第50話 証拠の行き先
翌朝。
村長の家の中央に、二つの箱が置かれていた。
一つは、黒い壺の破片と金属針を収めた木箱。
もう一つは、六本指の異形の頭部と右手を包んだ、木枠へ厚い獣皮を三重に張った箱だった。
どちらも蔓を固く編んだ縄で縛られ、結び目には乾いた粘土が押しつけられている。
粘土の表面にあるのは、文字ではない。
ドルガの左角と、折れた右角を表す二本の線だった。
「この印が崩れていれば、中を開いたと分かる」
ドルガは二つの箱を見下ろした。
「帝国へ着くまで、必要のない場所では開けるな」
「北方支部でもですか」
ローディスが尋ねる。
「支部で確かめられるのは、お前たちが持ち帰ったという事実だけだ。壺の土や焼き方を調べる者がいるなら、立ち会う者と記録を残してから開けろ」
セイルは木箱の封を覗き込んだ。
「壺が帝国で作られたか、調べてほしいということですね」
「違う」
ドルガの返答は短かった。
「どこで、誰が作ったものかを調べろ。先に帝国のものだと決めれば、それに合う答えしか探さなくなる」
「帝国軍の物資に似た留め具も見つかっている」
カイルが壁際から言った。
「壺まで帝国で作られたものなら、偶然では済まない」
「似ているだけだ」
ドルガはカイルを見た。
「軍から流れた品かもしれぬ。捨てられたものを拾ったのかもしれぬ。帝国の印に似せて作ったものかもしれぬ。壺も同じだ。帝国の土を使ったからといって、帝国が運ばせた証にはならない」
ローディスは、村で保管される留め具へ目を向けた。
実物は山に残し、セイルが刻印と寸法を紙へ写している。
「では、何が分かれば帝国の関与を疑うことになるんですか」
「壺を作った工房。鉄片が支給された部隊。山へ運んだ者。その三つがつながったときだ」
ドルガの太い指が、木箱の蓋へ触れた。
「壺そのものが、帝国軍の管理する品だと分かった場合は、どうなりますか」
セイルが尋ねる。
「その時点で、帝国は竜族へ説明する側になる」
ドルガの声が低くなった。
「盗まれたのか。横へ流されたのか。命じて運ばせたのか。竜族の領域で、病を運ぶ器として見つかった以上、知らぬでは済まされぬ。ただし、それだけで帝国が病を広めたと決まるわけでもない」
「もし帝国の命令で、帝国の者が、竜族の山へあれを持ち込んだと証明されたなら――」
言葉が一度、途切れた。
「それは六本指一体の罪ではない。帝国が竜族の領域へ病を持ち込み、村と谷の命を測ったことになる」
家の中の空気が重くなる。
「竜族と帝国の問題になる、ということ?」
リュカの笑みが薄れた。
「そうだ」
ドルガは正面から答えた。
「グレンガルドだけでなく、他の竜も帝国へ説明を求める。答えを誤れば、山の境だけの話では終わらぬ」
「では、鑑定では製造地と使用者を分けて記録させます」
セイルが言った。
「『帝国製だった』という結果だけが先に広まれば、それ自体が争いの火種になります」
「そうしろ」
ドルガは木箱から手を離した。
「帝国を庇えとは言わぬ。帝国を罪人と決めてから調べるなと言っている」
エルナが細長い革袋を持ってきた。
中には、村の見取り図、見張りの記録、五本指の手袋が別々の布に包まれている。
「こっちにも父の印をつけたわ」
エルナは革袋をセイルへ差し出した。
「山の外へ持っていく証拠は、これで全部」
「留め具の実物以外はね」
セイルが確認する。
「あれは村に残す。帝国側へすべて渡して、何もなかったことにされたら困るもの」
エルナの視線に、昨日までとは違う警戒が戻っていた。
それは三人へ向けたものではない。
箱がこれから運び込まれる、帝国そのものへ向けた目だった。
「写しと持ち帰る証拠を照合して、必要になったら実物を確認しに来る」
ローディスが言った。
「そのときは、誰が来るか先に知らせて」
「分かった」
ドルガが粘土の封をもう一度確かめる。
「箱を渡す相手は、お前たちが選べ」
「村から指定しないんですか」
セイルが尋ねた。
「帝国の中で誰を信じるかは、帝国に住む者の方が知っている」
ドルガの目が、三人からカイルへ移った。
「選んだ相手の名は、こちらにも伝えろ」
「逃げ道を塞ぐつもりか」
カイルが尋ねる。
「証拠を預けた者が消えたとき、次に探す名が必要なだけだ」
カイルは反論しなかった。
「連絡の方法も、ここで決めておきたいです」
セイルが言った。
「山で新しい痕跡が見つかったとき、僕たちが帝都にいれば、今までの約束だけでは知らせが届きません」
