実験棟の戦闘姫 4
不意にデルタの足元が消失して、視界が開けた。目の前には、広い空、そして足元には、無限に続くような緑の大地が広がっている。デルタは、左右を見ると、同じような景色が、視線が続く限りに続いているのを見た。
「こ、ここは?」
デルタの心の中には、この場所に対する恐怖と、強い安ど感が不思議と混在していた。
『戦闘姫の訓練プログラムだ。デルタの心理領域の一部を拡張し、そこで作り上げた仮想現実だ』
「か?仮想現実?」
『まあ、気にするな、久しぶりに空が飛べて気持ちいいか?』
空には太陽が輝いている。多分翼が風を切る音、それが心地よく流れていく。
「何しても大丈夫なのここでは?」
『ああ、何をしても大丈夫だ、ここは、デルタの心の中なのだからな』
デルタは、そっと、体を右に左に小さく振ってみる。その通りに、空が揺れる。
「空が・・・広い」
デルタは、無限に広がる空に、深い感動を覚えていた。たとえ本物ではなかったとして、こんな空の中にいることがとてもうれしかった。
『よし、では、まずレッスン1だ。空中では、自分の体を水平に保つようにするんだ、それが基本の姿勢だ』
「水平?」
『自分の体がどうなっているかは、表示されているだろう』
「あ、これがそうなのね」
デルタの目には、よくわからない数字とたくさんの棒線が見えている。
そのちょうど真ん中に、自分を表すマークがあることに気が付く。いま、少しだけ、傾いているのがわかる。
デルタは、少しだけ姿勢を修正する。そうすると、そのマークは、棒線と一直線になる。
『ほう、初めてにしては、上手いな』
「私、こんなに空が近いのって初めてだから、きっと調子がいいのかな?」
『まずは繰り返し、体を水平に保つ感覚に慣れていくのだ、そうでなければ、おちおち着陸もできないからな』
「そうなんだ。着陸か。体を水平に……ねえ、ゼクスマキナ。もっと教えて。わたし、もっと知りたい」
『いい心がけだ。だが、基礎こそ最も肝心だ。こういうのは地味かもしれないが、いざというときに最も役に立つ技術になる』
「うん、じゃあ、やろう」
『では、最初からやっていくぞ』
地道な練習にも思える作業だったけど、デルタは、それが楽しかった。そういえばと、おもって、デルタは思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、ゼクスマキナ、ところで私ってなんで飛んでいるの?」
『いい質問だ。では、今のお前の状態を見せておこう』
デルタの目に、空を飛ぶ自分の姿が入ってくる。まるで、全身に銀色のドレスを身に纏っているような姿。あの時に見た、ドレスを着て空を飛んでいる人たちを思い出した。
「夢……みたい」
まるで、自分があの空をかけていた一人になったようではないか。その光景に、デルタは、なぜか感銘を受けていた。
『さて、そろそろいいか?訓練に戻るぞ』
デルタは、頷くと、再び視界が切り替わって、元の視界に戻った。
それから、しばらくの間は、訓練飛行として、ゼクスマキナから、示された様々な課題に取り組んでいった。
『そろそろ、時間か。訓練飛行は、現状1時間までしかできない。また続きは明日だな』
「ええ、もう、終わりなの?」
デルタは、不満そうにつぶやいた。せっかく、慣れてきて、楽しくなってきたのに。
『明日は、今日の続きを訓練しよう。やはり筋がいいな。教えがいがある』
「褒めてくれているみたい。ありがとう」
『実際に褒めているさ。さて、デルタ、仮想現実を切るぞ。慌てないように注意しろ』
デルタは、分かったと答えた。デルタの視界に、カウントが表示される。
30…29…28…
どんどん減っていくカウントを見ながら、デルタは、そっと、空を仰ぎ見た。
言い知れない、深い感動が、心に生まれるのを感じた。こんなに心動かされる経験なんてデルタはしていないけど、ただ、その光景は、確かにデルタの中にあった。
広くて蒼い空……わたしは、今確かに帰ってきたんだよ。
5…4…3…2…1…
