第38話 最後の二人
崩れた隊列を、先に作り直したのは武技側だった。
「ノルト、右を見ろ! ケルンはベルグから離れるな!」
ゲルハルトが走りながら指示を飛ばす。
ローディスとトビアスが並び、その後ろへエルザがつく。遅れて戻ったアルノーが小盾を構え、再び先頭へ入った。
五人。
誰も退場していない。
だが、精霊術側も待ってはいなかった。
オスカーが弾かれた杖を拾うより先に、フリーダの水が地面を走る。セイルの氷がその表面を薄く覆い、武技側の足元だけを滑りやすく変えた。
「同じ手だ!」
アルノーが叫ぶ。
「同じなら、今度は転ぶな!」
ゲルハルトは歩幅を狭めた。
速さを捨て、崩れないことを選ぶ。
その右肩へ、ミレイユの火線が迫った。
アルノーの小盾が割り込む。
金属の表面が赤く焼けた。
「三度は持たないぞ!」
アルノーが盾越しに叫ぶ。
「二度で近づく!」
ゲルハルトは盾の陰から飛び出した。
オスカーが杖を拾い、土壁を立ち上げる。
間に合わない。
完成する前の壁へ、ゲルハルトの拳が突き刺さった。
土が弾ける。
二発目が、壁の向こうにいたオスカーの杖を折った。
「まだだ!」
オスカーは折れた杖を捨て、両手を地面へついた。
発声式の精霊語が始まる。
「言わせるか!」
ゲルハルトの拳が胸の核へ届いた。
鈍い音とともに、核へ亀裂が走る。
「オスカー・ヘルム、退場!」
最初の宣言が競技場に響いた。
オスカーの模造体から力が抜ける。
「一人!」
トビアスが槍を掲げた。
「数える前に前を見ろ!」
ローディスが叫ぶ。
オスカーを倒したゲルハルトへ、橙色の火線が正面から突き刺さった。
アルノーの盾は間に合わない。
ゲルハルトは両腕を交差させ、胸の核だけを庇った。
腕の表面が焼け、木の骨組みまで黒くなる。
それでも倒れない。
火線を押し分けるように、一歩ずつ前へ出る。
「ミレイユ!」
フリーダが叫んだ。
「分かってる!」
ミレイユは杖へ両手を添え、火力を上げる。
火が細いまま白くなった。
ゲルハルトの右腕が肘から崩れる。
痛みで顔を歪めながら、残った左拳を引いた。
「届いたぞ」
拳がミレイユの胸へ入る。
同時に、火線がゲルハルトの胸の核を焼き切った。
二つの核が、ほとんど同時に割れる。
「ゲルハルト・ドルン、ミレイユ・カーン――両名退場!」
二人の模造体が崩れ落ちた。
これで四対三。
人数では武技側が上回った。
だが、先頭で指示を出していたゲルハルトを失った。
「ローディス!」
アルノーが呼ぶ。
「お前が決めろ!」
ローディスは一瞬だけ、残る仲間を見た。
盾を持つアルノー。
槍を持つトビアス。
後方のエルザ。
「このまま押す! アルノーは正面、トビアスは右からニナへ。エルザはフリーダの杖を狙え!」
ローディスが指示を出す。
「お前は?」
アルノーが尋ねる。
「セイルを止める!」
◇
ローディスが隊列から離れた。
セイルは低い壁の向こうへ退く。
「また逃げたぞ!」
観覧席の生徒から声が上がった。
「逃げたんじゃありません」
オルフェンが言う。
「追わせているんです」
「同じに見えるけどね」
リュカは記録板へ、セイル移動、ローディス追跡、と書き込んだ。
「追う側に、進路を選ばせない。それがクローデン君の狙いでしょう」
セイルが曲がるたび、足元へ水が残る。
ローディスは凍結を警戒し、水を避けて走らなければならない。
最短距離を進めない。
だが、逃げるセイルも術を使うたびにマナを失う。
「いつまで逃げる!」
ローディスが叫んだ。
「君が諦めるまで!」
セイルは振り返らずに答える。
「なら、先に追いつく!」
「会話になってないよ!」
◇
競技場の中央では、残る七人がぶつかっていた。
アルノーの盾が、フリーダの水の矢を弾く。