ドルガが、天井近くの横穴へ顔を向けた。
喉の奥から、短い竜語の響きを出す。
返事は、頭上から落ちてきた。
青緑色の小さな影が横穴から飛び出し、家の中を一周する。
鼻先から尾の先まで、ローディスの腕ほどの長さしかない。青緑色の鱗に覆われた身体は細く、腹だけが淡い黄白色をしている。頭には後方へ反った二本の短い角があり、琥珀色の丸い目が四人を順に見下ろしていた。
身体に比べて大きな翼が二度羽ばたく。
小さな竜は、ローディスの背負い袋の上へ降りた。
前脚で留め紐を器用に外し、中へ鼻先を入れる。
「待て。それは俺の保存食だ」
ローディスが背へ手を回す。
小さな竜は干し肉を一枚くわえ、差し出された手の届かない位置まで翼で浮いた。
「フィル」
エルナが低い声で呼ぶ。
フィルは空中で動きを止めた。
干し肉をくわえたままエルナを見て、しばらく考えた後、ローディスの掌へ渋々戻す。
「返すんだね」
リュカが感心したように言った。
「半分なくなっている」
ローディスは短くなった干し肉を見た。
フィルは何も知らないように首を傾げた。
「小翼竜のフィルよ」
エルナが紹介する。
「小翼竜は、身体が小さい竜族なの。人を乗せて飛ぶ力はないけれど、長く飛べるし、一度通った道をよく覚える」
「この子に手紙を預けるんですか」
セイルが尋ねた。
「子どもではないわ。あなたたちより年上よ」
フィルが胸を張った。
「失礼しました」
「人語はまだ少ししか分からないけれど、名前と行き先は覚えられる」
エルナが手のひらほどの革鞄を持ち上げると、フィルは自分から翼を畳み、取りつけやすいよう身体を寄せた。
革鞄が胴へ収まる。
「フィルが、あなたたちと帝都まで行くと言っているわ。居場所を覚えた後は、村と帝都の間で手紙を運んでくれるそうよ」
「本人が引き受けてくれるんですね」
セイルが確認する。
「ええ。父が頼んで、フィルが承知したの」
フィルは当然だと言うように胸を張った。
「僕たちが手紙より先に食べられないよう、仲よくしておかないとね」
リュカが笑う。
フィルは返事の代わりに、口の端から覗いていた干し肉の欠片を飲み込んだ。
「書面は、その鞄へ入れろ」
ドルガが言った。
「ただし、途中で落とされて困ることは書くな。詳しい話が必要なら、会う必要があるとだけ伝えればよい」
「分かりました」
セイルが頷く。
フィルは再びローディスの背負い袋へ降りた。
今度は留め紐へ触れず、何もしていないという顔で座り込んだ。
「もう一つ、確認したいことがあります」
セイルがドルガへ向き直る。
「報酬です」
エルナが呆れたように目を細めた。
「この状況で、忘れていなかったの?」
「この状況だからです。帝国へ戻ってからでは、受け取りに来るだけでも時間がかかります」
「初めに条件を確かめた者が、最後にも確かめるのは当然だ」
ドルガは低く笑い、椅子の下から革袋を取り出した。
卓上へ置かれた袋の中で、銀貨が重い音を立てる。
「山外の銀貨で三十枚。三人で分けろ」
「一人十枚ですね」
セイルはすぐに答えた。
革袋から銀貨を取り出し、十枚ずつ三つに分ける。
「それと、銀だけでは終わらせぬと言った」
ドルガが続けると、エルナは濃い色の木で作られた三枚の札を卓上へ並べた。
どれも指二本ほどの大きさで、表にはドルガの左角と折れた右角が刻まれている。裏には、竜語の短い刻みがあった。
「この村が、三人を客人として認めた印よ」
エルナが説明する。
「山へ自由に入れるという意味ではないわ。境の見張りへ見せれば、追い返さず、まず村へ取り次いでもらえる」
「フィルがいないときにも、連絡を頼めるんだね」
リュカが木札を一枚つまみ上げた。
「勝手に道を外れたら、その札ごと取り上げるから」
「大切にするよ」
リュカは笑顔で答え、木札を旅装の内側へしまった。
ローディスは残る二枚のうち一枚を受け取る。
「俺たちは、依頼を果たせましたか」
「六本指を止め、持ち込まれたものを村まで運んだ」
ドルガが答えた。
「まだ山外に残る者はいる。だが、それは今回の働きを認めぬ理由にはならぬ」
「ありがとうございます」
ローディスは頭を下げ、セイルも自分の銀貨と木札を旅装へ収めた。
◇
村の境まで、エルナが同行した。
ローディスが大きい獣皮の箱を背負い、その上にはフィルが乗っている。セイルは木箱と革袋を持つ。リュカは三人の荷と周囲の両方を見られるよう、少し後ろを歩いていた。
