第四十三話 【訓練の重み】
一ヶ月後。
アルギラ十三日。
それは、俺が開いている即席の授業中に起きた。
「ダイキ先輩、セレナが偉大な英雄だったなら、どうして少しずつ忘れられてるっていうの?」
「そうだよ、ダイキ先輩。歴史の話ってどういうこと?」
「俺はね……」
「それに……」
「もしかして、あんまりいい功績を残さなかったんじゃないかな、ダイキ先輩」
「あるいは、そうしたくなかったのかもしれないよっ、ダイくん!」
子供たちは一斉に喋り出していた。
俺が手を挙げると、全員がすぐに口を閉じ、背筋を伸ばす。
「よし。それを理解するには、まず別のことを考える必要がある」
俺は立ち上がり、彼らの周りを歩き始める。
「彼女が今でも覚えられているのは、何をしたからか? そして、忘れられ始めたのは、何を間違えたからか?」
アメリアが手を挙げたが、俺は構わず話し続けた。
「もしこの二つの問いの答えを知っているなら、自分たちが間違っていると気づくはずだ。セレナは自然に忘れられているんじゃない。世界が彼女を忘れさせようと強制しているんだ。お前たちがその話題を出したという事実が、多くを物語っている」
アメリアはさらに高く腕を伸ばした。
このままじゃ、当ててもらおうとするあまり腕を引き抜いてしまいそうだ。
あいつの性格からして、ありえない話じゃない。
「そして、自分にこう問いかけてみてくれ。彼女のどこが好きなんだ?」
アメリアは今や両腕を使っていた。
片手でもう片方の手首を掴んでいる。
彼女の論理では、そうすれば腕がより長く見えるらしい。
「わかった、アメリア。何を言いたいんだ?」
「わたし……わたしね、彼女は忘れられたかったんだと思うの! だから海から出たあの魔物を倒したことだけが、彼女の大きな功績になったんだよっ。名声なんて自分には向いてないって気づいたんだと思うな!」
「それは……ああ、そういうことだった可能性もあるな。彼女の行方はわかっていない、それは事実だ」
「家族の行方もわかってないよねっ、ダイくん!」
「家族の行方もだ。彼らもまた、セレナとの関わりをすべて絶ったんだ」
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歴史の授業の後は、魔法陣の授業だ。
この科目でこそ、アメリアは並外れた才能を発揮する。
「よし、アメリア。魔法陣の中に描く火は、文字通りの炎として描くんじゃない。マナという燃料と引き換えに熱を生み出すものとして解釈するんだ」
俺は屈み込んで、彼女の作業を覗き込んだ。
「魔法陣は正確な定義よりも、概念やイメージに強く反応する。だから、火という抽象的な概念そのものよりも、燃える花や焚き火の方が解釈しやすいんだ」
それから俺はソフィアに近づく。
「よくできてる、ソフィア。空気を吸収する炎というのはいい解釈だ。そうすれば、マナが熱の吸収と、それをどう放出するかをうまく理解してくれる」
次にアンドレスの方へ向かった。
アメリアとは違い、彼は風と水の魔法陣にしか興味を示さない。
家畜や動物全般に水を飲ませるために使いたいらしい。
「ねえ、ダイキ先輩」
「なんだ」
「もし違う方向に二つの出口を作って水の魔法を使ったら、同じマナの量で二倍の水が出るの?」
「いや。水の量は同じだ。単に二つの出口で分割されるだけだ」
「マジで?」
「ああ」
「よかった。割り算を習わないといけないのかって心配してたんだ」
エットが苛立っているのが見える。
みんなから離れて、倒木の前に座り込んでいる。
俺は近づいて、彼の隣に腰を下ろした。
「どうした?」
「え? 何でもないよ、エット」
「ああ。戻れって言いに来たのかと思ったよ」
エットは指で頬を掻く。
「そんなことで来たりしないさ。俺は絶対に、誰かをどこかへ行かせるよう強制したりはしない」
「自分ではそう思ってるんだろうけど、ダイキにはいつも、自分の言う通りに人を動かす才能があるんだよ」
「そうだな。でも強制するためにやってるわけじゃない。俺はただ、彼らがどれだけのことをやれるかを見せているだけで、解釈するのは彼ら自身だ。結局のところ、俺は彼らが見たがらない真実を口にしているだけだからな」
エットは振り返り、俺を見た。
「じゃあ、僕のことはどう言える?」
俺は二度瞬きをする。
その質問は予想していなかった。
人の心を読むのは得意じゃなかったが、何か言わなきゃいけない。
「そうだな。魔法がうまくできなくて苛立ってるんだろ?」
「それだけじゃないよ」
彼は目を逸らした。
「ずっと、自分がグループの頭脳役になると思ってたからだ。
本を読む担当だって。
でも、ダイキやアメリアと比べると、僕はまだまだ初心者だ。
彼女は僕ほど本を読んでもいないのに。僕は教会の本を何年もかけて勉強したっていうのに」
「まあ、お前の問題はだな、エット。たくさん本を読めば、自動的に他のやつより賢くなれると思い込んでたことかもしれないな」
彼は黙り込む。
