第36話 作り物の身体
「相手陣営の全員を退場させるまで、と言いましたか」
ヴィルヘルム・ザイツ教員の声には、食堂で戦術を教えていたとき以上の冷たさがあった。
「言いました」
オルフェン・グランツ学園長は、執務机の向こうで大きく頷いた。
「生徒を十人集めて」
「ええ」
「五対五の団体対抗競技を行うと」
「たいへん教育的な催しになるでしょう」
教師たちが集められた学園長室には、重い沈黙が落ちていた。
壁際に立つヘルマンは腕を組み、クララは銀の小杖を指先で回している。マレーネは眉間を押さえたまま、机上の実施案を三度読み返していた。
「学園長」
マレーネが顔を上げる。
「言葉の印象を薄めるために『競技』と付けても、生徒に殺し合いをさせる提案であることは変わりません」
「死にませんよ」
オルフェンが答える。
「その説明が、まだ一行もありません」
マレーネは実施案を机へ戻した。
「今からします」
仮面の奥から、悪びれない声が返った。
「参加者には、本来の身体を使わせません」
机の上へ、一枚の設計図が広げられる。
人の骨格に似た木の枠。
その周囲を土が覆い、関節へ金属の輪が嵌められている。胸の中央には、マナを蓄える石が描かれていた。
「木の精霊術で骨格と腱を。土の精霊術で肉体の重さと厚みを。金の精霊術で関節、武器、防具を。最後に命の精霊術で、本物に近い動きと感覚を与えます」
「人型ゴーレムですか」
クララが設計図を覗き込む。
「それを遠隔操作させる?」
「近いですが、糸で手足を動かすわけではありません。参加者の意識を、一時的に模造体へ移します」
小杖の回転が止まった。
「意識を?」
クララが聞き返した。
「命の精霊術で、そのようなことが可能なのですか」
マレーネが問う。
「可能にします」
「質問への答えになっていません」
「私が責任を持つ、という答えです」
普段と変わらない明るい声音だった。
だが、その一言だけは軽く聞こえなかった。
「模造体が破壊されるか、制限時間を迎えれば、意識は本来の身体へ戻る。参加者の身体は医務棟で眠らせ、命の精霊術師が監視します。痛覚はありますが、本体に傷は残りません」
「痛みは必要なのか」
ヘルマンが尋ねた。
「なければ、腕を捨てて相手の剣を受ける者が出ます。本来の身体では選べない戦い方を覚えさせても、教育にはなりません」
ザイツが設計図の胸元を指示棒で押さえた。
「精霊術師のマナは」
「事前に計測した本人の容量に合わせ、蓄積石へマナを満たします。契約は魂に属するため、意識が移れば精霊術も使える」
「武技側の身体能力は」
ザイツが続けて尋ねる。
「同じく事前に計測し、本人の筋力、速度、重さへ近づけます。強い者を弱くも、弱い者を強くもしません」
ザイツは黙った。
条件を一つずつ潰している。
「私は反対です」
マレーネが言った。
「安全性ではなく、学園長一人にしか扱えない術を前提としている点に」
「では、術式の確認には生命術の担当者全員を立ち会わせましょう」
「確認できるのですか」
「確認してもらいます」
似ているが、同じではない。
マレーネの目が細くなる。
オルフェンは両手を広げた。
「もちろん、教師陣の承認が得られなければ中止します。生徒にも危険と手順を説明し、本人の同意を取る。それでも反対なら――」
「俺は賛成だ」
ヘルマンが言った。
「壊してよい身体でなければ試せないことはある。痛みがあり、退場の基準が戦場と同じなら、演習としての意味もある」
「私も、精霊術師が接近されたときの対応を見る機会としては有用だと思います」
クララが続いた。
「安全性が確認できれば、ですが」
