第77話 鉄の返事
翌朝、教室の掲示板に新しい紙が貼られていた。
学府または軍を名乗る呼び出しを受けた場合は、普段から知る教員に確認すること。校外へ出る生徒は行き先を届けること。いずれも学年を問わず適用する、とある。
「昨日、先生から聞いたのと同じね」
ニナが紙を読み、隣のトビアスへ言った。
「俺たちまで、誰かに呼び出されるかもしれないってことか」
トビアスは右手首を左手で支えている。崩落孔から引き上げられた日に比べれば動くようにはなったが、槍を握る許可はまだ下りていない。
「私たちだけの決まりではないみたいね。上級生にも同じ紙が配られていたわ」
ローディスとセイルが教室へ入ると、二人の視線がこちらへ向いた。リュカは少し遅れて後ろから来る。
「昨日、何か聞いた?」
ニナは声を落とした。周囲には、掲示を読んで首を傾げる生徒もいる。
「地下へあの獣を運ばせた者は、まだ捕まっていないそうだ」
ローディスが答えた。
「それで、俺たちも気をつけろって?」
トビアスが尋ねる。
「俺たちがまた狙われると決まったわけじゃない。ただ、注意は続けてほしいと言われた」
「相手の顔くらい分かれば、近づいてきたときに気づけるんだけどな」
トビアスが右手首を見た。
「手が治るのを待ってる間にも、何かできればと思ったんだ」
「その本人が来るとは限らないよ。事情を知らない人に、書面を届けさせるかもしれない」
セイルは掲示へ目を向けた。
「相手の顔で判断するより、呼び出されたときに先生へ確かめる方がいい。僕たちはマレーネ先生に聞くつもりだ」
「急いで来いと言われても?」
ニナが尋ねる。
「確かめてからだ。先生のところまで来てもらえばいい」
ローディスが答えた。リュカも掲示を読み終え、二人へ顔を向ける。
「一人で言いにくかったら、僕も一緒に先生のところへ行くよ」
ニナは掲示をもう一度読み、頷いた。
「理由が分からなくても、確認するまで待ってもらっていいのね」
「俺もそうする。怪しいかどうか、自分で見抜かなくてもいいんだな」
トビアスが右手首から手を離した。ローディスは頷き、掲示板の前を空ける。後ろで待っていた生徒たちが、代わって紙を読み始めた。
◇
放課後、ローディスは行き先を届けてから、〈赤槌工房〉へ向かった。店に入ると背負っていた大剣を壁際へ置き、ガルドに曲がった鉤を差し出す。
ガルドは先端を指でなぞった。
「何を引いた」
「地面へ置いた木剣です。引き寄せられましたが、先が開きました」
「形は鉤でも、力を受ける場所が細すぎる」
ガルドは鉤の根元を万力に挟み、湾曲した部分へ紐を掛けた。紐をローディスに引かせながら、細く延びた箇所を示す。
「ここばかり薄くしただろう。引く力を受け止める場所なのに、先を曲げることばかり考えてたな」
「鉤の形になれば、使えると思っていました」
「形にした後のことも考えろ。剣だって、刃がついていれば敵の一撃を受けられるわけじゃねえ」
ガルドは鉤を万力から外し、ローディスへ返した。
「先を太くすりゃ済むと思うか」
「曲がった部分に鉄を寄せます」
「その分、どこが細くなる」
ローディスは鉤を見直した。先端へ鉄を寄せれば、柄につながる部分から厚みが減る。
「柄を短くして、その分を回します。同じ長さを残すなら、材料を足さないと」
「ようやく量の話をしたな」
ガルドは屑鉄の箱から、短い鉄片を一本渡した。
「金の精霊に頼むつもりのときも同じだ。鉄片一本で大剣を二本作れと言っても、足りねえものは足りねえ」
ローディスは鉄片を手に載せた。軽い。これを延ばして刃にすれば、薄くてすぐに折れるだろう。
壁際には、研ぎ直した大剣が立て掛けてある。あの刃を長くすれば、その分どこかが薄くなる。必要に応じて武器を変えるには、形だけでなく、どれだけの金属を使うかも考えなければならない。
「この鉤は、直さなくていいんですか」
「そいつは置いとけ。今日は、その鉄片を輪にしろ。まずは厚みを揃えて曲げるところからだ」
ガルドは小槌を渡した。ローディスは鉤を作業台へ置き、炉へ向き直る。
熱した鉄片を火箸で押さえ、小槌を落とす。同じ力で打っているつもりでも、一方の端ばかりが薄く延びた。持ち上げて横から見ると、厚いところと薄いところの差がよく分かる。
ガルドに示された箇所へ槌を当て、炉で熱し直し、また打った。ようやく曲げ始めても、両端は同じ高さへ揃わない。
夕方になっても、輪は閉じなかった。
「今日はここまでだ」
ガルドが炉の火を落とす。ローディスは火箸で鉄片を水へ入れ、十分に冷ましてから作業台へ置いた。向かい合った両端の間には隙間があり、片側だけが上を向いている。
「もう一度、明日打ちます」
「勝手にしろ。だが、何をどう変えたいかは前より分かってきたんじゃねえか」
ローディスは鉄片の両端を見た。以前なら、輪の形にしてほしいとしか言えなかった。今は、厚みを揃えること、曲がりを直すこと、最後に両端をつなぐことが、それぞれ別の作業だと分かる。