「そして、それは単に事実じゃない。世界中の最高の本を読んだとしても、その知識をどう使うかが人を賢くするんだ。そう思わないか?」
俺は倒木から立ち上がり、服の埃を払った。
「それに言っておくが、剣を正しく使えるのは馬鹿じゃない証拠だ。あれだけ早く上達してるんだから、なおさらな」
皮肉なものだ。俺自身は、今言ったことを何一つ守っていないんだから。
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エットとカイロスは二本の木の棒を構えている。
「一度でも俺に触れることができたら合格だ。できなければ、チームワークの試験は不合格とする」
二人は同時に飛びかかってきた。
だが、息は合っていない。
俺は彼らの攻撃が届く前に前へ出た。
素早い足払いで彼らの脚を打ち抜くと、二人は地面に転がった。
「攻撃する前に言葉を交わさなかったのが、お前たちの最初のミスだ。チームで動くなら、意思疎通を図れ。戦闘中であっても、会話は重要なんだ」
俺は手を差し伸べ、二人を立ち上がらせる。
彼らは顔を見合わせた。
「お前は左から行くか?」
「僕は右から行く」
「よし」
彼らが話している間に、俺はカウントダウンを始める。
「五」
俺は予告なしに二人へ飛びかかった。
「なんだっ!?」
「うわっ!」
彼らに反応する暇はほとんどなかった。
カイロスの棒を逸らし、肩でエットを突き飛ばして、二人を後退させる。
「実戦では、敵はお前たちが作戦を立て終わるのを待ってくれたりはしないぞ」
二人はかろうじて体勢を立て直した。
「でも、数えてたじゃないか!」
「で、お前たちは俺を信じることにしたってわけだ」
二人は凍りつく。
「第二の教訓。もし敵が準備の時間を与えてくれたら、感謝することだ。普通はそんなことしてくれないからな」
カイロスは木の棒を強く握りしめた。
「それはひどいよ」
エットはため息をつく。
「誰もダイキに口答えしない理由が、わかってきた気がするよ」
俺は腰に拳を当て、木の棒を肩に担ぐように乗せる。
「いいか。さっきも言ったが、敵はお前たちが立ち上がるのを待ってはくれない。敵だって自分の命を惜しんでいる。勝つチャンスがあれば、それに食いつく。逃げるチャンスがあれば、逃げる。そして、戦いが始まる前に終わらせるチャンスがあれば、そうしようとする」
俺にはその経験があったが、彼らに言うわけにはいかない。
カイロスは俺が隙を見せたのを利用して、飛びかかろうとした。
だが、彼が俺に届く前に、俺は木の棒の先端を彼の額に当てる。
彼はその場で硬直した。
「第三の教訓。むやみやたらに攻撃するのも通用しない」
カイロスは顔をしかめる。
「敵が弱いと期待するな。絶対に油断するな。そして、相手の体勢が悪いからといって、それがチャンスだと思い込むな。時にはそれが罠であることもある」
「じゃあ、いつ攻撃すればいいか、どうやってわかるのさ?」
エットが尋ねる。
「観察するんだ」
「それじゃあんまり役に立たないよ」
「わかってる」
俺は一つため息をつき、地面に座り込んだ。
「そのために訓練するんだ。敵がルールに従うと期待せず、むやみに攻撃もしない。そして唯一の方法は、防御を通じて相手を観察することだ。ああ、時にはそれが通用しないこともある。だからこそ、降伏や逃走という選択肢が存在するんだ」
カイロスはついに肩を落とした。
「この試験、絶対僕たちが失敗するように作られてたよね?」
「失敗なしに成長はない。これは教訓だ。もしすでにやり方を知っているなら、学ぶ必要はない。そして、この授業でそれがはっきりしたはずだ」
俺は自分のミスに感謝したりはしないが。
カイロスは納得していない様子だったが、反論する言葉も見つからないようだ。
そこでエットが別の話題を持ち出す。
「時々、ダイキはこういうのをどこから学んだんだろうって思うんだ。マリア女神が偉大な戦士だってことは知ってるけど、剣についてそこまで詳しくどこで教わったのかはわからないからね」
どういうわけか、あいつは今でもマリアのことを女神と呼んでいる。
いや、その理由はわかっている。
少し前にアメリアから、エットがマリアにべた惚れしていると聞かされていたのだ。
それ以来、その女神という言葉を聞くたびに、どうにも真面目に受け取るのが難しくなっていた。
ああ、それはわざわざ口に出すほどのことでもないな。
「俺の親父からだ。親父にはノイドと剣術の両方に秀でた友人がいてな。俺が知ってることのほとんどは、その人を観察して学んだんだ」
「へえ」
エットはゆっくりと頷いた。
「それは面白かっただろうね」
「ああ、面白かったよ」
説明できる以上に、な。
観察して学ぶことと。
生き残るために学ぶことは、全くの別物だからだ。
そして、その友人がアレクシオであり、最強のノイド使いの一人だったと口にするのは、またさらに別の次元の話になる。
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残りの時間は、また森での訓練に当てる。
ボッ!