視線がマレーネへ集まる。
「……生命術担当者の判断を聞くまでは、保留とします」
「ありがとうございます!」
「賛成はしていません」
「前向きな保留ですね」
「ただの保留です」
◇
投票は二日間行われた。
各生徒は、精霊術側と武技側から一名ずつ名を書く。
立候補は自由。ただし、選ばれたあとに参加を断ることも認められた。
食堂前へ置かれた二つの投票箱には、授業の合間ごとに生徒が集まった。
「自分の名前を書いてもいいのか?」
トビアスが投票用紙を手に尋ねる。
「禁止とは書かれていないね」
セイルが答えた。
「では一票は確実だ」
「君を選ぶ理由が、本人以外から一つも増えていないけれど」
ローディスは武技側の欄へ、迷わずトビアスの名を書いた。
「増えたぞ」
「ローディス!」
「槍の間合いは役に立つ」
「よし。俺はローディスに入れる」
「交換票じゃないか」
エルザが眠たげな目で二人を見た。
「それなら私も、自分に入れようかな」
「君は誰に入れるんだい」
セイルに聞かれ、リュカは二つの欄を見比べた。
「難しいなあ。誰か一人を選ぶなんて、他の全員へ君は二番以下だと言うようなものじゃないか」
「投票とは、だいたいそういうものだよ」
セイルが言う。
「僕は全員の可能性を信じたい」
「決められないだけでしょう」
ニナが言った。
リュカは微笑みながら紙を折った。
「秘密投票だからね」
箱へ入れた紙には、精霊術側にセイル、武技側にローディスと書かれていた。
◇
二日目の夕刻。
中央校舎の掲示板へ、開票結果が張り出された。
精霊術側。
得票順に、
三年、フリーダ・ライヒ。
二年、ミレイユ・カーン。
二年、オスカー・ヘルム。
一年、セイル・クローデン。
一年、ニナ・フェルナー。
武技側。
こちらも得票順に、
三年、ゲルハルト・ドルン。
二年、アルノー・ケストナー。
一年、ローディス・ベルグ。
一年、トビアス・ケルン。
一年、エルザ・ノルト。
「入った!」
トビアスが掲示板の前で拳を突き上げた。
「僕は入ってしまった、という気分だけれどね」
セイルは得票数を確認している。
「フリーダ先輩の次だ。二年生より票を集めたのか」
ローディスが感心すると、セイルは掲示板から目を離さずに答えた。
「ゴーレム竜の試験で、氷の足場を見ていた生徒が多かったんだろう。理由は、あれだけ?」
「空中に足場を作って、俺を竜の胸まで運んだ。十分だ」
ローディスが答える。
「君にしては、ずいぶん素直に褒めたね」
「事実を言っただけだ」
その隣で、ニナは自分の名を見上げたまま固まっていた。
「どうして私が?」
「論争の最初に精霊術師を選んだからじゃない?」
リュカが言った。
「あれは授業の設問に答えただけよ」
「全校生徒の前で、精霊術側の席に座ってた」
「空いていたからよ」
「火の精霊と契約してる」
「紋章式の実習で事故を起こしたこともあるのよ」
「それを知らない上級生の票だね」
「慰めてる?」
「理由を整理してる」
どこかで聞いた言い方だった。
ニナは不安そうに自分の指を見た。火の紋章を描く指だ。
「辞退してもいいんだよ」
セイルが言う。
「……しない」
返事までには間があったが、声ははっきりしていた。
「選ばれたのに逃げたら、精霊術側が一人少なくなるもの」
「補欠が繰り上がるから、人数は減らないよ」
セイルが現実的な仕組みを指摘した。
「今は言わなくていいでしょう!」
少し離れたところでは、新たに選ばれた上級生たちが互いを見ていた。
ミレイユ・カーンは、褐色の肌に短い銅色の髪を持つ細身の女子生徒だった。火の精霊と契約し、炎を広げるより狭い範囲へ集中させることを得意としている。
