第87話 守護者の聞きたいこと
光座との面会は、滞在三日目の午後に決まった。
朝の授業が終わると、ロザリーが交流団へ予定を伝えた。昼食の後に着替え、学府の玄関へ集まる。武器と杖は宿泊棟へ残し、持っていく資料は引率者へ確かめてもらうこと。
ニナは、昨日買った布袋から紙を取り出した。
船室。甲板。港が近づいた朝。
一枚ずつ机に並べていると、ローディスが覗き込んだ。
「これも持っていくのか」
「ええ。船の中でどう過ごしたか、話すときに使えると思って」
ニナは紙の端を揃えた。
「昨日の人にも、船の話をしてあげてと言われたでしょう」
「レティシアさんか」
「あの人、私たちより嬉しそうだったわ」
ニナは少し考え、首を傾げた。
「嬉しい、だけではなかった気もするけれど」
ローディスも、パンを持ったまま絵を見ていた女を思い出した。
どうして面会を気にしたのかは、聞いていない。
横でセイルが、光座へ尋ねたいことを書いた紙を折り畳んだ。
「話してみないと、分からないこともあるね」
その紙には、精霊と契約した後、どのように術を学んだのかという問いもあった。
光の契約へ近づくためだけではない。
船にいた自分たちへ、あの光を届かせた人が、何を考えているのか。それも知りたかった。
◇
白い建物へ続く階段を、一行はゆっくり登った。
昨日、レティシアが見ていた方角だった。
門の前でロザリーが書面を示す。確認を終えた兵士が、一人ずつ中へ通した。
廊下の窓からは、斜面に並ぶ屋根と、その向こうの海が見える。遠くには光を返した塔があった。
案内に出てきたのは、灰色の口髭を整えた、五十歳ほどの男だった。黒い上着に細い金の縁取りがあり、白い手袋をはめている。
「本日の面会に付き添います。お席へは、私がご案内してからお進みください」
男が言うと、マレーネが頷いた。
ロザリーはここで見送り、交流団の六人と引率教員二人が奥へ進む。
扉の先には、長い卓が置かれていた。
正面の椅子に、一人の少女が座っている。
ローディスたちと同じ年頃か、少し下だろう。淡い灰色の髪は丁寧に梳かれ、細い銀の飾りで留められていた。白い衣服の裾には金糸が縫い込まれ、小さな両手が膝の上で重なっている。
目元を、幅のある白い布が覆っていた。
少女の顔が、扉の音へ向く。
「いらっしゃいましたか」
「はい。帝立アストラ兵学府の皆様です」
付き添いの男が答えた。
マレーネが進み出て、引率者と生徒たちを紹介する。
「面会の機会をいただき、感謝いたします」
「私こそ、来てくださって嬉しいです」
少女は、紹介された者の声を待つように顔を動かした。
「セレスと申します。今日は、皆さんのお話を聞かせてください」
光座。
国を守る力の持ち主は、自分たちとそう変わらない声で挨拶をした。
席へ案内されると、ローディスは椅子の脚を引きずらないよう持ち上げた。隣でセイルも座り、ニナは布袋を膝へ置く。
「まずは、入港前に助けていただいたお礼を」
マレーネが口を開いた。
「海で魔物が接近しましたが、光の迎撃によって、誰も怪我をせずに済みました」
セレスの両手が、少しほどけた。
「皆さんの船だったのですね」
彼女は一度頷いた。
「海に船がいるとは聞きました。ご無事でよかったです」
セイルは、その返答を聞いて顔を上げた。
自分たちの船だったと、今知ったのだ。
誰かが敵と船の位置を伝え、その知らせを受けて光を放ったのだろうか。
尋ねかけたところで、付き添いの男が茶を置いた。
「航海中のお話を、光座も楽しみにしておられます」
セレスが、そちらへ顔を向けた。
「はい。船は、ずっと揺れているのですか?」
◇
「揺れ方は、日によって違いました」
ニナが答えた。
「私、二日目はほとんど寝ていたんです。立つと気持ちが悪くなってしまって」
「寝台にいても、揺れるのでしょう?」
「はい。でも、歩こうとするよりは楽でした」
ニナは船室の絵を取り出し、卓へ置いた。
「こういう部屋で……」
言いかけて、彼女はセレスの目元を見た。
紙を押さえる指が止まる。
「絵を描いてきてくださったのですか」
セレスが尋ねた。
「はい」
「私は目が見えません。でも、何を描いたのか、教えていただけたら嬉しいです」
「……はい。窓が小さくて、壁の近くに寝台があります。人がすれ違うには狭いので、荷物を置く場所にも気をつけないといけなくて」
ニナは紙を手元へ戻し、一つずつ言葉にした。
セレスは、その説明が終わるまで黙って聞いていた。
「皆さん、同じ部屋だったのですか」
「男子四人は一緒でした」
アルノーが答える。
「寝台は足りましたが、脚を伸ばすと隣の荷物へ当たりそうで」
「長い船旅では、窮屈だったでしょうね」
「そうですね。でも、話し相手には困りませんでした」
セレスの口元が緩んだ。
「眠る前には、何を話すのですか」
「食事のことが多かったです」
セイルが答えた。
ローディスが横を見る。
「俺だけではありません」
「分かっています」
セレスは小さく笑った。
「四人でお話しされたのですから」
ローディスは、思わず笑い返した。
光が届いた距離も、魔物が消えた速さも、忘れたわけではない。
ただ、あの力と目の前の少女が、まだうまく重ならなかった。
◇
学校の話になると、セレスの問いはさらに増えた。