一発、二発。
三発目が盾の端を抜け、後ろにいたエルザへ向かった。
エルザは身体を傾けて避け、そのまま矢を放つ。
狙いはフリーダの杖。
水の矢が空中で軌道を変え、飛来する矢を叩き落とした。
「やりづらいね」
エルザが次の矢をつがえる。
「こちらもです」
フリーダの杖先が六つの水滴を作った。
その横を、トビアスが駆け抜ける。
目指すのはニナだ。
ニナは土壁を失い、一人で紋章を描いている。
「来ないで!」
火が床を走った。
トビアスは槍の石突を地面へ突き立て、身体を横へ振る。炎を飛び越え、穂先をニナの胸へ向けた。
「取った!」
水の鞭が足首へ絡んだ。
トビアスの身体が横倒しになる。
それでも槍を離さない。
倒れながら両手で突き出した穂先が、ニナの胸の核へ触れた。
ニナは指を止めなかった。
完成した紋章から炎が噴き上がり、トビアスの核を包む。
「ニナ・フェルナー、トビアス・ケルン、両名退場!」
二人が同時に動かなくなる。
三対二。
武技側は、まだ一人多い。
「人数だけを見ない方がいいね」
エルザが言った。
フリーダの水滴が、六方向から迫っていた。
アルノーが盾を広げる。
「後ろへ!」
アルノーがエルザへ叫ぶ。
エルザは退かなかった。
盾の陰から二本の矢を続けて放つ。
一射目が水滴を一つ破る。
二射目はその穴を抜け、フリーダの肩へ突き刺さった。
だが、残る五つは止まらない。
二つを盾が受けた。
三つが左右から回り込み、エルザの胸、腹、背中へ同時に突き刺さる。
胸の核が砕けた。
「エルザ・ノルト、退場!」
「ごめん」
アルノーが振り返る。
「謝る暇があるなら、前を見て」
エルザの声が消える。
その言葉どおり、アルノーは前を向いた。
盾を投げ捨て、片手剣を両手で握る。
フリーダの肩には矢が刺さっている。杖を持つ腕は上がらない。
「一対一だ」
アルノーが言った。
「ええ」
フリーダは杖を左手へ持ち替えた。
「望んでいた形ではありませんが」
水の矢と剣が、同時に動いた。
◇
ローディスは、セイルとの距離を十歩まで詰めていた。
「捕まえたぞ」
「まだだ」
セイルが杖を両手で握る。
周囲の水が集まり、杖の先から横へ伸びた。
火の精霊に熱を退けてもらう。
透き通った氷が刃となり、大きく湾曲する。
訓練を重ねていた氷の鎌だ。
以前より薄い。
その分だけ軽く、振り回せる。
「杖を捨てて逃げると思っていた」
ローディスは大剣を構えた。
「高かったんだ。作り物でも、捨てる癖はつけたくない」
大剣が横薙ぎに迫る。
セイルは鎌の刃で受け止めなかった。
湾曲した内側を刀身へ触れさせ、身体を回す。
大剣の軌道が僅かに逸れた。
氷の刃に亀裂が入る。
それでも砕けない。
セイルは流した勢いのまま鎌を返し、ローディスの首へ刃を走らせる。
ローディスは身を沈めた。
植物繊維の髪が斬り飛ばされる。
「今のは危なかった」
「感想を言う余裕があるなら、もう一度いくよ」
セイルが鎌を引く。
ローディスは大剣を振り上げた。
正面からぶつかれば、今度こそ氷が割れる。
その前に、別の声が響いた。
「フリーダ・ライヒ、アルノー・ケストナー、両名退場!」
ローディスとセイルが、同時に動きを止めかける。
競技場の中央で、フリーダとアルノーの模造体が倒れていた。
アルノーの剣はフリーダの核へ突き刺さっている。
フリーダの水の刃は、アルノーの首を貫いていた。
残ったのは、二人だけだった。
武技側、ローディス・ベルグ。
精霊術側、セイル・クローデン。
観覧席から歓声が上がる。
「ずいぶん分かりやすい二人が残りましたね!」
オルフェンが声を弾ませた。
「本人たちは、そう思ってないだろうけどね」
リュカは記録板を閉じずに答えた。
◇
「これで、どちらが強いか決まるな」
