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黒淵のアストラ  作者: 咢
第3章 胎動

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第24話 休暇の行き先

 帝都から裁定書が届いたのは、北方から帰還して六日後だった。


 昼休み。


 三人は兵学府の会計室へ呼び出され、鉄格子の嵌まった窓口の前に並んでいた。


「特別賞金首〈灰翼〉、本名カイル。捕縛協力に対する報奨金の裁定を読み上げます」


 窓口の向こうで、会計官が封書を開く。


 セイルの背筋が伸びた。


「対象者は自ら北方支部へ出頭し、拘禁へ戻った。このため、討伐または強制捕縛に対する満額支給の条件は満たさない」


「そこは知っています。続けてください」


「急かすな、セイル」


 ローディスが止める。


 会計官はセイルを一度見ただけで、裁定書へ視線を戻した。


「一方、対象者の発見、交戦、出頭への説得、病人救助および上流調査への貢献を認め、報奨金の半額を支給する。総額、銀貨百五十枚」


「半額」


 セイルが呟いた。


「一人あたり銀貨五十枚だね」


 リュカはもう計算を終えている。


 会計官が三つの革袋を秤へ載せた。


 銀貨が一枚ずつ皿へ移されるたび、乾いた音が重なる。


 五十枚。


 普段の任務報酬とは比べものにならない重さだった。


 ローディスは受領書へ署名し、革袋を受け取った。


「セイル」


「何だ」


「銅貨十四枚を返す」


 会計官に銀貨一枚を崩してもらい、借りていた制服補修代と塗り薬代を渡す。


 セイルは銅貨を数えた。


「確かに」


「利子は?」


 リュカが聞く。


「友人から取るわけないだろう」


「前に課題の構成を銀貨一枚で売ろうとしてたよね」


「貸金と労働は別だ」


 セイルは銅貨をしまうと、自分の革袋を両手で持った。


「行こう」


「どこへ?」


「商店区画だ」


「授業は」


「午後は自習だ」


「先生は自由時間とは言ってなかったよ」


「杖の研究も学業のうちだ」


 迷いのない足取りで、セイルは会計室を出ていった。


     ◇


 兵学府御用達の商店区画には、武器や防具だけでなく、精霊術師向けの器具を扱う店もある。


 三人が入ったのは、杖と紋章具を専門に扱う〈枝環堂(しかんどう)〉だった。


 壁一面に、長さも太さも異なる杖が並んでいる。


 木製、金属製、骨を芯にしたもの。先端へ石を嵌めたものもあれば、持ち手へ金属の紋章板を巻いたものもある。


 店員へ用途を伝えたセイルは、奥から出された一本を両手で確かめていた。


 古い杖より半掌ほど短い。


 黒褐色の木を芯にして、表面へ細い金属線が通されている。握りには左右五本ずつ、指先を置くための窪みがあり、紋章を刻んだ薄い金属板を差し替えられる構造になっていた。


「今の杖には、即応用の紋章が三つしかない」


 セイルは右手の指を窪みへ合わせた。


「水を集める。押し出す。凍結の準備。これなら、薄い氷床、足止め用の氷、杖へ氷刃を作る紋章まで分けられる」


「全部の指を使うのか」


 ローディスが尋ねる。


「使う。握りを間違えなければね」


「間違えたら?」


「前へ氷を出すつもりで、自分の足を床へ留めるかもしれない」


「やめた方がよくない?」


 リュカが言った。


「間違えなければいい」


 セイルは杖を裏返した。


 先端には、淡い青色の石が一つ嵌まっている。


 周囲のマナを僅かずつ蓄え、術者の消耗回復を補助する石だ。授業で見たものほど上等ではないが、長時間の戦闘では回復薬を飲むまでの猶予を作れる。


「銀貨三十八枚です」


 店員が告げた。


 セイルの指が止まった。


「石を外せば?」


「二十四枚です」


「紋章板を五枚に減らすと」


「三十四枚」


「石を一段落として、紋章板は十枚」


「三十五枚です」


 セイルは長く黙った。


 やがて、淡い青石の杖を握り直す。


「三十八枚で」


「珍しいね」


 リュカが目を丸くした。


「値切らないの?」


「性能を落として、必要な時にマナが足りなければ意味がない」


「必要な時って?」


「次の任務だ」


 ローディスは店内を見回した。


「まだ指令は来ていない」


「だから、来る前に整える。授業で杖を狙われると教わったばかりだ。予備を持つ理由にもなる」


 古い杖は捨てず、予備として背負う。


 新しい杖へ銀貨三十八枚を支払い、セイルの革袋は急に軽くなった。


「残り十二枚」


 リュカが言う。


「数えるな」


「僕はまだ五十枚あるよ」


「聞いてない」


「俺は四十九枚と、借りを返した残りの銅貨がある」


「ローディス。君まで報告しなくていい」


 三人が店を出ると、長期休暇を目前にした学生たちが商店区画を行き交っていた。


 帰省用の保存食を買う者。