不意に意識が覚醒する。そこには、カプセルの中を心配そうに見つめている、アリアの姿があった。デルタが目を開けたのをみて、ほっとした表情を浮かべ、その目の前に1枚の紙を張り付けた。
お疲れ様。基礎検査終わったよ。
実験体 デルタの身長は……
張られている紙には、事細かに、デルタの身体の状況が記載されている。デルタは、そんなにまじまじと検査されていると思ってもいなくて、その結果を、結構恥ずかしいと思った。
ただ、いくつかの項目がないことに、この時のデルタは気が付くことはなかった。
「はい、針を抜くときには、チクッとしますよ」
いくつかの検査を経てから、最期に、採血を行うことになり、デルタは目を閉じて、自分の中から、針が無事に抜かれたことにほっと安どの息を漏らした。最初に、針を腕に打ちますよと言われたときには、とても怖かったけど、アリアは、非常に手慣れていたようで、あっという間に、その作業は終わった。
「はい、今日の検査はこれで終わりになります。」
『ずいぶんと早いな。確かに基礎検査のみのようだ』
ゼクスマキナの指摘に、こっそりとデルタは、頷いた。まだ時間は、お昼前。研究をするというのならば、まだ時間はあるはずだ。
「それに、デルタちゃんは、今日は朝から何も食べていないでしょう?」
「え?」
「お昼一緒に食べない?ここの研究科の食堂のごはん、おいしいのよ」
誰かと、ご飯を食べる、そんな習慣が、デルタにはなかった。戸惑うデルタ。そんなデルタを、アリアは、あえて、断りにくい言葉を告げた。
「実験体は、研究棟にいる間は、自分の研究者の命令に従わないといけないわ」
その言葉が、デルタの心に刺さる。やっぱり、自分はと、
「まずは、部屋に服を用意してあるから、シャワーを浴びて着替えてくること。ここでは、お昼ご飯は出ないから、私が奢ること。あと、私がお買い物に出るからデルタちゃんは一緒に付き合って、たくさん我儘を言って私を困らせること。
今日の命令は、こんなところよ」
「ええと、あの?」
デルタはアリアの言っていることがわからなかった。ただ、
「返事は?」
穏やかに微笑んでいる、アリアが今は、自分を嫌っていないとほんのわずかに知った、
「はい」
デルタの喉から、自然と声が出ていた。帰りは、フィーリーがデルタの車いすを押してくれた。フィーリーは、デルタに、建物で何を目印に移動すればよいかを教えながら、デルタを部屋まで送り届けた。
「さて、夫君、私たちの実験体に対する評価はどうかね?」
「細君。いや、困ったものだよ……いかが扱ったらいいか、悩みが尽きないね」
「いや、どうしたんですか、上官殿?なにか、今日の検査結果でまずいものがありました?」
悩んでいるライトとアリアの下に、研究者たちが、駆け寄ってくる。
「いや、これを見てくれ。これを見てどう思う」
ライトは、近くに来たバンジーに、検査機の結果票を見せる。
「……30項目中、10項目がこれですか?これは、どういうことなのでしょうか?」
「書いてある通りだよ。まあ、託されたのが、私たちでよかったな。実験体が、魔力集積機構と接続部を持っていると聞いた時点で嫌な予感はしていたのだが」
「ただ、そうだとすると、辻褄が合わないではないですか?」
研究の議論というよりも、軍人同士のロジカルな議論になっているのを、感じて、アリアはその輪の中からそっと立ち上がった。それをライトは視線で追った。
「行くのか?細君」
「ええ、約束……というか命令してますからね。たとえそうだったとしても、ここにいる以上は、私たちのかわいい実験体です。」
その声に、バンジーはほっとしたような笑みを浮かべ、そっと、右の下あごに親指を当てるようにして、耳の後ろに人差し指を這わせた。
「……はい。……はい、了解。じゃあ、着替えの手伝いの前に教えて。」
「どうやら、送り届けたみたいね。」
「ええ、今降りたみたいです。」
「じゃあ、こちらも、準備しておくわ。1か月保護できるようなレポートの提出よろしく」
アリアはそう言うと、実験室を後にして、ロッカールームに向かった。




