第53話 持ち帰ったもの
翌朝、北方支部の中庭に二台の馬車が並んでいた。
一台は、帝都へ戻るカイルを乗せる帰還馬車。
もう一台は、ローディスたちを北方街道の巡回へ運ぶ荷馬車だった。
「お前たちは、まだ残るのか」
カイルが尋ねた。
「校外実地課程は二週間だからね」
セイルが答える。
「証拠を持ち帰るだけなら、もう役目は終わったはずだったんだけど」
「持ち帰れていないだろう」
「受領証は持ち帰るよ」
セイルは旅装の内側を指で押さえた。
受領証の原本は、折れや水濡れを防ぐため、薄い木板に挟んである。
「帝都へ戻ったら、仮住まいに新しい情報が届いていないか確かめてくれる?」
リュカが言った。
「回収班や命令番号について何か届いていたら、あの土人形に渡しておいて」
「帝都で先に調べられることがあれば、仮住まいへ残しておく。あの土人形が、また床から出てくるならな」
「床板は直しておかない方がよさそうだね」
リュカが笑う。
馬車のそばでは、支部の兵士がカイルの移動許可証を確かめていた。
許可された経路から離れず、無断で飛ばず、到着後は帝都側の担当者へ帰着を報告する。
山へ入る前と同じ条件だ。
「次に会うときまで、余計な罪を増やすなよ」
ローディスが言った。
「エルナと同じことを言うな」
「同じことを二人に言われる理由を考えた方がいい」
セイルが付け加えた。
カイルは返事をせず、帰還馬車へ乗り込んだ。
灰色の翼を収めるため、荷台の片側が広く空けられている。
御者が手綱を上げる直前、カイルが三人を振り返った。
「村で受け取った木札は、なくすな」
「分かっている」
ローディスが答える。
「あれは、村が人を認めた印だ。銀貨より重い」
「重さなら、銀貨十枚の方があります」
セイルの返答に、カイルの眉間へ皺が寄った。
「物の重さの話ではない」
「分かっています」
「分かっていて言ったのか」
「もちろん」
帰還馬車が動き出す。
その屋根へ飛び移ろうとしたフィルを、カイルが片手で止めた。
「お前は、あいつらと残ると言っただろう」
フィルは不満そうに鼻を鳴らし、ローディスの肩へ戻ってきた。
「見送りたかっただけじゃないかな」
リュカが言う。
「干し肉の入った馬車を追おうとしたように見えた」
ローディスは自分の背負い袋を確かめた。
こちらの保存食は、昨夜からさらに一枚減っている。
◇
残りの校外実地課程は、本来予定されていた仕事へ戻った。
三人は北方街道の橋を歩いて傷んだ石を数え、補給馬車が通れる道幅を測り、雨で崩れかけた斜面を地図へ記した。
ローディスは荷車を押す兵士へ混じり、泥へ沈んだ車輪を持ち上げた。
セイルは水の精霊術で路面の泥を脇へ退けたが、支部の工兵から「地面まで削るな」と二度注意された。
リュカは測量用の縄を持って歩き、監督の兵士が振り返るたびに真面目に働いている顔をした。
「振り返らない間は何をしてるんだ」
ローディスが尋ねる。
「フィルが測量杭を抜かないように見張ってる」
少し離れた場所で、フィルが地面から抜いた木杭を前脚で転がしていた。
「見張れていないだろう」
「抜くところまでは見ていたよ」
「止めろ」
飛行する魔物と戦うことも、黒い根を焼くこともない。
それでも、橋のひびを見落とせば、次に通る補給馬車が谷へ落ちる。
地図へ記した小さな崩落が、雨の後には道を塞ぐかもしれない。
戦う前に、兵と物資が届く道を守る。
それも兵学府の外で学ぶべき仕事だった。
カイルが出発して三日後には、帝都側の担当者から帰着を確認したという書面も届いた。
帰路についたのは、全日程を終える三日前だった。
三人は北方支部へ所見を提出し、他の派遣先から戻る生徒たちと合流して帝都へ向かった。
フィルは馬車へ乗らなかった。
晴れている間は空を飛び、食事の時間だけ幌の上へ降りてくる。
「僕たちの居場所ではなく、食事の時間を覚えたんじゃない?」
リュカが尋ねると、フィルはセイルの干し果物を一つくわえて飛び去った。
「今のは僕のだ」
「僕じゃなくて、フィルに言って」
「通じるなら言っている」
◇
二週間ぶりに見た兵学府の正門は、出発前より小さく感じられた。
門前では、先に帰った生徒たちが荷物を抱えて別れている。
ニナは三人を見つけて手を振り、そのすぐ上を飛ぶ青緑色の影に気づいて動きを止めた。
「その子は誰?」
「フィルだよ」
リュカが答える。
「小翼竜。僕たちより年上」
「竜なの?」
ニナが声を落とす。
その声を聞いた周囲の生徒が、一斉に空を見上げた。
フィルは注目を受けると、正門上の飾り石へ降りて胸を張った。
「連れて帰ってきたわけじゃない」
セイルが説明する。