手から炎が放たれる。
一秒と経たないうちに、それは猿の脚を包み込んだ。
火傷はさせない。
それは明らかだ。
もし傷つけたいなら、手にもっと力を込めるだけでいい。
握りつぶさないようにしながら、オレンジを全力で締めつけるような感覚だ。
猿は一切のダメージを受けていなかった。
まるで、炎が機能し続けるためのコードを欠いているかのように。
「キィィッ!」
それでも猿は驚き、力強いジャンプで飛び退いた。
炎を遠ざけるように空を蹴っている。
「ごめん、そこまでは考えてなかった」
猿は俺を無視する。
地面の虫を突こうと近くを通った鳥を捕まえる。
捕まえると、その場でお構いなしに食らいついた。
それから虫も掴み取り、同じように口へ放り込む。
「ああ、結局のところ、炎はそれほど重要じゃなかったってわけだ」
炎は俺の手に戻り、完全に消滅した。
「時々、こんな風に忘れられたらって思うよ」
ビー玉ほどの小さな火球を作り出す。
それは俺の手の上に浮かんでいたが、力を弱めると手のひらに落ちた。
炎はまるで物理的な物体であるかのように、手の中で踊っている。
まるで、俺の肌を焼かないと決めているかのようだった。
俺を自分の一部として認識しているかのように。
火球を親指の先まで移動させ、空へ向けて弾き飛ばす。
偶然ではない。
一羽の鳥が、猿を襲おうとしていたからだ。
鳥は直撃を受けた。
命を奪うほどの威力はない。
だが、後退させるには十分だった。
だからこそ、炎は重要だったのだ。
相手を傷つけることができるから。
そしてそれは、俺の生きたいという情熱から生まれている。
皮肉だな、親父。
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猿はさらに何羽かの鳥を平らげると、訓練に戻ってきた。
二年前、俺が戦ったあのモロイが、今でも同じ木にいて、まるで聖なる家のようにそれを守り続けているなんて、誰が想像できただろうか。
いや、そうなのかもしれない。
だから、二度と侵入するつもりはない。
あれをやったのは、あいつを挑発した一度きりだ。
たぶん、奴はそれを相当根に持っているんだろう。
少しずつ、あいつの脚力と俺の脚力の差は縮まっている。
俺の敏捷性、元素の力、そしてノイドの使用を加えれば、
猿が俺を上回る要素は、そのうち一つもなくなるはずだ。
それはつまり、遅かれ早かれ、元素の力を訓練するための適切な相手がいなくなることを意味する。
それで気分が良くなるべきだろうか?
最初はそんな風には思えなかった。
たぶん、俺にはそんな資格がないと感じていたからだろう。
でも今は違う。
俺が成し遂げてきた数々の成果を見れば、それは明らかだ。
気分は良くなったか?
ああ。
気分はいい。
日々の訓練は、目に見える結果を出している。
敏捷性と力ではまだマリアに及ばないが、俺が独力でどれほど進歩したかは明白だ。
ゼレニアに戻れる可能性はどれくらいあるだろうか?