「全部を一度にやろうとしても、うまくいかないんですね」
ローディスは指で、鉄片の曲がりを辿った。
「金の精霊にも、ただ武器にしてくれと頼むつもりでした。けれど、何を変えてほしいか、自分で分かってから伝えないと」
「それを覚えに来たんだろう」
「はい。今日は、契約を申し込んでみたいんです」
「ここでか」
「場所を借りてもいいですか」
ガルドは作業台に残っていた道具を片づけた。
「構わねえ。ただし、認められてもいきなり大剣を変えようとするなよ。まずは小さい物で、自分がどれだけマナを使うか確かめろ」
「分かりました」
ローディスは作業台の中央へ、閉じきらなかった輪を置いた。その横に、懐から出した紙を広げる。
金との契約を志してから、鍛冶の修業と並べて覚えてきた文だった。教本の契約文を書き写し、セイルに発音を確かめてもらった跡が、行間に残っている。
知っている単語は少ない。自分の言葉を、その場で精霊語へ置き換えることなどできなかった。
手元にある金属を、戦うために必要な形へ変えたい。剣を失っても、誰かの前に立つことを諦めずに済むように。
その思いを胸に置き、まずは練習した呼びかけを口にする。一度、長い音の途中でつかえた。紙の印へ目を戻し、息を整えて言い直す。
対価としてマナを渡すこと。力を借りたいこと。意味を確かめて覚えた契約の文を、ひと区切りずつ読み上げた。続いて、承認された際の合図として鉄片の端を持ち上げてほしいという、用意してきた短い願いを伝える。
炉の残り火が音を立てた。
鉄片は動かない。
ローディスは言葉を重ねかけ、やめた。返事を急がせるために、同じ願いを繰り返しても変わらない。
金属を見つめたまま、待つ。
薄い方の端が、ごく僅かに持ち上がった。
火の揺れでも、台の震えでもない。ガルドも作業台の反対側で、それを見ていた。
「承認されたか」
「確かめます」
声も姿も分からない。それでも、自分で頼んだ合図は確かに起きた。
ローディスは紙の下段へ目を移した。契約できたら試すために、金属を曲げる短い文も教本から写してある。鉄片の端を指で示し、覚えた発音を一つずつ辿りながら、内側へ曲げるよう願った。今度は、教わったとおりにマナを差し出す。
鉄がゆっくり曲がる。両端の隙間は狭まったが、ずれた高さは揃わない。先の角が触れたところで、ローディスはマナを送るのをやめた。
ローディスは作業台へ両手をついた。息が速い。
「もうやめておけ」
ガルドは輪にならなかった鉄片を摘み上げる。
「曲がったが、つながってはいねえ。今日はここまで動かせたと覚えて帰れ」
「はい」
ローディスは鉄片を受け取った。角同士が触れているだけで、輪としては使えない。それでも、マナを送るのをやめた後も、鉄は曲がった形を保っていた。
槌を握っていない自分の手を、一度だけ見下ろした。
◇
食堂では、セイルとリュカが夕食を食べていた。ローディスは自分の食事を受け取り、二人の向かいへ座る。
「鉤は見てもらえた?」
セイルが尋ねる。
「ああ。薄く延ばしすぎたそうだ。今日は別の鉄片で、厚みを揃えるところからやり直した」
ローディスは二人の前に、まだ両端のつながっていない輪を置いた。
「こっちも完成しなかった。ただ、最後に曲げたのは金の精霊だ」
セイルは輪を手に取り、合わせ目を確かめる。
「契約できたの?」
「ああ。発音を見てもらって助かった。紙を読まずには、まだ言えないけどな」
「言葉は少しずつ覚えればいいよ。これは、どこまで術で曲げたの?」
セイルが輪の端を示す。
「端を寄せて、角が触れるところまでだ。それだけで、かなりマナを使った。つなぐところまでは試していない」
「じゃあ、盾を頼むのはもう少し先かな」
「まずは、これを使える輪にしてからだ」
リュカが両手を叩いた。
「素晴らしいよ、ローディス! 大剣で道を切り開いた剣士が、今度は精霊の信頼まで勝ち取ったんだ。工房中が拍手したんじゃない?」
「ガルドさんには、もうやめておけと言われた」
「それは、無理をしてほしくなかったんでしょう。契約できたことまで小さく言わなくていいよ」
リュカが笑う。ローディスは開いた輪を見て、頷いた。
「ああ。次は、閉じるところまでやる」
セイルは輪を返した。ローディスはそれを布へ包んでから、ようやく匙を取る。その腹が鳴ったのを聞き、セイルが続けた。
「次の練習より、まず夕食だね」
「ああ。昼に食べた分では足りなかった」
ローディスは煮込みを一口食べ、パンへ手を伸ばした。リュカが自分の残していた一切れを、その皿へ載せる。
「僕からのお祝いは、これでいい?」
「助かる」
即座に答えたローディスを見て、セイルが笑った。
布の中の鉄は、まだ不格好なままだった。明日直したい箇所なら、もう分かっている。




