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黒淵のアストラ  作者: 咢
第4章 連環

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第51話 残された受領証

「命令書を確認させてください」


 セイルは杖から手を離さないまま言った。


 先頭の男が、黄色がかった短髪の下で眉を動かす。


「すでに見せた」


「帝国軍の印があることしか確認していません。発令元、命令番号、回収する品の指定。それから、受領する方の所属と氏名も必要です」


「学生が軍の命令を検めるのか」


「学生だからです。僕たちは学府の校外実地課程として、北方支部の管理下に置かれています。命令に従うにも、誰の命令だったかを報告しなければなりません」


 男の背後で、二人の兵士が顔を見合わせた。


 ローディスは背負った箱から手を離し、両手を相手に見える位置へ下ろした。大剣を抜くつもりがないと示しながら、男と箱の間には立ち続ける。


「俺たちは命令を拒むつもりはありません」


 ローディスが言った。


「ただ、この箱には竜人の村長が封をしています。誰に、どの状態で渡したかを残すと約束しました」


「帝国の領内で、竜人との約束を軍命より上に置くつもりか」


「いいえ。軍命に従ったと証明するためにも、記録が必要だと言っています」


 ローディスの返答に、男はしばらく黙った。


 監視小屋の屋根で、フィルが喉を鳴らす。青緑色の翼は畳まれているが、丸い琥珀色の目は男たちから動かなかった。


 やがて男は命令書を開き、セイルへ差し出した。


「軍務院臨時回収班、ヴォルフ・ケルナーだ。読み終えたら返せ」


 セイルは紙を受け取った。


 末尾に押されているのは、帝国軍務院の印だった。北方支部の名もある。ただし発令元ではなく、回収班の通行と任務を補助する場所として記されていた。


「北方支部が出した命令ではありませんね」


 セイルが紙から顔を上げる。


「北方支部を通じた臨時命令だ」


「支部を通過地点に指定した、軍務院からの命令です」


「どちらでも同じだ。軍の命令であることは変わらない」


 ケルナーの声に苛立ちが混じった。


 命令書には、天穿山脈周辺で回収された病理資料と異形生物の一部を、封印状態のまま軍務院へ移送するとある。回収対象者の名は記されていない。だが、箱が二つと革袋が一つであることまで指定されていた。