よく考えれば、ケイランはこれから先も長く生きる。
そして数世代にわたり、一つの王国を統治するだろう。
俺はケイランがどんな奴か知らない。父親にどれくらい似ているかも。
だが、もしかしたら彼が負けず嫌いで、自分の意志であの勅令を撤廃する決断を下すかもしれない。
あるいは、時が経つにつれて、すべてが忘れ去られていくかもしれない。
そうすれば、最悪の決断にならずに彼らと再会できる日が来るかもしれない。
逆に、もしこのまま残ることを選べば、マリアは一人でエルピダを守り抜けるだろう。
俺が来る前から、彼女はそうしていたのだから。
だが、彼女にやるべき仕事があるなら、俺だってそこにいる。
この場所を救うのが俺の責任ではないにしても……
ここを守れるだけの強さは確実に手に入れておくつもりだ。
空気を強く握り締め、空へ向けて火柱を放つ。
ボッ!
同時に。
ポワ。
地面や近くの植物から湿気を吸い上げ、水球を作り始める。
ボシュッ!
二つは空中で激突した。
ジュワアアッ!!
水蒸気の雲が爆発し、森の上に広がる。
その爆発音だけで、何十羽もの鳥が一斉に飛び立つには十分だった。
木々の梢がわずかに揺れる。
「っと……少しやりすぎたな」
蒸気から水を引き寄せ、水たまりに変える。
「ん? なんだ?」
四方八方から重々しい足音が聞こえてきた。
同時に、空気がわずかに歪み始める。
「たすけてぇぇぇぇっ!」
アメリアの声か?
鋭すぎる叫び声が森に響き渡り、耳を貫いた。
俺は水で耳を覆い、さらにその上から両手で塞がなければならない。
アメリアが俺に飛びかかり、押し倒してくる。
俺は耳から手を離さないまま、泥の中に倒れ込んだ。
目を閉じたまま、俺は彼女の首を掴み、力任せに突き飛ばした。
立ち上がり、目を開ける。
それは姿を変える化け物、変身魔のようだった。
「大事な友達を助けるの? わたしはアメリア、君の友達だよっ!」
それはアメリアの声だったが、少し違っていた。
彼女特有の爆発的なエネルギーはなかったが、熱意だけは真似できているかもしれない。
そいつは再び飛びかかってきた。
俺はわずかに体を捻り、その顔面に一撃を叩き込む。
同時に片脚を掴み、軸足を起点にぐるりと一回転して、そいつを木に投げつけた。
化け物の姿が一瞬だけ明滅し、本来の姿を露わにする。
だが、すぐにまた姿を変えた。
「ヴァレリア……?」
俺は後ずさる。
「氷柱!」
別の声が俺を思考から引き戻した。
巨大な柱が地面から突き出し、化け物を貫く。
「友達ィ! そんなことしちゃダメ!」
アメリアだった。
彼女が氷の柱の円陣を作り出している。
いつの間に……?
それに、どうやって氷柱が突き出る方向を変えたんだ?
いや。
待て。
アメリアは俺を友達なんて呼ばない。
俺はもう一歩後ずさった。
形成された氷も消え始める。
すべては幻覚だった。
「信じるに足るか、人間?」
「なぜ人間が我々を捕らえると思う?」
「貴様らの脳から視えたものを、ただ模倣しているだけだと思ったか?」
「我々は、貴様らの言葉すらも話す」
俺は両手を頭に当てる。
痛みが増していく。
「人間は相変わらず精神が脆い。だから最悪の恐怖を暴くのは容易い」
「なぜ痛むのかは理解できない。我々が知っているのは、貴様らが最も失うことを恐れるものの姿をとると、こうして反応することだけだ」
「我々は一にして全」
「逃げ場はない。我々は貴様が何者であり、過去に何者であったかを知っているぞ、ダリアン・セラ……」
痛みにウンザリする。
俺は立ち上がり、ゼレニアでの過去を語るそいつに向けて、直接火柱を放つ。
そいつは完全に燃え上がり、やがて消え去った。
「フフ、それは幻だ」
「彼は真実を語っている」
「我々は嘘を吐かない。そう……」
地面から木の枝を拾い上げ、そいつが喋り終える前に斬り裂く。
「……足掻くな」
「そうだ。足掻くな、さもなければ……」
同じように斬り捨てた。
「これで二人きりだな、人間」
化け物は再び姿を変えた。
「やめろ」
俺は後ずさる。
「そんな姿になるな」
目の前には、ヒヨリがいた。
「どうしたの? まさか私を燃やしたりしないよね?」
俺は片手を頭にやる。
「お前ら……変身魔は……水が嫌いなんだろ?」
その姿が一瞬明滅した。
俺は両手で頭を抱え込む。
「俺の頭の中を探るのは……やめろ」
おそらく、この化け物はそうするために何かを放出しているのだろう。
(ヒカリくん、私があなたを守っているように、弱い人たちを守ってね。でも……)
でも……?
