12 ご飯ですかパンですか
「どうぞ」
トミオが立ち尽くして見ていたら、なにを思ったのか花那が猫じゃらしを差し出してきた。真顔で。
(何か勘違いされてるような……まぁいいか)
せっかくなので猫じゃらしを受け取った。
「どうも」
ぴょこぴょこと左右にゆっくり動かしてみると、その動きに合わせて二匹の猫が首を振る。控えめに言って、
(かわいい)
いつか飼ってみるのもいいかもしれない。
緩急をつけて動かすと、不規則な動きにむきになって食いついてくる。
猫を見るのに夢中だったトミオは傍らから花那がいなくなったのに気づかなかった。しばらくして、
「トミオくん、朝食はご飯とパンどちらがいいですか?」
「えっ、あ……どっちでも」
不意に呼びかけられて動きを止めると、途端に二匹が猫じゃらしに飛びついた。驚いてトミオが手を放すと落ちた猫じゃらしとしばらく取っ組み合った後、不思議そうに見つめてくる二対の目。
(いや、うん……ごめん)
何で?とばかりの眼差しを受けて何故だかトミオは心の中で謝った。
猫から目を離して台所にいる花那を見ると、相変わらず感情の読めない目が自分を見ている。
「本音は?」
「ほんね……?」
「朝食はご飯とパンどちらがいいですか?」
重ねて尋ねられ、そんなに重要なことなのかと息を飲む。少しだけ考え、改めて口を開いた。
「どっちもいけるのは本当だけど、母さんの作る朝食はご飯のが好きです」
「そういうこと、お母さんに言ってあげたらいいと思いますよ」
「え、」
確かに言ったことはないかもしれない。
花那の言うことに何の意味もないとは昨日からの経験則で思えなかったので、ちゃんと覚えておこうと思った。
「もう食べられますけど、そちらに運びましょうか?」
「えっ、いいです。そっちでいただきます」
「そう?ではどうぞ。一緒に食べましょう」
ダイニングテーブルに向かい合って座る。
卓上には和朝食が並んでいる。ひとつひとつの料理にはさほど手は込んでいないが躰によさそうなものばかりだ。
「いただきます」
手を合わせ、お箸を取る。
「私お味噌汁があまり好きではなくて……物足りなかったらごめんなさい」
「いえ、そんなこと」
白いご飯に切り身の鮭、だし巻き玉子、ふたりの中央にお漬物の皿。それと汁物の代わりか、なにかの葉っぱと揚げの煮浸しが用意されていた。葉っぱを咀嚼するとシャキシャキとした食感で、味付けはごくごく普通。
普通に美味しいと思いながらも、トミオは軽く首を傾げる。
「なにか食べられないものでも?」
「いえ、好き嫌いはほとんどないので。……母さん料理上手かったんだな、と思って」
「……ごめんなさい、料理はあまり得意ではなくて」
確かに昨日もそう言っていたが。
「わぁ、違う!ハナさんのご飯は美味しいです!そうじゃなくて、うちの母さんも昔同じように料理は苦手だって言ってたんです」
懐かしさで思わず笑ってしまうぐらいにはトミオの記憶に残っていた。
「……あれ、そうなんですか?」
「はい、でもぼくは母さんの作るご飯に別に不満はなくて……ハナさんの料理は美味しいけど何か落ち着かなくて。多分、口が母さんの料理に慣れてるからだと」
「あぁ、きっと帰ってお母さんのご飯を食べたら安心しますよ」
「そういうことに、気づけてよかったな……って」
「そうですね。そう思いますよ」
「ハナさんにそう言ってもらうのも安心しますけどね」
抑揚のない声が肯定を返してくれるだけなのだが、嘘がないとわかるからだ。
「トミオくん」
「はい……?」
少し節の目立つ長い指で摘まんでいた箸を置き、花那が真正面からトミオを見た。花那の目には何でも視えてしまうことも昨日からの経験則で知っているから、少し緊張してトミオも箸を置く。単にもう食べ終わっていたのもあるが。
「これは私のひとり言ですから聞き流してくれて構わないので」
「は、はい」
花那は視線を上に跳ね上げて、普段と変わらない口調で話し始めた。
「普段この家、私と祖父しか住んでいないんです。それも母屋と離れに別れて暮らしているので家ではあまり顔を合わせないんですが。ただ祖父とは仕事場が同じですし、普通に会話はあります」
「はい、そう言ってましたよね」
「母親は他界しています。父は健在ですが、滅多にここへは帰ってきません。祖母とも仕事の都合で離れて暮らしてまして、我が家は家族としてはもうバラバラなんです」
「そ、だったんですか」
話の中に出てくる家族が『お祖父さん』だけなのには気づいていたが。
「それはね、別に寂しいとも何とも思ってないんですよ。大人ですしね」
「は……?」
「でもトミオくんは手放さないほうがいいと思います。『寂しいとも何とも思う気持ち』……家族のことが好きでしょ?」
「好きです」
一瞬の躊躇もなく言葉が落ちた。考えるのも馬鹿らしい純然たる事実。
「大人になるとね、先回りしていろいろ考えて、思ってても口に出さないほうがいいことに気づくようになるんですよ。そのうち家族だろうと遠慮して言葉を飲み込まないといけない場面なんていくらでも出てきますから、まだしなくて許されます。子どもなんだから」
幼い頃から、我ながら聞き分けのいい子どもだった。それはそうしておけば、大人が深入りして来ないと知っていたから。
ほどほどに礼儀正しく、ほどほどに愛想よく、けれど大人びすぎてはいけない。子どもらしい可愛げがなければ気持ち悪がられるから。そうしておけば、自分も家族も悪く言われないとわかっていたから。
それはあの時のトミオには必要なことで、間違ってはいなかったはずで。
ただ誰かに強要されたことではもちろんないし、したくないならしなくてもいいことだった。
───子どもなんだから。
「覚えて、おきます」
子どもらしい子どもでいることのほうを薦められたのは初めてだ。
○
壁の時計を確認し、花那は視線を前に戻した。
「話し込んでしまいましたね。そろそろ出ないと。支度しましょうか」
「はい」
食器を流しに運んでから、花那は猫を連れて一度離れに戻ると言った。社務所にも寄ると言うので、トミオは先に鳥居のところに行っていることにする。
「別に母屋にいさせても大丈夫ですがね、この子達は賢いので。昨日の夜はちょっと様子がヘンだったんですが」
「ヘン?」
「どこがどうヘンだったかは説明し辛いのですが……動物はたまに野生のカンでヒトが気づかないことを察知したりするので。虫の知らせだったのか……それで気になって神社のほう見回ってたらトミオくんがいたんですが」
「……、」
だとしたら自分は猫達に助けられたと言うことか。
(命の恩人……?)
考えてみればあのタイミングで花那が来なければ自分は石崖から転落していた。そう考えると九死に一生だったのかもしれない。
命の恩人二匹は、素知らぬ顔して飼い主の腕の中で「みぃあ」と鳴いた。




