09:弁当と、フラグ乱立と
昼食は校庭の目立たない一角で摂ることにした。
塔子が極度に人に酔う体質らしく、できるだけ人のいないところがいい、と麻矢が言ったからだ。
それならばとツルギが案内したのが、校庭の端にある桜の木の下だった。
ベンチこそ設置されてはいるが、校舎や学食から離れているせいか、普段から人の姿がない穴場なのだ。
桜はちょうど満開で、ときおりひらひらと花弁が落ちてくる。
「というわけで、こっちが塔子さんの分で、こっちがツルギくんの分です」
麻矢が持ってきた弁当箱を配る。
ふたを開けると、肉やきのこの匂いに混じって不思議な香りが漂ってくる。
「……香草、かしら?」
「どちらかと言えば薬草ですかね。お二人の体調にあわせた薬膳弁当です」
そう言って麻矢も自分の弁当を開ける。
自分のものと見比べてみると微妙に中身が違っていた。確認したら塔子のものとも。
その徹底ぶりには頭が下がる。
「悪いな。相当手間かかってるだろう、これ」
「人を健康にすることがわたしの趣味ですから。いちおう今回は叩き台ということで、好みや要望があったら言ってくださいね」
「……強いて言えば、これがもう私の好みよ」
見れば、塔子は既にもっくもっくと頬を膨らませていた。
「本当ですか? 味つけが濃いとか薄いとかも?」
「……ないわね。私の家で雇いたいくらいよ」
「そんなにか」
それじゃあ、とツルギも手をあわせてから食事にかかった。
まずは炊き込みご飯から食べてみる。
「なるほど。これは確かに、文句の出しようがない」
数種類のきのことゴボウから出る玄妙な出汁の風味。醤油の味つけの中に隠れた、ほんの少しの甘味。丼いっぱいどころか、二合でも三合でも食べられそうだ。
味だけでなく見た目にも楽しい作りになっている。
卵焼きは斜めの切り口を反対にしてハートマークになっているし、その隣は小さなおかず五品を花のように並べてある。それからその隣は――
「むらくもよせか。風流だな」
箸でつまみあげる。
卵のお吸い物を寒天で閉じ込めた、ちょっとマイナーな料理だ。金色の出汁の中に卵の雲が何層も棚引いている。
そのまま口に運ぶ。噛むと、寒天の食感と共に出汁の風味が広がっていく。
「――美味い」
そして満たされる。
食事とはこんなにじんわりと臓腑に染みるものだっただろうか。
充足。血管が開き、包帯に包まれた手の先にまで力が通う感覚。
「なんかもう調子がよくなった気がする。午後にはもっと効果が出そうだな」
「午後に何かあるんですか?」
箸を進めつつ尋ねてくる麻矢。
「ああ、今年度最初の武系実技がある」
センセイに止められているのは鍛錬だ。授業ならば仕方ない、という名目でツルギは実技授業に参加するつもりだった。
頭の中の女医が呆れたような顔をしていたが、ツルギとしては表面の傷よりも不調の正体と解決策を探る方を優先したいのだ。
「実技……というと戦うやつですか」
「戦うやつだな」
武系実技。
武系コースを武系コース足らしめているもの。定められたルールの元、実戦的な戦闘を行う授業だ。組み手、あるいは試合と言えばいいだろうか。
武術を継承する者は他流との経験のために。
戦闘を楽しむ者はその楽しみのために。
鍛錬を主眼とする者は研鑽の確認のために。
生徒によって目的は様々だが、武系生徒の大半はこの授業のために学園に入ったと言われている。
「そういえば、ツルギくんは記章持ちなんでしたっけ」
「……記章持ち?」
怪訝な顔の塔子に、ツルギが説明する。
「武系コースの上位ランカーのことだよ」
そんな簡潔な説明に麻矢が言葉を足す。
「実戦授業で五位までの人は学園から記章がもらえて、その人たちを記章持ちって呼ぶんだとか。武系生徒の憧れの存在で、それぞれにファンがいたりするんですよね?」
「ああ。臣なんか女子だけのファンクラブまであるらしい」
「第二席の人ですね。ツルギくんとすごく仲がいいって噂の」
「……すごく?」
麻矢の言葉に、目を細めてツルギを見る塔子。
なにやら居心地の悪さを感じる。
「すごくかどうかはわからないが、仲はいいな。寮にいる間はほとんど一緒にいるし。飯とか、鍛錬とか、風呂とか」
「ははあ」
今度は麻矢の目がなんだかあやしい。
そういえば最近女子にこういう目を向けられることが多い気がする。
「あと人気なのは四席の水無月玲子か。彼女は同性にモテるタイプで、武系以外にもファンが多いらしいぞ」
そんな話をしながら、昼の時間は静かに過ぎていった。
――ついに来た。待ちに待ったこのときが。
赤座光は静かに笑った。
武系には二種類の人間がいる。
すなわち武器を使うものと、無手のものだ。
しかしながら武器を使える授業は、両者のバランスを考慮してか年に数回しかない。それ以外の間はどちらも無手で戦わなければならない。
その数少ない武器ありルールの日に、この相手を引いたのは運命という他ない。
ここが俺の連勝街道の第一歩だ。今期こそ上位陣を切り崩し、記章持ちとなってみせる。
そんなことを考えながら、光は対手を見る。
小柄で、両腕から包帯を垂らす、手負いの武系男子。
灰色っぽい髪とその雰囲気は、どこか群れからはぐれた狼を連想させる。
