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黒淵のアストラ  作者: 咢
第4章 連環

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第39話 勝敗の答え

 ローディスは、自分の胸が砕ける音を聞いた。


 次に目を開けたとき、見えたのは白い天井だった。


「動かないでください」


 寝台の脇に立つ軍医が、起き上がろうとしたローディスの肩を押さえる。


「身体の感覚を確かめます。指を一本ずつ動かして」


 言われたとおり、右手を握る。


 動く。


 左腕もある。火傷もなければ、胸には亀裂一つない。それでも、水蒸気に焼かれた熱と、核を砕かれた衝撃だけは、記憶の中に生々しく残っていた。


 医務棟には十台の寝台が二列に並んでいる。


 先に戻っていた者たちも、生命術担当の教員と軍医から順に診察を受けていた。隣の寝台ではゲルハルトが右肘を何度も曲げ伸ばしし、その向こうではミレイユが胸元を押さえて渋い顔をしている。


「本当に腕があるな」


 ゲルハルトが呟いた。


「私も、胸に穴が開いていません」


 ミレイユが答える。


「分かっていても、気持ちのいいものではないな」


「次はもう少し加減してください」


「お前もな」


 互いに視線を合わせ、すぐに顔を逸らした。


「ローディス」


 反対側から名を呼ばれる。


 セイルが上体を起こしていた。淡い灰褐色の髪は寝台へ横たわっていたせいで乱れているが、身体には火傷も土汚れもない。


「俺の負けだ」


 ローディスが言った。


「そうだね」


「否定しないのか」


「君が認めたのに、僕が否定する理由はないだろう」


「だが、最後の音は卑怯だ」


「競技規則に、正しい居場所を教えろとは書いてなかったよ」


「分かっている。だから負けた」


 セイルは一度だけ瞬いた。


「君にしては、ずいぶん素直だね」


「事実を言っただけだ」


「それなら、僕も事実を言おう。あの槍は二度と投げないでくれ。杖を貫かれた瞬間、僕の銀貨三十八枚まで砕けた気がした」


「模造品だ」


「分かっていても心は痛むんだよ」


 ローディスは笑いかけ、腹の奥に残る重い感覚へ顔をしかめた。


 傷はない。


 だが、模造体で味わった痛みまで消えたわけではなかった。


「全員、身体に異常はありません」


 診察を終えたベルタが告げた。


「ただし、魂を移した直後です。本日の実技訓練は禁止。眩暈、吐き気、手足の違和感があれば、すぐに戻ってきなさい」


「食事は?」


 ローディスが尋ねる。


「普段どおりで構いません」


「なら問題ありません」


「君の判断基準は、それでいいのか」


 セイルが呆れた声を出した。


     ◇


 一刻後、代表十人は第一屋内演習棟へ戻っていた。


 競技場では、教員たちが模造体の残骸を一か所へ集めている。折れた杖、焼けた盾、砕けた土壁。先ほどまで自分たちの身体だったものが積み重なる光景に、代表者の何人かは近づこうとしなかった。


 観覧席には、全校の生徒が残っていた。


 中央の演台へ、オルフェンが上がる。


 襟の高い黒衣と手袋が大柄な身体を隙なく覆い、表情のない仮面と合わせて、今日も肌は一切見えない。指にはめた幾つもの宝石が高窓からの光を受け、色とりどりの輝きを返していた。


「皆さん、お待たせしました!」


 陽気な声が、静まり返った演習棟へ響く。


「診察の結果、代表者は全員無事です。まずは、見事な勝利を収めた精霊術側へ拍手を!」


 大きな拍手が湧いた。


 セイルは片手を上げ、すぐに下ろす。ニナは照れたように笑い、フリーダは静かに一礼した。


「これで精霊術の方が強いと決まったな!」


 精霊術専攻の生徒が叫ぶ。


「残ったのは一人だけだ。紙一重だっただろう!」


 武技専攻側から言い返す声が飛ぶ。


「一人でも残れば勝ちは勝ちだ!」


「なら、最初から一対一でやればよかっただろ!」


 拍手が、再び言い争いへ変わり始める。


 オルフェンは両手を高く掲げた。


「はい、そこまで! せっかく身体を作り物へ替えてまで戦ったのです。始める前と同じ言葉を繰り返すだけでは、少々もったいない!」


 声が収まる。


 オルフェンは演台の下に並ぶ代表者たちへ仮面を向けた。


「精霊術側が勝った。これは疑いようのない結果です。では、クローデン君。一人で勝ちましたか?」


「いいえ」


 セイルは即答した。


「僕が最後まで残れたのは、フリーダ先輩の指示と、皆の働きがあったからです。武技側を一人まで減らし、ローディスの模造体にも傷を重ねてくれた。水蒸気爆発は、その上でようやく通せた最後の一手でした」


