魔法を唱えた。
「ついでだから」
とアリーシャの分も用意してくれた。
お礼もそこそこに食べ始めるアリーシャの食べっぷりと満面の笑顔に、女は堪えきれないようにクスクスと笑い、お替りまでくれた。
--お姉さん、マジ天使!
アリーシャを手なずけるのは実に簡単であった。
* * *
「奴隷、ですか?」
彼女の言葉をアリーシャが反復する。
「ええ、この辺を支配する豪族クラウチノ家の方針でね。魔法を使えないものは奴隷にされるの。名目上は『保護』って言ってね」
廃村のことを尋ねると、そう返された。
「十年位前ね。サイレントにも魔力がある、って判ってそれを利用する方法を考案した商人がいたの。それでサイレント狩りが行われたのよ」
どんよりと濁った瞳で、周囲を、いや太い樹を見やる女。その瞳に宿る感情はひどく暗い。
「あなたは生粋のサイレントじゃないでしょ?」
太い樹の太い枝を見上げながら彼女が問う。
「……家族と共に魔法の恩恵を受けて暮らしてました」
「じゃあ、どうして奴隷に?」
「……」
「誘拐されてきたの?」
「……あい」
ゆるゆると女の視線がアリーシャに戻る。
「そう、わたしと一緒ね」
「お姉さんも?」
「ええ、私はこの村でサイレントに飼われていたの。サイレントに魔法で奉仕する奴隷ね。そしてこの太い枝に吊るされ、村中の男たちの相手をして、女や子供がそれを見て指さして笑うの」
彼女はクスクスと喉を鳴らして笑うが、その瞳は濁って暗い。
「魔法を使えないものが、魔法のために魔法を使えるものを奴隷にし、魔法を使えるものが、魔力のために魔法を使えないものを奴隷にする。どっちもどっちよね」
その言葉に、アリーシャは返せる言葉を持たなかった。これまでなんとなく、サイレントは被害者で、可哀想で、救い出してあげれば、社会が良くなると感じていた。
しかしサイレントだって加害者になる。悪い人がいる。
アリーシャはこの世界でなすべきと考えていたことが、揺らぐのを感じていた。
「……帰りたい?」
いつの間にかアリーシャの背後に立ち、その肩に手を置く女が優しく問う。
「あい」
「そう、わたしもそうだったわ。でも帰れなかったの」
「……」
「ずっと、ずっと帰りたかった。サイレント狩りをキッカケに帰れたの。でも帰ったら穢れてるから、汚れてるから、家族に捨てられたの。わたしね、ここしか居場所がないの。可笑しいでしょ?」
背後からクスクスクスと声が聞こえるが、全然楽しそうじゃない
「死んじゃいたいのに、死ねないの。あなたもそうでしょ?」
「リーは死にたくありません」
肩にかかる手の力が強くなる。
「なんで? どうして? わたしはこんなに死にたいのに、あなたもそうじゃなきゃ不公平じゃない。でも大丈夫。死にたくなるくらい辛い思いをする前に殺してあげるから。わたしってやさしいでしょ?」
女の手がアリーシャの首にかかる。魔封じの首輪の隙間から、アリーシャの首を絞めるように。
「……お姉さん、ありがとう」
「なにそれ」
「ご飯を食べさせてくれて、ありがとう。色々教えてくれて、ありがとう」
「……」
「リーはお姉さんに死んでほしくありません」
「……ご飯のため?」
「もちろんそれもあります」
アリーシャと女、二人の笑いが重なる。
「リーも……、人を殺したいと思ったことがあります。大事な人を殺した人のことを」
ニナを殺したという、あの黒衣の男のことを考えると、腹の底に暗い情動が沸き上がる。
「人を殺すのはいけないこと。でも殺意を我慢できなかった。それに逃げるためにリーは人を……殺しそうになった。実際にこの手で……リーの心も身体も、とっても汚いの」
バルゲーノを刺した時の感触、殺すべきだという冷徹な思考を思い出し、自分の両手を見つめて、当時の恐怖を思い出す。
「でも、やっぱり人を殺すのはいけないこと。だからお姉さんも殺さないで」
鼻で笑うような息の音と共に、命乞い? と冷たく問う女。
「ううん。お姉さん自身を殺さないで。辛いことがあって、それで苦しんだ分、それ以上にお姉さんには幸せになって欲しいの。だから自分を殺さないで。お願い」
首に手がかかったままアリーシャが立ち上がり、振り返り、彼女の目を見る。
「リーは、優しいお姉さんに生きていて欲しい」
--穢れた身でおめおめと帰ってくるなど
--サイレントどもの慰み者など一族の恥さらしが
--本当に辛かったらとっくに自害しているはずよ。実は楽しんでたんじゃないの?
--この淫売が
--生き恥をさらしおって
--いっそ死んでいてくれていれば
--お願いだから、死んでちょうだい
「……寝るわ」
彼女は踵を返し、テントに入っていった。
それを見送り、焚火をじっと見つめていると、テントの中から声がかかる。
「何してるの、早く来なさいよ」
その夜は屋根のある場所でお姉さんと一緒に布団に包まって眠った。
夢は見なかった。
次回更新は週末の予定です