「数まで知ってるね」


 リュカは笑顔のまま、命令書を横から覗き込んだ。


「僕たちはまだ、山を下りたとも報告していないのに」


「報告の経路を学生へ明かす義務はない」


 ケルナーはセイルから命令書を取り戻した。


「確認は済んだ。渡せ」


「受領証をお願いします」


 セイルが言った。


 ケルナーの目が細くなる。


「命令書を見ただろう」


「それはあなたが持ち帰ります。僕たちの手元には残りません」


 セイルはローディスの箱を指した。


「箱二つと革袋一つ。村長の封が壊れていないこと。受領した方の所属と氏名、命令番号。それから回収班の印。最低でも、それだけは必要です」


「急いでいる」


「書く間に封は確認できます」


 ケルナーの右頬が僅かに引きつった。


 その横から、年嵩の兵士が一歩出た。


「班長。受け渡しの記録は、どのみち軍務院で必要になります」


 低く進言され、ケルナーは舌打ちを飲み込んだ。


「紙を出せ」


 監視小屋の番兵が、戸口から記録用の紙と筆記具を持ってくる。


「ここでの受け渡しも、監視記録へ残していただけますか」


 セイルが番兵へ尋ねた。


「時刻と人数、馬車の特徴までなら残す」


 番兵は答え、机の上で小屋の記録簿を開いた。


「軍務院の命令なら、隠す理由もないでしょう?」


 リュカがケルナーへ微笑む。


「君は黙っていろ」


「はい。余計なことは、書き終わってからにします」


 リュカは素直に口を閉じた。笑顔だけは消さなかった。


 ケルナーが受領証を書いている間に、二人の兵士が箱を確かめる。


 粘土には、無傷の左角と折れた右角が刻まれている。縄にも、獣皮にも、開けた痕跡はない。


「この印は何だ」


 兵士の一人が尋ねた。


「竜人の村長の角を表す印だ」


 カイルが答えた。


「俺は、村で封じられてからここまで、箱が開けられていないことを証言する」


「賞金首の証言か」


 ケルナーは紙を書きながら言った。


「今は帝国の許可を受けて移動している証人だ」


 カイルの翼が僅かに開いた。


「俺の名を受領証へ加えろ。封を壊せば、その事実を竜人の村にも伝えられるようにな」


「脅しているのか」


「箱が正しく届くなら、何も起きないと言っている」


 二人の視線がぶつかる。


 ケルナーは紙へカイルの名を書き加えた。


 ローディスとセイルは、箱と革袋を一つずつ男たちへ渡した。最後にローディスが異形の標本箱を馬車へ載せる。


 手を離す前に、封の形をもう一度見た。


 壺の破片も、六本指の頭部も、これで自分たちの手から離れる。


 だが、命令に逆らってここで争えば、学府生としての立場だけでは済まない。カイルの保釈も、竜人の村との約束も、すべてを危うくする。


 ローディスは箱から手を離した。


「確かに受領した」


 ケルナーは署名し、回収班の印を押した紙をセイルへ渡した。


 セイルは命令書の番号、箱と革袋の数、封が完全であるという記載を順に確かめた。


「受領時刻もお願いします」


「まだあるのか」


「これで最後です」


 ケルナーが時刻を書き足す。


 セイルは受領証を二つ折りにし、旅装の内側へしまった。


 その間に、リュカは監視小屋の記録紙を一枚借りていた。


 紙へ書いたのは、軍務院の臨時命令を名乗る者へ、村長の封を保ったまま荷を引き渡したという報告だ。受領者の所属と名前、命令番号、渡した荷の数を続け、村に残した留め具は動かさず保管してほしいと添える。


「カイル。フィルに、これをドルガさんへ届けてもらえる?」


 リュカが小さく畳んだ紙を示した。


「聞いてみる」


 カイルは屋根を見上げ、竜語でフィルへ呼びかけた。


 低い響きに、短い高音が重なる。フィルは首を傾けた後、翼を広げてカイルの肩へ降りた。


 カイルがもう一度、村とドルガの名を含めて語りかける。


 フィルはリュカの紙を前脚で受け取り、自分から革鞄の口を開いた。


「引き渡したことを村へ知らせた後、北方支部へ来ると言っている」


 カイルが人語で伝えた。


「北方支部までの道も知ってるんだね」


 リュカが言うと、フィルは当然だというように鼻を鳴らした。


「その竜も、回収対象に関係するのか」


 ケルナーが尋ねた。


「フィルは誰の荷物でもない」


 カイルが即座に答えた。


「どこへ行くかは、竜が自分で決める」


 フィルはケルナーを一度だけ見た。


 次の瞬間には屋根を蹴り、山へ向かって飛び立っていた。青緑色の影は旋回もせず高度を上げ、岩稜の向こうへ消える。


 ケルナーはそれを止めなかった。


「出るぞ」


 男たちを乗せた馬車が、帝都へ続く道とは別の軍用路へ入っていく。


 車輪の音が聞こえなくなるまで、四人は監視小屋の前に立っていた。


「渡してよかったのか」


 カイルがローディスへ尋ねる。


「よくはない」


 ローディスは答えた。


「だが、あの場で軍の命令へ逆らう理由も、俺たちには証明できなかった」


「命令番号と受領者は残りました。監視小屋の記録もあります」


 セイルが旅装の上から受領証を押さえる。


「箱を隠すなら、誰が受け取ったかまで消す必要があります」


「村には留め具も残っているよ」


 リュカが山の方角を見た。


「留め具の実物まで箱に入っていたと思ってくれたなら、それはそれで助かるかもしれないね」


 予定されていた馬車が来たのは、それから半刻ほど後だった。


 見覚えのある御者は、荷台から降りた四人を見るなり眉を寄せた。


「迎えは俺一台のはずだ。先に軍の馬車が来ていたが、何を運んでいた」


「俺たちが山から持ち帰った証拠です」


 ローディスが答えた。


「北方支部を通じた臨時命令だと言っていました」


「支部からは、そんな連絡は受けていない」


 御者の顔から眠気が消えた。


     ◇


 北方支部へ着くと、四人はそのまま作戦室へ通された。


 指揮官は受領証を読み、次にセイルが控えた命令番号を見る。二度目は、最初よりゆっくりと読んだ。


「この命令を、北方支部は発していない」


 机の周囲に沈黙が落ちる。


「やはり偽物ですか」


 ローディスが尋ねた。


「そうとも言えん」


 指揮官は受領証を机へ置いた。


「受領証の回収班印は軍務院のものだ。命令番号の形式にも誤りはない。支部を補助先に指定しながら、支部へ控えが届いていない。上から直接動かした命令か、公印を使える者が記録を抜いたか――今の時点では、どちらもあり得る」


「命令へ従ったことは、問題になりますか」


 セイルが尋ねた。


「ならん。その命令書を示された時点で拒否すれば、お前たちの方が軍務を妨げたことになる。封を保ち、受領証を取り、監視記録も残した。判断としてはそれでいい」


 指揮官は番兵の控えを受け取るため、伝令を監視小屋へ走らせるよう命じた。


「ただし、軍務院の誰が山からの荷を知り、なぜ北方支部を飛ばしたかは別だ」


「僕たちが下りる前から、箱の数まで知っていました」


 リュカが笑みを消さずに言った。


「山の中を見ていた人がいるのか、僕たちより先に報告だけが飛んだのか。どちらでしょうね」


「軽口で済む話ではない」


「だから笑っているんですよ。真顔だと、少し怖すぎるので」


 指揮官はリュカを見たが、追及はしなかった。


 窓の外で、小さな翼が風を叩く音がした。


 青緑色の影が窓枠へ降り、革鞄を誇らしげに揺らす。


 フィルは村へ伝え、こちらへ戻ってきた。


 証拠の箱は、もうない。


 それでも、引き渡した相手の名と、使われた命令の番号は残っている。


 消されたものを追うための、最初の一本の線として。


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