「では、武技側は精霊術へ何もできなかった?」


 今度はローディスへ問う。


「違います。壁も氷も破りました。精霊術側の四人を退場させ、最後の一人まで追い詰めました」


「杖も壊されましたね」


「そこは強調しなくて結構です」


 セイルの返事に、観覧席から笑いが起きた。


 オルフェンも声を上げて笑う。


「失礼。しかし、重要な点です。精霊術側は距離と地形を支配し、武技側は攻撃を受けながら距離を詰め、術の起点を奪った。どちらも、相手の強みをそのまま発揮させれば負けると理解していた」


 オルフェンは、積み上げられた模造体の残骸を示した。


「そして最後に残った二人も、戦場へ仲間が残した水、盾、槍を使った。勝ったクローデン君だけでなく、ベルグ君も同じです。二人の勝負に見えて、そこには十人分の戦いが残っていた」


 精霊術側の席も、武技側の席も静かだった。


「今回の条件では精霊術側が勝利しました。次も同じ条件で戦えば、また勝つかもしれない。配置、地形、人数を変えれば武技側が勝つかもしれない。ですが、実戦の敵は、こちらが優位を証明し終えるまで待ってはくれません」


 オルフェンの声から、陽気な響きがわずかに薄れる。


「今日、両者は敵として戦いました。だからこそ、精霊術側は距離を詰められたときの脆さを、武技側は距離と地形を支配されたときの苦しさを、それぞれ身をもって知ったはずです」


 オルフェンは両陣営を順に見た。


「実戦では、その弱点を仲間に補ってもらえる。遠くの敵を精霊術で止め、そこを突破した敵の前には武技を担う者が立つ。どちらか一方しかいない部隊なら、今日互いに突いた弱点を抱えたまま戦うことになります」


 仮面が、左右の観覧席をゆっくりと見渡す。


「ゆえに、この競技が示した答えは――どちらが上かではありません。ど(・)ち(・)ら(・)も(・)欠(・)か(・)せ(・)な(・)い(・)。それだけです」


 最初に拍手をしたのは、フリーダだった。


 次にアルノーが両手を打ち合わせる。


 拍手は代表者から観覧席へ広がり、やがて演習棟全体を満たした。


     ◇


 生徒たちが演習棟を出たあとも、リュカは観覧席に残っていた。


 膝の上には記録板がある。


 競技の経過だけでなく、代表者がどこで迷い、誰の動きに反応し、何を選んだかまで細かな字で埋められていた。


「実に丁寧な記録です」


 いつの間にか、オルフェンが隣の通路へ立っていた。


「記録係だからね」


 リュカは最後の一行を書き終え、板を差し出した。


「でも、僕の感想まで提出しろとは言われていないよ」


「それは残念。君なら、代表者以上に面白い見方をしていたでしょうに」


 オルフェンは記録板を受け取る。


 仮面の奥がどこを見ているのかは分からない。それでも、視線が競技場へ向いたことだけは、首の動きで分かった。


 床には、最後の水分を拭き取る教員と、運び出される模造体の残骸が見える。


「君が参加していたら、結果は変わったかな?」


 リュカは答えなかった。


 ただ、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。


 否定とも、肯定とも取れる笑顔だった。


 オルフェンは返事を待たず、楽しそうに肩を揺らした。


「なるほど。記録に残らない答えというわけですか」


 リュカは立ち上がり、観覧席の出口へ目を向けた。


 扉の前では、ローディスとセイルが待っている。


「遅いぞ、リュカ」


 ローディスが呼ぶ。


「記録係にも片づけがあるんだよ」


 リュカは軽い足取りで階段を下りた。


「ところでセイル。僕たちに食事を奢る気はない?」


「どうして勝者が奢るんだ」


 セイルが呆れた顔をした。


「皆から祝われたんだ。少しくらい皆へ返さないと」


「その皆に、君まで含める理由は?」


「友達だから」


 リュカは迷いなく答えた。


 セイルは反論しようとして、やめた。


「安い店にしてくれ」


「勝者の言葉とは思えんな」


「勝ったからこそ、賞金の出ない勝負で散財したくないんだよ」


 三人の声が、演習棟の外へ遠ざかっていく。


 精霊術と武技のどちらが強いのか。


 その問いに、ただ一つの勝敗で決着はつかなかった。


 けれど、競い合った者たちはもう知っている。


 次に問うべきなのは、どちらが上かではない。


 ど(・)う(・)組(・)み(・)合(・)わ(・)せ(・)る(・)か(・)だった。


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