第45話 岩陰の野営地
翌朝、五人は日が山の稜線を越える前に村を出た。
先頭はエルナ。
ローディス、セイル、リュカが続き、最後尾をカイルが歩いている。灰色の翼は背中へ畳まれたままだ。
村を出てすぐ、エルナは道から外れた。
土に残った六本指の跡を目で追っているわけではない。岩の間で折れた細枝、踏みつけられた苔、下草の葉に残る泥。それらを一つずつ拾い、迷うことなく北西へ進む。
「足跡がなくても分かるの?」
リュカが尋ねた。
「山は、誰かが通れば形が変わる」
エルナは振り返らない。
「何が変わったか知るには、元の形を知っていればいい」
「帝都では使えそうにない技術だね」
「あなたたちには、別の技術があるのでしょう」
「お世辞を言えるんだ」
「今のはお世辞に聞こえた?」
「リュカ、前を見ろ」
ローディスに言われ、リュカは笑顔のまま肩をすくめた。
やがてエルナは、岩の間に溜まった湿った土の前で止まった。
六本指の跡が北西へ続いている。
その上を横切り、鋲付きの靴跡が沢の方角へ向かっていた。
「二つの跡は、ここで重なっていたのか」
ローディスが言った。
「同じ日かは分からない。靴の跡の方が崩れていないから、後に通ったとは思う」
エルナは六本指の進路に小石を三つ積み、靴跡の方へ曲がった。
「先に、村へ向かった者がどこから来たのかを確かめる。六本指の跡には戻れる」
一刻ほど進むと、岩場の向こうから水音が聞こえ始めた。
山肌を削る細い沢が、五人の進路を横切っている。
エルナは岸の手前で膝をついた。水面に触れず、湿った小石の間へ顔を近づける。
「ここで止まっている」
「迷ったのか」
ローディスが尋ねる。
「違う。何かを降ろした」
エルナが示した場所で、苔が幅広く潰れていた。
セイルは杖を左手に持ち替え、手袋を外した。潰れた苔の端から、黒く光る粒を指先で拾う。
「鉄の粉だね」
「昨日の留め具から落ちたのか?」
ローディスが聞く。
「色は似てる。でも、留め具一つからこれだけ削れたら、先に壊れるよ」
セイルは指先の粉を嗅いだ。
「油が混じってる。荷車の車軸か、金属道具の手入れに使うものに近い」
「山の中へ、重い金属を運んだ?」
エルナが聞く。
「鉄粉が荷物の中に残っていただけかもしれない。ただ、村で見た靴跡の深さとは話が合う」
「降ろしたものは、どこだ」
カイルが周囲を見回した。
エルナが沢の反対側を指す。
「運んだ者は、水を渡っていない」
岩が重なる陰へ、細い隙間が開いていた。
人一人が横向きで通れる程度の幅しかない。入口を隠すように立つ低木の枝は、不自然な位置で紐に結ばれていた。
「ローディス」
セイルが呼ぶ。
「分かっている」
ローディスは大剣を背から外した。
エルナの前へ出るのではなく、彼女が見つけた隙間の横に立つ。セイルとリュカは二歩下がり、カイルは後ろの沢へ視線を走らせた。
「中へ入る前に、周りを見る」
エルナは長槍を抜かない。
結び目へ触れ、繊維の潰れ方を確かめる。
「結んでから、二日ほど。三日は経っていない」
「村の外の跡より、後に作られたってことかな」
リュカが言う。
セイルが結び目の上に張り出した岩を見上げた。
「雨の影響は?」
「ここは岩の庇に入っている。大きくはずれない」
エルナは紐を切り、低木の枝を静かに戻した。
隙間の奥に、薄い暗が伸びている。
先に動いたのはリュカだった。
彼が一歩近づいた瞬間、岩陰から黒い線が飛び出した。
「下がって!」
セイルの声と、リュカが身を伏せるのはほぼ同時だった。
黒い線が頭上を通り、後ろの岩へ突き刺さる。
根ではない。
黒く塗られた細い金属の線だった。
岩陰から、張られた線に引かれて鉄の筒が転がる。
蓋が外れた。
中から黒い団子が落ち、地面へべったりと潰れる。
「離れろ!」
ローディスが前へ出た。
黒い団子が割れ、無数の細い筋を地面へ伸ばす。
大剣の平を地面へ叩きつける。
飛び散った土と石が、黒い筋をまとめて押し戻した。
「セイル!」
「見えてる!」
セイルは杖を地面へ向け、持ち手の紋章に指を重ねた。
沢の水が一筋、空中へ持ち上がる。
黒い団子へ覆い被さると同時に、セイルは火の精霊へ熱を退ける願いを伝えた。
水が白く凍り、伸びかけた黒い筋ごと地面へ縫い留める。
「エルナ、触らないで」
セイルは視線を凍った団子から外さない。
「生きているものへ付く。死骸も動かす。皮膚へ入れば、どうなるか分からない」
エルナは長槍の柄でカイルの胸を押し、後ろへ下げていた。
「触る気はないわ」
リュカが立ち上がる。
「引っかかったね」
「君が」
セイルが即座に返す。
「見つけたのも僕だよ」
「張ってある線に触れたのも君だね」
「それでも、誰かが中へ入る前に罠は見つかった」
「罠を作動させた本人が言うことか」
ローディスが言った。
「セイルもリュカも、後ろにいて」
エルナは長槍を背から抜いた。
片刃の切っ先を隙間へ向ける。
「中を確かめる。今度は私が先に入る」
「黒いものが残っているかもしれない」
セイルが止める。
「あなたたちにも、山の隙間の歩き方は分からないでしょう」
「それはそうだけど」
「なら、中を見るのは私。黒いものを見つけたら、あなたたちが止める」
エルナは返答を待たず、岩の隙間へ身を滑らせた。
ローディスがその後ろに続き、セイルとリュカ、カイルが順に入る。
奥は、すぐに広くなった。
三方を岩に囲まれた、小さな野営地だった。
火を使った跡。
干し肉の空袋。
岩へ打ち込まれた二本の鉄杭。
そして奥の壁には、三枚の紙が釘で留められていた。
セイルが一枚を外し、紙面の線を追う。
「村の見取り図だ」
道と家の位置。
高所の足場。
夜に見張りが立つ岩。
粗い線ではあるが、昨日、エルナが案内した場所と一致している。
「こっちは村へ入る道。最後は……」
セイルの手が止まる。
三枚目の紙には、朝と夕の見張りの数が、日ごとに書き込まれていた。
「三日で調べた量じゃないね」
リュカが言う。
「村の中を知っている者が書いたのか」
ローディスがエルナを見た。
「村の者は、こんな書き方をしない」
エルナは見取り図を指で押さえた。
「翼のある者が移る道を、地上の道と同じ線で書いている。これを書いた者は、山外の眼で村を見ている」
「でも、中へ入らないと分からない場所まで合ってる」
カイルの声が低くなった。
そのとき、ローディスが火の跡の横へしゃがみ込んだ。
「エルナ。六本指の跡は、どれくらいの大きさだった」
「私の手より少し大きい」
ローディスは地面に残った黒い汚れを示した。
毛皮の手袋が、燃え残りの薪の下へ半分隠れている。
手袋の指は、五本だった。
その掌に、黒い物質が縦長に擦りつけられていた。
「六本指の者と、山外の者が別にいた」
ローディスは言った。
「しかも、その二人は、ここで同じものを扱っていた」




