第1話 追放された元巫女、雪の果てへ
「――以上をもって、コハクの巫女資格を剥奪する」
その言葉が、やけに遠く聞こえた。
王都大神社の大広間。
大勢の神官や貴族、騎士たちが見守る中、コハクは一人で立っていた。
目の前には、大聖女エレナ。
その隣には、王国騎士団長サンドロス。
そして、玉座に座る国王。
コハクはゆっくりと頭を下げた。
「……承知しました」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
本当は叫びたかった。
本当は違うと言いたかった。
私は何もしていない。
大神社の結界を壊したのも。
神聖な宝具を盗んだのも。
大聖女の功績を横取りしたのも。
全部、私ではない。
けれど。
何を言っても、誰も聞いてくれなかった。
「コハク」
エレナが優しい声を作る。
「あなたには反省する時間が必要なのです」
その言葉に、コハクは顔を上げた。
「……反省?」
「ええ。あなたは巫女として驕りすぎました」
「……」
「だからこそ、王都から遠く離れた北方の神社で、自分を見つめ直すのです」
その口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
北方。
王国の北の果て。
人が住めないほどの極寒地帯。
そこには、古い土地神を祀る神社が一つだけ残っている。
しかし、何十年も管理する者がおらず、今では廃神社同然になっているらしい。
「期限は?」
コハクが尋ねた。
「ありません」
エレナは即答した。
「あなたが戻ることを許される日は、ありません」
その瞬間。
大広間がざわめいた。
つまり――永久追放。
コハクは目を伏せた。
「……わかりました」
もう一度、頭を下げる。
「今まで、お世話になりました」
誰にも恨み言は言わなかった。
それが、コハクの最後の意地だった。
翌朝。
王都の門の前。
「本当に一人で行くのか?」
声をかけてきたのは、サンドロスだった。
コハクは小さな荷物を抱えたまま振り返る。
「はい」
「北方は危険だ。護衛をつけることもできるが……」
「大丈夫です」
コハクは微笑んだ。
「私は元巫女ですから。少しくらいの雪なら慣れています」
「……そうか」
サンドロスは黙った。
何か言いたそうだった。
けれど結局、口にしたのは短い言葉だけだった。
「……気をつけろ」
「ありがとうございます」
馬車が動き出す。
王都の門が、少しずつ遠ざかっていく。
コハクは窓から街を眺めた。
ここで暮らした時間は長かった。
巫女になってから、毎日神社の掃除をした。
早朝に境内を掃き。
昼には結界の点検。
夕方には神殿の灯りを整える。
季節ごとに古くなったお札を交換し。
参拝客が困っていれば話を聞いた。
それが自分の仕事だと思っていた。
「……さようなら」
小さく呟く。
王都は何も答えない。
ただ、遠ざかっていく。
北へ。
さらに北へ。
馬車で三日。
そこからは徒歩になった。
「…………」
四日目。
コハクは雪の中を歩いていた。
「寒い……」
五日目。
「寒い……というか、痛い……」
六日目。
「……これ、本当に人間が住める場所なの?」
吹雪が容赦なく顔を叩く。
厚手の外套を着ていても寒い。
手袋を二重にしていても指先が冷える。
足元は雪に沈み、一歩進むだけでも体力を奪われる。
「前世の冬なら、こたつに入ってアイスを食べてたのに……」
思わず、そんなことを呟いた。
コハクには秘密がある。
彼女は、この世界の生まれではない。
前世では日本という国で暮らしていた。
雪国ではなかったが、冬になると暖房をつけ、温かい料理を食べ、厚手の布団にくるまって眠る。
当たり前だった。
けれど、この世界では違う。
暖房器具は高価。
断熱材も一般的ではない。
温かい料理だって、毎日食べられるわけではない。
「……そういえば」
コハクは足を止めた。
「この神社も、たぶんすごく寒いよね」
追放先の神社。