 休暇中の自主訓練に備え、刃を研ぎに出す者。


 何もしない日々について楽しそうに相談する者。


 ローディスも、この時までは休暇に訓練を増やすつもりでいた。


     ◇


 その日の夜。


 学府北端の旧演習場で、小型伝令ゴーレムが土の中から這い出した。


 三人は人目を避けるため、濃色の外套を羽織り、頭巾で顔を隠している。


 ゴーレムが腹部の蓋を開く。


 中には、依頼書と三枚の共同戦線通行証、目的地までの経路図が入っていた。


「休暇期間中の護衛任務」


 セイルが依頼書を読む。


「護衛対象は帝都在住の研究者一名と助手二名。目的地は――」


 言葉が止まった。


「どこだ」


 ローディスが紙を覗き込む。


 黒い文字が、夜の中でもはっきり見えた。


 〈黒淵(こくえん)〉周辺共同戦線後方基地。


「休暇に行く場所じゃないね」


 リュカが言った。


「任務だからな」


「研究者の目的は、現地試料の採取。黒く変色した苔、土壌、植物片」


 セイルが続きを読み上げる。


 三人の間に、僅かな沈黙が落ちた。


 黒い苔。


 北方の谷で、岩を這っていた黒い筋が脳裏に蘇る。


「見ても答えは出ないよ。僕は黒い苔の専門家じゃない」


 あの時、リュカはそう言って肩をすくめた。


「黒淵周辺から届いた戦況報告に、似た記述がありました」


 マレーネは、魔物の侵入後に植物や土が黒く変色した事例を語っていた。


 同じものだとは断定できない。


 だからこそ、調べる者が必要なのかもしれない。


「出発は休暇初日の朝。集合場所は帝都外の共同戦線輸送所。補給隊と港まで同行し、そこから船で後方基地へ向かう」


 セイルが新しい杖を握った。


「買っておいて正解だった」


「まだ戦うと決まったわけじゃない」


「黒淵の近くへ行って、何とも戦わず帰れると思うか?」


 ローディスは否定できなかった。


     ◇


 休暇初日の朝。


 帝都外の共同戦線輸送所に、奇妙な一団がいた。


 大きな荷箱を積んだ台車が二台。


 それを押す、容姿の整った若い男が二人。


 そして、二人の間を歩かずに移動する女が一人。


 淡い金髪が、朝の光を受けて揺れている。


 肩を囲む銀色のU字型装具。背後へ二基ずつ浮かぶ、四つの金色の輪。


 白衣ではなく旅装をまとっていても、アーデルハイト・フォスは人目を集めていた。


「あら」


 青い目が三人を順に見る。


「私の護衛って、こんなに若いの?」


 三人は制服を脱ぎ、いずれも使い込まれた旅装をまとっている。


 通行証に記された表向きの身分は、危険地域へ向かう研究者が個人的に雇った護衛だった。兵学府の名も、学生であることも記されていない。


 彼女が〈宵衛〉に属していることを、ローディスとセイルは知らない。


 アーデルハイトも、目の前の三人が同じ組織の実働員だとは知らされていなかった。


「年齢で不足があるなら、依頼元へ戻しますか?」


 セイルが尋ねる。


「いいえ。若い男の子は好きよ」


 アーデルハイトはセイルとローディスを見てから、リュカで少し長く止まった。


「あなたは――どちら?」


「護衛です」


 リュカが笑顔で答えた。


「そういう意味じゃないのだけれど」


「出発前に、採取対象を確認させてください」


 セイルが話を切った。


 アーデルハイトは不満そうに唇を尖らせたが、台車の荷箱を指した。


「黒淵周辺で増えている、黒い苔よ。正確には苔かどうかも分かっていない。土や植物、死んだ魔物の表面に広がり、削って持ち帰っても数日で崩れるそうね」


「何に使うんですか」


 ローディスが尋ねる。


「あれは、違うもの同士の境界へ入り込んで、一つにつなごうとする」


 北方で見た黒い根も、岩へ食い込み、鹿を取り込み、人の声まで集めていた。


「私の研究は、器官を作り、動かし、生かすところまで進んでいる。でも、それらは一つの命として目覚めない」


 アーデルハイトの笑みが深くなる。


「あの黒いものが、命と命の境界をどう扱うのか。それを確かめたいの」


「危険なものだとは考えないんですか」


「危険だから、あなたたちがいるのでしょう?」


 当然のように返された。


 輸送隊長の角笛が鳴る。


 港へ向かう補給馬車が、順番に動き始めた。


 アーデルハイトの頭上へU字型装具が浮かぶ。


「さあ、行きましょう。私の新しい命を完成させるために」


 四基の輪形杖が左右へ二基ずつ展開する。


「輸送所で火を出さないでください」


 助手の一人が即座に止めた。


「少しくらいなら、馬車より速く進めるわ」


「普通に乗ってください!」


 研究者と助手が言い争う横で、ローディスは輸送隊の先を見た。


 街道は港へ続き、その先の海には人族諸国の兵が集まる戦地がある。


 休暇は始まった。


 行き先は、世界で最も大きな穴だった。


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