第30話 魂のない手足
三人の死骸が、同時に地面を蹴った。
中央の男は、折れ曲がった両腕を鞭のように振るう。
右の男は腰の剣を抜いた。
左の女は、胸へ抱えていた杖を一行へ向ける。
「散開!」
女隊長の号令が空洞へ響く。
ローディスは一歩前へ出た。
剣を持つ死骸の斬撃を、大剣で受け止める。
速い。
だが、重心が崩れていた。
右脚へつながった黒い根に引かれ、踏み込みのたびに腰が僅かに遅れる。
生前の身体が覚えていた剣技を、別の何かが外から動かしている。
「お前の相手は俺だ」
ローディスは死骸を群体中心部から離すように、大剣で押し返した。
横から、折れた腕が伸びる。
リュカが間へ滑り込んだ。
黒い根のつながった足首を蹴り払う。
骨が折れても、死骸は倒れない。
背中から伸びた根が身体を吊り、空中で向きを変えた。
「人形みたいだね」
「糸へ触れるな!」
セイルが杖を振る。
水が黒い根を包む。
別の紋章へマナを流し、火の精霊に熱を退けてもらう。
根が白く凍りついた。
リュカの踵が落ちる。
凍った部分だけが砕け、折れ腕の死骸が地面へ崩れた。
「一体!」
兵士が叫ぶ。
「まだだ!」
地面へ倒れた死骸の指が動く。
切れた黒い根が、再び背中へ伸びていた。
ローディスは剣の死骸を押し返しながら叫ぶ。
「つながる前に根を凍らせろ!」
水の術師が応じる。
壁面を伝った水が、床の黒い根へ広がった。
火の術師が精霊語を発する。
水から熱が退けられ、死骸へ向かっていた根がまとめて凍る。
兵士たちが槍の柄を振り下ろした。
氷とともに黒い根が砕ける。
◇
杖を持つ女の死骸が、何かを唱えた。
精霊語だった。
濁り、途切れながらも、水を集める願いの形をなぞっている。
しかし、何も起きない。
もう一度、同じ言葉を唱える。
杖の先に水は集まらなかった。
「どうして?」
アーデルハイトの助手が呟く。
「契約した本人は、もう死んでいる」
セイルが答えた。
「身体と声を動かせても、精霊へ願いを届ける者がいない」
女の口が、三度目の精霊語を発する。
周囲の精霊は応じない。
「魂までは借りられないのね」
アーデルハイトが言った。
その目は死骸ではなく、背後の肉塊を見ていた。
「先生、観察はあとで!」
助手が腕を引く。
直後、杖が二人のいた場所へ振り下ろされた。
アーデルハイトは浮いたまま後方へ滑る。
四基のうち一基が手のひらの前へ移り、残る三基が背後で姿勢を支えた。
「杖の使い方は覚えているのに、術は使えない。身体に残るものと、魂にしか残らないものがある」
「あとで書き留めますから、今は避けてください!」
「忘れたら、あなたのせいよ」
「全部覚えています!」
手のひらの前に出た輪の中心から、火柱が放たれた。
女の杖を焼き払い、肩から伸びる黒い根を断つ。
死骸が横倒しになる。
兵士二人が凍った根を砕き、再接続を阻んだ。
◇
剣を持つ死骸が大剣を滑らせ、ローディスの脇腹へ刃を返す。
生前なら、確実に急所を狙った一撃だったのだろう。
だが、黒い根は剣筋の意味を理解していない。
ローディスが半歩引くと、刃は外套だけを浅く裂いた。
大剣の柄で手首を打つ。
剣が落ちた。
死骸の胸を蹴り、地面へ倒す。
その背後で、巨大な肉塊が縮んだ。
「来るよ!」
リュカが叫ぶ。
黒い膜から、無数の根が放たれた。
兵士。
術師。
アーデルハイト。
それぞれへ伸びた根のうち、最も多くがリュカを狙っている。
「やっぱり、僕が好きみたいだね」
リュカは黒い根を引きつけ、空洞の横へ走った。
「笑っている場合か!」
ローディスが剣の死骸を押さえたまま叫ぶ。
「人気があるのは悪くないよ」
壁を蹴る。
リュカの身体が根の上を跳び越えた。
根は空中で向きを変え、足を追う。
「オマエ」
死骸三体の口が同時に動いた。
「カエセ」
「何を返せばいいのかな」
「コッチノ」
言葉が途切れる。
黒い根がリュカの足首へ迫った。
セイルが新杖を向ける。
「下がれ、リュカ!」
水が根へ絡みつく。
熱が退けられ、リュカの靴先すれすれで根が凍った。
「近いよ」
「当てなかった」
「当たりそうだった」
「文句はあとだ。全部お前へ集まっている」
リュカが肉塊を見る。
確かに、中心部から伸びた根の大半がこちらへ向いていた。
「なら、今はあっちが空いてるね」
女隊長も同時に気づいた。
「中心部を凍らせろ!」
水の術師二名が精霊語を発する。