でも、なんだ?
あの後、君がなんて言ったのか、結局知ることはできなかった。
だけど……。
(でも、それは君自身が元気でいられる時だけにしてね)
そう言ってたのか?
(ドラゴンだって休みたい時があるんだよ。お城からお姫様を助けてばっかりじゃなくてね。いつ休むべきか、ちゃんと学ばなきゃダメだよ……)
俺は地面に横たわり、体を丸め、両脚を胸に抱え込む。
なぜそんなことをしたのか、自分でもわからない。
だが、どうでもよかった。
少しだけ、誰かに抱きしめられたかった。
たぶん、そうだ。
今となっては……。
自分がどれだけ間違えたのか。
どれだけ失敗したのか。
どれだけ抜け出そうともがいたのか、わからない。
「アレ? 人間?」
俺はいつも、倒れ込んで諦めてしまう。
休むべき時を知らないまま。
さらに強く脚を抱え込む。
「ただ、休んでいいと言ってほしかったんだ。でも、残っているのは記憶だけだ。それに、今休んだら死ぬかもしれない。安全がないのに、休むってなんだ?」
「人間? まあ良い、貴様の最期だ」
素早い足音が聞こえた。
見向きもせずに、俺は片手を上げる。
足音が止まった。
「他人の頭の中を探っていいとでも思ってるのか? それに……お前には、その姿をとる権利なんてない」
俺の眼差しは完全に変わっていた。
立ち上がり、片手を胸に当てる。
「お前がどんな姿をしていようと、もうどうでもいい。俺にとって、お前が彼女の声を持つことも……彼女の言葉を紡ぐことも、決してない。お前はただの偽物だ」
「よく言われる。結局のところ、人間の言葉は我々の知能と共に忘れ去られ、また同じ作業を繰り返さねばならない」
俺はそいつの横にある水たまりを見た。
「お前らは水が嫌いだよな……」
爪を立てるような手の形をやめ、親指、人差し指、中指を立てて、他の指は軽く曲げたままにする。
「何をしている?」
そいつに向けて手を動かし、立てていた指を合わせる。
水たまりの水が、化け物を完全に包み込んだ。
「カアァァァァァァッ!」
化け物は身悶えし、幾度も姿を変え始めた。
俺の知るあらゆる人物の姿が、閃光のように次々と現れては消える。
「ヤ……メ……カアァァァッ」
俺の水が……傷つけてるのか……?
ただ壊すだけじゃないのかもしれない。
水を消し去り、俺はそいつに向かって跳ぶ。
内なるマナを込めた強力な拳を叩き込み、その心臓を貫いた。
変身魔は、最後に一つの姿をとっていた。
炎だ。
「すまない」
俺は手を引き抜く。
「ダイキ? どうしたの?」
「ああ、母さん……」
マリアが近づいてきて、服の裾で俺の手を拭いてくれた。
「水しか使えないと思ってたのに、どうしてそれを隠していたの?」
「えっと……」
「ねえ、ダイキ」
「わからない……」
「ダイキ、私にどれだけのことを隠しているの? ずっと見てきたわ。あなたはたくさんの痛みを抱えていて、私は何度もただ見守るだけだったけれど、今はあなたを助けたいのよ」
ため息をつき、俺は手を引っ込める。
「母さんには話してないことがたくさんあるんだ。いっぱい隠し事もしたし、嘘もついた。でも、ただ母さんを守りたかっただけなんだ」
「私を守る? ダイキ、私があなたを守りたいのよ。あなたに何が起きているのか知らなければ、いざという時に助けてあげられないじゃない」
「でも、盗賊の襲撃みたいに単純な話じゃないんだ。もっとずっと深刻なことなんだよ」
マリアは優しく俺の髪を整える。
「いいわ。話しなさい。どうせ、私の人生に単純なことなんて何一つないんだから」
「家でもいいか?」
「ああ、そうね、その通りだわ」
マリアは歩き出したが、突然立ち止まる。
「手を出しなさいね」
「手? なんで?」
「罰として、宿屋まで手を繋いで帰るのよ」
「でも、宿屋に着くには、まずあそこを通らなきゃ……」
俺が言い終わる前に、マリアは俺の手を握った。
「村の中心ね。みんなが見て、あなたに母親がいるってわかるわ。もう知ってるわね。でも、もっとはっきり伝わるわ」
「でも……」
「ダイキ、つべこべ言わない。行くわよ?」
そうして、俺は大人しく引っ張られていくのだった。




