第37話 十人の戦場
作り物の足で踏む土は、本物と同じように硬かった。
ローディスは右足へ体重を乗せ、次に左足へ移す。膝の内側で金属の輪が擦れたが、動きに遅れはない。
腰から大剣を抜く。重さも、柄の太さも、普段使っているものとほとんど同じだった。
「身体の方はどう?」
観覧席から、リュカが尋ねた。
ここは第一屋内演習棟を仕切り直した競技場だった。普段なら騎兵が走れるほど広い床に、土壁、浅い水路、木造の見張り台が設けられている。中央には二階建てほどの石塔があり、外周には身を隠せる低い壁が不規則に並んでいた。
「問題ない」
ローディスは大剣を一度振った。風を切る音まで、いつもどおりだ。
「そう言いながら、演習場の壁ごと斬らないでね。作り物なのは君の身体だけだから」
「剣も作り物だよ」
隣でセイルが、自分の杖を床へ軽く当てた。
金属で模された杖の頭には、マナを補う石が嵌められている。十枚の紋章板も再現されていたが、普段の杖とは板を切り替える音が少し違った。
「なら、折っても請求は来ないな」
「折る前提で話さないでくれ」
セイルが呆れたように言う。
リュカは記録板へ何かを書いた。
「何を書いた」
ローディスが尋ねる。
「開始前から両陣営の意見が対立、と」
「最初から敵同士だろう」
「正確な記録だね」
セイルが言った。
「学園長に似てきましたね!」
リュカのさらに後ろで、オルフェンが両腕を広げる。
「少なくとも、僕は褒められたと思ってないよ」
リュカは記録板を胸元へ引き寄せた。
◇
両陣営の開始位置は、競技場の東西に一つずつ。
精霊術側は東門。武技側は西門。
同じ陣営への攻撃は禁止。模造体の胸に埋め込まれた核を破壊されるか、教員が致命傷と判断すれば退場となる。先に相手陣営の五人全員を退場させた側が勝者だ。
開始前には、半刻の作戦時間が与えられていた。
「正面は俺が行く」
武技側で最初に口を開いたのは、ゲルハルトだった。厚い革を巻いた両拳を打ち合わせる。
「ケストナーは盾を持って俺の右。ベルグは左から土壁を崩せ。ケルンはその隙間を槍で突く。ノルトは後ろから杖を狙え」
「随分あっさり決めるな」
アルノーが小盾を腕へ固定しながら言った。
「ほかに案があるか」
「ない。だから困ってる」
「俺はローディスと一緒か?」
トビアスが槍を立てる。
「そうだ。勝手に前へ出るな」
「出ない」
「返事が早い人ほど信用できないね」
エルザが矢筒を背負い直した。
「五人で近づく。それだけは崩すな」
ゲルハルトが全員を見渡す。誰も異論を口にしなかった。
向かいの東門では、フリーダを中心に精霊術側の五人が集まっている。
「オスカーは石塔の手前に壁を三枚。ミレイユは上から牽制。私は水路を使って足を止める」
フリーダは地面へ簡単な配置を描いた。
「セイルは左側をお願いします。氷で進路を限定できますね?」
「水を集める時間があれば」
「作ります。ニナはオスカーの後ろで紋章を準備して」
「私が狙われたら?」
ニナが尋ねる。
「オスカーが守ります」
「任せろ」
オスカーが石板のような杖を叩いた。
ニナがセイルを見る。
「クローデン君は?」
「僕は逃げるよ」
セイルが答える。ニナが目を丸くした。
「始まる前から?」
「僕を追うなら、敵の隊列が伸びる。追わないなら、横から術を使える。どちらでも困らない」
「それを逃げると言うの?」
「正直な言葉を選んだだけだ」
フリーダは僅かに笑った。
「では、存分に逃げてください」
◇
「それでは――」
観覧席に立つオルフェンが片手を上げた。
その両隣には、マレーネとザイツがいる。競技場を囲む壁の上には、ほかの教員たちが配置されていた。
三百人を超える生徒のざわめきが止む。
「互いの強さを、存分に証明してください!」
鐘が鳴った。
武技側の五人が、一斉に西門を出る。
先頭はゲルハルトとアルノー。二歩遅れてローディスとトビアス。エルザはさらに後ろから、石塔の上へ弓を向けていた。
地面が隆起する。進路を塞ぐように、三枚の土壁が並んだ。
「左だ!」
ゲルハルトの指示が飛ぶ。
ローディスは左端の壁へ大剣を叩きつけた。土が砕ける。その向こうに、次の壁があった。
「二枚目!」
トビアスの声に応じ、ローディスは踏み込んだ。
橙色の線が視界を横切る。
「伏せろ!」
ローディスが叫ぶ。
細く絞られた火柱が、二人の頭上を貫いた。
火は背後の土壁へ拳ほどの穴を穿つ。広がらない。熱だけを一点へ押し込めた術だった。
石塔の二階に、ミレイユが立っている。銅色の髪の前で杖を構え、先端をこちらへ向けていた。
「右からも来る!」
エルザが叫ぶ。
水路から持ち上がった水が、鞭のようにトビアスの槍へ絡みついた。フリーダだ。
槍が右へ引かれる。
「離すな!」
ローディスは叫びながらトビアスの腰帯を掴んだ。二人分の力で、水の鞭へ抗う。
