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黒淵のアストラ  作者: 咢
第4章 連環

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第50話 証拠の行き先

 翌朝。


 村長の家の中央に、二つの箱が置かれていた。


 一つは、黒い壺の破片と金属針を収めた木箱。

 もう一つは、六本指の異形の頭部と右手を包んだ、木枠へ厚い獣皮を三重に張った箱だった。


 どちらも蔓を固く編んだ縄で縛られ、結び目には乾いた粘土が押しつけられている。


 粘土の表面にあるのは、文字ではない。

 ドルガの左角と、折れた右角を表す二本の線だった。


「この印が崩れていれば、中を開いたと分かる」


 ドルガは二つの箱を見下ろした。


「帝国へ着くまで、必要のない場所では開けるな」


「北方支部でもですか」


 ローディスが尋ねる。


「支部で確かめられるのは、お前たちが持ち帰ったという事実だけだ。壺の土や焼き方を調べる者がいるなら、立ち会う者と記録を残してから開けろ」


 セイルは木箱の封を覗き込んだ。


「壺が帝国で作られたか、調べてほしいということですね」


「違う」


 ドルガの返答は短かった。


「どこで、誰が作ったものかを調べろ。先に帝国のものだと決めれば、それに合う答えしか探さなくなる」


「帝国軍の物資に似た留め具も見つかっている」


 カイルが壁際から言った。


「壺まで帝国で作られたものなら、偶然では済まない」


「似ているだけだ」


 ドルガはカイルを見た。


「軍から流れた品かもしれぬ。捨てられたものを拾ったのかもしれぬ。帝国の印に似せて作ったものかもしれぬ。壺も同じだ。帝国の土を使ったからといって、帝国が運ばせた証にはならない」


 ローディスは、村で保管される留め具へ目を向けた。


 実物は山に残し、セイルが刻印と寸法を紙へ写している。


「では、何が分かれば帝国の関与を疑うことになるんですか」


「壺を作った工房。鉄片が支給された部隊。山へ運んだ者。その三つがつながったときだ」


 ドルガの太い指が、木箱の蓋へ触れた。


「壺そのものが、帝国軍の管理する品だと分かった場合は、どうなりますか」


 セイルが尋ねる。


「その時点で、帝国は竜族へ説明する側になる」


 ドルガの声が低くなった。


「盗まれたのか。横へ流されたのか。命じて運ばせたのか。竜族の領域で、病を運ぶ器として見つかった以上、知らぬでは済まされぬ。ただし、それだけで帝国が病を広めたと決まるわけでもない」


「もし帝国の命令で、帝国の者が、竜族の山へあれを持ち込んだと証明されたなら――」


 言葉が一度、途切れた。


「それは六本指一体の罪ではない。帝国が竜族の領域へ病を持ち込み、村と谷の命を測ったことになる」


 家の中の空気が重くなる。


「竜族と帝国の問題になる、ということ?」


 リュカの笑みが薄れた。


「そうだ」


 ドルガは正面から答えた。


「グレンガルドだけでなく、他の竜も帝国へ説明を求める。答えを誤れば、山の境だけの話では終わらぬ」


「では、鑑定では製造地と使用者を分けて記録させます」


 セイルが言った。


「『帝国製だった』という結果だけが先に広まれば、それ自体が争いの火種になります」


「そうしろ」


 ドルガは木箱から手を離した。


「帝国を庇えとは言わぬ。帝国を罪人と決めてから調べるなと言っている」


 エルナが細長い革袋を持ってきた。


 中には、村の見取り図、見張りの記録、五本指の手袋が別々の布に包まれている。


「こっちにも父の印をつけたわ」


 エルナは革袋をセイルへ差し出した。


「山の外へ持っていく証拠は、これで全部」


「留め具の実物以外はね」


 セイルが確認する。


「あれは村に残す。帝国側へすべて渡して、何もなかったことにされたら困るもの」


 エルナの視線に、昨日までとは違う警戒が戻っていた。


 それは三人へ向けたものではない。

 箱がこれから運び込まれる、帝国そのものへ向けた目だった。


「写しと持ち帰る証拠を照合して、必要になったら実物を確認しに来る」


 ローディスが言った。


「そのときは、誰が来るか先に知らせて」


「分かった」


 ドルガが粘土の封をもう一度確かめる。


「箱を渡す相手は、お前たちが選べ」


「村から指定しないんですか」


 セイルが尋ねた。


「帝国の中で誰を信じるかは、帝国に住む者の方が知っている」


 ドルガの目が、三人からカイルへ移った。


「選んだ相手の名は、こちらにも伝えろ」


「逃げ道を塞ぐつもりか」


 カイルが尋ねる。


「証拠を預けた者が消えたとき、次に探す名が必要なだけだ」


 カイルは反論しなかった。


「連絡の方法も、ここで決めておきたいです」


 セイルが言った。


「山で新しい痕跡が見つかったとき、僕たちが帝都にいれば、今までの約束だけでは知らせが届きません」


 ドルガが、天井近くの横穴へ顔を向けた。


 喉の奥から、短い竜語の響きを出す。


 返事は、頭上から落ちてきた。


 青緑色の小さな影が横穴から飛び出し、家の中を一周する。


 鼻先から尾の先まで、ローディスの腕ほどの長さしかない。青緑色の鱗に覆われた身体は細く、腹だけが淡い黄白色をしている。頭には後方へ反った二本の短い角があり、琥珀色の丸い目が四人を順に見下ろしていた。


