第5話 九枚の銀貨
翌日の放課後、ローディスは教室の机へ、二つに折れた大剣を置いていた。
柄の残った側と、布で幾重にも包んだ切っ先。昨夜は暗がりだったため直視せずに済んだが、昼の光の下で見ると、刀身を横断する破断面は嫌になるほど鮮明だった。
「……見れば見るほど、見事に折れてるね」
隣から覗き込んだリュカが、感心したように言った。
「褒めるな」
「褒めてないよ」
「でも、どうしたの、それ」
前の席から振り返ったのは、ニナ・フェルナーだった。
彼女は包みの隙間に見える刀身と、ローディスの動きの硬さを交互に見る。次いで、セイルの頬に貼られた小さな布へ視線を移した。
「昨日の実習が終わったときには、折れてなかったよね。セイルも怪我してるし」
「夜に少し、訓練をした」
ローディスが答えると、セイルは机の下でその脛を蹴った。
「少し熱が入りすぎたんだ。僕の氷が割れて、こいつは大剣で受けた。それだけだよ」
「それで剣が折れる?」
「こいつは加減を知らないからね」
「セイルにだけは言われたくない」
嘘ではない、とローディスは思った。氷は割れたし、大剣で攻撃を受けた。相手と場所を省いただけだ。
ニナはまだ疑わしげだったが、やがて肩をすくめた。
「怪我がそれだけならいいけど。鍛冶屋へ行くなら、私も商店区画まで一緒に行っていい? 新しい実習用の手袋を買いたいの」
「昨日の火で傷んだのか?」
「焦げてはいない。でも、次は失敗しないように、もう少し丈夫なものに替える」
ニナは自分の指先を見つめた。
「道具のせいじゃないのは分かってる。だから、道具くらいは言い訳できないものにしておきたい」
その言葉に、ローディスは折れた剣を見下ろした。
「俺も同じだ」
「君の場合、まず使い方を言い訳できないものにすべきだけどね」
セイルの一言が余計だった。
◇
帝立アストラ兵学府の正門から大通りを半刻も歩かない場所に、兵学府御用達の商店区画はあった。
武器、防具、教本、保存食。兵士の卵と、それを鍛える教員が必要とする品々を扱う店が、石畳の両側に軒を連ねている。放課後ともなれば、制服姿の学生と教員で通りは賑わった。
四人が最初に入ったのは、鍛冶店〈赤槌工房〉だった。
扉を開けた瞬間、鉄を叩く轟音と熱気が押し寄せる。
「おう、いらっしゃい!」
炉の前から、岩のような男が振り返った。
四十代ほど。太い腕に革の前掛けをつけ、髭の中から豪快に歯を見せている。店主のガルド・アイゼンだ。肩には、鍛冶道具と呼ぶにはあまりに大きな槌を担いでいた。
「折れた大剣を見てほしい」
ローディスが二つの包みを差し出す。
ガルドは作業台へ並べ、布を解いた。破断面を一目見たあと、柄側の刀身を持ち上げ、片目を細める。
「こいつを盾みてえに使ったな。それも、一発二発じゃねえ」
「分かるのか」
「分からねえはずがあるか。刃の横っ腹に歪みが溜まってやがる。最後にでかいのを食らって、耐えきれずにぽっきりだ」
昨夜の戦いを見られていたようで、ローディスは言葉に詰まった。
「直せるか?」
「繋ぐだけならな。だが、実戦で振れば次はお前ごと死ぬ。鉄屑として引き取るのが、この剣にしてやれる最後の仕事だ」
ガルドは断言し、壁に並ぶ大剣の一本を顎で示した。
「お前なら、あれだ。峰を厚くしてある。今までのより重いが、多少乱暴に受けても持つ」
ローディスは大剣を手に取った。
構えてみる。確かに重い。だが重心は手元へ寄せられており、振り出しは想像より素直だった。二度、三度と狭い範囲で動かすうちに、手の中へ馴染んでくる。
「いくらだ」
「銀貨十一枚」
ローディスは固まった。
財布の中には、五日前の任務で受け取った銀貨が九枚ある。
「足りんな」
「見りゃ分かる。折れた方の鉄と、鞘を引き取って二枚引く。それで九枚だ」
「買う」
答えは早かった。
銀貨を一枚ずつ作業台へ積む。最後の一枚が指を離れたとき、セイルが心底痛ましそうに目を伏せた。
「報酬が、一息で消えた」
「剣になった」
「そう考えないと立っていられないね」
ガルドは腹を揺らして笑い、新しい大剣を古い背負い帯へ固定した。
「今度は剣だけに受けさせるな。足を動かせ。受けるなら流せ。武器が丈夫になっても、使う奴の頭まで丈夫にはならねえぞ」
昨夜、リュカに言われたこととよく似ていた。
ローディスは笑わず、深く頷いた。
「覚えておく」
◇
〈赤槌工房〉の二軒隣に、服飾店〈銀糸の針〉はある。
鉄と煤の匂いに満ちた鍛冶店とは違い、店内には色とりどりの上着や手袋が整然と並べられていた。どれも兵学府の制服の下に着られる形で、獣の爪や刃を通しにくい強靭な糸が織り込まれている。
「いらっしゃいませえ。かわいい生徒さんが四人も来てくれて、フィーネ嬉しい」
甘い声とともに現れたのは、淡い金髪をゆるく巻いた若い女だった。
店主のフィーネ・ヴェーバーは、両手を胸元で合わせてにこりと笑う。二十代半ばほどに見えるが、客を見る青い目だけは、品物の傷みを測る針のように冷静だった。
「実習用の手袋を探してるんです。火を使うので、熱と裂けに強いものを」
