第40話 灰翼の保釈
団体対抗競技から、三週間が過ぎた。
帝立アストラ兵学府の西演習場では、一年生たちが六人一組になって木製の標的を囲んでいた。
「前衛、止めろ! 術者は足場を崩せ!」
ヴィルヘルム・ザイツの指示が飛ぶ。
競技を境に、合同実技の内容は少し変わった。
精霊術と武技を別々に試すだけでなく、互いの動きをつなぐ訓練が増えている。
ローディスが、大剣の腹で人型の標的を受け止める。
標的は木と土で作られた訓練用ゴーレムだ。両腕の棒を振り回しながら、前へ進もうとしている。
「セイル!」
「分かってる」
セイルは杖の紋章板へ指を当てた。
ゴーレムの足元へ水が集まり、白く凍る。片足を床へ固定された標的が傾いた。
その首へ、トビアスの槍先が触れる。
「一体!」
「数える前に左を見なさい!」
ニナの声に、トビアスが振り返る。
二体目の棒が頭上へ迫っていた。
矢が飛び、肩の関節へ刺さる。
エルザの一射で軌道の逸れた棒を、ローディスが大剣で弾き返した。
「助かった!」
「次は自分で見て」
エルザはもう次の矢をつがえている。
少し離れた場所では、リュカが三体目を相手に短剣を構えていた。
踏み込みは遅い。
突き出した短剣も、ゴーレムの腕へ簡単に弾かれる。
短剣が手を離れ、床を滑った。
「リュカ、下がれ!」
ローディスが駆けつける。
リュカは慌てて退いたように見せながら、その進路だけはゴーレムをローディスの正面へ導いていた。
大剣が胴を打つ。
木製の標的が倒れた。
「ありがとう、ローディス。危うく頭が西門まで飛ぶところだったよ」
「木の棒でそこまで飛ぶか」
「僕は軽いからね」
「無駄口を叩く余裕があるなら、次は自分で一撃入れろ」
ザイツの指示棒が、リュカの足元を示す。
「はい、先生。善処します」
息一つ乱していないリュカが、申し訳なさそうに短剣を拾い直す。
ローディスはその姿を見て、何も言わなかった。
だが、目の前の頼りない動きが本当の実力ではないことを、ローディスとセイルだけは知っている。
「そこまで!」
終了の鐘と同時に、ザイツが声を張った。
「標的を戻し、武器を点検しろ。次の合同実技は四日後だ」
「四日もあるのか」
ローディスが呟く。
「授業の間隔としては普通だよ」
セイルは杖の先についた土を布で拭っていた。
「君は休暇明けから、戦いがないと落ち着かなくなってない?」
「訓練の話だ」
「夜の方まで増やしたいと言わないでくれよ。あちらは報酬が出ても疲れる」
「報酬は欲しいんだね」
リュカが横から笑う。
「疲労と収入は別の問題だ」
三人は倒した標的を、所定の位置へ運び始めた。
長期休暇は終わっている。
朝から夕刻までは授業があり、課題も試験も待っている。
あれほど大きな競技があっても、学園の日々は止まらなかった。
◇
同じ日の午後。
帝都北部の拘置所で、カイルは鉄枷を外されていた。
手首には、長く金属へ擦られた赤い跡が残っている。
「翼の拘束具も外す。急に開くな」
兵士が背後から革帯を解く。
灰色の皮膜翼が、狭い部屋でゆっくりと持ち上がった。傷はすでに塞がっている。それでも、何週間も畳んでいた翼骨は軋み、カイルは僅かに顔をしかめた。
向かいの机には、帝国宮廷精霊術師エレオノーラ・ヴァイスが座っている。
鉄色の軍装を隙なく着込み、傍らには黒石の杖を立てていた。
「釈放ではありません」
エレオノーラが書面を置く。
「帝都の裁定が下るまでの、条件付き保釈です」
「言い方が変わっても、外へ出られるなら同じだ」
「違います。帝都から無断で出ないこと。指定された場所で暮らし、三日に一度、監察局へ所在を報告すること。召喚には必ず応じること。武器の所持と飛行は、許可を得た場合に限ります」
「飛ぶたびに許可を取れと?」
「飛ばずに歩きなさい」
「帝国は翼の使い方まで決めるのか」
「保釈中の竜人については、決めます」
カイルは舌打ちし、書面へ目を落とした。
商隊への襲撃。
物資の強奪。
複数名への傷害。
その下には、救援要請が拒絶されたこと、奪った物資が病人へ渡されたこと、自主出頭と調査協力についても記されている。
「なぜ通った」
カイルが尋ねた。
「俺がしたことは消えていない」
「消していません。罪への裁定が出るまで拘束を続ける必要があるかを、別に判断しただけです」
