第51話 残された受領証
「命令書を確認させてください」
セイルは杖から手を離さないまま言った。
先頭の男が、黄色がかった短髪の下で眉を動かす。
「すでに見せた」
「帝国軍の印があることしか確認していません。発令元、命令番号、回収する品の指定。それから、受領する方の所属と氏名も必要です」
「学生が軍の命令を検めるのか」
「学生だからです。僕たちは学府の校外実地課程として、北方支部の管理下に置かれています。命令に従うにも、誰の命令だったかを報告しなければなりません」
男の背後で、二人の兵士が顔を見合わせた。
ローディスは背負った箱から手を離し、両手を相手に見える位置へ下ろした。大剣を抜くつもりがないと示しながら、男と箱の間には立ち続ける。
「俺たちは命令を拒むつもりはありません」
ローディスが言った。
「ただ、この箱には竜人の村長が封をしています。誰に、どの状態で渡したかを残すと約束しました」
「帝国の領内で、竜人との約束を軍命より上に置くつもりか」
「いいえ。軍命に従ったと証明するためにも、記録が必要だと言っています」
ローディスの返答に、男はしばらく黙った。
監視小屋の屋根で、フィルが喉を鳴らす。青緑色の翼は畳まれているが、丸い琥珀色の目は男たちから動かなかった。
やがて男は命令書を開き、セイルへ差し出した。
「軍務院臨時回収班、ヴォルフ・ケルナーだ。読み終えたら返せ」
セイルは紙を受け取った。
末尾に押されているのは、帝国軍務院の印だった。北方支部の名もある。ただし発令元ではなく、回収班の通行と任務を補助する場所として記されていた。
「北方支部が出した命令ではありませんね」
セイルが紙から顔を上げる。
「北方支部を通じた臨時命令だ」
「支部を通過地点に指定した、軍務院からの命令です」
「どちらでも同じだ。軍の命令であることは変わらない」
ケルナーの声に苛立ちが混じった。
命令書には、天穿山脈周辺で回収された病理資料と異形生物の一部を、封印状態のまま軍務院へ移送するとある。回収対象者の名は記されていない。だが、箱が二つと革袋が一つであることまで指定されていた。
「数まで知ってるね」
リュカは笑顔のまま、命令書を横から覗き込んだ。
「僕たちはまだ、山を下りたとも報告していないのに」
「報告の経路を学生へ明かす義務はない」
ケルナーはセイルから命令書を取り戻した。
「確認は済んだ。渡せ」
「受領証をお願いします」
セイルが言った。
ケルナーの目が細くなる。
「命令書を見ただろう」
「それはあなたが持ち帰ります。僕たちの手元には残りません」
セイルはローディスの箱を指した。
「箱二つと革袋一つ。村長の封が壊れていないこと。受領した方の所属と氏名、命令番号。それから回収班の印。最低でも、それだけは必要です」
「急いでいる」
「書く間に封は確認できます」
ケルナーの右頬が僅かに引きつった。
その横から、年嵩の兵士が一歩出た。
「班長。受け渡しの記録は、どのみち軍務院で必要になります」
低く進言され、ケルナーは舌打ちを飲み込んだ。
「紙を出せ」
監視小屋の番兵が、戸口から記録用の紙と筆記具を持ってくる。
「ここでの受け渡しも、監視記録へ残していただけますか」
セイルが番兵へ尋ねた。
「時刻と人数、馬車の特徴までなら残す」
番兵は答え、机の上で小屋の記録簿を開いた。
「軍務院の命令なら、隠す理由もないでしょう?」
リュカがケルナーへ微笑む。
「君は黙っていろ」
「はい。余計なことは、書き終わってからにします」
リュカは素直に口を閉じた。笑顔だけは消さなかった。
ケルナーが受領証を書いている間に、二人の兵士が箱を確かめる。
粘土には、無傷の左角と折れた右角が刻まれている。縄にも、獣皮にも、開けた痕跡はない。
「この印は何だ」
兵士の一人が尋ねた。
「竜人の村長の角を表す印だ」
カイルが答えた。
「俺は、村で封じられてからここまで、箱が開けられていないことを証言する」
「賞金首の証言か」
ケルナーは紙を書きながら言った。
「今は帝国の許可を受けて移動している証人だ」
カイルの翼が僅かに開いた。
「俺の名を受領証へ加えろ。封を壊せば、その事実を竜人の村にも伝えられるようにな」
「脅しているのか」
「箱が正しく届くなら、何も起きないと言っている」
二人の視線がぶつかる。
ケルナーは紙へカイルの名を書き加えた。
ローディスとセイルは、箱と革袋を一つずつ男たちへ渡した。最後にローディスが異形の標本箱を馬車へ載せる。
手を離す前に、封の形をもう一度見た。
壺の破片も、六本指の頭部も、これで自分たちの手から離れる。
だが、命令に逆らってここで争えば、学府生としての立場だけでは済まない。カイルの保釈も、竜人の村との約束も、すべてを危うくする。
