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黒淵のアストラ  作者: 咢
第5章 暗流

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第55話 三つの証言

 翌日の放課後、兵学府の教員棟に三人分の椅子が並べられていた。


 ただし、面談室へ入れるのは一人ずつだった。


 廊下の長椅子へローディス、セイル、リュカの順に座り、その正面にはマレーネが立っている。


「昨日の通知にあったとおり、証言の内容を互いに相談してはいけません」


「昨日より前には、もう話してるよ」


 リュカが言った。


「それを忘れろとは言いません。今から答えを揃えようとするな、という意味です」


「揃えなくても、見たものは同じです」


 ローディスが答える。


「同じ場所にいても、見ているものは違います」


 マレーネは閉じた扉へ目を向けた。


「推測で仲間の証言を補わず、自分が見聞きしたことだけを答えなさい。分からないことは、分からないと言えばよいのです」


「話せないことは?」


 セイルが尋ねた。


 マレーネの目が、僅かに細くなる。


「軍務監察局による正式な事情聴取です。帝国軍の不正を調べるために必要な質問には、答える義務があります」


マレーネが伝えているのは、あくまで兵学府の生徒として事情聴取へ臨む際の原則だ。


彼女は、三人が宵衛に所属していることを知らない。


組織へつながる質問をされた場合だけは、この助言にそのまま従うわけにはいかなかった。どこまで答えるかは、三人がそれぞれ判断するしかない。


 扉が内側から開いた。


 若い書記官が顔を出し、手元の名簿を確かめる。


「ローディス・ベルグ。入ってください」


 ローディスは立ち上がった。


「行ってくる」


「健闘を祈るよ」


 リュカが手を振る。


「戦うわけじゃない」


「質問に大剣で答えないようにね」


「持ってきていない」


 ローディスは腰に武器がないことを確かめてから、面談室へ入った。


     ◇


 室内にいる軍人は二人だった。


 一人は先ほどの書記官。


 もう一人は、窓を背にして机の向こうへ座っている。


 四十歳前後の男だった。短い焦茶色の髪には白いものが混じり、額から右眉へ下りる古傷が、眉間の皺をいっそう深く見せている。


「軍務監察官、ディルク・ハーゼだ」


 男は立ち上がらず、向かいの椅子を示した。


「座れ。これは罪を認めさせるための取り調べではない。北方で出された回収命令の経路を確認するための事情聴取だ」


「分かりました」


 ローディスが腰を下ろす。


 机には北方支部へ提出した報告書と、受領証の写しが置かれていた。


「最初に確認する。お前たちは兵学府の校外実地課程で北方に滞在し、天穿山脈から得た証拠品を北方支部へ運んでいた」


「はい」


「何の証拠だ」


「六本の指を持つ異形と、そいつが持っていた黒い壺です。異形の頭と右手、壺の破片、口に隠していた針を箱へ入れていました」


「誰が箱へ封をした」


「竜人の村長です」


「北方支部へ荷の内容を伝えたか」


「いいえ。支部へ戻ってから報告する予定でした」


 書記官の筆が紙を擦る。


 ディルクは報告書を見ず、ローディスの顔を見ていた。


「回収班が現れたとき、最初に何を見た」


 ローディスは監視小屋の前へ止まった馬車を思い出した。


「軍の外套を着た男が三人。御者を入れれば四人です。先頭の男は馬車から降りると、俺たちより先に箱を見ました」


「箱の位置は」


「一つは俺が背負っていました。もう一つと革袋は、監視小屋の壁際です」


「布などで隠していたか」


「獣皮で包んでいました。ただ、箱だということは見れば分かります」


「男は、三つの荷をすべて見渡したのか」


 ローディスはすぐには答えなかった。


 あのとき、ケルナーの視線は自分の背へ向いていた。


「最初に見ていたのは、俺が背負っていた箱です。残りまで見たかは覚えていません」


「分からない、ではなく、覚えていないか」


「はい」


 ディルクは一度だけ頷いた。


「命令書を見せられる前から、男は荷の中身を知っている様子だったか」


「天穿山脈から回収された物品を渡せと言いました。中身までは口にしていません」


「箱二つと革袋一つ、とは」


「命令書を読んだセイルが気づきました」


「お前自身は読んでいない」


「横から印と文字は見ました。でも、細かい内容までは」


「正直だな」


「読んでいないものを、読んだとは言えません」


 ディルクの口元が僅かに動いた。


「ヴォルフ・ケルナーたちは、戦うつもりだったと思うか」


「俺たちが渡さなければ、武器へ手を伸ばしたかもしれません」


「質問を変える。彼らは、荷を奪うために来た犯罪者に見えたか」


「いいえ」


 ローディスは迷わなかった。


「命令を受けた兵士に見えました。少なくとも、後ろの二人は。年上の兵士は、受け渡しの記録が必要だとケルナーへ進言しています」


「ケルナーは」


「急いでいて、俺たちを邪魔だと思っていました。でも、受領証には自分の名前と命令番号を書き、印も押した。自分の任務が不正だと知っていたなら、あそこまで残すとは思いません」