 身体に比べて大きな翼が二度羽ばたく。


 小さな竜は、ローディスの背負い袋の上へ降りた。


 前脚で留め紐を器用に外し、中へ鼻先を入れる。


「待て。それは俺の保存食だ」


 ローディスが背へ手を回す。


 小さな竜は干し肉を一枚くわえ、差し出された手の届かない位置まで翼で浮いた。


「フィル」


 エルナが低い声で呼ぶ。


 フィルは空中で動きを止めた。


 干し肉をくわえたままエルナを見て、しばらく考えた後、ローディスの掌へ渋々戻す。


「返すんだね」


 リュカが感心したように言った。


「半分なくなっている」


 ローディスは短くなった干し肉を見た。


 フィルは何も知らないように首を傾げた。


「小翼竜(しょうよくりゅう)のフィルよ」


 エルナが紹介する。


「小翼竜は、身体が小さい竜族なの。人を乗せて飛ぶ力はないけれど、長く飛べるし、一度通った道をよく覚える」


「この子に手紙を預けるんですか」


 セイルが尋ねた。


「子どもではないわ。あなたたちより年上よ」


 フィルが胸を張った。


「失礼しました」


「人語はまだ少ししか分からないけれど、名前と行き先は覚えられる」


 エルナが手のひらほどの革鞄を持ち上げると、フィルは自分から翼を畳み、取りつけやすいよう身体を寄せた。


 革鞄が胴へ収まる。


「フィルが、あなたたちと帝都まで行くと言っているわ。居場所を覚えた後は、村と帝都の間で手紙を運んでくれるそうよ」


「本人が引き受けてくれるんですね」


 セイルが確認する。


「ええ。父が頼んで、フィルが承知したの」


 フィルは当然だと言うように胸を張った。


「僕たちが手紙より先に食べられないよう、仲よくしておかないとね」


 リュカが笑う。


 フィルは返事の代わりに、口の端から覗いていた干し肉の欠片を飲み込んだ。


「書面は、その鞄へ入れろ」


 ドルガが言った。


「ただし、途中で落とされて困ることは書くな。詳しい話が必要なら、会う必要があるとだけ伝えればよい」


「分かりました」


 セイルが頷く。


 フィルは再びローディスの背負い袋へ降りた。


 今度は留め紐へ触れず、何もしていないという顔で座り込んだ。


「もう一つ、確認したいことがあります」


 セイルがドルガへ向き直る。


「報酬です」


 エルナが呆れたように目を細めた。


「この状況で、忘れていなかったの?」


「この状況だからです。帝国へ戻ってからでは、受け取りに来るだけでも時間がかかります」


「初めに条件を確かめた者が、最後にも確かめるのは当然だ」


 ドルガは低く笑い、椅子の下から革袋を取り出した。


 卓上へ置かれた袋の中で、銀貨が重い音を立てる。


「山外の銀貨で三十枚。三人で分けろ」


「一人十枚ですね」


 セイルはすぐに答えた。


 革袋から銀貨を取り出し、十枚ずつ三つに分ける。


「それと、銀だけでは終わらせぬと言った」


 ドルガが続けると、エルナは濃い色の木で作られた三枚の札を卓上へ並べた。


 どれも指二本ほどの大きさで、表にはドルガの左角と折れた右角が刻まれている。裏には、竜語の短い刻みがあった。


「この村が、三人を客人として認めた印よ」


 エルナが説明する。


「山へ自由に入れるという意味ではないわ。境の見張りへ見せれば、追い返さず、まず村へ取り次いでもらえる」


「フィルがいないときにも、連絡を頼めるんだね」


 リュカが木札を一枚つまみ上げた。


「勝手に道を外れたら、その札ごと取り上げるから」


「大切にするよ」


 リュカは笑顔で答え、木札を旅装の内側へしまった。


 ローディスは残る二枚のうち一枚を受け取る。


「俺たちは、依頼を果たせましたか」


「六本指を止め、持ち込まれたものを村まで運んだ」


 ドルガが答えた。


「まだ山外に残る者はいる。だが、それは今回の働きを認めぬ理由にはならぬ」


「ありがとうございます」


 ローディスは頭を下げ、セイルも自分の銀貨と木札を旅装へ収めた。


     ◇


 村の境まで、エルナが同行した。


 ローディスが大きい獣皮の箱を背負い、その上にはフィルが乗っている。セイルは木箱と革袋を持つ。リュカは三人の荷と周囲の両方を見られるよう、少し後ろを歩いていた。


 カイルは最後尾にいる。


 山道の左右では、朝の光を受けた石の標が長い影を落としていた。


「その箱を背負って、山を下りるの?」


 エルナがローディスへ尋ねた。


「そうだ」


「異形の頭が入っているのに、随分と平気そうね」


「重さは大したことがない」