「フィルが自分で同行を決めた。竜人の村との連絡役だよ」
「触ってもいい?」
ニナが尋ねる。
「僕たちではなく、本人に聞かないと」
リュカが答えた。
ニナは飾り石の上へ向かって、恐る恐る手を差し出した。
フィルはその手とニナの顔を交互に見る。
やがて翼を広げ、届かない高さまで飛び上がった。
「断られたみたいだね」
「言葉も通じてないのに分かるの?」
「触られたくないことだけは、よく分かるよ」
正門周辺へ生徒が集まり始める。
「報告が先だ」
ローディスが二人を促した。
学園長室へ入ると、オルフェン・グランツは両腕を大きく広げた。
「お帰り、北方調査班の諸君! 報告書より先に竜が届くとは、実に君たちらしい帰還だね!」
「フィルは荷物ではありません」
セイルが言った。
「もちろん分かっているとも。竜人の村長からも、その点は強く書かれていたよ」
机の上には、帰路へ就く前にフィルが村から運び、北方支部を経由して送られたドルガの書面がある。
フィルが自ら連絡役を引き受けたこと。
村と三人の間を行き来すること。
帝国や兵学府がフィルを所有物として扱わないこと。
「学府にいる間、フィルはどこで休めばいいんですか」
ローディスが尋ねる。
「本人が選ぶのが一番だろう。屋根、塔、演習場。授業を壊さず、生徒の食事を奪わない場所なら歓迎するよ」
窓の外で、フィルが誰かのパンをくわえて飛ぶ姿が見えた。
「最後の条件は、もう破られたかもしれません」
セイルが言った。
「では、食費の相談も必要だね」
オルフェンは楽しそうに答えた後、机上の報告書へ手を置いた。
「北方支部からの所見も届いている。軍命を拒まず、受領記録を残した判断は妥当。街道調査の内容にも問題なし。三人とも、校外実地課程は合格だ」
「証拠を奪われた件は?」
ローディスが尋ねる。
「奪われた、と公式には書けないね。正規の印を持つ回収班へ引き渡した。今はそう扱われている」
オルフェンの声から、陽気さが僅かに薄れた。
「ただし、学府の生徒を使って証拠を運ばせ、その途中で命令系統の異なる者が回収した。学園長としては、説明を求めるつもりだよ」
「軍務院へですか」
セイルが尋ねる。
「学府も軍務院の管轄だからね。問い方には工夫がいるが、黙っている理由もない」
オルフェンは仮面を三人へ向けた。
「君たちは授業へ戻りなさい。ここから先は、大人が書類で殴り合う番だ」
「剣より痛そうだね」
リュカが笑う。
「署名一つで予算が消えるからね。恐ろしい戦場だよ」
◇
その夜、旧演習場へ小型伝令ゴーレムが現れた。
背中には、自分の身体より大きい木箱を背負っている。
「持てるんだな」
ローディスが感心する。
「問題は中身だよ」
セイルはゴーレムが下ろした木箱を開けた。
三つの革袋と、一枚の支払書が入っている。
「基本報酬、一人銀貨二十枚」
セイルが読み上げる。
「六本指の存在の特定、討伐、黒い壺の無力化、竜族・竜人との連絡経路確立。追加報酬、一人銀貨三十枚」
「合わせて五十枚か」
ローディスが革袋を一つ持ち上げた。
「村からの十枚とは別です」
「今回だけで六十枚だね」
リュカが残る袋を受け取る。
「何を買おうかな」
「もう使う話か」
「ローディスは使わないの?」
「必要なものがあれば使う」
「それを、使う話と言うんだよ」
セイルは自分の袋を開き、銀貨の枚数を数え始めた。
「書面と同じなら、数えなくてもいいだろう」
ローディスが言う。
「書面と同じかを確かめるために数えるんだ」
小型伝令ゴーレムが、同意するように二度頷いた。
◇
同じ頃、軍務監察局では、ディルクの机へ二通の回答が届いていた。
ヴォルフ・ケルナーは実在する。
軍務院臨時回収班も実在し、同行した兵士二名を含め、全員が正式な任務として命令を受けていた。
命令番号も原簿に存在する。
それだけなら、北方支部へ控えが届かなかった伝達上の不備で終わる。
ディルクは、命令の元になった回収要請書を机へ広げた。
天穿山脈で回収される予定の病理資料と、異形生物の一部。
最初の要請に記されているのは、それだけだった。
問題は、その要請書が軍務院で受理された日だ。
ローディスたちが六本指の異形と遭遇する、二日前。
さらに、回収当日の朝に加えられた別紙には、箱二つと革袋一つという正確な荷数が記されている。
だが、別紙を追加した者の名も、情報を送った支部も空欄だった。
北方支部が存在すら知らなかった証拠について、概括的な回収命令だけが事件前から用意され、正確な荷数が公式報告より先に書き加えられた。
命令は偽物ではない。
命令を生んだ情報だけが、正規の経路から外れていた。