「思わない、か」


「俺の推測です」


「今の一文は、証言と分けて記録する」


 ディルクが書記官へ視線を送り、筆が一度止まった。


「最後だ。回収班が来る時刻を、事前に知っていた者は」


「俺たちは知りませんでした。北方支部の兵も、監視小屋の番兵も、来るとは思っていなかったはずです」


「竜人の村は」


「知りません。下山後に軍へ渡す可能性があることは話しましたが、あの場所で回収班が待っているとは、誰も考えていませんでした」


「考えていなかったことを、どう証明する」


 ローディスは言葉に詰まった。


「証明は、できません」


「それでいい。出ていいぞ」


 あっさり告げられ、ローディスは椅子から立った。


「一つ、聞いてもいいですか」


「内容による」


「ケルナーたちは、何を運んでいるか知っていたんですか」


「それを確かめている」


「本人には聞いたんですか」


「聞いた。命令書に書かれたものを、書かれた数だけ受け取った。それ以上は知らないと答えた」


「嘘だと思いますか」


 ディルクは机上の報告書を閉じた。


「今度は、お前が俺へ推測を求めている」


「……そうですね」


「俺の推測は、報告書には書かない」


 それ以上の答えはなかった。


     ◇


 ローディスが面談室から出る。


 セイルは立ち上がったが、何を聞かれたとは尋ねなかった。


「長かったね」


 リュカが言う。


「質問が多かった」


「僕の予想が当たった」


「お前が言ったのは、質問の多い大人だろ」


「同じことだよ」


 書記官が次の名を呼ぶ。


「セイル・クローデン。受領証原本も持って入ってください」


 セイルは制服の内側を一度押さえ、部屋へ入った。


 椅子へ座る前に、薄い木板へ挟んだ紙を机へ置く。


「原本です。確認が終わったら返してください」


「まず封を解け」


「その前に、原本を受け取ったという記録をお願いします」


 ディルクが眉を上げた。


「まだ俺の手には渡っていない」


「では、触れる前にお願いします」


「監察官を信用していないのか」


「信用の有無と、記録を残すことは別です」


 ディルクは数拍黙った後、書記官へ顎を向けた。


「受領時刻、原本一枚。確認後に返却予定と書け」


「返却時にも署名を」


 セイルが付け加える。


「先に座れ」


 怒鳴りはしなかったが、声は低くなった。


 セイルは素直に腰を下ろした。


 書記官が記録を終えると、セイルは木板の紐を解いた。


 受領証へ最初に触れたのはディルクではなく、白い手袋をつけた書記官だった。


 紙の厚さ、端の傷、折り目、墨の滲み、回収班印。


 一つずつ確認し、持参した写しと照らし合わせる。


「写しと違う箇所は」


 セイルが尋ねる。


「ない」


 ディルクが答えた。


「北方支部から届いたものと同じだ。印にも、今のところ不自然な点は見つかっていない」


「なら、原本まで必要だった理由は?」


「写しを作った後で、原本へ何かが加えられていないか確認するためだ」


「僕たちを疑った?」


「全員を疑うのが仕事だ」


 ディルクは受領証の一行を指した。


「この荷数を、ケルナーが書いたのか」


「はい。僕が箱二つと革袋一つ、封が壊れていないことを書くよう求めました」


「命令書にも同じ数があった」


「ありました」


「お前が命令書を読む前に、ケルナーから数を聞いたか」


「いいえ」


「荷を一つずつ見せた後で、命令書を読んだ可能性は」


