第47話 黒い壺
六本指の足が、黒い壺へ振り下ろされる。
セイルは杖を河原の水へ向けた。
持ち手の紋章へ指を重ねる。
「壺を上へ弾く!」
雨水が岩の間から噛き上がる。
細い水柱が壺の底を打ち、黒い陶器を宙へ弾き上げた。六本指の踵が河原を踏み抜く。
エルナの長槍が伸びた。
片刃ではなく、柄の中ほどを壺へ当てる。一度受け止め、手首を返して後方へ送った。
「セイル!」
壺が空中を飛ぶ。
セイルは持ち手の紋章へ指を重ねた。宙に残った水が壺の周囲へ集まり、火の精霊がそこから熱を退ける。
黒い壺は、氷の球に閉じ込められて地面へ落ちた。
割れてはいない。
「壺から引き離す!」
ローディスは大剣を両手で構え、セイルと氷の球を背にした。
六本指の異形が踏み込む。
痩せた身体から想像できない速さだった。
長い右腕が横なぎに振るわれる。六本の指の先に、黒い爪が伸びていた。
ローディスは大剣の峰を合わせた。
受け止めない。
斜めに当て、爪を刃の上へ滑らせる。
六本の爪が火花を引き、ローディスの左肩の外側を通り過ぎた。
その脇から、エルナが飛び込む。
長槍の刃が異形の脇腹へ走った。
異形は岩を蹴り、河原の中央まで後ろへ跳んだ。一度の跳躍で、人族の成人二人が並ぶほどの距離を逃れる。
「逃げた」
エルナが舌打ちする。
「それでいい。壺から離れた」
ローディスは異形から目を離さない。
異形の顔から、笑みが消える。
氷の球は、ローディスの背後にある。
異形が壺へ戻るには、大剣を構えたローディスを越えなければならない。
「壺は僕が見る」
セイルが杖を氷へ向けたまま言った。
「でも、長くは保たない。氷の中で、何かが動いてる」
透けた氷の内側で、壺の蓋が小さく跳ねていた。
内側から、黒い筋が氷を叩いている。
「なら、先にこいつを倒す」
カイルが低く身を沈めた。
翼を開く。
巨大な灰色の皮膜が風を孕み、岩の砂を巻き上げた。
「カイル、飛ぶのは——」
「飛ばん」
ローディスの声を遮り、カイルは両脚で地面を蹴った。
翼は一度だけ羽ばたいた。
飛行ではない。跳躍を風で押し、距離を一息に詰める。
カイルの右拳が、異形の顔へ向かった。
異形は左腕を掲げた。
拳と腕がぶつかる。
骨の軸む音とともに、異形の左腕が外側へ折れた。
それでも、異形は下がらない。
折れた腕をカイルの首へ巻きつけた。関節が増えたように曲がり、六本の指が首の後ろへ食い込む。
「この……!」
カイルが異形の胴へ膝を打ち込んだ。
二人の身体がもつれる。
「エルナ、止まれ!」
ローディスが叫ぶ。
長槍を突き出そうとしていたエルナの足が止まった。
「カイルに当たる!」
「分かってる!」
エルナは長槍を回し、刃の向きを変えた。突くのではなく、異形の脚へ柄を払う。
異形の膝が折れた。
カイルが指を引き剥がし、身体をひねって地面へ投げる。
背中から岩へ落ちた異形に、ローディスが迫った。
大剣を振り上げる。
「待って!」
リュカの声が飛んだ。
ローディスは反射的に足を止めた。
異形の口が開く。
舌の下から、黒い針が発射された。
針は大剣の平に当たり、金属音を立てて弾けた。
ローディスが止まらず振り下ろしていれば、喉へ刺さっていた。
「口の中に仕込んでた」
リュカは微笑んでいた。
しかし、その目は異形の口元から動かない。
「よく見えたな」
ローディスは大剣で口元を防ぎながら言った。
「光ったからね」
異形が身体を起こす。
カイルに折られた左腕は、力なく下がっていた。
「リュカ、右へ逃がすな!」
ローディスが指示する。
「はいはい」
リュカは異形の右側へ回り込んだ。
エルナが左。
カイルが正面。
ローディスは半歩下がり、三人の間から飛び出す爪と針の両方を見る。
背後では、セイルが壺を閉じた氷へマナを渡し続けていた。
五人がそれぞれの位置へ収まる。
六本指の異形は、リュカの前へ踏み込んだ。
一番小さいリュカを、一番弱いと見たのだろう。
長い右腕が、リュカの胸へ伸びる。
リュカは半歩ずれた。
それだけで爪が空を切る。
異形の腕は伸びきったまま、リュカの左肩の横へ流れた。
リュカの左手が、六本の指の根元へ軽く触れる。
同時に、右足が異形の足首を払った。
強く蹴ってはいない。
伸びた腕の勢いを、僅かに横へ逸らしただけだった。
異形の上体が傾く。
その先に、エルナの長槍が待っていた。
刃が、異形の右腿を深く切り裂く。
黒い血が、白い岩へ飛び散った。
「お前……」
異形の黒い眼が、初めてリュカを見た。
「なに?」
リュカは小首を傾げる。
異形の口が動いた。
「その中に——」
異形の言葉は、最後まで続かなかった。
ローディスの大剣が、右肩へ振り下ろされたからだ。
異形は横へ跳び、刃から逃れた。
しかし、傷ついた右脚は着地の重さを支えきれない。膝が岩へ落ちた。
カイルの手が、異形の首を背後から掴む。
「終わりだ」
六本の指が岩を掻いた。
セイルの背後で、高い音が響く。
氷の球に、最初の亀裂が走っていた。