その隣に立つオスカー・ヘルムは、丸い肩と太い首を持つ二年生の男子生徒だ。砂色の髪と鼻に散ったそばかすのせいで柔らかく見えるが、背負った長方形の杖は石板と見間違うほど分厚い。土の精霊術による防御を専門としていた。
武技側の最上級生、ゲルハルト・ドルンは、剃り上げた頭と角張った顎を持つ大柄な青年だった。腰に武器はない。厚い革を巻いた両拳だけを打ち合わせ、精霊術側の顔を一人ずつ覚えるように眺めている。
「十人とも、辞退しないそうだね」
背後から声がした。
振り返ると、オルフェンが掲示板の前に立っていた。
「それは何よりです。さて、エアハルト君」
「僕?」
「君には学生側の記録係をお願いします」
「立候補してないけど」
「投票箱の前で『全員の可能性を信じたい』と宣言し、論争を眺める側へ逃げようとした生徒が一人いました」
リュカの笑みが止まりかけた。
「聞いていたの?」
「学園長も廊下くらい歩きますよ」
「横暴だ」
「学園長ですから」
周囲の生徒が笑う。
オルフェンは仮面をリュカへ向けた。
「どちらの専攻にも公平で、代表者をよく知り、何より論争を大きくすることへ多大な貢献をした。適任でしょう?」
「最後だけで選んだよね」
「否定はしません」
学園長と一生徒の会話。
それにしては、やけに遠慮がない。
近くにいたマレーネの視線が、二人の間を往復した。
◇
競技は、投票から五日後に決まった。
その間、代表者は授業後に身体能力とマナ容量を測られた。
同時に、閉鎖されていた第一屋内演習棟で、十体の模造体が作られていった。
作業を指揮したのは、医術と生命の精霊術を担当するベルタ・クライン教員だった。
四十代前半の女性で、赤褐色の髪を太い三つ編みにし、白い治療衣の袖を肩まで捲っている。ローディスに近い長身と、丸太を抱えられそうな腕を持ち、命の精霊から承認を得た理由を誰も尋ねようとは思わない姿だった。
「木を人の骨の代わりにする。折れ方まで似せるため、中を空洞にしろ!」
声も演習棟の端までよく響く。
木の精霊術を扱う教員が、床に並べた木枠へ人の骨に似た節を作る。
土の精霊術師が、その周囲へ粘土質の土を重ね、筋肉と脂肪に近い重さへ整える。
金の精霊術師は関節へ薄い輪を通し、参加者が普段使う武器を模した金属製の装備を仕上げていた。
最後にベルタが命の精霊へ願い、木の繊維と土の塊を一つの身体として馴染ませる。
五日目には、演習棟の床へ十人が横たわっていた。
肌には木目と土の色が残り、髪も細い植物繊維でできている。それでも背丈、体格、顔の輪郭は本人に似せられ、離れて見れば誰の身体か判別できた。
「気味が悪い」
セイルが、自分と同じ顔をした模造体を見下ろした。
「同感だ」
ローディスも、自分と同じ顔をした模造体を見下ろした。
ローディスは自分の模造体の腕を持ち上げた。
重い。
指を離すと、床へ鈍い音を立てて落ちた。
「俺と同じ重さなのか」
「筋肉の量もな」
ベルタが胸を張る。
「走る速さ、持ち上げられる重さ、関節の可動域まで計測値へ合わせた。お前だけ作る土が多くて、助手が文句を言っていたぞ」
「すみません」
「大きいのは悪いことじゃない。生命の勢いがある」
ベルタは満足そうにローディスの肩を叩いた。
セイルとリュカが顔を見合わせる。
「やっぱり、ローディスなら命の精霊と契約できるんじゃない?」
リュカが小声で言った。
「本人より先に筋肉が承認されそうだね」
セイルが小声で返す。
「聞こえているぞ」
ローディスが振り返った。
「私にもな!」
ベルタの声が重なる。
◇
