第80話 剣を握る手に
希望書を差し出すと、マレーネは名前と記入欄へ順に目を通した。
「ベルグ、クローデン、エアハルト。三人とも受け取りました」
教員机の端には、すでに何枚もの紙が重なっている。
ニナの筆跡が、一番上に見えた。
「選抜の結果は、掲示と口頭で知らせます。提出しただけで参加が決まったと思わないように」
「はい」
ローディスが答えた。隣でリュカも頷く。
教室を出てから、セイルがリュカへ顔を向けた。
「結局、何を書いたの?」
「光の国で、精霊術を使わない人がどう暮らしているのか知りたいって」
「術師ではなく?」
「術師の話は、君がたくさん聞いてくれそうだからね。僕には、そっちの方が身近だよ」
廊下を、生徒が二人追い越していく。
リュカはその背を見送り、窓辺へ少し寄った。
「同じ国に住んでいても、できることは違うでしょう。それでも、同じ光の下で暮らしてる。どんなふうなのかと思って」
「聞けるといいな」
ローディスが言うと、リュカは笑った。
「まずは選ばれないとね。希望書の字がきれいだった分も、見てもらえるかな」
「それなら、俺が不利だ」
「読めたから受け取ってもらえたんだよ」
セイルの返事に、ローディスは自分の掌を見た。
筆を握った跡が、まだ指に残っている。
剣以外に握るものが、このところ増えていた。
◇
再検査の日時が届いたのは、その翌日の夕方だった。
旧武器庫の合図石を確かめに来た小型ゴーレムが、返事とともに通知を残していった。検査は二日後の夜、前と同じ旧演習場で行う。
ローディスは返送する紙へ、補助具の相談もしたいと書き添えた。金の精霊との契約は成立したこと。今は短い刃物の形を練習していること。以前の申し出を受け、製作を頼みたいこと。
紙は筒へ収め、次の定時回収を待った。
約束の夜、三人は人影のない旧演習場へ向かった。
濃色の外套と頭巾で姿を隠している。周囲を確かめ、観覧席の陰へ入ると、やがて上空から四つの火が近づいた。
アーデルハイトは石床へ降りる直前に火柱を消した。四基の推進環が背後へ戻っても、白衣の裾は地面につかない。
「お待たせ。検査と製作相談を一度に頼むなんて、私の使い方を覚えたわね」
「前に、契約できたら相談していいと言われたので」
ローディスが答えると、彼女は楽しそうに頷いた。
「覚えているわ。まずは、そちらの可愛い子から」
「順番待ちなら、今日は僕が最後でもいいよ」
リュカが言った。
「駄目。あなたが帰っていいか決めてから、長話をするの」
アーデルハイトは検査板を取り出した。
リュカは観覧席へ腰を下ろし、両方の長靴を脱ぐ。ローディスとセイルは外側へ立ち、演習場へ通じる道も見える位置を取った。
頭上へ浮いたU字型装具の先端で、青白い雷が瞬く。
前回と同じ金属棒が両脚を囲み、命の精霊術による検査が始まった。
アーデルハイトは、預かってきた記録と検査板を見比べた。すぐには結論を言わず、右の足首をなぞった後で、左側も同じように確かめる。
「前に診たときから、さらに大きく広がった箇所は見当たらない」
「戻ってはいないんだね」
リュカが尋ねる。
「ええ。変形しなかった期間があることと、変形しなくなったことは別よ」
透明な板の赤い線は、前回見せられたものとよく似ていた。
「今の検査だけで、遠くへ行っても大丈夫とは言えない。旅の日数と、異変が起きたときに誰へ頼れるかも必要ね。結果は依頼元へ戻すわ」
「僕が行きたいと言っても?」
「それも添える。検査の結果とは別にね」
リュカは、膝へ置いた手を一度握った。
「分かった。添えておいて」
アーデルハイトは頷き、右足首の検知環も確かめた。
緩みを直してから手を離す。
「記録は続けなさい。新しい症状が出たら、次の診察まで待たないこと」
「うん」
短く答え、リュカは長靴を履いた。
ローディスはその手元を見届けてから、自分の荷物を開いた。
◇
厚い布の上へ、短い刃物を置く。
アーデルハイトは柄を持ち上げ、刃の根元を横から見た。
「これが、あなたの作った刃物?」
「同じ重さの鉄棒からなら、この形にできます。まだ紙を見ながらです」
ローディスは、折り目のついた精霊語の手本も差し出した。
「戦いながらは言えません。大剣を落としたときに、ここから始めていたら間に合わない」
「だから、願いを前もって紋章にしておきたいのね」
「はい。剣を握る邪魔にならない術具を、作ってもらえませんか」
アーデルハイトの視線が、刃物からローディスの手へ移る。
「手を出して。掌を上へ」
節の太い指を広げると、彼女は手首から指先までの長さを測った。握れと言われ、今度は拳を作る。
「たくましい手ね。細い道具の扱いには苦労しそうだけれど、こういう手も嫌いじゃないわ」
「細かい線は、まだうまく描けません」
ローディスが正直に答える。
「そこは練習してもらう。装具を作るのは私でも、使う紋章まで代わりに描いてあげるわけにはいかないもの」
アーデルハイトは手本を布へ戻した。
「意味を理解して、あなた自身で描く。できた線は私が確かめる。それを組み込む形で考えましょう」
「描く場所が小さいと、難しくなりますね」
セイルが言った。
「指先へ全部詰め込むつもりはないわ」
アーデルハイトは新しい紙を広げ、手首から肘へ線を引いた。
薄い革のグローブ。その上から、手の甲と前腕を覆う金属の板。
指の関節は覆いすぎず、紋章を収める場所は腕側へ取る。