滝川ツルギ。
彼が今回の対戦相手だった。
記章持ちを切り崩せるとしたら、狙い目はこいつだ。
戦技無双の白鷺秋、鉄壁の倉本臣、不死身の大鳳示炎――学園最速の水無月玲子は女子だから除くとしても、やはり最も組しやすいのは膂力に特化した滝川ツルギだろう。
実際、相対してみても、他の記章持ちのような、一種異様な風格を感じない。
手の届くところにいる気配がある。
さあ、やってやろう。この日のために研鑽を積んできたんじゃないか。彼に勝ったら、幼馴染の加奈子に告白するのだ。そうだ、なんかアツアツのピッツァも食べたい。
「滝川ツルギ――無影血刀流」
「赤座光――剣道だ」
名前と流派を名乗る。
武系コースには剣術家も相当数いる。
有名な小野派一刀流から、中条流、無外流、果ては見たことも聞いたこともないマイナーな流派に至るまで、流派の数も剣士の数もなかなか多い。
そんな中に自分のような剣道家が混じっているというのは、やはり面白い。
この学園は面白い。
つま先立ちして重心を前に出す。剣術よりもさらに懸かりを重視した身体運用。前に出て敵を倒すためだけの攻撃的な重心操作。そして静かに竹刀を上段に構える。
自分は正面からまっすぐに懸かっていく。
相手も正面からまっすぐに懸かってくる。
そういう武道である剣道を、赤座光は愛していた。
懸かる。
光渾身の打突を、滝川ツルギは素早く横に避けた。
正しい対処だ。全身ごと移動している打突の最中は横へ動くことができないからな。
だが。
わずかに遅滞した時間の中、全身のばねを使って振り返る。そして反撃のために踏みこんで来ていたツルギに向けて。
二撃目。
目を見開くツルギ。こちらの拍子をとらえ損ねている。およそ一拍子のズレ。
やった、と思った。
だが、ツルギは紙一重で上体をそらした。
竹刀は空を斬る。
いい目をしている。だが、これで終わりだ。
さらなる切り返し。竹刀に勢いを乗せながら振り返った瞬間。
ツルギの瞳。その中央に囚われた自分。
拍子が奪われている。まずい。下がり技の足捌きで即座に離脱を図る。
だが、相手の方が速い。
間に合わない。
――腹部に砲弾を受けたような衝撃!
「がはっ――!」
周囲の風景が高速で流れていく。
一拍遅れて自分が吹き飛ばされているのだと悟った。
グランドを転がり、砂煙が舞う。
集中力によって引き伸ばされていた時間が、正しく刻み始める。
何度か咳きこみ、震えながらも起き上がろうとする光に、声がかけられた。
「軸足のスイッチ――か」
砂煙から現れるツルギ。
あの数合で見抜かれてしまったのか。
そう。剣道では右足を前に送り、左足で地面を蹴ることで懸かる。ゆえに先に着地するのは右足だ。そこに左足がついてくる形になり、ここから二撃目に移るためにはどうしても地面を蹴る左足が接地するまで待たなくてはならない。
だが、光は先に着地した右足をひねって反転し、空中の左足を送るとともに右足で踏み切り、このロスをなくした。結果動作の短縮、左右逆の足運び、そして何より拍子のズレが、相手の感覚を狂わせる。
その性質上、切り替えし後は移動速度が落ちるが、代わりに体のひねりが加わった打突の速度と威力は向上する。
それが光の編み出した奥の手――《廻り懸かり》の正体だった。
「見事な技だった。オレがもっと剣道に慣れていたら危なかったかもしれない」
ツルギの言う通り、《廻り懸かり》は剣道の動きに慣れているほどに効果を発揮する技だ。だがそれは自分が敗北した理由ではない。
己の研鑽が足りなかった。
それを見誤るほど、光は未熟ではない。
「……少しは加減しろ、馬鹿」
「あ、すまない。大丈夫か」
差し伸べられたツルギの手を掴んでふらふらと起き上がる。
改めて見るまでもなく、白い道着の腹部が黒く染まっている。
実技用のジャージや道着には衝撃に反応する仕組みがあって、有効打レベルの打撃が当たると黒くなるのだ。
腹部、肩、太腿に有効打を食らわせる。
関節を極める。
相手に敗北を宣言させる。
この三つのいずれかによって実技の勝敗は決定される。
「今回は俺の負けだったが、次はこうはいか――」
衝撃。
横から何かが飛んでてきて光の体は再び吹っ飛ばされた。
またしてもグランドを転がる。とっさに受け身は取ったがダメージがひどい。
起き上がれぬまま何かが飛んできた方を見る。
飛んできた者も、飛ばした者もそこにいた。
飛んできたのは名も知らない大柄な武系男子。
飛ばしたのは――記章持ちの第五席。
長い金髪で目元を隠した男。
「……お、大鳳……示炎……」
「おやおや、これは失礼。加減を誤りました」
見れば倒れて動かない武系生徒は全身が黒く染まっている。どれほどの力で吹き飛ばされたのか正直考えたくもない。
対する示炎も腕の部分が変色していたが、まるで意に介していないようだった。
「しかし正直退屈でした。早く他の記章持ちと闘いたいものです」
そう言ってツルギに向けて笑う示炎。
「昔からクジ運が悪いのですよ、拙は」
これが第五席。記章持ちの中で最下位の男。
全身のしびれに、光は起き上がることを諦めて目を閉じる。
――すまん、加奈子。
これは、まだしばらく時間がかかりそうだ。




