04.食わない
「だから俺は脱税なんてしてねぇっつってんだろ!」
その怒声にシドネは一気に現実に引き戻された。
シドネが声の方へ目を向けると、往来に人だかりができていた。
シドネは何の騒ぎかと、人混みを器用にかき分ける。
シドネも「野次馬」の例外ではないのだ。なんとも俗っぽい元≪執行人≫だと本人にも自覚がある。
なおタチが悪い。
「なら、帳簿のご提示お願いします」
わめき散らす男の前に、上等な赤いベストに身を包んだ貴族が一歩踏み出す。拍子に、その陰から見知った顔が覗いた。
反射的に「うげっ」と声が漏れる。
もう一人は、無駄に姿勢のいい男だった。赤いベストの貴族とは対照的な群青のロングコート。その腰には剣が携えられている。
その形のいい眉は、いつもより一層不機嫌に歪められていた。
怒り爆発寸前と言ったところか。
コートを着た男は右腕一本でベストの男を後退させた。アイツの部下か何かだろうか。
「裁判所の捜索差押許可状が出ました。開錠をお願いします」
男は律儀にも、懐から身分証を取り出してみせた。
「はっ、国税局のお坊ちゃんが騎士団様みたいなマネごとできんのかよ」
脱税の容疑をかけられたらしい男はそう啖呵を切った。
ただ、その自信満々な態度とは裏腹に、男はチェーンをかけた扉から顔を覗かせるばかり。
どこまでも情けない男だとこちらまで恥ずかしくなってきた。
「……そうか」
心底面倒くさそうにコートの男はため息をつく。
その右手は腰の鞘に伸びていた。
「私はそんなに気が長い方ではないからな」
鞘からゆっくりと剣が引き抜かれる。
刀身から刃先にかけて、空気に触れた瞬間、刃が青く染まった。
マジックでも目の錯覚でも何でもない。
刀身に鉱石を纏わせる――見慣れた「小細工」だ。
その「演出」に、息をのむ者、感嘆の声を漏らす者。反応は様々だった。
ただ――シドネだけが冷めた目でその様子を傍観していた。
「ならば実力行使だ」
青い刀身が縦に空を切る。
鈍い金属音に遅れて、ドアチェーンがあっけなく破壊された。
男は口角をピクリとも上げずに目を細め、腰を抜かした男を見下ろした。
「いい部屋だな。久々に腕が鳴る」
嘘である。まだ玄関に足を踏み入れてすらいない。
「参りました!」
いっそ清々しいほど情けない男の叫び声が青空に響き渡った。
それにしても見栄っ張りな奴だ、とシドネは内心毒づく。
鞘を一気に引き抜いてから、鉱石を生成した方が早いものを。
あたかも、「剣がおのずと青く染まっている」ように魅せるだなんて。
一般市民へのサービス精神が旺盛なようでご苦労なことだ。
――数分もすれば、野次馬たちは散開し、各々の生活へと戻っていった。
「……さて」
もうそろそろお暇しよう。
シドネなら、あの人だかりを「跳んで」通り過ぎることは造作でもなかった。だが、あの男のために道を変えるというのがなんとなく癪だったのだ。
これ以上長居して、アイツに絡まれでもしたら面倒だし――
「何をしている」
「……」
シドネは渋々振り返った。
背後には背の高い──例のコートの男が腕を組んでいた。
逆光になっているため表情の機微は読めないが、十中八九眉間にしわ寄せている。この男のデフォは仏頂面だ。
「ただの散歩ですけど?」とシドネは白々しく答えた。
「……お前、見ていただろ」
「……ちょっとだけ」
苦笑いするシドネに、男は深いため息をついた。人にため息をつくくらいなら話しかけないでくれ。
「では、僕はこれで──」
シドネは身を翻した。この場か一刻でも早く離れたい。シドネの黒いコートの裾がはためく。
「……待て」
手首を掴まれた。
「ッ」
脊髄反射で手を強めに振り払ってしまう。油断していたつもりはなかったのだが。別のことに気をとられ過ぎていたようだ。
「……」
見上げると、心なしか、男が傷ついた顔をしている。
そもそも、人の腕を無造作に引っ張る方に非があるだろう、とシドネは手首を回した。
気まずい空気が流れる。
「……伝言を頼みたい」
「……そのくらい、ご自分でお伝えになればいいのでは?」とシドネは笑う。
「『社会の不純物』に頭を下げずとも」
男は面食らったように目を見開かせた。
「じゃあ」
今度こそ、シドネはその場を離れようと黒曜石の宙に足場を生成した。
一歩、踏み込む。
「腕が落ちたんじゃないか?」
声がかかった。
シドネの肩がピクリと揺れる。
「……今、なんて?」
シドネは努めて笑顔を貼り付ける。
「以前のお前なら、俺に存在を悟られることも、他人に触れられることもなかっただろう」
男が不敵に鼻を鳴らす。
「かの《黒英》も落ちぶれたな」
その言葉に、シドネのこめかみに薄く青筋が浮いた。
数秒の沈黙が下りた。
「なるほど」
シドネの背後で、宙に浮かんでいた黒曜石の欠片が音を立てて砕けた。
「貴方は、「僕」に喧嘩を売っている、という解釈で……いいかな?」
「お前がそう捉えたいのならばそれで構わん」
シドネはクツクツと喉を鳴らした。
「そうですか、そうですか」
――シドネの手元に鈍い黒い光が差す。
瞬きする間もなく、シドネの背丈を遥かに上回る大鎌が生成されていた。
夕日を背に、シドネの細身の体に沿うようなシルエットがコントラストを描く。
「格の違いってやつを――教えてあげるよ」