「助かった!」
トビアスが声を上げる。
「まだだ!」
ローディスは足元を見た。
足元に赤い紋章が浮かんでいた。
「今です!」
ニナの声と同時に、砕いた土壁の内側から炎が噴き上がる。
ローディスはトビアスを後ろへ投げた。代わりに火が胸元を掠める。
木目の走る表面が焦げ、遅れて痛みが届いた。本物の火傷と変わらない。思わず呼吸が止まる。
「ローディス!」
トビアスが叫ぶ。
「止まるな。前を開ける!」
ローディスは焦げた胸元を無視した。
二枚目の土壁を横薙ぎに砕く。
その隙間へトビアスの槍が伸びる。穂先が、壁の後ろにいたオスカーの肩を掠めた。
初めて精霊術側が後退する。
「押せ!」
ゲルハルトが正面から土壁へ拳を叩き込んだ。
一撃。二撃。亀裂が広がる。
アルノーは隣で盾を掲げ、ミレイユの火線を受け流した。盾の表面が赤く焼けても、足を止めない。
五人が、一つの塊のまま前へ進む。
◇
「武技側は、ずいぶん素直ですね」
オルフェンが楽しそうに言った。
「正面から押し潰せるなら、余計なことをする必要はないよ」
リュカは記録板へ経過を書き込みながら答えた。
「では、精霊術側はどうします?」
「隊列を崩す」
答えとほとんど同時に、セイルが動いた。
精霊術側の左端から一人だけ離れ、低い壁の間を走る。
アルノーが目を向けた。
「クローデンが離れた!」
「追うな!」
ゲルハルトが制止する。
だが、追わなければ側面から術を受ける。セイルの杖先が武技側へ向いた。
浅い水路から水が持ち上がり、五人の右側へ広がる。
「俺が行く!」
アルノーが隊列を離れた。
「ケストナー!」
ゲルハルトが呼び止める。
「あいつ一人を止めれば戻る!」
アルノーは振り返らなかった。
小盾を前へ出し、セイルへ走る。
水は凍らなかった。地面へ薄く広がっただけだ。
アルノーの靴が滑る。盾が傾き、身体が横を向く。
その隙に、セイルは低い壁の向こうへ消えた。
「凍らせると思わせただけか」
リュカが呟く。
「水の使い方としては地味ですね」
「地味でいいんだよ。相手を一人、隊列から離せたなら」
「君は彼をよく知っている」
「友達だからね」
リュカは何でもないことのように答えた。オルフェンの仮面が、ほんの少しだけ彼へ向く。
◇
武技側は、四人になっていた。
退場者はまだいない。だがアルノーが離れたことで、正面の盾が消えた。
「来るぞ!」
ゲルハルトの声と同時に、フリーダの水が正面から押し寄せた。
足首までの水だ。それだけなら、走れる。
白い冷気が横から重なった。
セイルが低い壁の向こうから杖を掲げている。
水が凍る。
ゲルハルトの両足が床へ縫い止められた。トビアスも槍を支えに耐えるが、動けない。エルザだけが水の届く直前に後ろへ跳んでいた。
「今よ!」
フリーダの指示で、ミレイユが杖を向ける。狙いは動けないゲルハルトだ。
橙色の火線が走る。
その前へ、ローディスが大剣を立てた。火が刀身へ当たり、左右へ分かれる。熱が顔を焼く。
「ベルグ、退け!」
ゲルハルトが背後から叫ぶ。
「退けば、お前が退場だ」
ローディスは大剣を盾にしたまま、片足を後ろへ引いた。
精霊術側では、オスカーが新たな土壁を作り始めている。ニナはその後ろで、次の紋章へ指を置いた。フリーダが水を操り、ミレイユが火を絞る。セイルは側面から、凍らせる場所を選んでいる。
五人が、それぞれ異なる術で一つの陣形を作っていた。
対する武技側は一人を引き離され、三人の足を止められている。正面から押し切る作戦は、崩れかけていた。
「エルザ!」
ローディスが叫ぶ。
「見えてる!」
後方から矢が飛ぶ。
狙いはミレイユではない。作りかけの土壁を避け、オスカーの杖へ突き刺さる。
分厚い杖が手から弾かれた。土壁の成長が止まる。
「トビアス、右の壁を壊せ!」
ローディスが叫ぶ。
「動けない!」
トビアスが槍の柄を握り直す。
「槍は動くだろう!」
ローディスが返す。
トビアスは凍った足を支点に、槍を両手で振り回した。石突が低い土壁の端を砕く。
その破片がニナの紋章へ降りかかった。
「きゃっ!」
ニナが手を引く。紋章の線が崩れ、灯りかけた赤い光が消えた。
「今だ!」
ゲルハルトが両拳を氷へ叩きつける。ひびが走った。
ローディスも大剣を反転させ、柄頭を足元へ打ち込む。
氷が砕ける。三人の足が自由になった。
「前へ出るぞ!」
ゲルハルトが駆ける。ローディスとトビアスが続く。
離されたアルノーも、競技場の端から戻り始めていた。
崩れた隊列を、五人でもう一度作り直す。
精霊術側も、止められた壁と紋章を捨てて配置を変える。
まだ、一人も退場していない。
それでも開始前と同じ十人ではなかった。
互いが何を得意とし、誰を守り、誰が隙を作るのか。
一度の衝突で、両陣営はもう知っている。
五対五の戦いが、本当の形を見せ始めていた。