カイルは最後尾にいる。
山道の左右では、朝の光を受けた石の標が長い影を落としていた。
「その箱を背負って、山を下りるの?」
エルナがローディスへ尋ねた。
「そうだ」
「異形の頭が入っているのに、随分と平気そうね」
「重さは大したことがない」
「中身の話よ」
「死者を運ぶのは、初めてではない」
ローディスの返事に、エルナはそれ以上尋ねなかった。
代わりに、箱を固定する縄へ指をかける。
「少し緩んでいる」
歩きながら結び目を引き、背中へ密着するよう締め直した。
「これでいいわ」
「ありがとう」
「落とされたら、また山を探すことになるもの」
エルナはすぐに手を離した。
「ローディスを心配したわけではない?」
リュカが後ろから尋ねる。
「箱を心配したの」
「だそうだよ」
「俺に言うな」
ローディスは前を向いたまま答えた。
境の石へ着くと、エルナは足を止めた。
「私はここまで」
ローディスたちも振り返る。
「山の外で何か見つけたら、知らせて」
「必ず伝える」
ローディスが答えた。
「必ず、とは簡単に言うのね」
「守るつもりのないことは言わない」
エルナは琥珀色の目でローディスを見た。
「なら、待っているわ」
彼女は三人へ一度だけ頷き、最後にカイルを見る。
「帝国へ戻っても、余計な罪を増やさないで」
「お前に言われなくても分かっている」
「言わなければ分からなかったから、賞金首になったのでしょう」
カイルは言い返さず、先に境の石を越えた。
「あれは反省している顔かな」
リュカが尋ねる。
「怒っている顔よ」
「いつもと同じだね」
エルナの口元が僅かに緩んだ。
◇
山裾の監視小屋へ着いたのは、昼前だった。
帝国側から迎えの馬車が来るまで、まだ半刻ほどある。
小屋には年老いた番人が一人いるだけだった。三人の派遣書とカイルの移動許可を確かめると、箱の中身までは尋ねず、馬をつなぐ柵の修理へ戻っていった。
「誰へ渡す?」
カイルが小屋の壁へ背を預けた。
「北方支部の指揮官へ全部預けるのか」
「預けない」
セイルが答えた。
「支部には発見と討伐を報告する。でも、封を開けるのは鑑定する者と記録係、それに発見時の証人を揃えてからだ」
「そんな条件を、支部が受け入れると思うか」
「受け入れさせるために、カイルがいる」
セイルは移動許可の革袋を指した。
「帝国の管理下にある証人で、竜人の村から来た当事者だ。僕たち三人だけよりは、証拠を勝手に開けにくい」
「俺を利用するつもりか」
「君も僕たちを利用しているだろう」
カイルは鼻から息を吐いた。
「否定はしない」
「学府へ持ち帰れば、学園長にも報告できる」
ローディスが言った。
「それとは別に、組織へも知らせる」
「二つの報告を、どう分ける?」
リュカが尋ねる。
「学府には、村の依頼で六本指を追い、異形と黒い壺を発見したこと。組織には、それに加えて野営地の資料と、異形へ重なった声のこと」
セイルは革袋へ触れた。
「ただし、帝国製かもしれないという推測は、どちらにも断定して書かない」
「書いた瞬間に広がるから?」
リュカが尋ねた。
「帝国軍が竜族の山へ病を運んだ、なんて一文だけが先に漏れれば、証拠を調べる前に誰かが利用する」
「帝国を責めたい者にも、竜族を敵にしたい者にもな」
カイルが続けた。
遠くから、車輪の音が聞こえた。
迎えの馬車には少し早い。
四人は同時に、小屋の外へ顔を向けた。
街道の向こうから、幌のない一台の馬車が近づいてくる。
御者台に一人。
荷台に、帝国軍の外套を着た男が三人。
監視小屋の屋根で休んでいたフィルが身体を起こし、低く喉を鳴らした。
馬車は監視小屋の前で止まった。
最初に降りたのは、三十代ほどの男だった。短い黄褐色の髪と四角い顎を持ち、帝国軍の外套の下には片手剣を帯びている。
男は四人の顔を確かめるより先に二つの箱を見た。それから胸元へ手を入れ、折り畳んだ命令書を取り出す。
「北方支部からの臨時命令だ」
男の視線は、ローディスの背にある獣皮の箱へ真っすぐ向いていた。
「天穿山脈から回収された物品を、ここで引き渡してもらう」
ローディスは箱を背負ったまま、男の手にある紙を見た。
命令書の端には、帝国軍の印が押されている。
「俺たちが何を持ち帰るか、北方支部にはまだ報告していない」
男は答えなかった。
セイルの手が、杖の持ち手へ移る。
リュカだけが、いつものように笑った。
「迎えにしては、少し早すぎませんか」




