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彼女の真名、そして別れ


 魔王軍の襲撃から半日が経ち、すっかり日も傾き始めた頃になっても俺はフェウーを横たえたベッドの脇にずっと座っていた。


 天井も壁もなくなったアジトのベッドでフェウーの息は辛うじてまだ続いていた。

 俺の知る限りの近代医療による応急処置、拙い回復魔法、出来る限りの治療を彼女に施した。


 しかし、フェウーの傷は深く。とても彼女の怪我がリセットされる0時まで持ちそうにない。


 魔王の様子から察するに、例え死亡しても彼女は0時になれば魔法によって蘇るのだろう。

 だが俺は一度でも彼女のこの吐息が止まるのを見ることに耐えられそうにない。


 ぎりっと、俺は自分の拳を強く握りしめた。


「――――うっ――」


「――! フェウー!」


 苦しそうに身じろぎしたフェウーがうっすらと目を開いた。


「大丈夫か!? しっかりしろ!」


 俺は必死でフェウーの手を握りながら名前を呼んだ。


「バカね……なんて顔してるのよ、あなた」


 本当に、本当に僅かな力だったが、確かにフェウーは俺の手を握り返した。


「私は死んでも一日が終われば全部なかったことになって生き返るのよ。なのに、どうしてあなたは泣いているの?」


「そんなこと……そんなこと決まっているだろう!」


 俺は嗚咽を抑え、どもり、真っ赤に泣き腫らしながら、かっこ悪くとも――しっかりと告げた。


「お前のことを――――愛しているからだ」


 同情だとか、保護欲だとか、自分の気持ちに嘘をつく言葉はいくらでも見つかるだろう。

 だが俺は、いまこの時、俺は本心からそう思っている。


 フェウーを、出会ってまだ幾許もない、一度は汚し、それでも許してくれた少女のことを。

 誰よりも愛していると。

 フェウーは力なく微笑みながら「男の人に告白されたの、はじめて」と言った。


「ありがとう。とても嬉しいわ。だから、ね? もう泣かないで」


 俺の半分程しか背丈のない、少女のようにか細い身体の彼女は、まるで泣く子どもをあやす母親のように俺の頬を優しく撫でた。


「ねぇ。“今日の私”はそろそろ終わるから、その前に遺言を聞いてくれないかしら」


「……なんだ?」


 俺は涙を拭ってフェウーの金色の瞳をしっかりと見据えた。


「私の本当の名前はね……『()()()()()』。フェリシア・メイルーン・フロウライト……」


「“明日の私”のことをどうか『フェリシア』と呼んであげて」


 意味はわからずとも、俺は強くフェウーの手を握りしめた。


「あぁ、約束する」


 もう二度と、フェウーをこんな目に遭わせないと決意の眼差しを向けながら。


「ありがとう……。“明日の私”のことを、よろしく……ね…………」


 俺の返事に満足すると、フェウーはゆっくりと瞳を閉じた。


 

