第46話 六本指の影
セイルは、野営地の壁から外した三枚の紙を地面へ並べた。
村の見取り図。
見張りの人数。
朝と夕で交代する場所。
どれも、山外の文字で書かれている。
「持ち帰るわ」
エルナが紙をまとめようとした。
「そのまま重ねない方がいい」
セイルが止める。
「どうして?」
「書いた道具が違う。見取り図は木炭、見張りの記録は黒鉛だ。手書きも同じには見えない」
エルナの手が止まった。
「書いた者が二人いる?」
「道具を持ち替えただけかもしれない。でも、指の跡が残っていれば比べられる」
セイルは紙の端を横から見た。
「どちらにも黒い汚れが付いている。手袋と一緒に布で分けて包んで」
「あなたは触ったでしょう」
「触ったのは紙の端だけだよ。黒い汚れには触れていない」
「分かったわ」
エルナは獣皮を裂き、三枚の紙と手袋を別々に包んだ。
氷の中に閉じ込めた黒い物質は、鉄の筒ごと岩のくぼみへ置かれている。
「これも村へ運ぶのか」
カイルが尋ねた。
「このままでは運ばない」
エルナは首を横に振った。
「帰ったら村の者を連れてきて、岩ごと周りを囲む。ドルガに見せるのは、それからよ」
「賢明だね」
セイルが手袋をはめ直した。
「あなたに言われると、なぜか嬉しくないわ」
「それは残念」
エルナは他の痕跡を踏まないよう、五人を岩の隙間から出した。
入口に小石を並べ、獣皮の細い切れ端を一つ結ぶ。村の者だけが意味を知る印だという。
それから、来た道を引き返した。
追うべき六本指の跡は、エルナが積んだ三つの石の先に残っている。
彼女は再び先頭に立ち、北西へ向かった。
日が頭上を越える頃、五人は岩の連なる尾根に着いた。
地面に土はほとんどない。
それでもエルナは、岩の端に残った白い擦り傷を見つけた。
「爪を引っかけている」
ローディスが傷を覗き込む。
「急いでいたのか」
「それだけじゃない」
エルナは尾根の先を見た。
左は、松の深い斜面へ下る道。
右は、両側が崖になった細い岩道。
「左に向かったように枝が折られている。でも、折れた面が新しすぎる」
「跡を残した後で、別の者が折った?」
セイルが尋ねた。
「ええ。六本指は右よ」
エルナは細い岩道へ足を向けた。
「待って」
リュカが声をかける。
彼は岩道を見ず、左の斜面へ顔を向けていた。
「今、石が落ちた」
「動物でしょう」
「動物なら、こっちの匂いに気づいて止まらないと思う」
リュカは笑っていなかった。
カイルが灰色の翼を僅かに開き、風を受ける。
「下にいる」
「分かるのか?」
ローディスが尋ねた。
「風の流れが一度、下で乱れた。何かが岩の陰へ入った」
エルナは長槍を抜いた。
「追う」
「左は偽の跡だったんじゃないの?」
セイルが確認する。
「三日前の六本指が残した跡ではない。それだけよ」
エルナが斜面を下る。
足裏を滑らせ、岩から岩へ踏み移る。カイルが続き、ローディスたちも後を追った。
リュカなら速度には余裕がある。
しかし、ローディスは大剣の重さで足元を取られ、セイルは杖を支えにしなければエルナの速度へついていけない。
「エルナ、待てくれ!」
ローディスが呼びかける。
「待ったら逃げられる!」
「五人で追っているのに、三人で先へ行く気か!」
エルナが一度だけ振り返る。
その間に、カイルが彼女の前へ出た。
「俺が見る。お前は後ろを繋げ」
「指図しないで」
「なら、全員を置いて行くな」
エルナは唇を引き結んだが、速度を落とした。
五人の距離が再び縮まる。
斜面の底には、小さな河原があった。
水は流れていない。白い岩の間に、雨水が細長く溜まっている。
その向こう岸に、人影が立っていた。
ローディスより背が高い。
灰褐色の肌をした身体は、骨の形が分かるほど痩せている。肩から垂れた両腕は膝より下まで届き、顔には鼻がない。黒い眼が、深い穴の奥で光っていた。
右手に、六本の長い指がある。
左手にも、六本。
その足元には、黒い陶器の壺が一つ置かれていた。
「それから離れろ」
ローディスは大剣を抜いた。
六本指の異形が、顔を傾ける。
「人語が分かるのか」
口が大きく左右へ裂けた。
「分かる」
そこから出たのは、擦れてはいるが、確かな人語だった。
「お前たちが、谷の根を壊したのか」
「あの谷に運んだのは、お前か?」
セイルは杖を向けたまま聞き返す。
六本指の異形は壺の縁を踏み、笑った。
「次は、もっと深く根を張る」
足に力が込められた。
「壺を壊させるな!」
セイルが叫ぶ。
ローディスは河原へ踏み込んだ。
エルナとカイルが、両側から同時に地を蹴る。
六本指の足が、黒い壺へ振り下ろされた。