岩壁の隙間と濡れた床から水が集まり、巨大な肉塊を覆っていく。
セイルも杖を向けた。
火の術師とともに、集められた水から熱を退ける。
黒い膜が白く曇った。
肉塊の鼓動が遅くなる。
一度。
間を置いて、もう一度。
表面から内部へ氷が広がり、無数の根が動きを止めた。
「凍結完了!」
女隊長がアーデルハイトを見る。
「一分だ!」
「始めるわ!」
◇
アーデルハイトが中心部へ飛ぶ。
採取箱を抱えた助手が、その後を走った。
「左から三分の一。表面ではなく、脈打っている層まで切るわよ」
「一分しかありません!」
「だから急いでいるの」
助手が箱を開く。
アーデルハイトの頭上でU字型装具が光り、薄い金属板が採取器具から浮かび上がった。
金の精霊術によって板が曲がり、拳二つ分ほどの円筒を作る。
継ぎ目が閉じ、内側へ保存液が注がれた。
「外側の氷を削って」
「どこまでですか」
「黒い膜が動くところまで」
「それを触りたくないんです!」
「手袋をしているでしょう?」
「このためだったんですか!?」
助手が刃物で氷を削る。
黒い膜が露出した。
凍っているはずの表面が、僅かに膨らむ。
アーデルハイトは三本の針を突き刺した。
命の精霊術の淡い光が広がる。
「外の死骸へ続く根。岩へ張りつく根。中心へ戻る根……」
光の中で、異なる組織の境界を探る。
「見つけた」
輪形の杖の一基が針の前へ移動する。
ごく細い火が、三本の針を結ぶ線に沿って走った。
黒い膜が切れる。
内側から、粘ついた黒い塊が押し出された。
アーデルハイトは金属の筒で受け止める。
蓋が閉じた。
保存液の中で、拳大の試料が脈打っている。
「採取完了!」
「残り十秒!」
「戻るわよ!」
助手が円筒を抱える。
その重みに腕が下がった。
「重いです!」
「生命は軽くないの」
「そういう話ではありません!」
◇
凍結が解け始めた。
黒い肉塊が大きく脈打つ。
切り取られた箇所から、細い根が噴き出した。
「採取班、退避!」
女隊長が火の術師へ腕を上げる。
「焼却準備!」
リュカを追っていた根が向きを変えた。
狙いは、助手の抱える金属筒だった。
「取られたくないみたいだね」
リュカが根を追う。
一番太い一本へ蹴りを入れた。
根が岩壁へ叩きつけられる。
だが、先端だけが分かれ、助手の背へ伸びた。
ローディスが間へ入る。
大剣を振り下ろした。
黒い根が切断される。
「今だ!」
火の術師が精霊語を発する。
アーデルハイトも四基のうち二基を肉塊へ向け、残る二基で浮いた身体を支えた。
軍の術師が放つ火と、二基の推進環から噴き出す火が、凍った中心部を包む。
氷が蒸気へ変わり、黒い膜が焼け落ちる。
肉塊の内側まで火が入り込んだ。
三体の死骸が、同時に動きを止める。
剣を握ろうとしていた指が落ちる。
精霊語を繰り返していた口が閉じる。
壁と床を這っていた黒い根が、灰へ変わっていく。
「退避!」
煙が空洞へ満ちる前に、一行は入口へ走った。
◇
最後に岩礁へ上がったローディスは、空洞を振り返った。
黒い煙が穴から立ち上っている。
女隊長が人数を数えた。
「負傷者は」
「浅い切り傷が二名。動けます」
「死者は」
「いません」
死んでいた調査隊員三名の遺体も、兵士たちが引き上げていた。
黒い根を失った身体は、もう動かない。
アーデルハイトは金属筒を助手から受け取り、耳を近づけた。
筒の内側で、小さな鼓動が続いている。
「目的のものは手に入ったか」
女隊長が尋ねる。
「ええ。今度は、崩れる前に保存できている」
「基地へ戻ったら密閉庫へ入れろ。許可なく開けるな」
「私の研究対象よ」
「ここでは共同戦線の危険物だ」
二人の視線がぶつかる。
先に折れたのはアーデルハイトだった。
「分かったわ。基地にいる間はね」
討伐隊が船へ戻る。
岩礁の表面には、もう黒い筋は見えなかった。
それでもセイルは、海へ入る直前に杖を止めた。
「どうしたの?」
リュカが尋ねる。
「いや」
セイルは焼けた穴を見た。
「死骸は精霊語を発した。でも、精霊は応じなかった」
「死んでいたからでしょう?」
「そうだ。身体だけでは、契約は残らない」
アーデルハイトは金属筒を抱えたまま、その言葉を聞いていた。
何も答えない。
ただ、筒の中の鼓動へ指を当てる。
身体をつなぎ、動かすもの。
身体があっても、失われるもの。
その違いを確かめるように。