ニナが言うと、フィーネは笑みを深めた。
「まあ、しっかり屋さん。頑張る女の子って素敵よねえ。手を見せてくださる?」
差し出された手を取り、指の長さと掌の厚みを確かめる。
「これ。銀貨一枚と銅貨六枚。こっちの安い方は縫い目が弱いから、あなたの使い方なら三月で駄目になる。買うだけ無駄」
声から突然、甘さが消えた。
「は、はい」
「色は選べるわよお」
次の瞬間には元へ戻っている。
ニナが戸惑いながら手袋を選ぶ横で、フィーネの目がローディスの制服に止まった。昨夜の拳で背中側の布が擦れ、縫い目の一部がほつれている。
「そちらのお兄さん。上着を脱いで」
「俺か?」
「他に背中を殴られたみたいな服の人、いる?」
また声が冷たい。
ローディスが黙って上着を脱ぐと、フィーネはほつれへ指を滑らせた。
「補修で銅貨八枚。刃止め糸を足すなら銀貨一枚」
「今、無一文になった」
「じゃあ帰って」
迷いのない返答だった。
リュカが噴き出し、セイルは財布を抱えるようにして一歩下がった。
「仕方ないな。補修代は貸すよ」
セイルが銅貨を取り出す。
「助かる」
「銀貨九枚を剣一本に変えた人間を、その服のまま歩かせる方が気になるだけだ。利子は取る」
「友人から取るのか?」
「友人だから銅貨で済ませる」
フィーネは二人の会話を聞き流し、上着を作業台へ広げた。針が迷いなく布を往復し、丈夫な糸で傷んだ箇所を塞いでいく。
リュカがその手元を見ていた。
「相変わらず、早いね」
「何度も来てるくせに、毎回同じことを言うのねえ」
「褒めてるんだよ」
「知ってる。だから何?」
フィーネは顔も上げなかった。
ほどなく補修を終えた上着が、作業台の上を滑って戻ってくる。
◇
最後に立ち寄った〈灰雫薬房〉は、同じ通りにありながら、そこだけ夕方が一足早く来たように薄暗かった。
棚には色の異なる液体を詰めた瓶が並び、乾燥させた葉や根が天井から吊られている。扉を閉めると、通りの賑わいは薬草の匂いの向こうへ遠ざかった。
「……そこ、踏まないで」
店の奥から、低い声がした。
ローディスが足元を見る。靴の先に、白い粉で描かれた小さな円がある。
「薬を乾かしてる。混ざると、煙が出るから」
「毒か?」
「咳が止まらなくなるだけ。たぶん」
現れた店主を見て、ニナが半歩下がった。
ノエル・クロイツ。三十代の痩せた男で、長い黒髪の隙間から血色の悪い顔が覗いている。指先には薬液の染みた手袋をはめ、こちらを歓迎しているのか帰ってほしいのか分からない目をしていた。
セイルが頬の布を指す。
「浅い切り傷と、マナ疲労に効くものがほしい」
「傷は見せて」
布を剥がしたセイルの頬を、ノエルはランプの下で観察した。
「傷薬は要らない。洗ってあるし、もう閉じてる。売ってもいいけど、金の無駄」
「良心的なんだか、商売が下手なんだか分からないね」
「両方、よく言われる」
ノエルは棚から濁った青色の小瓶を取り出した。
「マナ疲労には、こっち。今夜半分、明朝半分。銀貨一枚」
「高い」
「安い方は、とても苦い」
「効き目は?」
「同じ」
「安い方を」
「そう言うと思った」
差し出された瓶の中身は、青ではなく濁った茶色だった。栓を抜いて匂いを確かめたセイルの顔が、目に見えて引きつる。
「飲めるものを頼んだつもりだけど」
「死なない」
「基準が低すぎる」
ノエルは答えず、今度はローディスへ目を向けた。
「そっちは打ち身。服を脱いで」
「今日はよく脱がされるな」
制服の下には、胸から脇腹にかけて青黒い痣が広がっていた。
ニナが息を呑む。
「それ、本当に訓練なの?」
「受け方を間違えた」
今度の答えに嘘はなかった。
ノエルは痣を指で押した。ローディスが眉をしかめる。
「骨は無事。塗り薬で銅貨六枚。三日で色は引く。痛みを消す薬もあるけど、動けると勘違いして悪化させるから売らない」
「銅貨なら借りられる」
「当然のように僕を見るな」とセイル。
結局、ローディスの塗り薬とセイルの恐ろしく苦い回復薬は、セイルの財布から支払われた。
店を出る頃には、陽は建物の屋根へ沈みかけていた。
ニナは新しい手袋を手にはめ、何度も指を曲げている。セイルは薬瓶を鞄の奥へ押し込み、ローディスは背中の新しい重みを確かめた。
「買い物っていうより、治療と反省会だったね」
リュカが笑う。
「お前は何も買っていないな」
「僕は怪我もしてないし、武器も壊してないから」
「それを言われると腹が立つね」
セイルが睨むと、リュカはいつもの人のよい笑みを浮かべた。
「次は二人とも、道具を壊さず、怪我もしないように訓練すればいいよ」
リュカは二人を見比べ、簡単に言う。
だが昨夜、それを実際にやってみせたのはリュカだけだった。
ローディスは背負った大剣の柄を握る。
前の剣より重い。財布は空になり、セイルへの借りまで増えた。
それでも、その重みは悪くなかった。
「次は折らん」
「剣だけじゃなくて、自分の骨も頼むよ」
リュカが笑い、セイルも続ける。
「それから僕の氷もね」
三人の声に、ニナの笑い声が重なる。
夕暮れの商店区画を、四人は兵学府へ向かって歩き出した。