「誰が判断させた」
「〈石環派〉が、谷の軍医による経過報告と、グレンガルドが確認した陶片の記録を帝都へ提出しました。あなたが北方事件の継続捜査に必要な参考人であることも、保釈の理由に加えています」
「参考人なら、牢の中でも話はできる」
「六本指の痕跡を追うなら、牢の外にいる方が役に立ちます。谷へ病を持ち込んだ者を探すため、協力しませんか」
エレオノーラの目は、少しも逸れなかった。
カイルは赤く擦れた手首を握った。
「探す。だが、帝国のためじゃない」
「理由は問いません」
「俺を自由にして、逃げるとは考えなかったのか」
「逃げる者は、自分から牢へ戻りません」
「買い被るな」
「信用ではなく、記録に基づく判断です」
以前にも似たようなことを言う女がいた。
カイルは眼鏡の奥からこちらを見据えた教員を思い出した。
「あの四人は」
「三人の学生は兵学府へ戻っています。ハルトマン教員も通常の職務に戻りました」
「調査には来ないのか」
「彼らには授業があります」
エレオノーラの返答は淡々としていた。
「帝国は、子供に山を調べさせておいて、今さら授業を優先するのか」
「学生を一年中、任務へ連れ出す方が問題です」
カイルはしばらく黙り、それから鼻を鳴らした。
「それはそうだな」
エレオノーラが、机の下から小さな革袋を取り出した。
中には銀貨が数枚と、帝都内の仮住まいを示す木札が入っている。
「当面の生活費です」
「借りは作らない」
「調査協力への前金です。働かなければ、三日で尽きます」
「帝国の人間は、何でも言い方を変えるな」
「受け取らせるためなら」
カイルは革袋を取った。
◇
指定された仮住まいは、帝都北端の古い倉庫だった。
屋根は高く、梁の間には翼を広げられるだけの空間がある。窓は小さいが、少なくとも牢の石壁より風が通った。
カイルが木箱へ腰を下ろすと、床の隅で土が動いた。
掌ほどの土人形が、積もった埃を押し上げて現れる。
丸い頭。
短い手足。
背中には、筒が一本括りつけられていた。
カイルは反射的に立ち上がる。
「何だ、お前は」
土人形は答えない。
筒だけを外し、両手で差し出した。
中には一枚の紙が入っている。
――我々は、谷へ黒いものを運んだ六本指の存在を追っている。
――保釈への働きかけは、我々が〈石環派〉を介して行った。
――竜族と竜人が得た情報を求める。その代わり、帝国領内で得た情報を共有する。
――最初の連絡は、次の休養日。帝都内で行う。
組織の名も、書いた者の名もない。
「こいつらが、俺の保釈を?」
小さなゴーレムは首を傾げた。
「知らないのか」
今度は反対側へ傾げる。
「役に立たんな」
ゴーレムは筒を背負い直し、抗議するようにカイルの靴を一度叩いた。
それから床の土へ潜り、姿を消す。
カイルは紙を読み返した。
信用できる相手ではない。
名を伏せ、土人形だけを寄越し、こちらの情報を求めている。
だが、六本指を追っている。
そして、帝都の側からしか得られない情報を持つと告げている。
紙を折り、革袋へ入れた。
「利用できるものは使う」
◇
同じ夜。
旧演習場へ現れた小型伝令ゴーレムは、三人の前にも筒を差し出した。
セイルが紙を開く。
「〈灰翼〉の条件付き保釈が認められた。次の休養日、帝都北部で六本指に関する情報を交換する」
ローディスが身を乗り出す。
「カイルが出てきたのか」
「帝都からは出られない。飛行も制限されているそうだ」
「翼があるのに?」
リュカがゴーレムと一緒に首を傾げる。
「保釈中だからだろう」
ローディスが答えた。
セイルは続きを読む。
「今回の任務は帝都内での聞き取りと、既存情報の整理だけ。北方への移動は、学業に支障のない時期まで行わない」
セイルは紙の末尾へ視線を移した。
「報酬は、情報交換一回につき三人で銀貨六枚」
「少ないな」
「帝都から出ないからね」
リュカが笑う。
「それに、相手は一度捕まえた賞金首だ。今度は追いかけなくても会える」
「今度は同じものを追う側だからな」
ローディスは、北の空へ目を向けた。
壁の向こうに山は見えない。
それでも、六本指の跡が続いていた暗い岩の隙間を覚えている。
竜族は山から追う。
三人は帝国の中から追う。
そして今、その間をつなぐ者の翼が、再び開かれた。