何時に起きるのか。
教本は一人一冊あるのか。
席は自分で選ぶのか。
フリーダが上級生の実習について話すと、彼女は、下級生と一緒に学ぶ機会があるかと尋ねた。
「あります。術を使う者と、剣や槍を使う者が一緒に学ぶ授業も」
「出来ないところを、教え合うのですか」
「ええ。ただ、相手の課題まで代わりにやると、教員に叱られます」
フリーダが答える。
リュカが、少し身を乗り出した。
「僕は教えてもらう方が多いので、二人に助けられています」
「お隣の方ですか?」
セレスの顔が、声のした方へ向く。
「はい。ローディスとセイルです。大剣も氷の術も見事なんですよ。昨日も、こちらの生徒と一緒に稽古していました」
「エアハルト」
マレーネが静かに呼んだ。
「君自身が学んだことも、話しなさい」
「……剣を強く握りすぎないことです」
リュカは答えた。
セレスが、膝の上で指を握った。
「力を入れるほど、よいわけではないのですね」
「腕まで固まってしまうので」
リュカは、自分の手を開いた。
「気をつけようと思っても、相手が来ると忘れます」
「何度も思い出して、練習するのですね」
その返事に、リュカは一度だけ頷いた。
「はい」
セレスが、次にセイルへ尋ねた。
「氷は、水の術とは違うものですか」
「水と火、二つの精霊の力を借ります。水を集めて、そこから熱を退けてもらうんです」
「二つとも、同じ頃に契約なさったのですか」
「少し違います。風とは、つい最近契約できました」
「最近……」
セレスが繰り返した。
「今も、新しい精霊へ契約をお願いできるのですね」
「はい。承認してもらえるとは限りませんが」
セイルは答え、それから尋ねた。
「セレス様は、契約の後、どなたから術を習われたのですか」
付き添いの男が、卓の端へ進んだ。
「光の術の修得に関するお話は、この面会ではお答えいたしかねます」
セイルは、男の方を向いた。
「承知しました」
セレスの指が、再び膝の上で重なった。
「では……休みの日のお話を、聞いてもよいですか」
彼女が言った。
「皆さんは、町へ出かけるのでしょうか」
ローディスが答えた。
「はい。武器の手入れを頼みに行ったり、必要なものを買ったりします」
「誰と行くかも、自分で決めるのですか」
「友人と相談します。用事が違えば、別々に行くこともあります」
「途中で、行く場所を変えることも?」
「時間と、外出の決まりを守れる範囲なら」
ローディスは、学府の商店区画を思い浮かべた。
工房へ行くつもりが、薬房の前でセイルを待つことになったりする。店を出てから、食べ物の匂いに足を止めることもある。
「予定になかった店へ寄ることは、あります」
セレスは黙って聞いていた。
セイルには、先ほどの自分の問いよりも、その小さな返答の方が、彼女へ深く届いたように思えた。
◇
茶が冷める頃、付き添いの男が時間を告げた。
セレスは、すぐには立たなかった。
「最後に、一つだけ」
彼女の顔が、交流団へ向く。
「こちらでは、どこへ行かれましたか」
「昨日、市場へ行きました」
ニナが答えた。
「広場に水盤があって、その裏に店が並んでいました。案内してくれた方が、船へ持っていく袋やパンのことを教えてくださって」
「市場の……」
セレスが、少し顔を上げた。
「どんな方でしたか」
「女の人です。店の違いに詳しくて。ローディスがパンを分けたら、船旅の絵も見てくださいました」
ニナは、膝の上の紙へ手を置いた。
「光座へ、外で過ごしたことをたくさん話してあげて、と」
セレスの唇が、わずかに開いた。
だが、声は出なかった。
「今日は、ここまでといたしましょう」
付き添いの男が、椅子の横へ立った。
少女の手が、膝の上で握られる。
マレーネは立ち上がり、面会への礼を述べた。
生徒たちも順に挨拶をする。ニナは紙を布袋へ戻しかけたが、その音にセレスが顔を向けた。
「絵は、お持ち帰りになりますか」
「よろしければ、船の絵を残します」
「いただけますか」
セレスが言った。
「誰かに、また説明してもらえますから」
ニナは、船室と甲板を描いた二枚を渡した。付き添いの男が受け取り、少女の手元へ置く。
セレスの指が、紙の端を確かめた。
「ありがとうございます」
その声を聞いてから、一行は部屋を出た。
◇
階段を下りる途中、ローディスは海を見た。
自分たちが乗ってきた船は、港の中にある。広場の水盤も、ここからなら見えた。
「学校の話だけでも、ずいぶん聞いてくれたな」
彼は隣のセイルへ言った。
「ああ」
セイルは、短く答えた。
あの光が使えたら。
船でそう思ったことは、消えていない。
けれど、その力を持つ少女は、誰と町へ行くのか、途中で道を変えられるのかと尋ねた。
自分が欲しいものと、彼女が知りたいことは違っていた。
それだけで、あの力が欲しくなくなったわけでもなかった。
セイルは、折り畳んだ質問の紙へ指を添えた。
光の術を誰から習ったのか。
返事を止めたのは、セレスではなかった。
階段の下では、ロザリーが待っていた。
白い建物へ背を向けると、潮の匂いを含んだ風が吹いてくる。
セイルは一度立ち止まり、海の方へ顔を向けた。
次にどちらへ歩くか、自分で選べる場所に戻ってきた気がした。




