12.デジャブ
三度のノックとともに、聞き覚えのある男の声が響いた。
「ユリウスさーん」
以前、罰として地方へ飛ばした補佐官――グレンだ。
ユリウスは顔を上げずに「入れ」とだけ答えた。
ドアが開く。
「ほら、入っていいってさ」
「……は?」
手がつい止まる。午前に来客の予定はないはすだ。
「おじゃましまーす」
その聞き覚えのある気の抜けた声に、反射的に顔を上げてしまった。
ドアの隙間からこちらを覗いている琥珀色をした猫目。そして、その隣に立つ補佐の男、グレン。
「シドネちゃんがユリウス様に用があるらしくて」
「おはようございまーす」
猫目の主が姿を現した。女にしては高い背丈に古びたコート。肩口まで伸びた黒髪に愛嬌のある顔立ち。
「……何の用だ」
ユリウスはまた書類に意識を逸らした。
コイツが自分から尋ねてくるなど、ろくなことではない。
「ここ最近、この町に教会できた?」
「できたな」とユリウスは答える。
「そこの神父って知ってる?」
「金髪のだろう。隣国から来た」
ユリウスは切りのいいところで万年筆を置いた。
「なんだ。気になるのか」
「まあね」
シドネは返事と同時に机の角へ腰を掛けた。ユリウスの眉がぴくりと動く。
「座るな」と無言で睨むが、まるで効果なし。悪びれもしない。
「らしくないな。人間、それも聖職者に興味を持つとは。ようやく改心したか」
シドネはユリウスの皮肉をものともせず、「今日、そこでバザーやるらしいんだよね」とぐしゃぐしゃになったリーフレットを見せた。
ユリウスは眉間にしわを寄せ、そのリーフレットを凝視する。
「……行けばいいじゃないか。なんだ。わざわざ誘いに来たのか。悪いが、俺は忙し──」
「違う違う。情報収集しに来ただけ」とシドネは即答した。またリーフレットをコートのポケットにねじ込む。
「………」
「断られましたね」というグレンの言葉を掻き消すようにユリウスは何度か咳払いをする。
「……何が『情報収集』だ。もしや神父を警戒しているのか」
「んー。まあね」とシドネは曖昧に返した。
「また妙なことに首を突っ込んでいるな」と思ったが、ユリウスは「そうか」とだけ返し、あっさり引いた。
ユリウスはシドネの秘密主義に関しては特段は気にしていない。
いつものことだ。
シドネの前職を知るユリウスは、一種の職業病だろう、と考えている。
「ありがとう。思ってたより普通だったよ」
「いきなり尋ねて来ておいてなんだその言い草は」
ユリウスは顔を顰めたが、シドネは無視して立ち上がり、窓辺に立つ。
「ここって出てく時も手続きとかいるの?」
シドネの問いに「いらないですよ」とグレンが短く答えた。
その言葉を許可だとみなしたのか、シドネは窓を開けた。
文鎮で押さえていた書類がばさばさと暴れた。万年筆が床に転がる。
「おい」
ユリウスが立ち上がった時には既にシドネは窓枠に足をかけていた。裾の長いコートが音を立てながらはためく。
「じゃ、おじゃましましたー」
シドネが軽く手を振る。
次の瞬間には――その姿は窓の外へ消えていた。
「……ここ八階ですが」
壁に寄りかかったグレンの呆れとも関心とも言えない間抜けた声を漏らした。
執務室に降り注ぐ日差しに、ユリウスは目を細めた。
「……いつものことだ」
「……」
昨日と今日で二度目の十字架。
結局、来てしまった。
教会に。
昨日訪れた時よりも人が多く、賑わっていた。
昨日は子供が多かった印象だが、今日は大人の姿の方が目立つ。
「……」
シドネは中々足を踏み出せずにいた。
シドネは人混みが得意ではない。
人が怖いだとか人見知りだとか、そういうデリケートな理由ではない。
生物の気配に敏感なシドネがあのごった返しに混じると人酔いしてしまうのだ。
呼吸、心拍、足音、視線。
一般人より多くの情報を一気に吸収してしまう。もはや、情報酔いと言ってもいいかもしれない。
人混みを眺めるだけで頭が重くなる。
「……帰ろ」
別に今日にこだわらなくてもいい。
明日、明日出直そう。明日になれば一足も遠のくだろう。
今夜、教会に足が生えて逃げ出すわけもあるまい。
──そう、踵を返そうとした。
「お嬢さん」
後ろから声がかかった。
「……はい」
今度は反射的に手が出ることはなかった。
昨日の二の舞だけは御免だ。
あの白髪の男が急に現れても驚かないよう、気を引き締めていたのだ。
少し反応が遅れたが仕方ない。人混みのせいだ。
後ろを振り返る。
スーツに身を包んだ男だった。
腰まである長い金髪を一つにまとめており、上品な顔立ちをしている。
ただ――胸元のペンダント、耳元のピアス、指にはいくつもの指輪。飾り立て過ぎだろう。
そして何より、この薄ら笑い。
シドネは本能的に悟る。
――あ、コイツ苦手だ。
昨日の白髪の男とはまた違うベクトルの胡散臭さ。白髪が「不審者」なら、コイツは「詐欺師」だ。
「あら?お嬢さん?」と男は首を小さく傾げた。ご親切に膝を折って目線まで合わせてきた。
全身から「いけ好かない」雰囲気を醸し出している。
「教会に興味がお有りで?」
「……」
──既視感。
この教会、その挨拶しかないのか。
不定期更新になります。
金曜日の夜には必ず更新します。