「中身の話よ」


「死者を運ぶのは、初めてではない」


 ローディスの返事に、エルナはそれ以上尋ねなかった。


 代わりに、箱を固定する縄へ指をかける。


「少し緩んでいる」


 歩きながら結び目を引き、背中へ密着するよう締め直した。


「これでいいわ」


「ありがとう」


「落とされたら、また山を探すことになるもの」


 エルナはすぐに手を離した。


「ローディスを心配したわけではない?」


 リュカが後ろから尋ねる。


「箱を心配したの」


「だそうだよ」


「俺に言うな」


 ローディスは前を向いたまま答えた。


 境の石へ着くと、エルナは足を止めた。


「私はここまで」


 ローディスたちも振り返る。


「山の外で何か見つけたら、知らせて」


「必ず伝える」


 ローディスが答えた。


「必ず、とは簡単に言うのね」


「守るつもりのないことは言わない」


 エルナは琥珀色の目でローディスを見た。


「なら、待っているわ」


 彼女は三人へ一度だけ頷き、最後にカイルを見る。


「帝国へ戻っても、余計な罪を増やさないで」


「お前に言われなくても分かっている」


「言わなければ分からなかったから、賞金首になったのでしょう」


 カイルは言い返さず、先に境の石を越えた。


「あれは反省している顔かな」


 リュカが尋ねる。


「怒っている顔よ」


「いつもと同じだね」


 エルナの口元が僅かに緩んだ。


     ◇


 山裾の監視小屋へ着いたのは、昼前だった。


 帝国側から迎えの馬車が来るまで、まだ半刻ほどある。


 小屋には年老いた番人が一人いるだけだった。三人の派遣書とカイルの移動許可を確かめると、箱の中身までは尋ねず、馬をつなぐ柵の修理へ戻っていった。


「誰へ渡す?」


 カイルが小屋の壁へ背を預けた。


「北方支部の指揮官へ全部預けるのか」


「預けない」


 セイルが答えた。


「支部には発見と討伐を報告する。でも、封を開けるのは鑑定する者と記録係、それに発見時の証人を揃えてからだ」


「そんな条件を、支部が受け入れると思うか」


「受け入れさせるために、カイルがいる」


 セイルは移動許可の革袋を指した。


「帝国の管理下にある証人で、竜人の村から来た当事者だ。僕たち三人だけよりは、証拠を勝手に開けにくい」


「俺を利用するつもりか」


「君も僕たちを利用しているだろう」


 カイルは鼻から息を吐いた。


「否定はしない」


「学府へ持ち帰れば、学園長にも報告できる」


 ローディスが言った。


「それとは別に、組織へも知らせる」


「二つの報告を、どう分ける?」


 リュカが尋ねる。


「学府には、村の依頼で六本指を追い、異形と黒い壺を発見したこと。組織には、それに加えて野営地の資料と、異形へ重なった声のこと」


 セイルは革袋へ触れた。


「ただし、帝国製かもしれないという推測は、どちらにも断定して書かない」


「書いた瞬間に広がるから?」


 リュカが尋ねた。


「帝国軍が竜族の山へ病を運んだ、なんて一文だけが先に漏れれば、証拠を調べる前に誰かが利用する」


「帝国を責めたい者にも、竜族を敵にしたい者にもな」


 カイルが続けた。


 遠くから、車輪の音が聞こえた。


 迎えの馬車には少し早い。


 四人は同時に、小屋の外へ顔を向けた。


 街道の向こうから、幌のない一台の馬車が近づいてくる。


 御者台に一人。

 荷台に、帝国軍の外套を着た男が三人。


 監視小屋の屋根で休んでいたフィルが身体を起こし、低く喉を鳴らした。


 馬車は監視小屋の前で止まった。


 最初に降りたのは、三十代ほどの男だった。短い黄褐色の髪と四角い顎を持ち、帝国軍の外套の下には片手剣を帯びている。


 男は四人の顔を確かめるより先に二つの箱を見た。それから胸元へ手を入れ、折り畳んだ命令書を取り出す。


「北方支部からの臨時命令だ」


 男の視線は、ローディスの背にある獣皮の箱へ真っすぐ向いていた。


「天穿山脈から回収された物品を、ここで引き渡してもらう」


 ローディスは箱を背負ったまま、男の手にある紙を見た。


 命令書の端には、帝国軍の印が押されている。


「俺たちが何を持ち帰るか、北方支部にはまだ報告していない」


 男は答えなかった。


 セイルの手が、杖の持ち手へ移る。


 リュカだけが、いつものように笑った。


「迎えにしては、少し早すぎませんか」


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