「ありません。彼らが触れる前に確認しました」


「命令書の発令印は」


「軍務院のものに見えました。僕は本物の印を細部まで知りません。ただ、北方支部の指揮官は形式が正規だと判断しました」


「命令番号は記憶しているか」


 セイルは番号を口にした。


 ディルクは机上の紙と照らし合わせる。


「合っている」


「受領証を持ってきていますから」


「今は見ずに答えただろう」


「何度も確認しました」


 ディルクは別の紙を取り出した。


「命令番号は実在する。回収班も、ケルナーも実在する。命令を受けた三人は全員、自分たちは正式な任務を果たしたと証言している」


「それなら、何を調べているんですか」


「その命令が、何を根拠に作られたかだ」


 ディルクは紙を裏返した。


 セイルから文字は見えない。


「回収要請は、お前たちが異形と遭遇する二日前に受理されていた」


 セイルは返事を忘れた。


「異形がどこにいるか、僕たちにも分かっていなかった」


「だから聞いている。遭遇前に、六本指の存在や黒い壺の位置を知る者と接触しなかったか」


 竜人の村へ入る前。


 足跡を追い、野営地を見つける前。


 三人へ任務を告げたのは、宵衛の小型伝令ゴーレムだった。


 だが、組織が知っていたのは、別の渓谷で陶器と足跡が見つかったことまでだ。


「接触していません」


 セイルは答えた。


「少なくとも僕は、遭遇するまで異形の居場所を知りませんでした。黒い壺を持っていることも」


「ほかの二人は」


「本人に聞いてください」


「聞く」


 ディルクはそれ以上追及せず、書記官へ受領証を戻させた。


 セイルは紙を木板へ挟み直す前に、表裏を確認する。


「返却時刻と署名を」


「忘れていない」


 書記官が記録へ追記し、ディルクが署名した。


「原本は持ち帰れ。今後も手放すな」


 予想していなかった言葉に、セイルは紙から顔を上げた。


「軍務監察局で保管した方が安全では?」


「正規の保管庫に置けば安全だと、今の俺が保証すると思うか」


 ディルクの表情は変わらなかった。


 それでも、その一言だけで、彼が何を疑っているかは十分に伝わった。


     ◇


 三人目に呼ばれたリュカは、椅子へ座るなりディルクの古傷を見た。


「痛そうですね」


「事情聴取と関係があるか」


「緊張をほぐそうかと」


「誰の」


「僕のです」


「そうは見えない」


 ディルクは報告書を開いた。


「お前には、ほかの二人と違う質問をする」


「僕だけ疑われてる?」


「回収班が現れたとき、お前だけ笑っていたと複数の記録にある」


「笑顔は相手との関係を円滑にします」


「ケルナーとの関係は円滑になったか」


「黙っていろと言われました」


「では、失敗だな」


「厳しい評価ですね」


 書記官が咳払いをした。笑いを隠したのか、単に喉が鳴ったのかは分からない。


「お前は、回収班が来るのが早すぎると言った」


 ディルクが続ける。


「なぜそう思った」


「北方支部へ報告していなかったからです」


「支部を通さず、別の相手へ報告した可能性は」


「竜人の村には、僕たちが証拠を持って下山することを知っている人がいました」


「帝国側では」


「学府は、僕たちが北方街道へ派遣されたことを知っています。北方支部は、僕たちが村へ入ったことを知っています。カイルの移動許可に関わった人も、行き先を知っていたと思います」