 私も――あなたのことが――――



 黄金色に輝く黄星おうせいの光を浴びながら、フェウーはゆっくりと、息を引き取った。












 フェウーが息を引き取って数時間後。


 0時になり、フェウーは初めて会った日のように全ての傷を回復して蘇生した。

 完全にその命の営みを静止していた少女が何事もなかったかのように穏やかな寝顔を浮かべる様は、まさに古の魔法がもたらした奇跡だ。


 その様を見届けてもなお俺は一睡も出来ず、そのまま朝を迎えた。

 ベッドの脇に腰掛けてすうすうと寝息を立てるフェウーをじっと見つめていると、意外な来客者があった。


「おや? 暫く見ないうちに随分風通し良く改装したもんだね」


 朝日が昇ると同時にやってきた来客は以前俺とフェウーが訪れた冒険者の店の店主、リーゼだった。

 何やら重そうな細長い布袋を持ったその姿は早朝の散歩といった様子ではない。

 この間会った時のような接客向きの表の仕事着ではなく、俺にとっては懐かしい隠密性の高い裏稼業の出で立ちだ。


「……」


 ジョークに対して無反応の俺に肩を竦めてリーゼは話を続けた。


「何、こっちの方で騒ぎがあったって聞いてね。昔のよしみで様子を見に来てやったんだよ」


「お前、ここは今魔王軍に包囲されているはず……」


「腐っても『夜雀旅団』元団長を見くびってもらっちゃ困るねぇ。」


 『夜雀旅団』とは、この女が店主となる前に団長を任されていた悪名高い盗賊団だ。

 あの軍勢の包囲網を誰にも悟られず抜けるとは、まだ腕は錆びていないようだった。


「そうだったな。それで、何の用だ」


 普段であれば、様々な悪態をついて品のないやり取りを楽しむところだが、今の俺にそんな余裕はない。


「もう本題かい? つれないねぇ。ほんとにアンタはつれないねぇ。折角この私が心配して来てやったっていうのに」


「……そうだな。ありがとう」


 俺の素直な礼を聞くとリーゼはぎょっとするように俺の顔を見た。


「なんだ、アンタ。大分参ってるね」


「……あぁ」


 俺はポツリポツリと昨日あった出来事を話した。

 話しの間もフェウーはすやすやと眠り、起きる気配はなかった。


「ふぅん。魔王がねぇ……」


 リーゼは適当な瓦礫に腰掛けて、足を大きく開きながらガシガシと頭を掻いた。


「今代の魔王は過去最強だって噂はよく聞くけど、昔の魔王みたいに積極的に悪事を働こうって感じじゃなかった」


 事実、魔王軍が動いたのは100年以上振りのことだった。


「下手に勇者を差し向けたりしなけりゃ、城に篭って大人しくしてるような、誰よりも強いのにその力を誇示しないフニャチン野郎だって思っていたんだけど」


 悪事を働かない者がどうして魔王と呼ばれるかというと、この世界の道理という他ない。

 強い勇者を召喚して、魔王と戦わせる。

 魔王を倒した勇者は富と権力を手にし魔王と呼ばれ、それを妬む者らがまた勇者を召喚する。


 自分たちの手を汚さず権力闘争する――――この世界のもっとも醜い部分だ。


「でも、なんだって? 大人しくしてた理由が裏でこっそり娘探しをしていたから? んでもってその娘が元勇者のアンタがたまたま拾ったダークエルフの娘だって?」


 リーゼは大げさな身振りで「はっはっは」と笑った。


「……笑い事じゃねぇ」


「悪い悪い。でもさ、アンタは勇者の中じゃかなりやる方だけど、そのアンタでも今の魔王には逆立ちしたって敵わないんだろう?」


 リーゼは笑うのをやめて挑戦的な瞳でこちらを見た。


「だったらもう。やることは一つじゃないのかい?」


 リーゼが言わんとすることはわかる。


 『勝てないのなら、命が惜しいのなら、フェウーを魔王に差し出せばいいじゃないか』。

 『いくら奴隷として途方もない価値があるダークエルフといえども、命あっての物種だ』、と。


 しかし……。

 俺が黙ってリーゼを睨み返すとリーゼは「おぉこわ」と言って肩をすくめた。


 確かにフェウーを差し出せば俺は助かるかもしれない。むしろそれ以外に俺が助かる道はないだろう。

 だが、フェウーはどうなってしまうんだ?


 魔王の言ったことが正しければ、フェウーが奴隷として売り飛ばされたのは全て魔王が原因だという。

 魔王の魔の手から娘を守るためにフェウーの母親が一日で記憶と怪我をリセットする魔法を掛けて城下に逃したのだと。

 

 奴は自分の娘に手を掛けるようなド外道だ! そんな奴にフェウーを渡せばどうなるか……。

 俺は血が滲むほど強く自分の拳を握りしめた。

 

そんな俺の様子を見て、リーゼはいつもの呆れたような態度で「やれやれ」と呟いた。


「どうせそんなこったろうと思ったよ。この間ウチの店に来た時のアンタを見た時からそんな予感してたんだよ、このロリコン」


「なに……?」


 俺が怒りから思わず立ち上がろうとすると、リーゼは持っていた大きな包みを投げてよこした。

 布で包まれた長方形の何かは受け取るとガチャリという金属音とともにズッシリとした重量を感じさせた。

 布の袋越しの感触に、俺は覚えがあった。


「なっ?! おい、こいつはまさか……?」


「餞別さ。アンタがいつか使うかと思って直しておいたんだ」


 リーゼが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 その笑顔は出会ったばかりの頃、まだ盗賊見習いだった小娘のようだった。


「言っとくけどアタシが手を貸すのはそれだけだよ。魔王に歯向かうなんて命知らずを犯すほど私もそう若くはないんでね」


「リーゼ……」


 俺が立ち上がって礼を言おうとするとリーゼは不意に距離を詰め、刹那。唇を重ねた。


「!?」


「……ガラじゃないよ、アタシもアンタも」


 驚く俺が顔色を伺う前に、リーゼはくるりと踵を返した。


「せいぜい足掻いてから満足して逝きなよ。骨くらいは拾ってやるさ」


「……あぁ、お前もせいぜい長生きしろよ。アバズレ」


 俺の悪態を聞いてリーゼは背を向けたまま嬉しそうに笑った。


「はははっ! 私なんかが長生きするようじゃあ世も末だよ」


 笑いながらリーゼは、この世界で生き残っている最後の旧友は振り向かずに立ち去った。



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