競技当日。
十人の代表者は医務棟の大部屋へ集められた。
窓のない室内に、本来の身体を寝かせる十台の寝台と、模造体を置く十台の台が並んでいる。
床一面には命の精霊語を組み込んだ紋章。
壁際にはベルタを含む生命術担当者と軍医が立ち、参加者の身体を監視する。
「最後に確認します」
マレーネが十人を見渡した。
「模造体で受けた傷が本体へ残ることはありません。ただし、痛みと恐怖は記憶に残ります。模造体が致命的な損傷を受けた時点で意識を本体へ戻し、競技から退場させます。途中で続行できないと判断した場合は、声に出して棄権を宣言しなさい」
誰も列から出なかった。
「本当に戻れるんでしょうね」
ニナが尋ねる。
「戻します」
答えたのはオルフェンだった。
「学園長の生命の精霊術って、どれだけあるんですか」
ニナはそのままオルフェンへ尋ねた。
「年長者には秘密が多いのです」
「答えになってません」
「最近、よく言われます」
仮面がマレーネの方を向いた。
マレーネは笑わなかった。
「寝台へ」
ベルタの指示で、代表者たちが横になる。
ローディスの右にはセイル。左にはトビアス。
少し離れた台に、自分と同じ形をした身体が眠っている。
リュカは部屋の隅で、記録板を抱えていた。
「二人とも、頑張って」
「どちらを応援している」
ローディスが尋ねる。
「両方」
「最後に戦うことになったら?」
「勝った方を応援していたことにするよ」
「最低だな」
セイルが目を閉じたまま言った。
「公平と言ってほしいな」
オルフェンが両手を上げる。
指輪に嵌められた九色の石が、順に光を帯びた。
「これは、命の精霊へ本来の身体と模造体を一つの生命として認識させ、意識の置き場所だけを一時的に移す術です」
説明する声は、教室で授業を行うときのように穏やかだった。
「身体を二つへ増やす術ではありません。皆さんは一人のままです。競技中、本体の呼吸と鼓動は生命術担当者が維持します」
床の紋章へ、教員たちのマナが流れ込む。
木、土、金、命。
複数の精霊語が重なり、模造体の胸へ淡い光が灯った。
ベルタは光の流れを見つめていた。
自分たちの術は、模造体を身体として保ち、本体の生命を維持している。
そのどちらにも、意識を移す願いは含まれていない。
「学園長」
ベルタが呼びかけた。
呼びかけるより先に、オルフェンが指を鳴らした。
精霊語はなかった。
新しい紋章も描かれていない。
それでもローディスは、自分の身体が寝台の下へ沈んでいく感覚を覚えた。
目を開けているのに、部屋が暗くなる。
隣にいたセイルの姿が遠ざかる。
音が消えた。
一瞬だけ、何もない場所へ放り出される。
次に目を開けたとき、ローディスは自分の寝顔を見下ろしていた。
寝台の上には、確かに自分がいる。
胸が上下し、呼吸を続けている。
だが、見下ろしている自分の腕には薄い木目が走り、握った指の関節で金属の輪が鳴った。
「成功です!」
オルフェンの声が響く。
ローディスの隣で、植物繊維の髪を持つセイルが身を起こした。
「成功かどうかは、元へ戻ってから決めたいね」
声まで、いつものセイルだった。
十人の借り物の身体が、一体ずつ目を開いていく。
部屋の隅では、ベルタがオルフェンを見つめていた。
驚いている生徒たちとは違う。
生命術を扱う者の目で、今起きたことを確かめようとしている。
オルフェンは、その視線に気づいていないように両腕を広げた。
「さあ、皆さん。新しい身体の使い心地を確かめたら、競技場へ向かいましょう」
仮面の奥で、声が弾んだ。
「どちらが強いのか。いよいよ、実際に証明する時間です!」