どんな状態なのかは知らない。
ただ、出発前に聞いた話では――
『屋根が壊れている』
『壁にも穴がある』
『社殿の中は雪が積もっている』
という、とんでもない場所らしい。
「…………」
コハクは空を見上げた。
「それ……神社として大丈夫なのかな」
少し心配になった。
そして。
「……あと、ハクって名前にしようかな」
なぜか突然、そんなことを思った。
北の神社に祀られている土地神。
どんな神様なのかは知らない。
けれど、白い雪に囲まれているから。
「白い神様なら、ハク……」
ふっと笑う。
「なんだか可愛い名前」
その瞬間だった。
遠くから――
「……きゅ」
何かの声が聞こえた気がした。
「……?」
コハクは立ち止まる。
「今、何か聞こえた?」
風の音。
吹雪の音。
それ以外には何もない。
「気のせいかな」
そう呟いて、また歩き出す。
しかし。
「……きゅぅ……」
今度は、はっきり聞こえた。
「え?」
コハクは振り返った。
吹雪の向こう。
白い世界の中に、黒い影が見える。
「……あれは」
鳥居だった。
「神社……!」
コハクは急いで歩いた。
雪に足を取られながら、それでも進む。
やがて。
古びた石の鳥居が、目の前に姿を現した。
「……ここが」
コハクは息を呑んだ。
想像以上だった。
鳥居は苔だらけ。
石灯籠は片方が倒れている。
参道は完全に雪に埋もれている。
そして。
「……社殿も、ボロボロ」
屋根の一部が崩れていた。
壁板は外れ。
扉は斜めになっている。
「これは……」
コハクは絶句した。
ここで生活しろと言われても。
普通なら無理だ。
「……でも」
コハクは、少しだけ笑った。
「直せばいいよね」
巫女だった頃も、壊れたものを何度も直してきた。
掃除も得意だ。
料理だってできる。
前世の知識もある。
「大丈夫」
誰に言うでもなく呟く。
「なんとかなる」
コハクは鳥居をくぐった。
その瞬間。
――ふわっ。
ほんの少しだけ。
風が止んだ。
「……?」
コハクは振り返る。
しかし、吹雪は続いている。
「気のせい……かな?」
神社の敷地だけ。
なぜか、ほんの少しだけ暖かい。
そして。
社殿の中から。
「……きゅ」
また、小さな声がした。
「誰かいるの?」
コハクは扉に手をかける。
ギィィィ……。
古い扉が開いた。
薄暗い社殿。
雪の積もった床。
壊れた祭壇。
そして、その奥。
「…………」
小さな白い生き物がいた。
丸まっている。
震えている。
コハクはゆっくり近づいた。
「……龍?」
小さな角。
小さな翼。
小さな足。
そして、長い尻尾。
間違いない。
龍だ。
けれど。
「どうして、こんなに小さいの……?」
手のひらに乗ってしまいそうなほど小さい。
そして何より――
「冷たい……」
コハクがそっと触れる。
小さな龍の体は、雪よりも冷たかった。
「大丈夫?」
「……きゅ……」
「寒かったね」
「きゅぅ……」
小さな龍が目を開ける。
青い瞳。
その瞳が、じっとコハクを見る。
そして。
ほんの少しだけ。
尻尾が動いた。
「……ふふ」
コハクは微笑んだ。
「はじめまして」
両手で小さな体を包む。
「私、コハク」
龍はじっと見つめている。
「今日から、この神社で暮らすことになったの」
「……」
「だから……」
コハクは、優しく笑った。
「あなたも、一緒に暮らさない?」
「…………きゅ」
小さな龍が、コハクの手の中に顔を埋めた。
その瞬間。
神社の奥で。
かすかな光が灯った。
コハクは、まだ知らない。
この小さな龍こそ。
誰にも忘れられていた、この土地を守る――
土地神の子供だということを。
そして。
彼との出会いが。
コハクの人生を、大きく変えていくことを。
まずは。
「……暖かくしようね」
コハクは小さな龍を胸元に抱きしめた。
「この神社、まずは大掃除からだね」
極寒の地で。
一人の元巫女と。
手のひらサイズの小さな神様の。
ぬくぬく生活が始まった。




