01.元執行人
鉱力――それは、人自らが鉱石を生み出す力。
人々はその力を発展させ、社会に応用してきた。やがて、その技術は≪魔法≫と呼ばれるまでに進化した。
魔法には、二つの系統が存在する。
一つは、鉱力の精度、純度、硬度、再現性を高め、鉱石を具現化する魔法――≪生成≫
対して、鉱石固有の特性の一部を対象に付与する魔法――≪能力付与≫
シドネが得意とするのは、≪生成≫のみ。
というより、シドネは≪能力付与≫を全くと言っていいほど扱えない。
鉱石の物理的性質を最大限引き出すこと――これがシドネのスタイルだ。
だが、それは才能や好みの結果ではない。
シドネが≪生成≫に対して並々ならぬ情熱があったからでも、人並み外れた才に恵まれていたからでもない。
師匠の方針が「そう」だった――それだけの話である。
無論、そこに師弟の尊い絆があった――わけではない。
「師匠を超える」という熱い思いがあった――という話でもない。
思えば、シドネは一度たりとも、自らの意思で人生の道を選んだことなどあっただろうか。
同年代よりも幾分か早い段階で覚醒し、初めて具現化した鉱石が黒曜石だったことも。
貧しい家に生まれ、幼くして働かざるをえなかったことも。
その末、路頭に迷い、縋った先が≪生成魔法≫の先駆者だったことも。
そして、その人物が執行人であったことさえも。
全ては偶然の積み重ねに過ぎなかった。
――それから時は流れ、数年後。
「おばさん。仕込み、終わりましたよ」
オーブンを覗き込んでいたおばさんの額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「ありがとー。シドネちゃん、もう上がり?」
店内に充満したパンの焼ける香りがシドネの鼻腔をかすめる。
「はい」とシドネは短く答えた。
「そう。お疲れ様ー」
シドネは小さく会釈して、事務所へ向かった。
――執行人から足を洗って約一年。
現在は同居人の紹介のもと、「パン屋のおてつだいさん」という身分に落ち着いている。
午前一時から五時までの四時間。
それがシドネの勤務時間である。
四六時中、雨風にさらされながら≪標的≫が油断する一瞬の隙を見張ることも、恨みを買って謎の黒服集団から追われることも、手足が泣き別れするような場面などもちろんない。
むしろ、以前の環境が異常だったのだ。
そう思える程度には、シドネは「日常」に溶け込めていた。
喜ばしいことである。
それにしても肩が凝った。
パン屋というのは想像していたよりもずっと肉体労働だ。
「体力が落ちたのか?」とシドネは両肩を回して硬くなった体をほぐす。
この体たらくでは≪黒英≫に笑われてしまう。
本来、こうして労働に勤しむ必要はシドネにはない。
なにせ≪黒英≫時代の貯蓄が口座にたんまりあるのだ。
それこそ、真っ当に働く人間では一生かけても稼げない額。
ではなぜ働くのか。
なんとなく後ろめたいのだ。
働かざる者、食うべからず――幼少期の経験からの名残か、シドネの芯からすっかり染み付いていた。
子供の頃、「自分には無理だ」ととうに諦めた「普通の生活」。
それを享受するのも悪くないだろう。
だからと言って勘が鈍るのは困る。
未だ、≪黒英≫という幻影にしがみつく未練がましい亡霊どもが彷徨っている。
何やら、他国では多額の懸賞金がかかっているとかないとか――
何はともあれ、油断大敵。
ちょっくら、十キロのランニングでも――とシドネがトレーニングメニューを組み始めた。
――扉が開く。
おばさんが顔を出した。
「ああ、よかった。シドネちゃん、まだいたのね」
「どうしました?」
「これ」とおばさんはシドネの胸に大きめの紙袋を押し付けた。
冷えた小麦特有の香り。
「昨晩のあまり。ディアナさんと食べて」
「……ありがとうございます」
おばさんからの手土産を抱えて、シドネは店をあとにした。