ローディスが言った。
「五対五で始めて、最後の二人だけを見て決めるの?」
「勝った側が勝者だ」
「単純で羨ましいよ」
セイルは鎌を構え直した。
刃に入った亀裂が、ゆっくりと広がっている。
次に大剣を受け流せる保証はない。
ローディスが駆ける。
セイルは後ろへ跳び、杖を振った。
氷の刃が大剣へ絡む。
斬撃を外へ流す。
一度。
二度。
三度目で、鎌の先端が砕けた。
ローディスが踏み込む。
セイルは折れた鎌の柄を突き出した。
大剣の腹で弾かれる。
杖ごと両腕が上がり、胸の核が空いた。
ローディスは勝利を確信した。
ローディスの視界の端に、アルノーが残した小盾があった。
ローディスは左足で盾を蹴り上げ、その縁をセイルの杖へ当てた。
杖が手から離れる。
氷の鎌は床へ叩きつけられ、杖との境目から折れた。湾曲した刃と短い柄だけが、水の上を滑っていく。
「落ちている物まで使うのか!」
「戦場に残っているなら、使える」
さらに、足元に落ちていたトビアスの槍を拾う。
ローディスは槍を投げた。
狙いはセイル本人ではない。
地面へ落ちた杖だ。
穂先が杖の紋章板を貫き、床へ縫い止める。
「念入りだね」
「杖を狙えと授業で習った」
「杖がなくても術は使えるとも習っただろう」
「知っている。だが、遅くはなる」
ローディスが大剣を正眼に構えた。
セイルは両手を空けたまま、ゆっくり後退する。
背後には、先ほど二人が残した水が広がっている。
ローディスは足元を見た。
凍結を警戒し、水のない場所を選んで踏み込む。
セイルが笑った。
「君は、氷を警戒しすぎだ」
発声式の精霊語。
水の精霊へ、背後の水を一か所へ集めるよう願う。
続けて、火の精霊へ熱を与えるよう頼む。
ローディスが目を見開いた。
「待て、それは――」
水が、一瞬で沸騰した。
急激に体積を増した水蒸気が、轟音とともに周囲へ弾ける。
セイルは範囲を狭く絞れない。
だからこそ、味方が全員退場するまで使わなかった。
爆風はローディスだけでなく、術者であるセイルも吹き飛ばした。
作り物の身体が地面を転がる。
白い蒸気が、二人と観客の視界を奪った。
ローディスは大剣を手放さなかった。
左腕の表面は熱で剥がれ、胸元の焦げも広がっている。
それでも立ち上がる。
「無茶をするのは、お前も同じだろう!」
返事はない。
蒸気の向こうで、氷の割れる音がした。
右。
ローディスは音へ向かって大剣を振った。
何かを砕く手応え。
だが、核ではない。
薄い氷の板が割れただけだった。
音を出すため、セイルが水を凍らせていたのだ。
「こっちだよ」
声は左下からした。
ローディスが振り向く。
間に合わない。
セイルは蒸気の中を這うように近づいていた。途中で拾った、杖から折れた氷の鎌を手にしている。
湾曲した刃がローディスの足首へ掛かった。
引かれる。
大剣を振り切った直後の身体が傾く。
ローディスは倒れながら、左手を伸ばした。
セイルの肩を掴む。
「捕まえた」
「捕まえさせた」
セイルは逃げなかった。
掴まれた肩を支点に身体を回し、折れた鎌の短い柄をローディスの胸へ押し当てる。
火で焦げ、爆風で亀裂の入った核へ、最後の衝撃が届いた。
ローディスの胸で、乾いた音がする。
淡い光が消えた。
「ローディス・ベルグ、退場!」
一拍遅れて、競技場が歓声に揺れた。
ローディスの模造体から力が抜ける。
最後に見えたのは、同じように焼け、土まみれになったセイルの顔だった。
「精霊術側の勝利!」
宣言が響く。
だが、セイルは勝ち誇らなかった。
折れた鎌を杖代わりに立ち上がり、蒸気の向こうへ目を向ける。
そこには、九人分の壊れた武器と身体が残っていた。
一人で作った勝利ではない。
それだけは、誰の目にも明らかだった。