「ガントレットにする。剣を握る掌は薄く、機構は外側。紋章板を外せるようにしておけば、机の上で描けるし、傷んだときも一枚ずつ替えられる」
ローディスは、手首に沿って描かれた線へ目を落とした。
「大剣を振っても、外れないようにできますか」
「そのために今、あなたの手を測っているのよ。出来合いの杖を腕へ縛るのではないの」
アーデルハイトは自分の頭上を指した。
「ただし、私の装具と同じにはしない。思考を拾うには雷との契約が要る。あなたのは、指で選ぶ仕組みよ」
図の親指側へ、小さな突起が描き足される。
「握り込んだだけでは切り替わらない位置を探す。選んだ後、マナを通して発動する。何も考えず拳を固めたら、持っている剣まで曲がった、では困るでしょう」
「それは困ります」
ローディスは即答した。
「材料も決めておく。最初は、今練習している鉄棒と短い刃物だけ。どの鉄を、どんな形にするか。願いを曖昧にしないためよ」
「槍や、投げるための刃も、いずれ作りたいです」
「形と使い方を覚えたら、次の板を増やせばいい。今日、全部を詰め込む必要はないわ」
アーデルハイトは、布に置かれた刃物を指した。
「紋章にすれば願いを伝える時間は縮められる。でも、この刃が勝手に丈夫になるわけではない。鉄の量も、あなたのマナも増えない」
「ガルドさんにも、強さはまだ確かめる必要があると言われています」
「なら、そちらも続けなさい。私が用意するのは、あなたが覚えた術を使うための道具。覚えていないことまで、代わりにできる手ではないわ」
ローディスは頷いた。
掌へ目を戻す。
剣を失った瞬間に、この手へもう一つ武器を持てる。
今は、それだけでも十分に欲しかった。
「お願いします」
「待ってください」
セイルが口を挟んだ。
「費用と、使う条件をまだ聞いていません」
「本当に、うちへ来て会計も見てくれない?」
「まず、その二つに答えてください」
アーデルハイトは笑い、紙の端へ別の欄を設けた。
「設計と材料を見積もってから知らせる。それを見て、正式に注文するか決めなさい。試作だから、最初の一つで済むとは約束しない」
「旅に間に合いますか」
ローディスが尋ねる。
「出発日も決まっていないのに、間に合うとは言えないわ。それに、完成と実戦へ持ち出せることは別。使えるか確かめる時間も要る」
ローディスは口を閉じ、頷き直した。
選抜も、リュカの渡航も、まだ決まっていない。
新しい道具まで、できあがったつもりで考えていた。
「それから、使用条件」
アーデルハイトの指が、図の紋章板を覆う蓋へ触れた。
「私の研究用の機構を使う。製作資料も、中の構造も機密扱いよ。授業や学内の模擬戦には持ち込まないこと」
「人目のないところで練習するのは?」
セイルが尋ねた。
「人がいないだけでは駄目。ここだって、普段は生徒が来るでしょう。試験の場所と、管理する者を決めてから。持ち出せる任務についても、依頼元との確認が済むまでは使わせない」
「制服の袖で隠せばいい、という話ではないんですね」
「ええ。隠れているから使っていいとは言っていないわ」
アーデルハイトはローディスを見た。
「学校では、今までの手袋を使いなさい。私の装具なしでも剣を握れるように」
「分かりました」
ローディスは答えた。
授業で腕前を見せるために、頼んだのではない。
誰にも助けを呼べない場所で、剣を失った後にも、仲間の前へ立てるようになりたかった。
「見積もりをお願いします。紋章も、自分で描けるようにします」
アーデルハイトは紙へ短く書き足した。
「では、製作に向けた相談として受けるわ。今度、剣の柄を握った状態でも測らせて。鎧だけ立派で剣を取り落とすところなんて、見たくないもの」
「ローディスなら、取り落としても拾うところまで勇ましく見えるよ」
横で聞いていたリュカが、にこりと笑った。
「剣を作り、剣を振り、剣を拾う。ひとりで武器庫一つ分の活躍だ」
「落とさない方を褒めろ」
ローディスが返すと、アーデルハイトも笑った。
測った寸法の紙を鞄へしまい、グローブの輪郭を描いた紙も続けて収める。
今夜、手渡される装具はない。
ローディスの手元へ戻ったのは、まだ頼りない刃物と、練習に使ってきた紙だけだった。
◇
アーデルハイトを見送った後、三人は頭巾をかぶり直した。
演習場を出る前に、リュカが足首を確かめる。二つの石は暗いままだった。
「行けるとは、言ってもらえなかったね」
リュカが言う。
「旅程が決まってから、もう一度判断するんだろう」
ローディスは答えた。
「今夜、無理だと言われたわけでもない」
「うん」
リュカは長靴の上を外套で覆った。
「君のガントレットも、すぐには手に入らない」
「描く紋章を覚えて待つ。今日の話なら、やることは分かった」
「線の意味から確認しよう。短くするために勝手に省いたら、別の願いになるからね」
セイルが言った。
「頼む」
ローディスが答えると、リュカは小さく笑った。
「明日の朝は、二人とも机に向かうんだ」
「風の練習もするよ。木の盾を置く約束をしたばかりだ」
セイルは演習場の柱へ目を向けた。
「今までの練習まで、やめる理由はないからね」
柱の向こうでは、暗い葉が風に鳴っていた。
ローディスは、布に包んだ刃物を抱え直す。
装具を待つ間にも、覚えられることがある。
まずは明日、この手で正しい線を引くところからだった。