「質問への答えが広いな」


「誰が帝国側に含まれるのか分からなかったので」


「では限定する。証拠の内容と荷数を、帝国側の者へ伝えたか」


「伝えていません」


「回収班が現れる前、帝国に属さない相手には」


 リュカの笑顔は変わらなかった。


 フィルへ渡した手紙。


 村へ伝えた報告。


 そして北方支部の宿泊室から、宵衛へ送った秘密報告。


 だが、秘密報告を出したのは証拠を引き渡した後だ。


「竜人の村では、荷の中身を共有しました。村長が封をしたからです」


「ほかには」


「ありません」


 嘘ではない。


証拠を引き渡した後の報告を、自分から付け足さなかっただけだ。


 ディルクはしばらくリュカを見た。


「お前は、言葉を選ぶのが上手いな」


「褒められました?」


「評価しただけだ」


「では、喜ぶのは保留にします」


「もう一つ。六本指の異形は、死ぬ前に何を言った」


 リュカの足先が、僅かに動いた。


「証拠を残すな、と別の声に命じられていました」


「その前後だ」


「役目は終わった、と」


「お前個人へ向けた言葉は」


 ――その中に。


 言い切られる前に途切れた言葉。


 公的な報告書にも、宵衛への報告書にも記した。


「僕の中に何かあるようなことを言いかけました。意味は分かりません」


「心当たりは」


「ありません」


 今度も、笑顔は崩さなかった。


 ディルクが知りたいのは命令経路だ。


 自分の足に何があるかではない。


「分かった。以上だ」


「僕にも質問していいですか」


「一つだけだ」


「僕たちの中に、嘘をついた人はいました?」


 ディルクは眉間の皺を深くした。


「ほかの証言者の内容は教えられない」


「それは残念」


「だが、お前たち三人は、聞かれたことには答えた」


「聞かれなかったことには?」


「それを自分から聞くのか」


 リュカは立ち上がった。


「質問は一つまででしたね」


     ◇


 事情聴取を終えた三人は、マレーネに連れられて教員棟を出た。


 外では日が傾き、演習場から最後の号令が聞こえている。


「何を聞かれた?」


 ローディスが口にすると、マレーネが足を止めた。


「事情聴取の直後です」


「もう終わりました」


「調査は終わっていません」


 ローディスは口を閉じた。


 セイルが制服の内側を押さえる。


「受領証は返されました。持ち続けろと言われています」


「それは、今共有する必要があること?」


 リュカが尋ねた。


「原本を持っているのは僕だ。なくなれば二人にも影響する」


「それなら必要だね」


 マレーネは止めなかった。


「部屋へ戻るまで、ほかの話はしません」


 セイルが言う。


「部屋へ戻った後も、話してよい範囲を考えなさい」


 マレーネは三人を見回した。


「監察官があなた方を疑っているからではありません。あなた方が知ることで、次の証言や行動が変わる可能性があるからです」


「先生は、僕たちが何を答えたか確認しないの?」


リュカが尋ねた。


「事情聴取の内容は、軍務監察局が記録します」


「学府へ出した報告書と違っていたら?」


「その違いを確かめるのも監察官の仕事です。学府側の確認が必要なら、正式な照会が来るでしょう」


教員が生徒の証言へ口を挟まないための、明確な線引きだった。


     ◇


 三人が去った後、面談室へオルフェンが入ってきた。


 襟の高い黒衣、肌を覆う黒手袋、表情のない白い仮面。宝石のついた指輪が、窓から差す夕日を細かく返している。


「いやあ、お疲れさま! うちの生徒たちは素直だっただろう?」


「質問には答えました」


 ディルクは記録を三つに分けていた。


「質問されなかったことまで、自分から差し出すほど素直ではありません」


「それは生徒に限らないね。軍務院も、聞かれるまで大事なことを教えてくれない」


 オルフェンは断りもなく、先ほどリュカが座っていた椅子へ腰を下ろした。


「原本は返したそうだね」


「写しと一致しました。こちらで保管する理由はありません」


「安全のため、とは考えなかった?」


「軍務院の正規命令へ、出所不明の情報が混ぜられた。現状で、軍の保管庫が最も安全だとは言えません」


「正直だ」


「学園長。あなたは、あの三人に何をさせている」


 部屋の空気が変わった。


 オルフェンは仮面の向こうで黙る。


 長い沈黙ではなかった。


「校外実地課程だよ。北方街道を調べ、現地の問題に向き合い、生きて帰ってきた」


「北方支部へ報告される前の証拠を持ち、竜人の村長による封を受け、竜を連れて戻った。それを通常の実地課程と呼ぶのか」


「珍しい経験ではあるね」


「誤魔化すな」


「誤魔化してはいないとも。すべてを答えていないだけだ」


 先ほどディルクが三人へ向けた言葉を、オルフェンは聞いていないはずだった。


 それでも、同じ区別を口にした。


「生徒を危険へ送る理由があるなら、軍務院へ説明しろ」


「軍務院のどなたに?」


 陽気な声のまま、問いだけが鋭かった。


「正規の命令へ出所不明の情報を混ぜた人物かもしれない。証拠を、報告より先に回収できる人物かもしれない。その誰かへ、君が見つけたものをすべて説明しろと?」


 ディルクは答えなかった。


「軍務監察局へ説明しろ」


「君個人になら、いずれ話せることがあるかもしれない」


「俺個人ではなく、監察官として聞いている」


「だから、今は話せない」


 オルフェンは立ち上がった。


「でも、これだけは約束しよう。僕は生徒を、軍務院の誰かへ差し出すために育ててはいない」


「何から守っている」


「それを見つけるのが、君の仕事じゃないかな」


「学園長」


「オルフェンでいいよ。仲良くなれそうだ」


「そうは思わない」


「最初はみんな、そう言うんだ」


 オルフェンは大きく手を振り、面談室を出ていった。


 閉じた扉を見つめたまま、ディルクは右眉の古傷へ指を当てる。


 三人の証言は、大筋で一致していた。


 回収班の兵士は、正式な命令に従っていた。


 命令書には、事件が起こる前から回収対象が記されていた。


 そして兵学府は、軍務院へすべてを明かそうとはしていない。


 敵が一つとは限らない。


 だが、秘密を持つ者がすべて敵とも限らなかった。


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