ローディスは箱から手を離した。
「確かに受領した」
ケルナーは署名し、回収班の印を押した紙をセイルへ渡した。
セイルは命令書の番号、箱と革袋の数、封が完全であるという記載を順に確かめた。
「受領時刻もお願いします」
「まだあるのか」
「これで最後です」
ケルナーが時刻を書き足す。
セイルは受領証を二つ折りにし、旅装の内側へしまった。
その間に、リュカは監視小屋の記録紙を一枚借りていた。
紙へ書いたのは、軍務院の臨時命令を名乗る者へ、村長の封を保ったまま荷を引き渡したという報告だ。受領者の所属と名前、命令番号、渡した荷の数を続け、村に残した留め具は動かさず保管してほしいと添える。
「カイル。フィルに、これをドルガさんへ届けてもらえる?」
リュカが小さく畳んだ紙を示した。
「聞いてみる」
カイルは屋根を見上げ、竜語でフィルへ呼びかけた。
低い響きに、短い高音が重なる。フィルは首を傾けた後、翼を広げてカイルの肩へ降りた。
カイルがもう一度、村とドルガの名を含めて語りかける。
フィルはリュカの紙を前脚で受け取り、自分から革鞄の口を開いた。
「引き渡したことを村へ知らせた後、北方支部へ来ると言っている」
カイルが人語で伝えた。
「北方支部までの道も知ってるんだね」
リュカが言うと、フィルは当然だというように鼻を鳴らした。
「その竜も、回収対象に関係するのか」
ケルナーが尋ねた。
「フィルは誰の荷物でもない」
カイルが即座に答えた。
「どこへ行くかは、竜が自分で決める」
フィルはケルナーを一度だけ見た。
次の瞬間には屋根を蹴り、山へ向かって飛び立っていた。青緑色の影は旋回もせず高度を上げ、岩稜の向こうへ消える。
ケルナーはそれを止めなかった。
「出るぞ」
男たちを乗せた馬車が、帝都へ続く道とは別の軍用路へ入っていく。
車輪の音が聞こえなくなるまで、四人は監視小屋の前に立っていた。
「渡してよかったのか」
カイルがローディスへ尋ねる。
「よくはない」
ローディスは答えた。
「だが、あの場で軍の命令へ逆らう理由も、俺たちには証明できなかった」
「命令番号と受領者は残りました。監視小屋の記録もあります」
セイルが旅装の上から受領証を押さえる。
「箱を隠すなら、誰が受け取ったかまで消す必要があります」
「村には留め具も残っているよ」
リュカが山の方角を見た。
「留め具の実物まで箱に入っていたと思ってくれたなら、それはそれで助かるかもしれないね」
予定されていた馬車が来たのは、それから半刻ほど後だった。
見覚えのある御者は、荷台から降りた四人を見るなり眉を寄せた。
「迎えは俺一台のはずだ。先に軍の馬車が来ていたが、何を運んでいた」
「俺たちが山から持ち帰った証拠です」
ローディスが答えた。
「北方支部を通じた臨時命令だと言っていました」
「支部からは、そんな連絡は受けていない」
御者の顔から眠気が消えた。
◇
北方支部へ着くと、四人はそのまま作戦室へ通された。
指揮官は受領証を読み、次にセイルが控えた命令番号を見る。二度目は、最初よりゆっくりと読んだ。
「この命令を、北方支部は発していない」
机の周囲に沈黙が落ちる。
「やはり偽物ですか」
ローディスが尋ねた。
「そうとも言えん」
指揮官は受領証を机へ置いた。
「受領証の回収班印は軍務院のものだ。命令番号の形式にも誤りはない。支部を補助先に指定しながら、支部へ控えが届いていない。上から直接動かした命令か、公印を使える者が記録を抜いたか――今の時点では、どちらもあり得る」
「命令へ従ったことは、問題になりますか」
セイルが尋ねた。
「ならん。その命令書を示された時点で拒否すれば、お前たちの方が軍務を妨げたことになる。封を保ち、受領証を取り、監視記録も残した。判断としてはそれでいい」
指揮官は番兵の控えを受け取るため、伝令を監視小屋へ走らせるよう命じた。
「ただし、軍務院の誰が山からの荷を知り、なぜ北方支部を飛ばしたかは別だ」
「僕たちが下りる前から、箱の数まで知っていました」
リュカが笑みを消さずに言った。
「山の中を見ていた人がいるのか、僕たちより先に報告だけが飛んだのか。どちらでしょうね」
「軽口で済む話ではない」
「だから笑っているんですよ。真顔だと、少し怖すぎるので」
指揮官はリュカを見たが、追及はしなかった。
窓の外で、小さな翼が風を叩く音がした。
青緑色の影が窓枠へ降り、革鞄を誇らしげに揺らす。
フィルは村へ伝え、こちらへ戻ってきた。
証拠の箱は、もうない。
それでも、引き渡した相手の名と、使われた命令の番号は残っている。
消されたものを追うための、最初の一本の線として。




